02 初恋は8歳、相手は女の子
03 病気なら、治さなければ
04 大恋愛、裏切り、留年
05 本来の性を取り戻す
==================(後編)========================
06 自分の ”家族” がほしい
07 ひと目惚れ、そして結婚
08 子どもを授かるまでの葛藤
09 いつも誰かに救われた
10 今度は自分がアクションを起こす番
06自分の ”家族” がほしい
いつもひとりぼっちだった
家族がほしいと、子どもの頃から思っていた。
その思いは、たとえ自分が女性のままであっても変わらないだろう。
理由は、生い立ちにあった。
父親にも母親にも愛されてはいたが、自分が幼い頃から二人の仲は冷え切っていた。
「父も母もそれっぽい理由をつけては外に出て、家にいない。友達の家でご飯を食べることもありました。家族それぞれ、別の場所で一緒に過ごす相手がいたようです。兄は兄で自分の自由に生きている感じで、とくに僕の面倒をみてくれるわけではない」
「だから、僕はいつもひとりぼっちでした」
母親に、もっと家にいてほしいと懇願しても、「行かなくちゃいけないの」と取り合ってもらえない。
「しばらく訴え続けていたけれど、あきらめました。両親や兄にはそれぞれ、自分の世界があって心許せる人もいる。僕にもそういう人がいてくれたら・・・・・・」
「家族がほしいと、ずっと思っていました」
兄に精子提供をお願いする
だが、自分は男性となり、子どもを産める体ではなくなってしまった。かといって、男性としての生殖機能もない。
どうすればいいのだろう。
インターネットで調べたり、同じ境遇の仲間たちと情報交換をするうち、
里子をもらう、あるいは親族の男性から精子の提供を受けるという方法があることを知った。
実際にパートナーが現れなければ、どちらの方法にするかは、その時にならないと決められないが、もし後者の方法でとなった場合のことを考えた。
「自分では子どもを作れないとしても、自分の血を少しでも引いている子を授かりたい。それ以外は考えられない、という結論に達したんです」
そこである時、兄に「将来、精子をもらえないだろうか」と相談してみた。
「兄は、僕が男として生きていくことをずっと応援してくれているのですが、『それだけは無理』と断られました。兄は、自分の精子を提供するというのはどういうことなのかもきちんと調べた上で、『自分には協力できない』と」
しかしその後、兄の気持ちに変化があった。
自分の家族を持つということが、現実味を帯びてきたのだった。
07ひと目惚れ、そして結婚
子どもを持てるかもしれない
「兄の気持ちが変わったのは、僕が結婚したからだと思います」
「結婚して、自分が子どもを持ったとしたらどう育てていきたいか、どんな家庭を築いていきたいかということを決めてから、あらためて兄のところに相談に行ったんです」
今回は、もし子どもを授かったらその子にどう接していこうと考えているか、どういう子育てをしようと思っているのかを、兄に話した。
前回とは違い、兄は即断ることはなかった。
ただ漠然と「子どもがほしい」と思っているのではなく、自分たち夫婦が真剣に家族をつくりたいと考えていることが伝わったのかもしれない。
「『ちょっと考えさせくれ』と。その10日くらい後でしょうか、兄から『わかった』という電話があったのは」
「僕たち夫婦が、どれだけ真剣に家族をつくりたいと思っているかということをわかってくれたのだと思います。それでもやはり、兄にとっては相当むずかしい決断」
「すごくありがたい、と感謝しています」
結婚したのは昨年の1月。
出会いから4ヶ月、つきあって2ヶ月のスピード婚だった。
「というと、出会っていきなりお互いに盛り上がって・・・・・・と思われるかもしれません。でも、僕は奥さんに出会った瞬間、それこそビビビッときたのですが、彼女には最初、『あなたとつきあう気は1%もないから』とはっきり言われてしまいました(笑)」
さまざまな条件をクリアし、結婚
だが、自分にとっては7年ぶりの恋。
それも、目の前の彼女は自分で仕事をして力強く生きていながらエレガントな、とびきり素敵な女性。
あきらめるわけにはいかなかった。
「何でだろう。僕にはこの人しかいないと思ったんです。あなたの1番の恋人になれなくてもいい。2番手でいいからつきあってほしい。とにかくあなたのことが好きなんです、あなたしかいないんです、と自分の思いを伝え続けました」
アプローチをし続けて2ヶ月。
強い思いが彼女の心を溶かしたのだろう。「2番手でいいなら」と、つきあってくれることになった。
二人で時間を過ごすようになると、関係が深まるまでに時間はかからなかったという。
「つきあい始めて2ヶ月後にプロポーズしました。すると彼女は、『結婚するのなら、いくつか条件がある』と言ったんです」
1つ、会社を辞めて自分で何か仕事を始めてほしい。野心を持って生きてほしいから。
1つ、私は名字を変えるつもりはない。あなたが変えてください。
1つ、4月1日に結婚する。エイプリルフールだから、もし別れることになっても「実は結婚しなかったんです」と言えるから。
1つ、婚姻届とあわせて離婚届も書いてほしい。いつでも離婚できるという、つまり慢心せずに緊張感を持って過ごせるから。
以上4つの条件すべてに「はい、そうします!」と即答した。
彼女と結婚できるならそれらは何のこともない、と思ったのはもちろん、
いずれも、自分自身の性格や生き方にピッタリ合っていると感じたからだ。
「当時、音楽関係の会社に勤めていたんです。好きな仕事だったけれど、業界の不景気でお給料がどんどん減ってしまって、辞めようかと考えていたところでした。それに、もともと自分でバーをやりたいと思っていたタイミングでもあったんです」
家庭環境のこともあって、自分の名字へのこだわりはまったくない。
エイプリールフールに結婚というのも面白い発想だと感じた。
なんて自分の考えがきっちりしている人なのだろうと、彼女のことがますます好きになった。
「4つ目の条件にしても、僕は離婚届を書いてよかったと今で思っています。人って、長く一緒にると馴れ合って、相手のことを思いやれなくなったりする。とくに僕は相手にすぐ甘えてしまうので、『いつ離婚するかわからない』という緊張感があるくらいでちょうどいいんです」
「すべてをクリアして、『はい、合格!』みたいな感じで(笑)、彼女は僕との結婚を承諾してくれました」
08子どもを授かるまでの葛藤
この方法が正しいのだろうか
子どもがほしい、とずっと願ってきたが、実は ”奥さん” と出会った当初は「子どもは、いなくてもいいかな」とも思っていた。
「奥さんは仕事が大好き。彼女のキャリアをストップさせる権利は僕にはないし、何より、仕事をして生き生き輝いている彼女のことが好きでしたから」
「また、その時点では兄の協力は得られていなかったので、子どもを持つのは現実的に無理だなあと思っていたんです」
ところが籍を入れて半年ほど経った頃、奥さんから「子どもをつくるなら今がラストチャンスかも」と言われた。
彼女は自分より年上で、年齢的に妊娠・出産をこれ以上先延ばしにすることはできない。
ならばと、再び兄のところへ。
二人の覚悟を見て、兄は協力することを決めてくれたのだった。
「実は、奥さんは最初、かなり葛藤があったようです。彼女も、精子をもらうなら僕の血を引く兄しかいないと考えていました。でも、本当にそれが正しい方法だろうか、里子をもらったほうがいいのではと相当心が揺れているようでした」
しかし、兄に直接会い、話をするうちに彼女の迷いは晴れた。
子どもを産めない自分にできることは
すでに子どもを持っている人から体験談を聞いたり、インターネットで調べたりしながら、さまざまな方法で妊活にチャレンジした。
「産婦人科で奥さんの生理周期から排卵日を教えてもらい、その日に合わせて兄のところに、精子をもらいに行く。方法としてはシンプルなんですけど、二人とも仕事があるからスケジュールを合わせるのが大変だし、それぞれ体調があるからなかなかうまくいかないんですよね」
二人とも段々、精神的な疲れが出てきてイライラし始めた。
「二人の間で、自分はどうすればいいのか、何ができるのかと悩みました。そのうち僕までイライラしてきてしまって」
その様子を見た友人が、こう言った。
「あなたはお兄さんから精子をもらう立場で、奥さんに子どもを産んでもらう立場。そんなあなたがイライラするのはちょっとお門違いだと思うよ。二人を支えなくちゃ」
その言葉を聞いて、ハッとした。
二人が精神的に厳しくなるのは当然のこと。
それでも、子どもを授かれるようにと頑張ってくれている。
「僕が迷ったり悩んでいる場合じゃない。自分にできるのは、二人の気持ちが少しでも晴れるようにしてあげることだ。そう気づいてからは気持ちを落ち着けて、サポートに徹することができました」
ちょうどその頃に、奥さんが妊娠。
出産予定日は、今年の大晦日だ。
09いつも誰かに救われた
兄がいたからこそ、今の自分がある
家族がほしいという自分の願いが叶いつつあるのは、奥さんはもちろん、兄の存在があったからだ。
「母親にカミングアウトした時、一番に僕を救ってくれたのも兄。半狂乱になっている母の横で兄はとても冷静に、事実を受け止めてくれた。そして僕の話を聞き、すぐに受け入れてくれました」
自分の世界を持っていて、子どもの自分にはそれが冷たく感じられたが、それは兄が思慮深く、いつも冷静だったがゆえのこと。
本当は、懐が深く温かい人だった。
勉強が好きで、頭がよく、LGBTについてもいろいろ調べてアドバイスをくれる。
「兄がいなかったら、今の僕はいないと思います」
ひとりぼっち・・・・・・ではなかった
自分の生い立ちを知っている人は「よくグレなかったね」と感心する。
たしかに自分でも、そう思う。
「家に帰っても母親はいつもいなくて、食費としてお金を置いていってくれるだけ。でも、子どもだからお金の使い方がわからなくて、すぐになくなっちゃうんですよ」
ご飯が食べられない。
「友達のところに行ってご飯を食べさせてもらったり、泊めてもらったりしました。今考えれば、友達やそのご両親もよくそんなふうに親切にしてくれたなあと」
自分は本当に出会いに恵まれている、と思う。
「幼い頃、親にほっぽらかされていてろくにしつけもされていなかったので、食事のマナーとか言葉の使い方とか、20歳をすぎてもまったくできていなかったんです。それを、バイト時代に知り合った例の ”指南役” の彼女が一つ一つ注意して、直してくれました」
「だから、彼女には今も頭が上がりません(笑)」
いつも温かく見守ってくれ、快く助けてくれた人たちに感謝の気持ちを忘れたことはない。
「自分がきちんと生きて、人生を楽しむこと。それが、これまで僕を支えてくれた人たちへの恩返しだと思っています」
10今度は自分がアクションを起こす番
まずは、自分自身が人生を楽しむ!
幸いなことに、これまで自分がLGBTであることによっていじめられたり、差別を受けたと感じたことはほとんどない。
それは自分の周りに理解者が多かったこともあるが、「LGBTの先輩や仲間がアクションを起こし、道を切り開いてくれた」ことも大きいと考えている。
「たとえば妊娠・出産のことだって、先にチャレンジしていた人がその体験をブログなどで発信してくれていたから、僕はそこから情報を得ることができました」
「自分と同じ悩みや迷いを持つ仲間がいると知ったから、前を向いて歩いてこられたんです」
だから、自分がFTMであることを人に話すことに対してまったく抵抗がない。
むしろ、どんどん話したい。
「僕が先輩や仲間たちに救われたように、僕が自分の体験を話すことで誰かの救いになれたらと思うんです」
FTMが、いやLGBTが人生を少しでも楽しく心豊かに送ること。
それが、周囲のLGBTに対する理解を深めることにつながるのではないか、とも思う。
「仲間とGRAMMY TOKYOを立ち上げたのも、そのためです。自分たちの存在を認めてほしいと訴える前に、まずは自分たち自身が人生を楽しもう。それが、ひいては多様性を認め合い、個性を尊重しあえる社会づくりの一端になるんじゃないかと」
父親になるべく、ただいま勉強中
バーを開いたのも、そのためだ。
「すでにFTMのお店はいくつかあるのですが、多くが ”おなべホスト” のいる店で、FTM当事者がリラックスして楽しめるお店は案外、少ないんです。だから僕は、FTMが気軽に足を運べるカジュアルバーにしようと」
実際、ひとりで訪れるFTMも少なくない。また、FTMのほかにゲイやレズビアンなど、お店に来てくれる人のセクシュアリティの幅は広い。
「自由に話しているうちに自然と情報交換ができて、友達もできる。実は、うちの店はカップルもけっこうできるので、周りからは縁結びにご利益のある『石川神社』って、呼ばれています(笑)」
人の幸せを願っているだけではない。
生まれ来る子どもと奥さんと家族3人、どうしたら幸せに暮らしていけるのか。
さしあたっての課題は、子育てだ。
「奥さんは仕事が大好きだから、出産後すぐに復帰したいと。だから、子育ては僕の担当。僕にとって念願の家族ですし、兄をはじめこれまでサポートしてくれた人のためにも、子どもにはすくすく、のびのび育ってもらいたいんです」
仕事の合間に、赤ちゃん雑誌や育児書を読む毎日。
「いやあ、読めば読むほど、子育てってむずかしいなあ、って(笑)」
でも、きっと大丈夫。
これまでも、いつも相談できる人がいた。
そして今は、最愛の奥さんがいるではないか。
何があっても笑って乗り越え、楽しく生きていけるような気がしている。