術後2ヶ月が経過した現在、ぼくは腹回りの贅肉に悩まされている。元来痩せ型で太りにくい体質なんだけど、簡単なストレッチや軽い筋トレさえ控えていると、ここまで体型がだらしなくなるのか・・・・・・とため息をついているところ。個々人の術部の経過によっても異なるが、ぼくは「3ヶ月後から徐々に運動解禁」と医師に指示されているため、あとおおよそ1ヶ月耐え抜いたあとは、みっちり体を絞りたい所存である。
※以下に記すことはあくまで「ぼくの胸オペ」であり、「ぼく個人のケース」である。すべての人がこの記事の内容と同じようになるわけじゃないし、それを保証するものでもない。それを留意の上で、読み進めてほしい。この体験記はぼくという一個人の「サンプル」に過ぎないということを、ここに明言しておく。
ノンバイナリーのぼくの胸オペ後の心境
前回の胸オペ体験記④で、一応のところ手術前後の様子は一通りおしまい。最終回である今回は、胸オペ後のぼくの心境やタイで行うメリットなどを書いていこうと思う。
胸オペは、喜びよりも安堵のほうが大きい
胸オペ直後の心境としてよく聞かれる主な声は、素直に「嬉しかった」というもの。性自認と一致する体、乳房のないぺたんこの胸部を手に入れられたことは、ぼくもたしかに嬉しかった。でも喜びよりずっと大きいのが、安堵の気持ちである。
実を言うと暑い季節の術後に、胸を圧迫するバストバンドやナベシャツを着用し続けるのはしんどいだろうなと思っていたので、もともとは冬の渡航を希望していた。それがコロナ禍なんやかやで延期に延期が重なり、当初の予定より半年くらい遅れての決行となった。
そのため渡航までのあいだ、風呂に入るのが辛くて辛くて仕方なかったのだ。もちろん第二次性徴が始まってからずうっと自分の裸体を直視するのは苦痛だったけど、「もうすぐこの身体とおさらばだ!」とウキウキしていたから、余計にふたつの “できもの” に意識が向くようになってしまっていた。
なんでこんな変な異物が自分の胸部にひっついてんだかまるで理解できないし、自分の体がものすごく気持ち悪く醜く思えて、鏡に映るそれを見るのも、洗うときに触れることすら抵抗を感じる始末だった。
タイ・ヤンヒー国際病院での手術を終えて、そこからやっとこさ解放されたため、嬉しさよりも安堵の方が最初は強く感じた気がする。
ノンバイナリーのぼくらしくない下半身の違和
タイ・ヤンヒーでの胸オペを経て、上半身が性自認と一致した結果、かえって月経への抵抗感がマシマシになってしまった。いや、もちろんこれまでだってずっと月経のある自分の身体は忌々しく思っていた。しかしそれよりもどちらかといえば「身体の形状」を特徴づける(とぼくが感じていた)乳房のほうに、強い嫌悪を抱いていたのだ。
だから乳房さえとっぱらっちまえば、ぼくの悩みは解決だろうと思っていたし、実際おおむね解決はしたんだけど、ひるがえってこれまでより子宮や卵巣への違和も強く意識するようになっちゃった。
とはいえいろんなことを考えて内摘(子宮卵巣摘出)はしないつもりだから、こればっかりはもう「しゃーないな」でやっていくしかない。「男性」「女性」以外を選択できない現行の制度で戸籍の性別変更の要件を満たしたって、どうしようもないし。ていうか医療的介入が性別変更の要件になっていること自体、ちゃんちゃらおかしいんだけど。
でも、まじで月経は来ないでほしい。
子宮も卵巣も、必要としている人にあげたいくらいだ。MTFの女友だちに「要らないんならちょうだい」などと冗談半分で言われてるんだけど、本当にそうしてあげたいくらい。
この身体で10代や20代を生きたかった
現在、風呂に入るたび胸オペを終えてぺたんこになった上裸を見てはニヤニヤしたり、胸部の写真を友だちみんなに「見て見て、めっちゃ良くない?!」とLINEで送りつけるなどという奇行に走るほどには浮かれている。
一方で憂うこともある。もし、胸オペ後のこの身体で10代や20代を過ごせていたら、どれほどよかっただろう。きっと大袈裟でなく、今の人生とはだいぶ違うものになっていたんじゃないか。
先日クィアを被写体にした写真プロジェクトの撮影があったんだけど、そこに映る自分の全身を改めて客観的に観たとき、やりきれない思いが込み上げた。直線と曲線が混在する身体は、まぎれもなく長年焦がれ続けてきたかたちそのままだったからだ。
まだ未発達なやわらかい心を守るのがこの殻・身体だったならば、セクシュアリティにまつわるあらゆる偏見や差別にちくいち傷つかなくても済んだろうに。もしくは傷ついたとしても、これほどの深手は負わなかったろうに。
考えてもしょうがないことではあるが、どうにも切なくなってしまった。できることなら、10代で胸オペを受けたかったなあ。
ノンバイナリーに安易に胸オペを勧められないワケ
“もっと早く胸オペをしたかった” と強く思っているけれど、一方でぼくは「他人には安易に勧められないな」とも思っている。
胸オペが思い通りの仕上がりになるとは限らない
ぼく自身、希望してたU字切開での施術が叶わなかったこともあるため、なおさら「望み通りの仕上がりになるとは限らない」という事実は、口を酸っぱくして言っておきたい。ぼくの体感上SNSでよく見かけるのは傷跡の目立ちにくいU字での症例写真だけど、みんながみんなこれになるとは限らないぞ。
それに、事前の見立てと異なる術式に決まることだってある。ぼくの場合もそうだった。胸オペ体験記②で書いた通り当初の写真による見立てでは鍵穴切開もしくは逆T字切開だったが、実際にヤンヒーで形成外科医の先生が採用したのはI字(横一文字)切開だった。
術式の希望を伝えることはできても、自分で選ぶことなんてできない。各々の身体によって、執刀医が適切な切開方法を決める。そしてまた、仕上がり自体も思い描いていたものとそっくりそのまま同じになるとは限らない。再診の際に執刀医が「理想通りですか?」と訊いてくれたけど(そしてその言葉自体ぼくはとても嬉しかったけど)、実際の手術直後はまだ答えようがない。術後、数ヶ月経たないと術部は落ち着かない。でも、先生の問いかけは、患者さんの思い描く状態との齟齬が往々にして起こりうるからなんじゃないかと今になって思う。
そしてまた、どれほどの名医が執刀したって乳頭・乳輪の壊死、凹み、えぐれ、たるみなどなど、体にメスを入れる以上リスクを伴う。そのことだけは絶対に忘れちゃいけない。
ノンバイナリーでも、理想の身体は人それぞれ
不可逆的な手術であるため、後悔しないためにも熟慮期間はじゅうぶんに設ける必要がある。何が言いたいかっていうと、胸オペが本当に自分自身の性別違和を解消するために不可欠なものなのか、年単位で時間をかけて考え続けなければならないってこと。
ノンバイナリーという性自認の特性上、理想とする身体のかたちは各々で異なる。もちろんFTMないしMTFの「なりたい(取り戻したい)性別がわかりやすい」トランスジェンダーだってそうだろうが、ノンバイナリーの場合その傾向は特に顕著だと肌で感じる。
ノンバイナリーというセクシュアリティそのものが、個々人によって異なる在り方をしているように、個々人が思い描く「ふさわしい容れ物」のかたちもまた大きく異なるはずだ。
ぼくは、うっすらふくらみのある、完全にフラットではない性別不詳な身体を望んでいた。でもノンバイナリーの中には、大きい胸を持つ身体こそが「自分らしい」と思う人だっているだろう。そもそも「乳房」=女性性の象徴、と捉えていない人だっている。
だからインターネットの海を漂う中で、「ノンバイナリーらしい身体=胸のない身体」だと思い込まぬように気をつけてほしい。海の中に無数に散らばっている例、たとえばこの記事を書いているぼくの身体だって、あくまでサンプルだ。それらをたくさん眺めながら、「自分らしい身体」を追求して。その上で「胸オペが必要だ」と思うのなら、決行すればいいんじゃないか。
少なくとも3年は悩んでほしい
不可逆的な手術、という言葉で、ちょっと思い出したことがある。手術とは違うんだけど、ぼくは身体にタトゥーを入れている。タトゥーはレーザーかなんかで消すこともできるらしいが、けっしてきれいに元通りになることはない。まさに不可逆的なものである。
最初にタトゥーを入れるとき、すでにいくつか彫っている人に「1年以上希望するデザインが変わらないのであれば彫っても後悔しないと思いますよ」とアドバイスされた。これって胸オペにも通ずるんじゃないかと、ぼくは考えている。
先ほど「もっと若いときに胸オペをしたかった」とこぼしたけれど、それでも15年間気持ちが変わらなかったからこそ、後悔もまたないのだろう。そしてこれから先の人生でも、胸オペを悔やむ日は来ないだろうと100%の自信を持って言い切ることができる。
これらを踏まえてぼくがアドバイスしたいのは、繰り返しになるけれど「年単位で考えてね」ということだ。すくなくとも3年以上は悩んでほしい。悩んで悩んで、それでもやっぱり胸オペをした身体、乳房のない身体が自分の性自認と一致する、心からの希望だという確信を持ってから、踏み切るべきなんじゃないかな。
ノンバイナリーこそタイでの胸オペを考えてみて
年数をかけて悩み抜いた結果、胸オペをしたいと望むのであれば、ぼくはタイで受けることをおすすめしたい。特にあなたがノンバイナリーであれば、なおさら。
タイの強みは手術件数、症例数の多さ
タイの何がいいかって、やっぱりその手術実績の多さ、つまり症例数の多さだとぼくは思う。現代の日本の技術だって、けっして低くない。現にぼくの知人にも日本で胸オペやSRSを受け、きれいな仕上がりになっている人もいる。
ただ、やっぱりまだまだ医師による技術のばらつきは情報を漁る限り否めない。手術件数が圧倒的に少ないぶん、日本での胸オペないしSRSは発展途上だと言わざるを得ないんじゃないかっていうのがぼく個人の意見。
理想の仕上がりに近い症例写真を公開している医師がいたとして、その病院の設備が希望と異なる場合もあるだろう。入院を望んでいたとしても日帰りでの手術になってしまうかもしれないし、病院自体が遠方であるならば結局ホテルに宿泊しなければならない。それだったらいっそ、数日間しっかりと入院し、術後も24時間管理してもらえるタイで受けて、再診まで滞在したのちに帰ってきたほうがいいんじゃないかな。
ノンバイナリーのぼくのように乳房縮小を望むなら
念を押すけど、日本の医師の方々の技術がタイと比較して低いとはぼくは言っていない。でも、あなたの望む条件をすべて満たした環境を選ぶのも探すのも、タイに比べると大変ではあるだろう。
ましてやノンバイナリーのぼくのような「性別不詳な身体」──乳腺摘出ではなく乳房縮小を望むのなら、医師や病院探しは輪をかけて困難を極めることが予想できる。ぼくが渡航前、そしてヤンヒー病院の問診で何度も何度もあらゆる方向から質問されたことを鑑みるに、性別二元論で説明できない身体イメージを共有するのはとても難しい。
その難しさは日本とタイでさして変わらなかったとはいえ、イレギュラーな希望だからこそ手術件数の多いタイで受けてよかったとぼくは思っている。フラットな胸を望まないのであれば、ぼくはタイでの胸オペを激推ししたい。
胸オペは自分らしく生きるための手段のひとつ
胸オペにかかった費用の総額
胸オペ体験記①で書いたように、胸オペの費用自体は、日本の美容整形外科で出してもらった見積もり(80万〜100万程度)のざっと半分程度で済んだ。
それに飲食代・タクシー代・航空券・ホテル代などなどもろもろの費用すべて含んだ総額で、日本のジェンダークリニックのHPで提示されている胸オペの手術代や手術代には含まれていない医療費も含めて、トントンかそれ以下だった。日本で受ける場合も日帰りの場合は病院のすぐそばに宿を取らねばならないだろうし、遠方だったら再診のたびに新幹線やなんやかやの交通費がかかるだろう。
そう考えると、確実にタイでやったほうが安い。ぼくのときはちょうど円安に見舞われホテル代や航空券などがやや高くなっちまったし、コロナ禍のPCR検査代が別途かかったが、こういう特殊な状況下じゃなければ費用はさらに抑えられるだろう。この条件で日本と同程度、あるいはそれ以上の技術が保障されているのならば、候補に入れない選択肢はないと思う。
※費用はあくまで「ぼくの身体で胸オペを受けた場合」に限る。すべての人が「日本よりも低価格で手術を受けられる」ことや、その仕上がり等を保証するものではない。
英語に自信がなくても諦めないで
海外旅行の経験があまりない人や英語に苦手意識のある人にとっては、そもそも国外での手術に抵抗があるかもしれない。言葉が通じない中で手術を受けるなんて、と不安に思うだろうが、ぼくはぶっちゃけそこはあんまり気にならなかった。
ヤンヒー病院では事前の問診でしっかりと希望の仕上がりを確認してくれたし、どの程度の傷跡になるかも念押しのように写真を見せながら伝えてくれた。ぼく自身も「細かいニュアンスが伝わらなかったらどうしよう」という懸念を抱えていたが、実際行ってみたら「あなたの不安は砂つぶ一個さえ漏らさないぞ!」みたいな気概でぼくがじゅうにぶんに理解できるまで説明を尽くしてくれたし。
また、時期によっては日本語翻訳スタッフが在籍していない可能性もあるけど、ちょっと今これを読んでるあなたの手に握られているものの存在を思い出してくれないか──そうだ、スマホだ。Google翻訳の精度はほぼ正確だし、これと中学英語の最低レベルの単語さえ知っていれば意思疎通はむしろ容易である。
それでも心配な方は、ランドホーでアテンドを頼む場合、オプションで現地サポートを選択できる。よって、「タイ語も英語もわかんない!」と諦めるのは早計であると言えよう。
言語を理由にタイを選択肢から外すのは、正直もったいないよ!
ぼくの胸オペ体験記は、あくまでサンプル
5回にわたる胸オペ体験記だったが、「FTMの胸オペ」ではなく数少ない「ノンバイナリーの胸オペ」の情報を残せてよかった。FTMの胸オペレポはそれなりにインターネット上で散らばってはいるものの、ぼくのようなノンバイナリー当事者のものはあまり見かけないので、一例になれたら嬉しい。
でも、ぼくの体験記はあくまで「サンプル」だ。
ぼくがタイでの胸オペに満足し、大きなトラブルにも見舞われず、無事に帰国できたからといって、だれしもがそうなるとは限らない。あなたが本当の身体を取り戻す、もしくは希望する身体を手に入れる際の、手がかりのひとつとして受け取ってもらえればと思ってる。
どうかこの連載が、あなたが胸オペを検討する際の参考や、あなたの正しい身体を取り戻す一助となりますように。そして当事者以外の人たちが、この社会に生きるノンバイナリーなトランスジェンダーの1人のリアルな心情を理解するのに役立ちますように。
この身体に戻ることができて、ほんっとよかった!