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Writer/Honoka Yan

異性愛規範な社会が浮き彫りにしたこと

異性愛者は確かに多く存在する。しかし、「LGBTQと呼ばれるマイノリティの割合は10人に一人である(LGBT意識行動調査2019)」といった統計を見た時に、どう感じるだろうか。さらに「10人に一人=左利きの割合」ということが分かると、はたして少数派は本当に少数なのか、疑問が生まれる。

もはや少数派ではない少数派

「女同士のセックスってどうやってするの?」という問いを投げかけられた時から、自分が同性愛者であることは異常なのか、と自問自答するようになった。しかし、皮肉にもラッキーなことに、この違和感が異性愛規範について学ぶきっかけにもなったのだ。

「普通」を疑う

大衆側の人間になれば、自分の見ている「普通」の世界を疑うことはなかなか難しい。「異性愛規範」と聞くと、どこか堅苦しく、学問的な響きである印象を持つかもしれない。

しかし、大衆向け社会に潜む少数派が、もはや少数ではないことに気付き始める人が増えてきていると同時に、今まで社会が抱えてきた「普通」とは、実は特権によって行使された恐ろしい事実だということに、目を背けてはならない。

特権を持つ者により決定される社会は、考えなくとも大衆向け社会になることは想像できる。その中でも生きづらさを抱える、「もはや少数派ではない少数派」にフォーカスすることが、今必要なことなのではないだろうか。

異性愛規範とは

例えば、男性の価値は女性とのセックスの経験数で決まることや、女性同士の恋愛がファンタジー的に描かれていることなども、異性愛規範に基づく例だ。

異性愛を「普通」「自然」とし、同性愛を「異常」「不自然」と考える異性愛規範(heteronormativity;ヘテロノーマティヴィティ)は、社会に深く浸透しているため、長年払拭されずにいる。性の多様性が顕在化される中で、なぜ「シスジェンダーかつヘテロセクシュアル」の属性のみが優遇されるのか、疑問視したい事実だ。

*シスジェンダー:生まれた時に割り当てられた性別と自認する性が一致する人のこと。
*ヘテロセクシュアル:恋愛感情や性的指向が異性に向く人。異性愛者。

LGBTQ当事者の増加の背景

LGBTQは「少数派」「マイノリティ」としての位置付けをされている。ただ冒頭でも述べたように、自分の周りにLGBTQ当事者がいても不自然ではない世の中でもある。確かに統計でも、昔に比べるとLGBTQ当事者の割合は、年々増加しているように感じられる。しかし、当事者の数が増えているのではない。

今までLGBTQという言葉に出合わず、自身が異性愛者以外の「何者か」であると思っていた人々が、様々なセクシュアリティの名称を知ったことにより、アイデンティティするようになったり、決めなくてもいいと思えるようになったからだ。

足立区の白石正輝議員のように、「日本中がLGBTになると日本が滅んでしまう」といった意見を持つ人もいるかもしれない。そのような発言は現代社会ではナンセンスであるべきだがーーー

・LGBTQ当事者が周りにいないのではなく、異性愛規範な社会で声を上げづらいから見ないだけ
・LGBTQを受容するからといって、同性愛者が増えるわけではない

と、基本的なことも言葉にする必要がある、遅れた世の中。「少数派であり、少数でない」ことを主張しないと、LGBTQ当事者の存在をなかったことにされてしまう、「不透明化」も一つの問題だ。

異性愛規範 (ヘテロノーマティヴィティ) な社会が浮き彫りにしたこと

異性愛が当たり前とされる異性愛規範に出合うことは日常茶飯事。その思考により何が生まれたか、何が問題視されているのかについて考えていきたい。

男女二元論

着る洋服や色によりカテゴライズされてきた私たちは、性別が男か女かの二選択でしかないと思って生きてきた人がほとんどだろう。女性が戦闘物を好きになったり、男性がピンクを身に付けたりすることが不自然とみなされ、なんとなくそうできない環境が作られている。

男女二元論とは、ジェンダーバイナリーともいわれ、性別を男か女かの二性で分類する考えのことを指す。そういったバイナリーに捉われない考えを「ノンバイナリー」という。異性愛規範が生成した男女二元論が表面化されたことにより、有害な「男らしさ」「女らしさ」を強いられることも多くある。この考え方は、同性愛者だけでなく異性愛者にも生きづらさを与えている。

異性愛規範の本質「性役割」

「男/女は〜すべき」といった世間から期待される性役割を、我々は生まれた時から無意識に演じていると言っても過言ではない。男は狩に出かけ、女は子供を育てる時代から、男女二元論による性役割が深く根付いている。

現代の資本主義社会では、「女は毛を剃るべきだ」や「男性は熱心に働くべきだ」のメッセージを背景にした商品が世に多く出されている。そしてその宣伝文句に踊らされた私たちは、盲目の渦から抜け出せなくなり、不条理さにも気づかないのだ。

また、「男は女性とのデートで奢るべきだ」に男性も女性も喜んではならない。なぜならばこの背景には、男性は女性よりも高給。男性は働け。といういかにも理不尽な意味合いが込められているからだ。

これが異性愛規範の本質であり、「ノーマル」だとされたラインから逸脱すると「異常」「不自然」とみなされる。社会にとっての「普通」に疑問の目を向けた人々にとって、社会と(ほぼ)対等な関係を結べないことは息苦しい現実である。

セックスの優位性

先述したとおり、同性同士のセックスに興味を持つ異性愛者は多いようだ。一番驚いたことは、異性愛者であるシス男性の友人に「彼女と3人で一緒にセックスをしないか」と誘われたこと。

男性が女性同士のセックスにファンタジーを持つことは、確かにアダルトビデオを見たら分かることだが、それを現実に持ち込む人がいるとは、かなりショッキングなものだった。性的指向も恋愛感情も男性に向かないことを知った上で使う誘いの言葉は、異性愛者の特権的な思考を感じさせるものだ。

また、「男女二人間で射精の伴う挿入行為が真のセックスである」という迷信はもう古い。「異性愛者のセックスがリアル」だとしたら、「同性愛者やノンモノガミーのセックスはフェイク」なのか・・・・・・。私はNOと言いたい。性のあり方は性的指向・性別・性行為等含めて、正解はない。様々な性のあり方があるのだから、そこに真偽を問う必要性はないのだ。

*ノンモノガミー(non monogamy):複数のパートナーが存在する関係

もし、あなたが興味本位で「同性同士のセックスの方法」について尋ねたことがあるのなら、自分に同じ質問を投げかけると良い。個々のセックスの方法について発表することに違和感を持つだろう。

私は、そう問われたときに「じゃああなたにとってのセックスは何?」と必ず投げかける。すると大体の異性愛者は戸惑いながら少し恥ずかしそうに笑う。これが異性愛規範だ。異性愛者、同性愛者等にかかわらず、同等にコミュニケーションができないのなら、話にもならないのだ。

異性愛者を自認することの意味

「あなたはなぜ異性が好きなのですか?」「あなたは異性愛者としてカミングアウトをした経験がありますか?」といった質問をされたことはあるだろうか。

先日、「シスジェンダー、ヘテロセクシュアルを自認した理由【5人のシスヘテ当事者にインタビュー!】」というインタビュー企画を、クィアマガジンpurple millenniumにて行った。普段LGBTQ当事者が日常で問われる質問を、異性愛者にもすることで、いかに異性愛規範な世の中にいるのかを再認識する機会を作ることができた。

*シスヘテ:シスジェンダー、ヘテロセクシュアルの略

シスヘテ当事者のセクシュアリティの認識

インタビューを通して、シスヘテ当事者とLGBTQ当事者間で、セクシュアリティの認識の差を感じた。中には「インタビューで質問されるまで、自分がシスヘテロであることを忘れていた」と素直に伝えてくれた方もいた。

また、異性愛者として被った嫌な経験について「全くない。多数派に属しているから守られている気がする」という回答も頂いた。確かに、日本人が在日外国人の苦難に触れる機会が少なかったり、健常者が障がい者への配慮に欠けるように、大衆の中に馴染んだ属性の人々は、少数派に目を向けることは少ないのかもしれない。

「当事者」という言葉の語弊

先ほどからあえて「シスヘテ “当事者”」と記しているが、「性の当事者」はLGBTQだけではない。むしろ異性愛者も、様々な性のあり方の中の一つのセクシュアリティとして捉えるべきだ。

「私はヘテロセクシュアルのシスジェンダー女性です」と公に伝えることはほぼ無いし、問題ではない。何を問題視しているかというと、同性愛者などの少数派のみがそうしなければいけないといった環境や異性愛規範的な考えだ。少数派、多数派共に同等の関係性を結べなくして、異性愛規範は消えることはない。

シスヘテ当事者にカミングアウトをするよう勧めるわけではないが、自分のセクシュアリティを見つめ直す機会を作って欲しい。そして自分がシスヘテであることに気づいていないシスヘテ当事者に、自分の「普通」を一度疑ってみて欲しい。

多数派も一人称で語る勇気を

大きな主語に頼らず、「私は〜」から始まる一人称で語ることは、誰にとっても勇気がいる。だから、purple millenniumのインタビューは個々別々にした。それは、他人の意見をシャットダウンした状態で、目の前の人、一人ひとりの違和感や疑問に触れ合うことが大事だと思ったからだ。

世間一般的な当たり前に頼って生きる選択肢ももちろんある。しかし、少数派によって発せられる声は長年の間、社会に届いていない。反対に多数派による意見は、たとえ理不尽であったとしても、倍の勢いで採用されることが多い。Black Lives Matterでは、長年黒人が上げてきた声を白人である特権を持つ者が広めたことで、アメリカの社会が動き出している。

ジェンダーやセクシュアリティ等の問題に対しても、「LGBTQ当事者じゃないのに口出ししてもいいのだろうか・・・・・・」と思う人もいるかもしれない。しかし、異性愛規範な世の中がもたらす例として、マイノリティ差別だけでなく、男らしさや女らしさなどの「有毒な性の固定概念」も存在する。

少しでもモヤモヤを感じたら一人称で語ることで、今の社会が自分ごとであり、当事者でないと思っていたテーマが実は全ての人に当てはまることを周知することもできるのだ。

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