02 不登校も喫煙も責めなかった母
03 パソコン仕事をするはずだったのに
04 ぶっ倒れても楽しかった自分の店
05 男性服を着ると吐くほどの違和感が
==================(後編)========================
06 名古屋から東京へ “嫁入り”
07 ジェンダークリニック受診後に改名
08 母と妹へのカミングアウトは写真から
09 トランスヴェスタイトではなくトランスジェンダー
10 小さな幸せの積み重ねが大きな幸せに
06名古屋から東京へ “嫁入り”
コスプレを一緒に楽しむ仲間と
クローゼットの服が男女半分ずつになった頃、プロポーズを受けた。
「東京に住んでいたパートナーから『こっちに来ない?』って」
相手は、PCゲームのオフ会で知り合った女性。
コスプレを手伝ってもらったりもしていた。
「オフ会で会うたびにふたりで飲みに行く、恋人というよりも気の合う仲間という感じ。ずっと遠距離だったんです」
「プロポーズされて、じゃ行きます、って」
「仕事とか全部、名古屋において、そっちに嫁ぐからね、料理も好きだし、専業主婦になるからね、って言ったら、受け入れてくれました」
そして一緒に暮らし始めてすぐに籍を入れた。
ふたりとも再婚だった。
「パートナーは私にとって妻なので “嫁ちゃん” ですが、我が家の大黒柱なので “旦那さん” なんですよ、ほんとは(笑)」
コスプレを一緒に楽しんでいた間柄だったため、パートナーも女装のことは知っていたが、“コスプレではない女装” のことはまだ知らなかった。
新婚なのに離婚してしまうかも
カミングアウトしたのは、結婚してから半年後のことだった。
「ちょっともう、隠しきれないし、自分の精神がヤバいな、と思ったんで、仕事帰りの嫁ちゃんに、『疲れてるとこ、ごめんね。話があるんだけど・・・・・・』って切り出しました」
男性の服を着るのが苦痛になったこと。
女性の服を着ると落ち着いたこと。
これからは女性として生活したいということ。
パートナーの反応はというと、「うん、いいんじゃない」とだけ。
「私としてはすごい拍子抜けでしたね(笑)」
「もっとこう、すったもんだがあるかもしれない、最悪は離婚を言い渡されるかもしれないって思ってたんで。新婚なのに!(苦笑)」
すんなりと受け入れてはくれたが、たまに「納得はしてない」と言われる。
女性同士の付き合いかたがよくわからないというのだ。
「嫁ちゃんはシスジェンダーでヘテロセクシュアル。男性との経験しかないから、女性の私とどんな関係であるべきか、わからないらしい」
「でも、一緒にいるとき、私たちは男女でも女性同士でもないんですよ」
おそらくは、一緒に住む前、結婚する前、と変わらない。
気の合う仲間のままなのだろう。
「ただね、カミングアウトしてから、 “未夢さん” って呼ばれていたのが、“未夢ちゃん” になりました(笑)」
07ジェンダークリニック受診後に改名
54歳で診断、ホルモン療法を開始
カミングアウトした頃の名前は、実際はまだ男性名だった。
その後、パートナーが改名をすすめてくれたのだ。
「病院でフルネームを呼ばれたとき、私がよっぽど憂鬱そうな顔をしてたんでしょうね。嫁ちゃんが『名前変えたら?』って言ってくれて」
「それまでPCゲームで使ってた名前を本名にしたんですよ」
ハンドルネームは “魅夢” だったが、魅ではなく未にした。
「未には未来って意味もあるし、なにより未完成の未だし。なんか自分にしっくりくるなってことで(笑)」
「嫁ちゃんと一緒に考えました」
ジェンダークリニックを受診し、性別不合(性同一性障害)であると診断され、54歳で改名。
その頃は、未夢という名前で、パートナーとともに、女性として生きられるだけでいいと思っていたし、SRS(性別適合手術)などは必要ないと考えていた。
しかし、徐々に身体に対する違和感も強まってくる。
「最初は服装に対する違和感だけだったので、女性服を着ればよかったんですが、身体に対する違和感が出てきてしまったので、女性の身体に近づけるためにホルモン療法を始めました」
「ホルモンを始めて身体が変わっていく過程は、服装に対する違和感に気づいた頃、女性服を着たときに “落ち着く”“しっくりくる” のと似てます」
不要と考えていたSRSを現在検討中
性別移行を本格的に開始した54歳の誕生日には、パートナーの提案でウェディングドレスを着て記念撮影をした。
「スタジオで着付けからメイク、髪型まで全部やってもらいました」
「嫁ちゃんは、私がそういう格好するのを見るのが好きみたいですね」
「私がメイクされてるあいだも、ずっと背後から見てましたから(笑)」
現在は、パートナーの娘も同居し、家族3人で暮らしている。
生活自体は移行前となにも変わらないが、名前も身体も変わった。
そして、もっともわかりやすく変わったのは洗濯物。
「うちの洗濯物から男性ものがなくなったことが大きいですね(笑)」
「うちの娘ちゃん、特別支援学校の先生の資格をもっているからかな、性別違和とかの知識もあって、私がトランスジェンダーであることも『いいんじゃない』って感じで」
最近は、SRSをしようかとも考えている。
「結婚しているので、戸籍の性別を変えるつもりはないんですが、ホルモン療法で身体に対する違和感が完全になくなったわけではないし・・・・・・」
「そしたら嫁ちゃんが、資格をとるために大学院に行くから250万くらい使う予定らしく、自分だけ使うのは申し訳ないからと言って『あんたも200万使っていいよ』と言ってくれて(笑)」
「だったら手術したいな、と思ってるんです」
手術については、これからパートナーと話し合って決めていく。
08母と妹へのカミングアウトは写真から
大好きな家族に否定されたら
「性別移行を始めてから、初めて帰省したときにね、家族からは『お兄ちゃんがお姉ちゃんになった』って言われて(笑)」
「妹には、着なくなった服があるから、着るんだったらあげるよ、とも言われました」
カミングアウトに対する母と妹の理解はスムーズだったといえる。
しかし、カミングアウトをする立場としては気が気ではなかった。
いつかは言わなければ。
でも、大好きな家族に、否定されたらどうしよう。
性別移行したのはコロナ禍の最中。
家族と直接会うことはなかった。
「たまに写真は送ってたんですよ。嫁ちゃんと旅行したときの写真とか」
「で、コロナ明けに実家に帰ることになったので、カミングアウトするのにちょうどいいタイミングかも、と思って、また写真を送ったんですよ」
パートナーとふたりで写っている写真。
どう見ても女性ふたりが写っているように見える写真だった。
「え? とか、ん? って反応だったと思います」
「親も、私がアニメ好きでコスプレ好きだって知ってたので、写真を見た時は、そういう写真なのかなって思ったらしいです」
「そのあとに電話して、『写真を見て、わかると思うんだけど、実はいま、女性として生活してるよ』って話しました」
氷川きよしとおんなじだよ
母には、トランスジェンダーやLGBTQといった用語は使わずに、事実をそのまま告げた。
「そんなふうに育てた覚えはないんだけどな、って、いつもの感じで言われたので、私も、そんなふうに育てられた覚えはないよ、って(笑)」
ちょうどその頃、歌手の氷川きよしがジェンダーレスなありのままの姿で活動を続けると公表。
母は、氷川きよしのファンだったのだ。
「だから、きーちゃんとおんなじだよ! って説明したんです。そしたらすべて納得したみたいでした」
「妹はね、前から気づいてたみたい(笑)」
それでも、実際に会う前は緊張した。
「否定されたら」というネガティブな仮定が頭から離れない。
否定されて、実家に泊まれないことも想定して、ホテルも予約していた。
「嫁ちゃんと車で実家に向かったんですが、道中ずっと、ドキドキ感があって、『どうしようどうしよう』って言ってたら、嫁ちゃんに『いつまでドキドキしとんねん、って言われました』
会った瞬間の母のひとことは「変わるもんだねぇ」だった。
否定するような言葉は一切なかった。
「母は、私と嫁ちゃんが仲良く暮らしてくれればそれでいいって感じなのかも。『あんた、それでやっていくのね』って確認だけされました」
「そのとき、妹と姪っ子にも会ったんですが、姪っ子には母と妹と私、『3人ともそっくり!』って言われました(笑)」
09トランスヴェスタイトではなくトランスジェンダー
トランスジェンダーはやめたくてもやめられない
プライベートで女性服を着るようになった頃、自分は “女装さん” あるいは “トランスヴェスタイト“ なのだろうと思っていた。
それから徐々に女性服を着る時間が増えていき、24時間女性の姿で過ごすようになってから自分は “トランスジェンダー” なのだと気づいた。
“女装” と “トランスジェンダー” の違いとは。
「女装は趣味。趣味はいつやめてもいいし、いつ再開してもいい。嫌ならやめればいいと、私は思うんです」
「でも、トランスジェンダーはやめられませんから」
自分にとって女性の姿で生きることは “人生”。
言い換えれば、覚悟をもって生きること。
「シスジェンダーとトランスジェンダーの違いは “覚悟” だと思うんです」
トランスジェンダーは、自分がそうだと気づいた段階から、「これで生きていく」という覚悟が必要だと感じている。
「私は、いま戸籍が男性なので、その食い違いから『え?』って言われることもあるし、偏見を向けられることもある」
「ある程度、“そういう目” で見られるってことも覚悟しないと生きていけないなって思うんです」
トランスジェンダーでありレズビアンである
最近は、外見から女性だと判断されるようになったが、性別移行を始めた当初を振り返ると、“そういう目” で見られることはいまよりも多かった。
「あの頃は、まだまだメイクも下手で。昔の写真を見てると、まだオッサンって感じで。“黒歴史” だって思いますもん(笑)」
「いまはBBクリームで毛穴を埋めて、ファンデで固めてますから!」
LGBTQ支援団体の代表を務めていることもあって、自らのジェンダー・セクシュアリティを広く説明する機会が増えた。
現在は、トランジェンダーでありレズビアンであると説明している。
「結婚している女性パートナーがいるので、自分はレズビアンだと説明したほうが理解してもらいやすいので」
「でも、嫁ちゃんにしか興味がないので、デミセクシュアル(強い信頼関係のある相手にのみ性的感情を抱く人)だと説明することもあります」
「レズビアンとはシスジェンダーの女性同士のことを指し、トランスジェンダー女性はレズビアンではない、という意見もあるんで・・・・・・セクシュアリティの説明って難しいんですよね」
バイセクシュアルである可能性も否定できないが、男性との恋愛経験がないため確かめることができない。
自分の理解としては、セクシュアリティ “不明”。
今後も、必要がなければ確かめることはないだろう。
10小さな幸せの積み重ねが大きな幸せに
私は50歳過ぎて幸せになった
幼い頃から性別違和を感じる人もいれば、結婚して、親になってから、自分の性別に違和感をもつ人もいる。
何歳で違和感を感じても、苦しみをともなうことはあるし、性別移行に際しては相当の覚悟が必要だ。
「でもね、自分の考え方次第で、何歳からでも幸せになれるよ、って言いたい。実際に、講演でもよくそう言ってます(笑)」
「自分のことを不幸だって思ってる人でも、不幸を知ってるから幸せが実感できるんだって私は思うし、不幸だと思っていても、ご飯を食べられてたり、布団で寝られてたりしてるのでは、って思うんです」
「それって幸せなことなんだよって」
そうした小さな幸せが積み重なって大きな幸せになっていく。
だから、自分を不幸だと思い続けないようにしてほしい。
「幸せになりたいなら、小さな幸せに感謝して、その幸せを実感しなきゃって思います。私がそうやって、50歳過ぎてから幸せになってますから」
これからも主婦として
幸せを実感できているいま、最も感謝したい相手はパートナー。
「心のまま私を受け入れてくれているので」
「嫁ちゃんと籍を入れてから、ずっと幸せを積み重ねてます」
「でも、いまが幸せかどうかって、自分では気づきにくいかもしれないですよね。幸せだったって実感できるのは、過去になってから」
昨日は幸せだった。
それを積み重ねられることが幸せなのだろう。
「小さな幸せなんて、なんでもいいんですよ。メイクする女性なら、今朝は眉毛をイッパツで描けたわー、っていうのだって幸せですよね(笑)」
会社勤めに飲食店経営に警備員。
さまざまな経験をしてきたが、これからも主婦を続けようと思う。
「LGBTQの活動や奥様コミュニティで仲良くなった人たちから、またバーをやってほしいって言われることもあるんですが、当分はそのつもりはないんです」
「だっていま私は、嫁ちゃん専属のバーテンダーですから(笑)」