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弱い部分も含めて、「これが自分」と受け入れる人間でありたい【後編】

弱い部分も含めて、「これが自分」と受け入れる人間でありたい【前編】はこちら

2022/02/26/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
川本 海景 / Mikage Kawamoto

1994年、大阪府生まれ。思春期の頃から自分のセクシュアリティに疑問を抱きつつも、誰にも打ち明けることができないまま、学生時代を過ごす。関西学院大学国際学部卒業後は、東京の人材紹介会社に就職したが、ストレスによる双極性障害のため休職したのちに退職。その後、学習塾の運営会社で教室長を務めたのち、転職して教育NPOに所属しながら、LGBT当事者に向けてのコーチングも行っている。

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INDEX
01 男ならスポーツができるべき
02 自分の気持ちは尊重されない
03 女の子と付き合うことへの憧れ
04 留学という目標が変化のきっかけ
05 行動すればチャンスは得られる
==================(後編)========================
06 仕事のストレスから、うつに
07 ゲイ? クエスチョニング?
08 子どもの自己肯定感を高めたい
09 最初の一歩さえ踏み出せたら
10 いつかは家庭をもちたい

06仕事のストレスから、休職へ

自分は人事担当として魅力的か?

シドニーから帰国してからは、留学経験を活かしてグローバルに働けそうな会社を中心に、就職活動を行う。

「メーカーや金融、総合商社・・・・・・最終面接までいったところもあったんですが、うまくいかなくて」

「そのうちに、大企業に就職するよりも、ベンチャー系に挑戦して、力をつけていったほうがいいかもって、思うようになったんです」

「そのうちの一社で、有名な外資系企業とか総合商社出身の人がいるような、東京の人材紹介会社があったんですが、面接時に自分の内面を掘り下げて聞いてくださって、すごく印象がよくて」

「チームとして一緒に成し遂げることを重視している会社の姿勢にも憧れを感じて、入社することを決めました」

しかし、実際の仕事は決して甘くはなかった。

入社して半年は、新規顧客開拓のために1日100件ほど電話をかけ続けた。
成果をあげた者から別の部署へ移ることができるというシステム。

同期と励まし合いながら、毎日電話に向かって営業を続ける。

「電話営業の部署のあとは、人事部に移ったんですが、そっちのほうが労働時間も長くて、プレッシャーも大きくて、しんどかったですね(苦笑)」

「毎週、どれくらい内定が取れそうなのか、取れなかったらどうすんだ、とツメられたりして」

「それに、優秀な人が内定を決めるかどうかって、人事の人柄によるところも大きいと思うんですけど、そうすると、自分は人事として魅力的な人間であるか、っていう別のプレッシャーにも苦しめられて・・・・・・」

双極性障害と診断

あるとき、張り詰めていた糸が切れた。
頭がボーッとして気力が湧かない。

「鍵がかかっているのはわかっているのに、何度も無理矢理ドアを開けようとして、周りから『大丈夫か?』って心配されたりとか、おかしな行動が目立つようになってきたんです」

「東京に来てからは、休日に友だちと遊びに行ったり、食事に出たりするのが好きだったんですが、その頃は、誰とも会いたくない、ずっと家にひとりでいたいって感じになっていて」

自分ではどうにもならず、心療内科へ行くと、双極性障害と診断される。

「とにかく、すごいしんどくて。休職することになりました」

「同期とは、それまでも苦しい思いを分かち合っていたので、自分がうつになった経緯を話して、理解はしてもらったと思うんですが、それ以外のことは、オープンに話すことはできませんでした」

「自分のセクシュアリティのことや、それによって、どんなふうに苦しんでいたのかってところです」

07 ゲイ? クエスチョニング?

ゲイだと思っていた

「実は・・・・・・中学生の頃からですかね、同性が隣で着替えていたりすると、気になり出してたんです・・・・・・」

「そのうち、ネットでそういう画像を見るようになったんですが、それが母親にバレてしまって、『あんた、そういうの見てるなんておかしいで』って言われて」

「そうか、これって異常なことなんや、って考えるようになりました」

「しかも男子校だったんで、自分が男性の裸に興味があるって、ほかの人にバレたらどうしよう、って気持ちがすごい強かったんで」

「これは絶対に隠さなければならないことだって、思い込んでました」

当時は、そんな自分をゲイだと思っていた。

しかし、女性と付き合うことに憧れをもったり、女性に対して好意をもったりするという一面もある。

ただし、女性に対しては、性的関心はもたないようなのだ。

「実は、大学生のとき、バイト先で知り合った女の子と付き合ったんです。キスはするんですけど、それ以上はしたいと思わなくて」

「相手の裸を見たいとか、性的な関係をもちたいっていう感情が湧いてこなかったんですが、男性に対しては・・・・・・」

「部活のときとか、一緒に着替えてたりすると、見たくないけど見たい、見たいけど見たくないって感じで、確かに男性には性的関心はあるんです」

ただし、男性に対して、恋愛感情をもつかどうかはわからない。

ノンセクシュアルなのかも?

女性に対しては、経験上、恋愛感情をもつが、性的関心はもたないことがわかっている。

しかし、男性に対しては、性的関心はもつが、愛しく思ったり、一緒にいたいと思ったり・・・・・・そうした経験が、まだない。

「自分はノンセクシュアルなのかな、と思ったこともあるんですが、納得できたわけじゃないので、いまは、クエスチョニングかなと」

ここに至るまで、自分のセクシュアリティについて、誰にも打ち明けることができなかった。

自分は “異常” だと思っていたから。

「打ち明けたら否定される、後ろ指を指される、って思い込んでました」

「多様性があって、オープンな雰囲気のオーストラリアにいたときでさえ・・・・・・。もう、自分のなかで、隠すことが当たり前になっていたんです」

「その部分に、めちゃめちゃフタをしてしまってました」

「フタをして、隠して、周りが求めるような自分を演じることに必死になってたんだと思います」

セクシュアルマイノリティであるということに加え、HSP(非常に感受性が強く敏感すぎる気質)であるという部分も、受け入れず、否定し続けてきた。

「そういう自分はダメだって思っていました」

どんな時代でも生きていける強い力をもつ人にならないといけない。
どんな人からも、いい評価がほしい。

「そんなふうに思いすぎてたせいで、勉強も仕事も、人よりできることがある反面、いままでの僕は、自己肯定感が低かったんだとも思います」

そんな自分に気づくことができたのは、実は、双極性障害と診断されたことがきっかけだった。

08子どもの自己肯定感を高めたい

自分に素直に生きられるように

仕事の過労とストレスにより、双極性障害と診断され、休職しているあいだに、自らを省みることができたのは、怪我の功名とも言える。

「人材紹介会社では、自分の市場価値を上げたいと思ってがんばってたんですが、それが本当に、やりたい仕事なのかは疑問だったんです」

「社内で経験を積んで、自分の市場価値を上げることも大事だけど、やっぱり自分のやりたい仕事をやったほうがいいよね、と思って、休職したのちに退職しました」

転職先は、子どものためのプログラミング教室。

自分は、誰のために、どんなことをやりたいのか。
浮かんだのは 「子どもの教育に関わりたい」 ということだった。

「プログラミングなんて、あんまり考えたことなかったけど、プログラミングで自分の表現したいものを自由に表現して、周りから『いいね』って言われて、子どもたちが自信をつけていく・・・・・・ってプロセスを聞いたとき、すごくおもしろいなって思ったんです」

「自分が、自己肯定感が低い子どもだったということがわかったので、なおさら、子どもには自己肯定感を高めて、自分に素直に生きられるようになってほしいなって気持ちが強くなりました」

そして、働くうちに、次第にやりがいも見出していく。

「子どものもつ可能性って、めちゃくちゃ大きいんですよ!」

「尊敬している中学生の子がいるんですが、その子が話していたことがすごく印象的でした」

「不登校になってしまって、うちの教室でプログラミングを始めたんですが、いまはまた学校に通い始めて、プログラミングの部活まで立ち上げたそうなんです」

「そしたら、その子は『自分は不登校になってよかった。プログラミングと出会えたから』って言ってたんですよ」

「不登校とか、一般的にマイナスなことに思われそうな経験でも、やりたいことを信じてがんばれば、ぜったいに “いま” につながるからって」

「そういうふうに思ってもらえるような教育って、すごく価値があるなって思えました」

社会で生き抜く力を子どもに

そうして、70人ほどの生徒を抱える教室長を務めるまでになった。
仕事の内容には不満はない。

しかし、働き方について見直したい気持ちがあった。

子どもとの関わり方はプログラミングだけでないのではないか。
ほかにやりたいと思っている仕事も一緒に進めてパラレルに働けないか。

そこで、かねてより始めたいと思っていたコーチングの仕事や、取材ライターとしての活動も、並行して行えるような職場に転職した。

「現在は、NPO法人カタリバで、不登校だったり、生活困難な家庭だったり、いろんな背景をもつ子どもたちの居場所を運営している、施設のスタッフをやっています」

「仕事の内容としては、そこで働くボランティアさんの採用とか育成とかと同時に、子どもたちが社会で生き抜く力をつけていけるようなイベントを企画したりもしています」

「タイピングを練習しようとか、お金について勉強しようとか、おもしろい仕事について調べてみようとか」

「自分次第で、いろんなことを仕事にできるって知ってほしくて」

「いまはマネジメント職じゃなくて、いちスタッフなので、コーチングもライターもやりつつ、自由に、健康的に、働けていると思います(笑)」

09最初の一歩さえ踏み出せたら

素の部分をさらけ出せた

心も生活も安定してきつつあるいま、信頼できる相手には、自分のセクシュアリティについて話すこともできるようになっている。

「以前に比べると、それも含めて自分って思えるようになったというか」

「見たくないような、弱い部分も含めて自分。そう思えるようになってから、だいぶ生きやすくなってきたかな、とは思います」

「一番大きなきっかけは、やっぱり診療内科で診断されたこと」

「理想像を追い求めて、本当の自分を否定するばかりでは、幸せになれないって気づいて、やめようって思えたのは大きいです」

「あと、コーチングを学んでいるコミュニティで、セクシュアリティのことも含めて、自分の素の部分をさらけ出せたのも大きいですね」

とはいえ、最初のカミングアウトは、かなり緊張した。

「うつ状態になったときの話とかもして、いろいろ話していくうちに、『この人には言っても大丈夫』って思えて、実は・・・・・・って切り出したんです」

意外とスッといける

LGBTのオンラインコミュニティに参加したり、実際に交流できる場に出かけてみたりすることで、新しい出会いもあった。

「自分を異常だと思ってた頃は、絶対にできないと思っていたんですが、最初の一歩さえ踏み出せたら、意外とスッといけるというか」

「カミングアウトしてみて、受け入れてもらえたら、次は大丈夫でした」

一歩を踏み出して、カミングアウトした先に広がる人間関係もある。
一歩を踏み出して、転職してみた先に見える自分の可能性もある。

「そしていま、また新しく始めたいと思ってることがあるんですよ」

「K-POPのダンスをやりたくて、一度レッスンを受けてみたんですけど、いまの自分では筋肉量が足りなすぎて、筋肉痛がひどくて(苦笑)」

「だから、筋肉をつけようと思って、いまジムに通ってるんです」

「以前、腰を痛めたことがあるんですが、それを根本的に治すにも筋肉量を増やしたほうがいいと思ってて、いま力を入れてます」

ある程度、自分が納得できるくらいに鍛えられたら、いよいよ本格的にK-POPのダンスを習いたいと思っている。

さらには、またゴルフをやってみたい気持ちもある。

そんないくつもの一歩を積み重ねて、いまここにいるのだ。

10いつかは家庭をもちたい

まずは自分自身が受け入れて

現在は、自分のセクシュアリティをクエスチョニングと表現する。

「今後、自分が男性に対して恋愛感情をもつことがあれば、ゲイということになるのかなって思いますけど」

「母親には、僕がうつ状態になったタイミングで、『たぶん、自分は、性的にはマジョリティではない』みたいな伝え方をしました」

以前、男性に興味がある自分を「おかしいで」と言った母だ。
そうかもしれない、と既に気づいていただろう。

「まぁ、『そうなんや、人それぞれやしねぇ』みたいな感じでした。前に比べると、受け入れてくれた、というか」

両親は自分の気持ちを尊重してくれないのだと思い込んで、“本当のこと” を誰にも見せないように、隠して生きてきた。

いまはもう、クエスチョニングであることも、自分自身が受け入れて、少しずつ周囲に伝えることができるようになってきている。

「実はいま、ゲイ出会い系アプリみたいなもので、出会いの機会を積極的に増やしてるんです」

「仲のいい友だちはできたんですが、ちょっとまだ恋愛感情をもつ相手には出会えていなくて」

子どもを育てる経験ができたら

いつかは、家庭をもちたいという気持ちもある。

「もしも男性とパートナーとして結ばれたら、なんらかの方法で子どもを迎えるのも楽しそうだなって思ってるんです」

「やっぱり、家庭って、すごいつながりが強くて・・・・・・人生において、自分の財産になると思うんです」

「それで、さらに、強い子を、しなやかな子を育てるって経験ができたらすごくいいなって気持ちがあります」

「自分が育った家庭環境はイマイチだったと思うこともあったけど、それでも、親からの愛情は不完全ながらも、すごい注いでもらったと思ってるし、そんな家庭での経験があってこその自分なのかな」

家庭で、学校で、職場で・・・・・・。いままで経験してきたあらゆること、関わってきたすべての人が、自分をつくってきた。

「大切なのは、そのときを一生懸命に生きること」

「留学の勉強をがんばったときも、仕事でつらかったときも、もがきながら、自分なりに一生懸命やってきたからこそ、いまがあるんだと思っています」

あとがき
海景さんは低くて響くやさしい声の持ち主。フワちゃんのTシャツがみなさんの想像を阻むかな? 安心感が行きわたる雰囲気は海景さんの魅力のひとつだ■しばらくマインドセットの点検中なのかもしれない。LGBTERが棚卸しの手伝いを、もし少しでもできたのならうれしい■私たちは一生を通じて、自分の弱さとどうにか折り合いをつけながら生きるのだと思う。やりたいことや目標に向かうもよし、目的や理想をもたずに今の楽しみを優先したっていいよね。(編集部)

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