02 戸惑いと、ときめきと
03 背中を押したビジュアル系バンド
04 安定した仕事を目指して
05 事故をきっかけに知った性別適合手術
==================(後編)========================
06 ありのままの自分で
07 やっとはじまった私の人生
08 家族へのカミングアウト
09 SNSでの発信を続ける理由
10 楽しみを見つけることこそ、生きがいに
01 幼い頃から芽生えていた「自分らしさ」
秘密の時間
幼い頃は、両親と3歳年下の妹と団地で過ごした。
「人見知りで、みんなで遊ぶよりも、どちらかというとおとなしい子どもでしたね」
「男の子、女の子関係なく遊び、ゴム飛びやかくれんぼをして遊んでました」
小学校は、地元・大阪の小学校へ入学。
「友だちと喧嘩することが多かったので、手を焼く生徒だったんじゃないかなと思います(笑)。結構、注目を集めるようなことが多かったです」
「自分からふっかけるというよりは、からかわれて、『うるさい!』って言い返すような感じでした」
からかわれても屈することなく、自分の意思を主張していた。
「一番強く残っている幼少期の思い出は、3歳下の妹とこっそりと楽しんでいたネイルです」
「ちょっとネイルをして、学校へ行ったこともありました。こっそり親の見まねで塗って落として、みたいなことをしてましたね。きれいで憧れました」
共働きの両親と、頼れる妹の存在
「母は、しつけに厳しかったです。昭和の人という感じでした。嘘をついたら外へ放り出されたりとかしましたね」
両親が共働きのため、家事の手伝いを幼い頃から教えられた。
「食器を洗ったり、お掃除を手伝ったり。小学生の高学年になると、お昼ご飯を自分で作ったりするようにもなりました。『共働きなんだから、男の子も料理作らなあかんよ』って」
「理不尽なことで怒られたこともたまにはあったと思うけれど、自分が悪いことももちろんあって。しっかり怒られた記憶があります」
「妹とは、普通の関係だったんじゃないかな。まあ喧嘩することもありました。どっちかっていうと、妹は私を従わせようとするほうだったので・・・・・・(笑)」
現在、離れたところで暮らしている妹とは、今でも連絡を取り合い、たまに会うこともある。
私のよき理解者であり、頼り甲斐のある妹だ。
「父はずっと仕事をしていて、働きに出ていたので、言葉を交わすことはあんまりなかったです。帰ってくるのもめちゃくちゃ遅くて、会うこともあんまりありませんでしたね」
「転勤で金沢に単身赴任もしていて、ときどき家族で金沢に会いに行ったこともありました」
転勤で父が不在の間は、母方の祖父母の実家に引っ越し、叔母も含めた6人の暮らしは、明るくにぎやかだった。
転校といじめ
母方の実家に住むことになったタイミングで、小学校3年生の4月に転校した。
転校前の小学校でも、自分の手振りや話し方から「オカマみたい」「女みたいだな」といじめられていたが、転校してもそれは変わらなかった。
「転校したときは、すごく注目されました。その頃は性自認もまだはっきりしてなくて、 でも『女性として過ごしたいな』って感じていたと思います」
「ただ、いじめられる状態がずっと続いていたので・・・・・・。 そんなことは口にできなかったです。下手なことを言うと、やっぱりいじめられるみたいなところもあったので」
02戸惑いと、ときめきと
体の変化
中学に入ると、第二次性徴があらわれた。
同じ時期になぜか女性のような体の変化も経験する。
「声変わりしたのは、ちょっと残念だなと思いました。でも、それと同時に胸が大きくなり始めたんです」
ふくらんだ胸のことで、周囲にからかわれることもあった。
「例えば、林間学校とか宿泊をともなうような学校の行事に、やっぱり夜いじられました」
「『女みたいだな。めちゃくちゃ胸あるじゃん』って言われたり、からかわれることが嫌で・・・・・・」
「正直、自分がほかの男性とは違うんだとは感じてましたし、筋肉質になったり、体毛ももちろん出てくるし。自分の顔と体が合わないから、どうしたらいいのか悩みましたね」
突然ふくらみ始めた胸を隠すために、猫背にしてみたり、ほかの方法を試したり、いろいろ対策を練った。
ちぐはぐな体も女性的な感覚も、そのまま受け入れようと思ったこともあった。
「ずっと気にはなっていたんですけど、それはそれで仕方ないなって思ってました。当時、すぐどうにかなるってわけではなかったので 」
でも、戸惑いは消えなかった。
「自分の体が男性の体になってることへの嫌悪っていうよりも、男女どっちも存在してるのを、どうしようと。どっちかといえば、女性の方がいいかなと思ってました」
「ちょっとでもきれいでいたいという気持ちもあったけれど、もう中学生だったので髭も生えてくるし、どうしたらいいのかなって・・・・・・」
どのようにすれば悩みから解放されるのか、最良の答えは見つけられず、中学を卒業するまで頭を悩ませ続けた。
学校へ行きたくない
中学時代はつらい記憶ばかりだ。
「部活に入らず、何もせずでした。いじめを受けてたので、そんな状況ではなかったです」
殴られたり蹴られたりと、暴力的な行為はしょっちゅうだった。
「親が共働きで忙しかったので、学校でいじめられてるって話しても、適当に返されるみたいな感じでしたね。まともに聞いてくれなかったので、自分で受け止めていくしかなくて」
「もう学校へ行きたくないって、いっとき思ってましたけど、不登校にはならずに我慢して、なんとか通いました」
つらくても学校へ通い続けたのは、母の言葉が背景にある。
「母親に『学校へ行きたくない』って言っても、『お前行ってこい!』みたいな、そんな感じでした」
「『もう2、3日休む」と言って無理やり休んだこともあったんですけど、1週間行かないことはありませんでした。休んで3日ぐらい経つと、母親は『行かへんかったら、もう知らんで!』みたいに怒ってましたし」
「母親に言われるのも嫌だし、学校行くのも嫌だし、 もうどっちつかずは嫌だ。それなら行くしかない! そんな気持ちでした」
心をときめかせたピアス
つらい日々の中にも、心をときめかせ、癒しを与えてくれる時間があった。
「中2の夏ぐらいに、泡で染める染粉をこっそり買ってきて、あまり目立たないようにちょっとずつ髪の毛を染めてました(笑)」
小学校高学年ころから中学生にかけて、おしゃれなものやきれいなものに心を奪われ、少しずつ楽しみ始めていたのだ。
「いとこが耳にピアスをつけていて。それがすごくきれいで、真似したくて自分で耳に穴を開けました」
「親や先生にはバレないように、耳に絆創膏を貼ったりして必死に隠してました(笑)。そこは本当に上手くだませましたね」
「きれいな女性の姿に憧れがあって、なによりも “きれいでいたい” というおもいがありました」
女性らしさの象徴のように感じていたピアス。
穴が落ち着いてから初めて買ったピアスは、小さな宝石のついたものだった。
「学校では透明なピアスをして、寝る前とか休みの日に1人で出かけるときに、宝石のついたピアスをこっそりつけてました」
誰にも知られないようにピアスを身につける。
自分だけの特別で愛おしい時間は、見た目だけでなく、心にまでいろどりを与えてくれた。
03背中を押したビジュアル系バンド
男性として生きよう
「いじめがあって、高校も入れるかどうかって感じでしたけど、これは大変だと思って、なんとか高校へ進学しましたね」
高校では男性として過ごそう。
新しい環境に飛び込んで最初にそう思った。
「中学時代にいじめられてたこともあって、女の子らしいファッションを試してみようとかはなかったです」
「所作や発言に気をつかうっていうよりも、男性としてとにかく “普通” に生きよう。周りに気を遣わず、もう普通に生活しようって、それだけしか考えてませんでした」
「本当は、女性として学生生活を送れたほうがいいなと思ってたんです。でも高校に入って環境が変わったら、なんかちょっと楽になって。もう、男性でもいいわと思って過ごしてました」
しかし、高校では今までとはちがう環境があった。
「同じジェンダーみたいな子が何人か学校にいたんです。男の子でネイルしてる子もいました」
「この子もたぶんそうなんだろうなとか、ゲイとかトランスジェンダーの子なのかな? って思いながら過ごしてました」
「そういう子たちを見て、いいなぁと感じることもあったけれど、もう面倒だから私は男性でいいと最初は思ってましたね」
思いきって告白を!
男性として過ごすと決めていたので、女性と恋愛してみようと思うようになる。
「同級生の女の子に告白したことがありました。その子のやわらかい雰囲気が好きでしたね。普段の会話は、おいしいたこやき屋さんの話とか、身近でたわいもない話題でした」
つき合ってほしいと告白したものの、返事が届いたのは1週間ほどあとだった。
「その子の友だち伝えで『お断りします』っていわれました」
時間をおいてからの返事の意図はわからない。
でも、告白後も変わらず接してくれたのはありがたかった。
メイクを始めたきっかけ
「高校3年生のときに、メイクをしてみよう! って思い始めて」
「自分の部屋の中だけで、誰にもバレないように、こっそりメイクの練習をしてましたね。あと、ウィッグを買ってつけてみたりもしました」
男性メイクが広がり始めた時代だった。
ビジュアル系バンドが流行り、メイクへの憧れを後押ししてくれたのだ。
「これはもう絶対にメイクをしよう! と思いましたね」
「メイクを始めたばかりの頃は、とてもみられた仕上がりじゃなかったです(笑)。下地を塗るってこと自体も知らなかったので、顔にいきなりファンデーション塗って、メイクアップしてっていう感じでした」
「ちょうどその頃、男性用のファンデーションも店頭に並ぶようになったんです。男性誌で勉強しながら、メイクの方法を覚えていきました」
このタイミングでアルバイトを始めて、自分で稼いだお金で少しずつメイク道具をそろえていった。
04安定した仕事を目指して
うまくはいかなかった社会人1年目
高校卒業後はタイヤの製造会社に勤めたが、平成不況によって1年後には早期退職となる。
「その後は、手に職をつけられるような仕事をしようと考えて、看護助手として働きました」
医療の仕事はおぼえることが山ほどあった。
多岐にわたる仕事のやり方をめぐって、先輩と対立してしまう。
「早く仕事を覚えようって奮闘したけど、先輩の仕事のスピードと同じようにやることとか、細やかな対応をすぐに実践するのは難しくて・・・・・・」
職場からの過度な期待と厳しい指導が重なり、看護師への道はあきらめることになった。
心機一転
次こそは資格をもって仕事に就きたい。
「車がすごく好きっていうわけではなかったんですけど、自分の生活に身近な仕事をしようと考えて、普通二種免許を取ってタクシーの運転手になりました」
タクシーの仕事は、次第に楽しさを感じるようになる。
「自分が知らない地域や街の風景を見ることができたり、がんばるほど目に見えて売り上げを上げられたり、少しずつやりがいが増えていきましたね」
「タクシーの運転手を2年くらい続けた頃、運転の技術にプラスできる仕事はないかなと思って、ヘルパー(介護職員初任者研修)の資格も取ったんです」
その後は介護タクシーの運転手として経験を積んだ。
キャリアップを意識した転職
28歳のとき、さらに上の資格を目指そうと決意する。
「タクシーの運転士ではなく、バスの運転士にもチャレンジしようと思って、まずはバスの運転に必要な大型二種の免許を秋田に取りに行きました。合宿免許ですね」
そのあと、バスの運転手として転職することができた。
「免許を取得してから1ヶ月後にバス会社に就職し、深夜バスで大阪と東京の往復をしていました」
タクシーとは違うむずかしさも、やりがいも感じていた。
少しずつ仕事が軌道に乗り始めた頃、ピンチが訪れる。
05事故をきっかけに知った性別適合手術
不運な事故
バスの仕事に就いて1年くらい経った頃だった。
「プライベートで交通事故に遭って。しばらく、歩くことすらできなくなってしまいました。長期的なリハビリが必要で、1年ぐらいは仕事に就けませんでしたね」
この交通事故をきっかけに退職せざるを得なくなった。
ひどく落ち込み、うつ病を患う。
「交通事故による体の痛みもひどくて、精神的にも健康状態が悪くなったときに、『もう、女性として生きよう』って考え始めたんです」
「入院中に、看護師さんや先生に性自認について相談したこともありました。女性として生きようと思っているって話したけれど、絶対に嘘だと突っぱねられてしまいました」
「どうせうつ病のせいだろう、という感じで見られていたのかな。私の気持ちはまったく信用してもらえませんでしたね」
主治医との相性も悪く、別の大学病院に転院することになったが、環境が変わって徐々に調子が上がり始める。
性別適合手術を受ければ叶うこと
「できるのであれば、性別適合手術までやりたい」
性別適合手術について初めて知ったのは、入院中のベッドの上だった。
「ちょうどネットが普及し始めてきたタイミングでした。入院中に時間ができたので、情報収集したんです」
テレビのニュースやネットで手術のことを知って、戸籍の性別を変えたいと思うようになる。
「戸籍が変えられると知ったときは、とにかく明るい気持ちになりましたね。いつか自分も性別適合手術を受けてみたいなって」
心の変化から踏みだした一歩
高校生のときにメイクに出合ってから交通事故に遭うまでの間も、“きれいでありたい” というおもいは変わらなかった。
「部屋でこっそりウィッグをかぶってみたり、メイクの練習をしてみたり・・・・・・。そういうことを一人で延々とやってました」
女性として美しくなるための秘密のトレーニングは、高校生の頃からずっと続けていた。
「実は30歳を迎える前くらいから、夜の仕事をちょっと考えたことがあるんですよ。こっそり面接に行きましたね。ただ、当時はまだ髪が短かったし、ボーイッシュな雰囲気があったので不採用でした」
何度かほかのお店へも応募したものの、同じような理由で断られてしまった。
「夜のお仕事は諦めましたけど、性別適合手術をみすえて、そこからまた車の運転のお仕事に戻ることにしたんです」
<<<後編 2024/08/09/Fri>>>
INDEX
06 ありのままの自分で
07 やっとはじまった私の人生
08 家族へのカミングアウト
09 SNSでの発信を続ける理由
10 楽しみを見つけることこそ、生きがいに