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Writer/雁屋優

トランスジェンダーの私と装い

戸籍上の性別は女性の私だけど、男装してみたいと数年前から口にしている。それは男性になりたいということではない。男性と見られる装いをして、男性と扱われてみたい。それだけなのだ。そこに至るまでの経緯を書いていく。

スカートよりスラックスを履きたかった学生時代

高校受験の夏に、各校の制服を見て考えたこと、そしてそれは進路選択にどう影響したか。

制服と私と、性別

人生において、服装で男と女を意識させられる瞬間は制服だと思う。幼稚園で制服があった人もいたかもしれないが、私はそうではなかったので、中学校の制服がその初体験だった。制服は、学ランとセーラー服だった。

その頃私は、ぼんやりスカートよりもズボンの方が好きだな、と考えてズボンばかりを選んで履いていた小学生だったけれど、セーラー服を着ることには特に抵抗もなかった。セーラー服そのものよりも、指定のジャージがもう本当に目も当てられないくらいダサいことに文句を言っていた。そのジャージに比べれば、セーラー服なんて、全然ましだった。

ただ、ズボンを履きたいなと思うときは、かなりあった。それは冬の寒いときだ。冬の寒いときと生理が重なると、とてもつらい。寒さが、お腹の痛みを何倍にも、いや、何乗にもしてくるのだ。まして私の育ったそこは北国。暖房設備が整っていても、廊下はひたすらに寒かった。

腹痛を理由に保健室へ向かう度、タイツでしか覆われていない私の脚は容赦ない寒さにさらされた。例えばこれが学ランのズボンに覆われた脚だったら、少しは寒くなかったのだろうか、なんて考えた。

受験案内のなかのスラックスは輝いていた

中学三年の初夏になると、各校から受験案内が中学校に届き、それらが張り出され、高校の制服を見る機会も増えた。そのなかで私の目をひいたのは、女子用スラックスという単語だった。

この頃から私は「かわいい」より「格好いい」と言われたいと思っていて、似合いもしないのにボーイッシュな髪型に憧れていた。そして、スポーツが得意で、容姿も格好いい女子を見ては、ああなれたらなあ、運動嫌いだから無理だけどね、と考えていた。

女子用スラックスというものを知ったとき、これだ、と思った。これなら冬でも寒くないかもしれないし、格好よく見せることもできるかもしれない。女子用スラックスのある高校も、いいかもしれないな、と考えては想像をめぐらせた。

選ばれなかった女子用スラックス

それでも、結局私の選んだ高校はどこも、女子用スラックスを導入していない高校だった。当時の私には、より偏差値が高い高校に入学することが重要で、制服は、あまり重要ではなかったのだ。

ついでに言うと、入学した高校の制服は、あまり好きではなかった。ポケットの数が少なく、機能性が低かったからだ。在学中に、少しばかり、「女子用スラックスがあればいいのに」と愚痴をこぼした気もする。でも、言ってしまえば制服は私にとってその程度だったのだ。そう、例えば、女子用スラックスが欲しいと運動を起こしたりするほどではなかった。女子用スラックスが私の卒業後に導入されると知ったときには、「いいなあ」と言ったけれど、まあそんなものだったのだ。

そうして、中学高校と過ごす間に、何を着たいか考えることは減っていった。

 

楽だから、と選んだ定番ファッション

大学に進学して、毎日が私服となり、私は楽なファッションに身を包むようになった。

大学生になって、面倒くさくなる

中学高校でも、特に休日は出かけず家で読書か勉強に励んで過ごしていた私は、大学に入って私服での通学に面倒くさい以外の感情を抱けなかった。大学生になると、メイクも解禁され、皆当たり前のようにメイクをしてくる。メイクなんて、日焼け止め以外したことない私は、口紅と日焼け止めだけで、適当に過ごした時期もある。

幸いにも、と言っていいのかはわからないが、私の入学した学科は理系で、理系のイメージそのままのチェックのシャツで通学する男子がたくさんいた。着飾っている女子もいたけれど、それは一部の話で、着飾らないことも、許される空間だった。

元の髪の色が派手な分、着飾らない私は目立ったのだろうけど、大学生になって最初の夏くらいで装い続けることに疲れ、チェックのシャツにズボン、UVカットの黒いパーカーというスタイルが自分のなかで定着した。

男装してみたい、けれど

この頃から、私は「男装してみたい」と口にするようになったと記憶している。当時、髪は長くて、それを切る気もなかったが、女性寄りの容姿ばかりが鏡に映るのも、何だか釈然としなかったのだ。とは言え、女性寄りの容姿をしていた自分自身が嫌だったわけではない。

女性寄りの容姿でいたい気分の日もあったけれど、格好いい男性のようなファッションをしてみたい日もあったのだ。長い髪はそう簡単に手に入れられるものではないとわかっていたから、切らずにおいて、女性っぽいファッションを選択していた。時たまスカートを履くときには、その方が楽だったから。

ただそれだけで男装はできなかった。

格好いい女友達

大学生になって、いろいろな友達ができて、そのなかに、私と会っているときにカップルに間違われるような友人がいた。彼女は本当に格好いい女性だった。私が「男装してみたい」と言いつつ、行動に移せなかった理由にコンプレックスの一つでもある、身長があった。彼女には、その身長があって、なおかつシュッとしていて格好よかったのだ。

黒をまとって現れた彼女は、本当に素敵なお兄さんのようで、それでいて女性の色気もあり、私にとっては理想の格好よさだった。

トランスジェンダーする心と、憧れのファッション

友人を見て、男装や中性的な服装への憧れを強めた私は自分がどうしたいのか、考えてみた。

ウェディングドレスは着てみたかった、けれど

以前の記事で「ソロウェディングをしてみたい」と書いた通り、私は今もウェディングドレスを着た自分を見てみたいし、ウェディングドレスを着てみたいと考えている。タキシードなどは着てみたいとは思わない。ウェディングドレスは、一般的には女性寄りの格好そのものだ。

もちろん男性がウェディングドレスを着たっていいのだけれど、ウェディングドレスに付随するイメージはやはり女性だ。でも何だか着てみたい。その思いと、「男装したい」は両立しうるのだ。新郎新婦を見ても、ウェディングドレスの花嫁に目がいくくらい、ウェディングドレスが大好きだ。

社会から、女性として扱われることに納得は割としているのかもしれない。私自身は、外から見たら女性であるのは、まあ間違いない。どう見られたいか、と言えば、性別のないもの、つまり無性として見られたいけれど、それでも客観的に女性なのは腑に落ちる。

私はウェディングドレスも着てみたいし男装もしてみたい。もしかすると、これは装いで性別の間に立ちたいという気持ちの表れなのではないだろうか。

トランスジェンダーに優しくない世界

私は中性的な名前が大好きだし、自分自身もそうだったらよかったなと思って、このペンネームを名乗っている。優(ゆう)という名前は女性でも男性でもありうる。もちろん、生理どうこうと書いている時点で、生物学的な性別は知れてしまうけれど。

そもそも、装いに性別があるとする発想自体が古くさいのかもしれないけれど、学ランは男の子を象徴するし、セーラー服は女の子を象徴する。今はまだそういう時代だと思う。だからこそ、制服はトランスジェンダーに優しくないのだ。

男とも女とも定義されたくない人や、FtM、MtFを一緒くたにトランスジェンダーとしているからわかりにくいのかもしれないけれど、装いにおける性別の垣根はもっと柔軟に越えられていいものだ。もしかしたら、なくなったっていいのかもしれない。

私は、無性になりたい

中性的な格好をしていた友人に憧れ、格好いいとテンションを上げた私だが、私は格好よくなりたいわけではなかった。女性らしさを消す手段として、格好よくなることを求めていたのだ。男性にも、女性にもなりたくない。

男性も女性も私にはいらない。男性でも女性でもない、そういう人になりたい。無性になりたい。

男装してみる、その先へ

なぜ男装したいのか、解き明かしてみたところで、考えてみる。

迷いながらも男装してみたい

男装してみたい、に連なる気持ちを書いてきて、私のなかにはある種の迷いが生まれているーーー。男装してみたところで、私の世界は変わるのだろうか。男装してみても、私は私のままだ。それはよくも悪くもある事実だ。

男装すると、私のなかの装いの指標が変わる気はする。装いの選択肢のなかに、男装が存在し、今まで着たファッションを相対化できる。それは女装と男装双方、そして、そのどちらでもないファッションを選択肢にもつことなのだ。今までは何を着ても女装でしかなかった。それが、男装によって壊されるのだ。

装うことにそこまで必死になれない

そう書いてはみたけれど、装いに私はそこまで必死になれない。ウィッグを買ってみるにも、男装に必要なメイク道具を揃えるにも、費用がかかる。それらを考えていると、うーん、まあ後でいいかな、という気になることもある。結局のところ、私はファッションにそこまで本気になれないのだ。

ただ、何になりたいのか考えて、無難で楽なファッションを選び続けるだけにはしたくなかった。無難で楽なファッションはたしかに私を助けてくれたけれど、それだけしか知らないのは、何か寂しい。

ウェディングドレス、そして男装

ウェディングドレスも着てみたいし、男装もしてみたい。そして、最終的には性別を感じさせないファッションにたどりついてみたい。時折面倒になって、投げ出しそうになるかもしれないけれど、やれるだけやってみようと考えている。

私にとって、今現在、装いがトランスする、とはこういうことなのかもしれない。着ているものも、自分を形作るから、そこを考えていきたい。自分を形作っていく一つとしての、男装なのだ。

そして、誰もが着たいものを好きなように着られる世界になるといい。心から、そう思う。

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