私は、この漫画『ぼくの友だち』を、友人・知人全員に配り歩きたい。それくらい、あらゆる人におすすめしたい1冊だと思った。『ぼくの友だち』には、LGBTQ+の人々や、「家族」「恋人」といった関係性に居心地の悪さを感じている人々をあらゆる視点から描いた、生々しくもやさしく、あたたかい作品たちが収録されている。
南Q太新作短編集『ぼくの友だち』を読んで
(C)南Q太/マガジンハウス
私にとって思い入れのある漫画家、南Q太氏の新作漫画『ぼくの友だち』
南Q太氏の漫画は、私にとって特別だ。
女性同士の交流を描いた漫画『私の彼女』をはじめ、今まで読んだ作品たちは、いずれも私にとって核となる存在になっている。
最近では、Webサイト「SHURO」にて連載中の漫画『ボールアンドチェイン』の最新話を欠かさず読むのが習慣となっている。
LGBTQ+の主人公が、結婚を目前にしてあらためて自分自身と向き合い、同性との交際を新たにスタートさせる物語。また、熟年離婚に踏み切ろうとする別軸の主人公もいて、共通点がなさそうでありそうな、2人の人生を交互に描いている漫画作品だ。
そして2024年8月、漫画『ボールアンドチェイン』最新刊の発売と同時に、南Q太氏の新作短編集が刊行された。
『ぼくの友だち』というタイトルのこの漫画作品も、LGBTQ+の人々が題材となっている。
漫画『ぼくの友だち』のテーマは「LGBTQ+の人々をめぐる友情」
(C)南Q太/マガジンハウス
漫画『ぼくの友だち』は、その名のとおり、「友だち」が重要なテーマとなっている作品たちが収録されている。
パンセクシュアルの主人公と中学校時代の同級生、アセクシュアルの主人公とアパートの隣人、性表現が個性的な元同僚と、恋愛や結婚に違和感をおぼえてしまう主人公など、LGBTQ+の人々やそれに近い人々と、彼らの友情関係が描かれる。
私は、『ぼくの友だち』の題材の選び方に魅力を感じた。
誰かと恋愛関係を結ぶには、多くの場合、相手や自分の性別・性的指向に左右されてしまう。でも、友情には、性別も性的指向も、あらゆる属性の違いも関係がない。
属性や境遇の違いから、多少の障壁や軋轢が生まれることはあっても、「友だち」にはなることができる。そして、恋愛が終われば相手とは疎遠になってしまうことが多いけれど、友情は終わらせる必要がない。
お互いに望めば、特別な約束や契約関係がなくても、ずっと「友だち」でいることができる。
LGBTQ+の一員である自分の人生において、家族や恋人がいない時期があっても「友だち」には絶対にいてほしいと、あらためて感じるきっかけにもなった作品だ。
漫画『ぼくの友だち』の魅力①―LGBTQ+の枠を超えた友情
ここからは、漫画『ぼくの友だち』収録作品の中で、特に印象に残った話を紹介したい。まずは、表題作『ぼくの友だち』の次に収録されている短編漫画『キリフィッシュ』。
漫画『ぼくの友だち』収録作、『キリフィッシュ』のあらすじ
(C)南Q太/マガジンハウス
タイトルのキリフィッシュとは、メダカのこと。
主人公の潮(うしお)は実家から会社に通い、メダカを飼育している30代の男性だ。
母親から毎日のように結婚を促されるけれど、潮は気が進まない。
そしてある日、アパートの隣室に引っ越してきた一人暮らしの画家と出会う。
独身であることを気にもせず、あっさりとドライに暮らしているように見える彼女の生きざまに心惹かれた潮は、自分がLGBTQ+であると気づき、少しずつ自分の人生と向き合っていく。
私は、漫画『キリフィッシュ』を読みながら、自分の友人について思いを馳せてしまった。
自分がLGBTQ+であるかどうかを気にしない友人
私の友人は、学生時代の一時期を除いて、恋人がいたことがほとんどない。
一度、彼女に聞いてみたところ、「学生の頃に好きな人と付き合ってみて、誰かと付き合いたいって気持ちが自分にないことに気づいた」と言われた。
当時の私にはLGBTQ+の知識がそれほど豊富にあったわけではなかったけれど、彼女のごくあっさりとした口調に、「あなたはそういう人なんだね」とすんなり納得することができた。
漫画『キリフィッシュ』の潮は、「自分はアセクシュアルだ」と認識していない頃、恋愛感情や性的関係を持てない自分に劣等感を抱いてしまっていた。
潮にとっては、LGBTQ+についての知識がある種の救いとなったのだ。
ただ、私の友人は、自分がLGBTQ+であるかどうかを気にしている素振りを見せたことがない。話の流れで、「もしかしたらノンセクシュアルか、アセクシュアルなのかもしれないね」という話題が出たことはあったけれど、友人の反応は薄かった。
「LGBTQ+」という枠組みに自分をあてはめなくても、彼女は「私は私だから」と思いながら、堂々と生きているのだ。
漫画『キリフィッシュ』の潮と同じく、自分をLGBTQ+だとカテゴライズすることでどこか安心感を得ていた私にとって、友人の感覚はとても新鮮で、まぶしく思えた。
「人に何かを求めたり おしつけたりしないし 人からの評価も気にしない」
漫画『キリフィッシュ』の中で、潮は「友だち」となった画家の女性をそう表現している。
私にとっての友人も、潮にとっての彼女と同じような存在なのかもしれない。
LGBTQ+であるという連帯感を共有できる関係も大切だけれど、そういったカテゴライズを一切気にせずに接してくれる人の存在も、時には大きな心の支えとなりうる。
「恋愛感情を持たない」LGBTQ+についての世間の無理解
(C)南Q太/マガジンハウス
もうひとつ、漫画『キリフィッシュ』を読んで感じたのは、アセクシュアル(かもしれない)人に対する世間一般の感覚に差があることだ。
画家の女性と「友だちになった」という潮に対して、彼女と潮が恋愛関係にあるのだと勘違いして責め立ててくる母親。人付き合いが悪く、恋愛する素振りを見せない潮のことを「ゲイ」だと思っていた会社の同僚。
多くの人は、「恋愛」や「結婚」を前提とした人生観を持っていて、そうでない人の存在になかなか思い至らないのだ。
私の友人は、「恋愛に興味がない」「結婚する気もない」と公言しているにもかかわらず、しばしば異性から交際を申し込まれる。
彼女は当然のようにそれを断るのだけど、周囲の人はそんな彼女に対して「男をもてあそぶ悪い女だ」「小悪魔だ」などとかげ口を叩くことがあるらしい。
共通の知人づてにその噂を聞いたとき、私は途方に暮れた。
彼女が本当に恋愛に興味がなくて、むしろ異性から一方的に恋愛感情を持たれることに心底うんざりしている可能性に、どうしてみんな思い至らないのだろう?
私の友人は、単に男女の区別なく「友だち」を大切にする人で、一緒にいて楽しいと思える「友だち」と仲良くしているだけなのだ。
それなのに、
「恋愛に興味ないって言っても、好きなタイプくらいあるでしょう?」
「異性とそんなに仲良いのって変じゃない?」
あるいは、
「異性との恋愛に興味ないってことは、もしかしてレズビアンなの?」
などと彼女に疑問をぶつける人があとを絶たない。
漫画『キリフィッシュ』の潮に関する描写を見ていると、遠慮のない質問をされるたびに困惑している友人の姿を思い出した。
できることなら、「恋愛や性愛に関心のない人もいる」という認識が、もっと世間一般に広まってほしいと願わずにはいられない。
私が友人・知人に漫画『ぼくの友だち』を配り歩きたいと感じたきっかけには、こういった背景もふくまれている。
漫画『ぼくの友だち』の魅力②―LGBTQ+と家族関係の難しさ
漫画『ぼくの友だち』収録作より、続いて紹介したいのは短編漫画『サファイア』だ。『サファイア』は、「自分のなかには女の心と男の心がある ヒカリさんはずっとそんなふうに感じていました」という印象的な文章から始まる。
家族と自分の性自認を天秤にかけてしまう、LGBTQ+ならではの悩み
(C)南Q太/マガジンハウス
サファイアというタイトルからは、手塚治虫の漫画『リボンの騎士』をつい連想してしまう。
女性の心と男性の心、両方を持って生まれてきた主人公・サファイア姫をめぐる有名な漫画作品だ。
まるでサファイア姫のような「ヒカリさん」に対して、ヒカリさんの夫は「ようするにバイセクシャルってことだろ」と言い放つ。
さらに、「ちょっと違う・・・・・・」というヒカリさんの言葉も聞かず、「俺はそういうの全くないわ どノンケだし」とばっさり切り捨てる。
冒頭から「なぜヒカリさんはこんな乱暴な発言をする人と結婚したの・・・?」と言いたくなるような展開なのだけれど、ヒカリさんは夫との関係を良好に保とうと常に努力し続けている。
その様子が歯がゆくもあり、でもどこかで納得してしまう自分もいる。
家族である人との関係を優先して、自分がLGBTQ+であるという思いにフタをしようとしてしまった経験は、私にもあったからだ。
漫画『サファイア』で主人公の支えとなった、家族でも結婚相手でもない「友だち」
(C)南Q太/マガジンハウス
漫画『サファイア』のヒカリさんほどではなかったけれど、私も自分の性別に対して違和感を抱いていた時期が長かった。
母親が望むようなスカートやワンピースといった服装には抵抗があり、たまにそれらの服を身につけると、まるで「女装」をしているかのような気分に陥り、恥ずかしくすらあった。
ヒカリさんが、夫と出かけるときにスカートを履くことを「たまに女装しないとさ 嫌がるんだよね」と表現しているシーンを見て、私自身、スカートを履くときに感じていた居心地の悪さを思い出した。
ただし、ヒカリさんと私には明確な違いがある。
「母親と自分」という家族関係を重視してしまっていた私と異なり、ヒカリさんは「親子関係」に対する感情が淡白なのだ。
母親の危篤に駆けつけなかったり、望んでいない妊娠の末、流産してしまったことに対して、「逃げきった」と感じたりと、親子の関係に強い愛着を持てないヒカリさんの特性がうかがえる描写がいくつかある。
それでも、ヒカリさんが「夫婦」という家族関係を続けていこうと努力していたのは、ただ「手をつないで歩く」ように共に生きていく存在が必要だったからなのではないか、と私には感じられた。
それが必ずしも結婚相手でなくていい、ましてや異性である必要もないとヒカリさんが気づけたことは、漫画『サファイア』のストーリーの中の救いであると思う。
LGBTQ+の人々にとって、「妻(夫)」や「娘(息子)」といった役割を求めてこない人は、セクシュアリティに関係なく自分自身を肯定してくれる貴重な存在になりうる。
恋愛感情や血縁がなくても、お互いを必要とし、「手をつないで歩く」ことができる存在。
その関係性を軽やかに、かつ情緒的に描いているところが漫画『ぼくの友だち』のなによりの魅力なのだ。
LGBTQ+のバイブルになりうる漫画『ぼくの友だち』
(C)南Q太/マガジンハウス
南Q太氏による漫画『ぼくの友だち』は、LGBTQ+である私にとって大切な1冊となった。
そして、LGBTQ+の当事者だけでなく、身のまわりにLGBTQ+の人がいるはずの人たち、あるいは自分の性や家族のあり方に何らかの違和感をおぼえている人たちの心に、きっと少なくない気づきと希望を与えてくれる作品だと思う。
理解のない周囲のリアクションの生々しさ、「友だち」たちのやさしく寄り添うような言葉、そして作者である南Q太氏のあたたかな思いを感じることのできる、漫画『ぼくの友だち』。
「1話だけでも読んでみて」というところから、少しずつ周囲に広めていきたいと思える、私にとってのバイブルのひとつとなった。
■作品情報
南Q太傑作短編集『ぼくの友だち』
著:南Q太
出版社:マガジンハウス