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やっと大きな夢が叶って、スタートラインに立ったところ。【後編】

やっと大きな夢が叶って、スタートラインに立ったところ。【前編】はこちら

2025/05/21/Wed
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Ryosuke Aritake
鴇田 美羽 / Miu Tokita

2002年、群馬県生まれ。幼い頃から自身の性別に違和感を抱き、中学生の頃にLGBTという言葉を知る。2024年8月に性別適合手術(SRS)を受け、戸籍上の性別を変更。小学6年生からヴァイオリンを習い始め、音楽大学に進学し、現在はヴァイオリン講師としての道を歩み始めたところ。

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INDEX
01 大切に育ててくれた家族
02 気になるものと与えられるもの
03 小6で始めたヴァイオリン
04 思春期に入って生まれた悩み
05 トランスジェンダーという自覚
==================(後編)========================
06 大好きな音楽を続けていく覚悟
07 大切な人たちへのカミングアウト
08 性別を変えたい
09 女性としての人生のスタート
10 「自分らしく生きる」ために

06大好きな音楽を続けていく覚悟

思いがけない進路

高校生活をなんとかやり過ごし、大学進学を考える時期に入る。

「当時は勉強したいことも行きたい大学もなくて、志望校が全然決まらなかったんです」

そんな時に、母が「音大はどうなの?」と言った。

「ヴァイオリン教室は続けてたけど、趣味でやってただけだから技術もないし、音大なんて少しも選択肢になかったです」

「小さい頃から習ってもっと弾けてたら、音大に行けたのかな、って思ったことくらいはあったから、母の言葉に驚きましたね」

その時期に出たヴァイオリンの発表会で、自分の演奏を聞いてくれた人が「良かったよ」と声をかけてくれた。

「その言葉がすごく響いて、音大を目指してみよう、って気持ちに切り替わりました」

「ヴァイオリンの先生も、『本気で行きたくて頑張るなら、合格も夢じゃない』って、背中を押してくれたんです」

高校2年生の後半から本格的にヴァイオリンの練習に励み、毎日弾く日々が始まった。

「もともと好きなことだったので、すぐに集中できたし、いままで以上に熱中して取り組みました」

その甲斐あって、現役での音大合格をつかみ取った。

男性としての生活

実家を離れて始まった大学生活。

進んだのは、音楽学部弦楽器コースのヴァイオリン専攻。同級生はチェロやヴィオラ、コントラバスなども含めて13人。

「最初は楽しかったんです。でも、徐々に音大の環境も苦しくなってしまって」

音大に通う学生のほとんどは女性で、ヴァイオリン専攻も13人中11人が女性。

男性というだけで特別視され、女性の輪に入りたいと思いつつ、入れないもどかしさがあった。

「大学生にもなると、女の子たちはメイクをして、かわいい服を着ていて、羨ましかったです」

1年生の後半からベースメイクに挑戦するようになったが、女の子のような華やかなメイクはできなかった。

「普段の生活だけじゃなくて、演奏会にも悩まされましたね」

学内オーケストラの演奏会では、男性はスーツ、女性はスカートやドレスで壇上に立つ。楽屋も、男性と女性で分けられる。

「男性楽屋に行くのもイヤだし、スーツを着ることもストレスになってしまって、音楽を続ける自信がなくなってしまったんです」

「仮に大学を卒業したとしても、服装や楽屋の問題はつきまとってくるから、いっそ音楽をやめちゃったほうが楽なのかなって」

生きること自体をつらく感じ、命を絶つことも考えた。

「そこまで来ると、どうせ死ぬなら思いっきりやってみるのもいいかな、って気持ちも芽生えたんです」

07大切な人たちへのカミングアウト

最初の一歩

悩みを解消するため、まずは誰かに話してみようと考えた。

「インターネット上にも相談室みたいなものがあるけど、実態がわからなかったので、学内のスクールカウンセラーを頼りました」

スクールカウンセラーであれば、偏った見方をすることなく、受け入れてくれると思った。

初めて他者に対して、自分がトランスジェンダーだと自覚していることを話した。

「スクールカウンセラーの方はやさしく受け止めて、そっと背中を押してくれました」

人に話したことで気持ちが軽くなり、自分らしくいていいんだ、と思えた。

「勇気を出してみよう、と思えて、身近な人へのカミングアウトを始めたんです」

「言ってくれてありがとう」

スクールカウンセラーに話を聴いてもらったあと、すぐに両親にも伝えた。

「ちょうど実家に帰るタイミングがあって、母に『性同一性障害かもしれない・・・・・・』って打ち明けました」

「そしたら、母も『話してくれてありがとう』って、言ってくれたんです」

半年後から精神科に通う予約を入れていることも話すと、すんなりと認めてくれた。

母の服を持ってきて、「これかわいいでしょ。あげるよ」と、プレゼントしてくれたこともあった。

「私は幼少期から女の子っぽい部分があったし、軽めのメイクもし始めてたから、母は薄々感づいていたのかもしれません」

「だから、驚いたり動揺したりすることなく、受け入れてくれたんだと思います」

父には直接話しづらかったため、後日LINEで伝えた。

「父も驚くことなく、すぐに電話してきてくれて、母と同じように『言ってくれてありがとう』って、返してくれました」

「その後も何か聞いてくることもなく、いままで通りに接してくれてます」

カミングアウトがもたらしたあたたかな世界

学内オーケストラを指導していた先生にも、伝えることを決めた。

日頃から先生は、「最近、元気ないんじゃない?」と気にかけてくれていた。

「演奏会直前のタイミングで、『実は男性であることがイヤで、スーツを着たくない。女性のようにブラウスに黒いパンツで出演したい』って、話しました」

「先生は『話してくれてありがとう。大丈夫だよ』って、受け入れてくれて、楽屋も別の部屋を用意してくれたんです」

同級生には、グループLINEで一斉に伝えた。

演奏会前日、「実はトランスジェンダーで、演奏会はブラウスを着ていく予定なので、よろしく」と送ると、次々と返信が届いた。

「みんながあたたかい言葉をかけてくれて、中には『気づいてたよ』って子もいました」

「翌日から何事もなかったかのように接してくれて、名前も『ちゃん』づけで呼んでくれたんです」

勢いに任せて流れるようにカミングアウトしていったが、茶化されることも否定されることもなかった。

周りにいる人たち全員が、そのままの自分を受け入れてくれた。

少しずつ広げていったカミングアウトによって、世界が変わっていく。

08性別を変えたい

楽しい学生生活

大学2年生の4月から、精神科に通い始める。

性同一性障害と診断が出たのは、8月のことだった。

「それからホルモン療法の手続きを進めて、11月からホルモン注射を打ち始めました」

徐々に体つきや体質が変わり、メイクやファッションをより楽しめるようになっていく。

「髪の毛を伸ばして、メイクをして、ワンピースを着て大学にも行けるようになりました」

「演奏会でもブラウスを着たり、時にはドレスを着たり、周りの目を気にせずに自由に過ごせました」

「カミングアウトする時は怖かったけど、いざ打ち明けると気持ちが楽になって、あれだけ悩んでたのはなんだったんだろう、って思えるくらいでした」

世界がガラリと変わり、楽しい学生生活を送れるようになった。

悩んだ末のSRS

「ただ、進路はすごく迷いました。やりたい仕事や就職したい会社が見つからなくて」

「一方で、性別適合手術(SRS)はなるべく早めにやりたい、って気持ちがあったんです」

SRSを受けるとなると、最低でも2カ月は休みを取らなければならなくなる。

就職するとそのタイミングは限られ、せっかく手に入れた仕事を手放すことになるかもしれない。

「そう考えると就職にも踏み切れなくて、またちょっと悩み始めてしまったんです」

服装は自由になり、演奏会の楽屋は個室を用意してもらっていた。

「『女性の楽屋で準備したら?』と言ってくれる人もいたけど、一緒はイヤだと感じる女の子もいるかもしれないと思うと、そこも踏み出せなくて・・・・・・」

「性別移行しないことには解決しない、って思えば思うほど、悩みは深まりました」

当時、先生から「大学院に行ってみたら」というアドバイスを受けた。

「悩みながらも、受験しました」

「でもやっぱり早く性別移行をしたくて・・・・・・。合格したんですが、手術を優先しようと思って」

最終的には、大学院進学よりもSRSを選んだ。

目標のための仕事

SRSにかかる手術代のため、在学中からバーやメンズエステで働き始めた。

「夜の世界に入ったら、LGBT当事者の知り合いもできるんじゃないか、って期待もありました」

ネット上だけではわからない情報を得たい、という思いがあった。

母は「LGBTに関する情報を得るためにはいいかもね。でも、気をつけてね」と、言ってくれた。

「父は『いますぐやめなさい』って、すごく反対してました。昼の仕事と比べたら危険性があるし、学業との両立も心配だったんだと思います」

「でも、『今は働いてるときが一番楽しいから』って説得して、続けました」

懸命に働いて手術代を貯め、大学を卒業してからタイの病院でSRSを受けた。

09女性としての人生のスタート

自分でつけた名前

2024年8月にSRSを受けた後、戸籍の性別を変更した。

「やっと大きな夢が叶って、スタートラインに立てた。そんな感覚です!」

「SRSはすごく痛かったし大変だったけど、それを乗り越えたから、今の自分があります」

同級生からのいじめや深い悩みを経験したからこそ、道を拓くことができた。

「高校時代にお世話になった先生にお会いした時に、『笑顔になったし、明るくなったね』って言っていただいて、すごくうれしかったです」

周りの家族や友だちも「かわいくなったね!!」と、言ってくれる。

「美羽」という名前は、自分自身で考えた。

「両親に相談したら、『せっかくだから自分で考えてみたら』って、言ってくれたんです」

「自分で自分の名前を考える機会なんてないから、好きな名前をつけるのもいいんじゃない」という両親の言葉に、背中を押された。

かつて両親が与えてくれた名前「翔」を2つに分けるイメージで、「美羽」とした。

これからのチャレンジ

タイの病院では、定年退職を迎えてからSRSを受けに来ていた日本人と出会った。

「その方々の姿を見て、何歳になっても新しいことはできるんだ、って思えました」

「私もやろうと思えばなんでもできるな、ってすごく勇気づけられたんです」

もうちょっと髪を伸ばしてみたい。
もっと女性らしいファッションにも挑戦したい。

チャレンジしたいことは、いくつも出てくる。

「今年は、SRSを受けてから初めての春と夏を迎えるので、いろんな服やメイクを楽しみたいです」

「夏になったら、水着を着て海に行ってみたいな」

女性としての人生が始まり、これからはもっと自由に生きていける。

10「自分らしく生きる」ために

私にとっての “自由”

私は周りの人たちの理解のおかげで、自分らしく生きられるようになった。

しかし、世の中には、まだ自由に生きられていない人がいる。

「メイクがしたいとか、パンツスタイルが好きとか、性別や年齢に関係なく、自分が望むファッションで生活できることが “自由” だと感じます」

「そして、自分が一番楽しくいられるマインドで過ごすことが、自分らしく生きるために大切なことだと思うんです」

そのためには、自分自身を受け入れることも必要なのかもしれない。

「大人になった今だから、学生の期間はとても貴重なものなんだとわかります」

「だからこそ、私はもっと早くカミングアウトしても良かったのかな、って思う時があります」

LGBTの「情報」の価値

中学生から高校生にかけて、1人で悩みを抱えていたのは、誰にも打ち明けていなかったから。

「誰かに話していたら、もっと自分らしい学生生活を送れた可能性がありますよね」

ただ、情報がなければ、自分自身のセクシュアリティすら理解できないかもしれない。

「私が学生の頃は、まだLGBTって言葉がそこまで浸透してなかったんです」

「だから、中学2年生の時にLGBTって言葉に出会ってなかったら、自分がなんで悩んでいるのかわからず、モヤモヤしたままだったと思います」

情報を得ることは、自分自身を理解するためにも重要だと感じている。

そして、そのためには大人のサポートが必要なのではないだろうか。

「親がLGBTについて話したり、学校で講演を開催したり、子どもたちが知識を得る機会を作ってあげてほしいです」

「大人が情報を与えることで、違和感を抱いている子どもの気づきになり、相談もしやすくなると思います」

「LGBT当事者ではない子たちも含め、受け入れやすい環境もできていく気がします」

だから、まずは大人たちに動いてほしい。次の世代の子どもたちが生きづらさを感じないために。

一歩踏み出す勇気

カミングアウトすることがすべてではなく、伝えないという選択肢もある。
ただ、自分自身は、カミングアウトしたことで世界が変わった。

「カミングアウトしたいけどできない、一歩踏み出せない、って人はたくさんいると思います」

「でも、タイで出会った方々のように、何歳になっても遅いってことはないんですよね」

「そして、打ち明けてみると、自分が想像していた何百倍も、受け入れてくれる人がいることがわかります」

誰かに話したい・・・・・・。そう思っているなら、勇気を出して言葉にしてみてほしい。

相手は、家族でも友だちでも先生でも、スクールカウンセラーでもいい。

「思い切って一歩踏み出してくれる人が、1人でも増えたらいいな、って思ってます」

 

あとがき
対面した美羽さんは、ずいぶん緊張している様子。でもそれは、時間をかけて慎重に相手を理解する、人と関係を築くペースなのだと少しずつ感じた■ためらいながらも、心配ごとは伝える。そのあとにどう思うのかは、相手に任せる・・・美羽さんのメールにも惹かれた■言いにくいこと、相手になじみのないだろうとことを伝えるとき。相手の自由も私のおもいも制限しない。心を尽くして・・・そのあとに、その人がどのように思うかは、相手がもつ「問い」だ。(編集部)

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