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性別適合手術で手に入れた、本当の私の人生【後編】

性別適合手術で手に入れた、本当の私の人生【前編】はこちら

2024/08/09/Fri
Photo : Taku Katayama Text : Henshu-bu
夢野 未来 / Miku Yumeno

1979年、大阪府生まれ。父と母、妹と祖母と幼少期を過ごす。幼い頃から美しいものへの憧れがあったが、いじめを受けて、自然に振る舞うことをあきらめるようになった。30歳を過ぎた頃に一人暮らしを始め、同じタイミングで社会的な性別移行をスタート。タクシーやバスの運転士、介護の仕事を経験し、2020年に性同一性障害(性別違和/性別不合)の診断を受けた。2022年に性別適合手術を受け、戸籍の性別変更を果たす。

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INDEX
01 幼い頃から芽生えていた「自分らしさ」
02 戸惑いと、ときめきと
03 背中を押したビジュアル系バンド
04 安定した仕事を目指して
05 事故をきっかけに知った性別適合手術
==================(後編)========================
06 ありのままの自分で
07 やっとはじまった私の人生
08 家族へのカミングアウト
09 SNSでの発信を続ける理由
10 楽しみを見つけることこそ、生きがいに

06ありのままの自分で

一人暮らしと自由な時間

退院後、心身が整ってきたタイミングで大きな決断をした。

「実家を出さえすれば、もう自分の好きなことができるなと思って。30歳を過ぎたら絶対に一人暮らしをしようと、はっきりと決めました」

おもうがままの装いで初めて出かけたのは、大阪・難波だ。
メイクをしてお気に入りのスカートをはいて、街へ繰り出した。

「Facebookで繋がった友だちに声をかけてもらって、一緒に出かけました。とにかく楽しかったですね」

一人暮らしをしてから、ありのままの自分に向き合える時間が増えた。

それまでずっと気持ちに蓋をして、我慢を重ねていたものが、少しずつほどけていくようだった。

ゆずれなかった髪型

一人暮らしを始めてからは、公私ともに順調だった。
転職した病院での仕事は安定し、6、7年ほど勤めた。

透析を必要とする患者さんを、家から病院まで送迎する仕事だ。

「そこで、髪の毛を伸ばし始めました。ただ、周りにはカミングアウトしてなかったので、男性に見えるように髪の毛をくくって、帽子で隠してました」

しかし、病院は衛生管理やみだしなみの面でも厳しい規程があり、長髪のままでの就業は難しかった。

「その頃にはもう、日常的にメイクをして、スカートを履いて、女性として生活していて。ただ、職場には男性として出勤してたんです・・・・・・」

「最終的には、送迎の責任者まで務めさせてもらいましたが、どうしても髪の毛のことを指摘されるのが嫌で。それもきっかけになって、退職しました」

レクリエーションがもたらした、働きやすさ

新しい勤め先は、高齢者向けのデイサービス。

「デイサービスでは送迎の仕事をメインに、空き時間は利用者さんの介助もお手伝いしました」

「自分はトランスジェンダーだと、はっきり伝えてから就職したんです」

「面接では、『大丈夫ですよ』と言ってもらえて。ただ、転職から2か月ぐらいは、メイクをせずに仕事をしてました」

しかし、転機がおとずれる。

「敬老会で、レクリエーションをやることになって、『それだったらもう、メイクをして完璧な女性の格好で踊ってみよう!』って思ったんです」

「完璧な格好といっても、普段している女性の格好で利用者さんの前に出ていきました。そこでみんなの前で、カミングアウトをしたんです」

「髪も長かったこともあって、みんなすんなり受け入れてくれました」

この敬老会をきっかけに、メイクをして出勤できるようになった。

「メイクをして出勤するようにはなりましたけど、朝忙しくてあまり時間がないときは、すっぴんで出勤です(笑)。できる限りメイクして、職場に向かいましたけど」

07家族へのカミングアウト

性別適合手術への決意

性別適合手術を知ってから、しばらく時間が経っていた。

あらためて深く自分に向き合い始めた矢先、両親が倒れた。

「私が30代になった頃、両親が立て続けに倒れて、 介護が必要な状態になりました。落ち着くまで、自分のことは置いておかないといけないような状況になったんです」

自宅と実家を往復し、両親の介護をする日々がしばらく続いたが、両親の容態が落ちついた頃、ようやく決意をする。

「性別適合手術を受けよう!」

いよいよ手術に向けて準備することにした。

性同一性障害(性別違和/性別不合)の診断が下りたのは、40歳のときだ。

両親への2度目のカミングアウト

「30代の前半に、『女性として生活がしたい』とカミングアウトしたことがありました。でも、当時はまったく信じてもらえませんでした」

「両親は『絶対嘘だ』『冗談だ』と、取り合ってくれませんでした。受け入れられないというよりも、驚いてた感じでしたね」

「女性の格好をした写真を見せても、女装さんなんじゃないかって反応で、カミングアウトしてもすぐに信じてもらえる感じはまったくありませんでした」

両親の理解に変化がみられたのは、性別適合手術の話しをしたときだった。

「2022年に、性別適合手術を受けることにしたんです」

「手術をするって話したら、ようやくそこで『本当だったのか!?』と受けとめてくれました」

「両親に対して申し訳ない気持ちは、もちろんありました。でも、私は女性として生きるんだってずっと思ってたから、性別適合手術に迷いはありませんでした」

両親にカミングアウトしたあと、妹にも打ち明けた。

「妹は、しっかり理解してくれました。『もうそういうのは、社会的に普通の時代だよ』って、両親に伝えてくれたくらいです」

08やっとはじまった私の人生

本当の自分を生きる

2022年、42歳で性別適合手術を受けた。
手術前後の率直なおもいや実状は、SNSで積極的に発信している。

「手術が無事に終わって、すごくほっとしました」

両親の介護と仕事に加えて、術後の通院もしながらの性別変更の申立てを進めた。

目まぐるしく過ぎていく日々をなんとか乗り越えられたのは、大きな目標があったから。

「手術を受けて、自信がつきました。いろいろな手続きに時間がかかることや、術後の大変さは覚悟していたので、なんとか乗り越えられました!」

心が軽くなった

2024年1月。性別変更の申立てがようやく認められた。

「準備期間から数えて、1年ぐらいかかりました。でも両親の介護や仕事とかでバタバタしてたし、時間がかかることもわかっていたのであっという間といえばあっという間でしたね」

「無事に認められて、気持ちが楽になりました」

「戸籍の性別がなにかは、外からはわからないですけど、でも精神的な部分で自信がもてるようになるって感じました」

髪型もメイクもネイルも、前よりも自由に表現できるようになっていく。

「自認している性を堂々と語って、本当の自分の人生を歩めるって、大きな意味を持っていると思うんです」

無遠慮な視線や心無い言葉に傷つくことがあっても、自分のままに生活できるほうがいい。

09 SNSでの発信を続ける理由

SNSとつらい言葉

現在、InstagramやTikTokなどのSNSで発信をしている。
ときには冷たく、心が傷つくような心無い言葉を浴びせられることもある。

そんな状況でも発信を続けるのには、ずっと持ち続けている信念があるから。

「人それぞれの生き方や考え方があると思ってます。だから、なにか言いたい人がいれば、どうぞ言ってくださいっていう感じです」

「私には、私の生き方があるので。勝手に言っておいてくださいと思ってます」

「たまに、中高年のトランスジェンダーについて、心無いことを言われることはあります。でも、叩かれることに対してにいちいち反応しなくても、それぞれの生活がありますから」

それぞれが目指す生活に、ただ順応していけばいいと思う。

「正直、最初は反論したりしました。でも反論したところで、その人の考え方は変わらないと思って。それなら、その人の考えはその人の考えであって、私は私なんだと思うようにしました」

あくまでも他人は他人、優先すべきは自分の生活だ。
そう意識することで、これまでつらい言葉をかわしてきた。

発信を続ける理由

最近、SNSで発信をするときに心がけていることがある。

「楽しく生活してるところを見せるのは、やっぱり大事だなと思って。最近ちょっと心がけてます」

トランスジェンダーとはまったく関係のない、日常についてだ。

「セクシュアリティに関係なく、生活で感じた些細なことや楽しいことを発信するようにしてます」

人としてどう生きるかを心にとめている。

「それぞれの生き方のなかで、それぞれの楽しみを見つけてほしい。そのなかで、『そんな楽しみ方もあるんだ!』って発見してほしいです」

「『トランスジェンダーの人は、みんな大変』と言われることもあります。でも全部が大変なのではなくて、好きな趣味があったり、楽しい時間があったり、そういうことを大事にしたほうがいいと思ってます」

これは、多くの人に伝えたいことの1つだ。

10楽しみを見つけることこそ、生きがい

介護の職を通して感じたこと

「楽しいことを経験するだけで、1日、2日でも人の寿命は延びるんだと、高齢者のかたたちと触れ合うなかで感じました」

楽しく生きられると、寿命を延ばせる。

「美味しいものを食べたり、楽しみを見つけたりしないで死んでしまうのはもったいないです。ただ閉じこもって、そのまま死んでしまうのは悲しい・・・・・・」

“楽しみ” が人間にもたらす力を、目の当たりにした自分だからこそ発信できることがある。

「今の私の楽しみは、いろいろな方にお会いすることです」

「いろいろな場所へ出かけて、ご飯を食べたり、そこでしかできない体験をすることも楽しいです」

「こういう体験が、 10代や20代のときにもできたらよかったなって思うことはあります。でも、今こうして楽しいことができているので、それはそれでいいかな」

楽しいこと≠生きがい

精神的に苦しく辛い時間を過ごしてきたこともあった。
そんな日々を過ごしてきたからこそ感じる、伝えられることはたくさんある。

「なにかのやり方を伝えるよりも、幸せに生きられる、楽しい時間を持てる人生があると発信することで、誰かの励みになれたらと思います」

生きがい=楽しいことをする、だけではない。
楽しいことを見つけるそのステップ自体が、生きがいにつながっている。

ゆっくりながらも一歩ずつ進んできた、自分だけの、自分なりの人生。

「人生には、限りがあります。時間をどう使うか、楽しい時をどう過ごすかを考えてほしいです」

自分が体験してきたことや、長年大切にしてきたおもいが言葉になる。
これからもたくさんの人へ届くように発信したい。

 

あとがき
「社会的に普通の時代だよ」。カミングアウト後に妹が両親へ伝えてくれた場面を、未来さんはうれしそうに話した。受け止めきれないことを責めるでもなく、妹の後押しがおとうさん、お母さんの心をほぐした■孤独であることの死亡リスクは、喫煙や肥満などの生活習慣を上回るとまとめた論文がある。「ひとりでも幸せだ」と感じても、死亡率が高まるという。誰かと会ったり、楽しい時間をともに過ごしたり、人との関わりが寿命さえも延ばすのだ。(編集部)

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