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望んだのは手術なしの性別変更。待っていても叶わない。自分が動かなければ【後編】

望んだのは手術なしの性別変更。待っていても叶わない。自分が動かなければ【前編】はこちら

2025/03/26/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
太田 真理佳 / Marika Ohta

1985年、北海道生まれ。物心ついた頃から料理に興味をもち、お菓子づくりの楽しさに気づいて製菓専門学校に進学。その後、ホテルのベーカリー部門に就職するも1年で退職し、自動車部品工場や製菓工場、老人ホームの給食部門などで働く。トランスジェンダー女性(MTF)によるユーチューブを見て性別移行を決意し、25歳よりホルモン療法を開始。37歳で名前を変更、38歳のときに睾丸を摘出し、39歳で性別変更の申し立てが受理された。

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INDEX
01 受験勉強そっちのけで没頭したお菓子づくり
02 女の子と一緒のほうが楽しい
03 体に対する違和感と嫌悪感
04 トランスジェンダーの存在を知ってはいたものの
05 車のドレスアップにハマって工場勤務へ
==================(後編)========================
06 女の子として生きるため愛知に来た
07 MTFは手術なしで性別変更できるのか?
08 体と心、そして生活の変化
09 幼馴染にカミングアウトしたいけどできない
10 “女の子の暮らし” ってどんなもの?

06女の子として生きるため愛知に来た

地元にいたら、親に迷惑をかけてしまうかも

インターネットの普及とともに、あらゆる知識は増えていった。
もちろんLGBTQのことも。

自分はトランスジェンダーなのかもしれないと、思ったこともある。

しかし、仕事と車とお菓子づくりと・・・・・・日々の暮らしのなかで、その疑念はぼんやりとしたまま掻き消されそうになっていた。

「そんなとき、スザンヌみさきさんの性別移行の投稿を見たんです」

こんな生き方があるのか。
自分も女の子として生きられるかもしれない。

「すごく悩みました」

女の子として生きるなら、地元にはいられない。
下手したら、親に迷惑をかけてしまうかもしれない。
北海道から出ていくしかない。

でもこのままなら、母のいる地元で平穏に暮らしていけるかも。

「でも、やっぱり、女の子として生きたいって思って・・・・・・とにかく地元を出ることにしました」

性別移行をするならば郊外よりも都会のほうがクリニックも多く、安心だ。

とはいえ、東京や大阪は駐車場の賃料が高すぎる。
大切な愛車を地元に置いておくわけにはいけない。

働くなら、やはり工場勤務が自分に向いているだろう。
工場だったら・・・・・・自動車関係がいい。

そうなると、やっぱり愛知県だ。

母へのカミングアウト

「そのとき一番行きたかった愛知の工場があったんですけど、住むところが会社の男子寮しかなくて、お風呂もトイレも共同なので、それはキツイなと思いました」

「アパートを借り上げた社員寮をもつ、別の自動車部品工場に問い合わせたら、半年先まで空きがないと言われて・・・・・・」

「半年間、九州の別の自動車関係の工場で働いてから、改めて愛知の工場に入社しました」

同時に、ジェンダークリニックを受診。
37歳のときに性別不合(性同一性障害)の診断書を受けとった。

その後、名前を変える際に、母にカミングアウトする。

「電話して・・・・・・『本当は、ずっとなんだけど、女の子になりたかった』って言いました。面と向かっては、とても言えなくて電話しました」

「そしたら、『あ、そうなの』って。すごい軽かったんです(笑)」

「名前を変えるのに戸籍抄本が必要だから、って言ったら、『うん、わかったよ』って。九割九分、否定されると思ってたんで、意外でした」

もしかしたら、母は気づいていたかもしれない。
「女の子になりたい」という気持ちを抱えていたことを。

「何回か、私が女性ものの寝巻きで寝ていたことを母は知ってたし、それとなく気づいていたのかなって思います」

「気づいてたけれど、なにも言わないでいてくれました」

母は言った。
「それはもう、あなたの人生だから」

その言葉に、かつて言われた言葉が重なる。

「最後までやりなさい」

性別不合の診断書と母が用意してくれた戸籍抄本により、改名することができた。

07 MTFは手術なしで性別変更できるのか?

MTFだと自認しているけれど

現在の職場の長所は、プライベートを詮索されないということもある。

ホルモン療法の効果もあって胸が大きくなってきていても、髪を長く伸ばしていても、その理由をきいてくる人はいなかった。

「私自身、仕事とプライベートはきっちり分けて考えていたんで、ほかの人に対しても、プライベートに触れることはしなかったんですけど、見た感じで工場にはFTM(トランスジェンダー男性)さんもMTF(トランスジェンダー女性)さんもいたように思います」

「とにかく仕事は仕事。ちゃんと働いていれば、なにも言われないだろうと思って、仕事はしっかりやるようにしてました」

愛知に来たのは、女の子として生きるため。
そのための費用を稼ぐ必要もあった。

「手術をしないといけないけれど、どうしようと迷う気持ちも」

しなければならないという気持ちと、したくないという気持ちがせめぎ合う。

手術を「したい」という気持ちはなかった。

「幸いにも、ホルモン療法のおかけで胸は膨らんでたので、これでいいかなとも思ってたのと、あとは・・・・・・もう自分の体に慣れたのか、なんなのかわかんないですけど、あってもそこまで気にならなくはなっていたので」

ダメもとで性別変更の申し立てを

一切の手術を受けることなく女の子として生きられるのであれば、そうしたかった、というのが本音だ。

どうしようか悩んだ末に、睾丸を摘出。

「そのときの私の経済状況でできる精一杯の手術だったんです」

「ただ、気持ちは軽くなったけど、一気に体力が落ちたので戸惑いました」

その後の2023年10月、性同一性障害特例法において、生殖機能をなくし、変更後の性別の性器に似た外観を備えるための手術をすることを、戸籍上の性別変更の要件としていることは、違憲であると最高裁判所が示す。

そのニュースを見て、「変更後の性別の性器に似た外観を備えるための手術」を受けていない自分も、性別変更できるかもしれないと希望を見出した。

「FTMさんでは認められた例があるけど、MTFではまだいないだろうし、認められるのは難しいだろうなって思いながら、一種の賭け・・・・・・っていうか」

「ダメだったらダメで、とにかく申し立てをしてみないと、認められるもなにも始まらないなって思って、2024年4月に申し立てをしました」

そして3カ月経ち、半年が経とうとし、きっとダメだったんだろうと期待が薄らいできた頃。

「なんか気づいたら、郵便が届いて、受け取ると封筒が薄くて」

「あれ? 薄い? ダメだったら申立証明書が入っているはずだし、逆に封筒が厚いはずだから・・・・・・もしかして、と思って開けてみたら」

「性別変更が認められたんです」

08体と心、そして生活の変化

会社に対するカミングアウト

できることならば一切の手術を受けることなく性別を変更したかった。

「でも、睾丸くらいは取ってもいいのかなって・・・・・・」

悩んだ末に出した結論だった。

「ホルモン療法に関しては、『怖い』という気持ちはなかったですね」

「小学生の頃から喘息の発作が出ていて、血を抜かれて検査されたりとか、治療や検査に慣れているから、そういうのに慣れているっていうか」

「注射自体も、別に嫌いじゃないですし(笑)」

MTFの場合、女性ホルモン投与中は血栓症や肝機能障害などのリスクが高まるとされており、副作用も無視できない。

「女性ホルモンを投与し始めた頃は、しんどかったですね。体の中で男性ホルモンと女性ホルモンが戦っている状態っていうか(苦笑)」

「精神的に不安定になったりもしましたが、なんとか乗り越えて。3カ月くらいかかったかな・・・・・・徐々に落ち着いていきました」

性別移行にともない、戸籍上の名前や性別を変更した場合、会社などなんらかの組織に属するトランスジェンダー当事者は、望むと望まざるとにかかわらず、その組織に対してカミングアウトせざるを得なくなるもある。

「急に、会社から電話がかかってきて、えっらい詰められたんですよ。名前が変わってるけど、どういうこと? なにしたの? って」

健康保険証の名前が変わったことで、勤め先が改名した事実を知ったのだ。

先にカミングアウトしておけばよかった

「改名したことは、会社に言いにくいから黙っていて・・・・・・。言わないままで、どうにかなるかなって思ってたんですが、バレちゃって(苦笑)」

健康保険や税金などの関係から、手続き上トランスジェンダーであることを会社など所属する組織に伝えることは、仕方ないといえば仕方ない。

先に言っておけばよかった、と後悔するほどの強い口調で詰問された。

「それがあまりにも怖くって『いや、知らないです・・・・・・』って答えてしまいました・・・・・・」

その後、別の人から電話があった。

「その人は、ちゃんと親身になって話を聞いてくれたので、自分がトランスジェンダーであることを伝えて、性別移行について話すことができました」

「最初に電話してきた人からも『あのときは言い方がキツかったよね』と謝ってもらえたんで、よかったです」

戸籍の性別変更については、改めて会社に伝えていない。

「でも、特になにも言われないですね」

「性同一性障害だと伝えてあるし、会社もわかっているはずなので、大丈夫なんだと思います」

09幼馴染になかなかカミングアウトできなかったけれど

公衆のトイレと浴場の問題

男性として生まれ、生きてきて、いま女性として暮らしている。

男性と女性の違いとは、なんだろう。

「うーん・・・・・・基本的にトイレくらいなのかな。私は」

「職場では制服を着ていますが、着替えてから出勤するので更衣室は使いませんし、男女で分けられているのはトイレくらいかな・・・・・・」

「同僚や周りの人からは、私は名前が女性だし、“そういう人” なんだと思われているんだと思います」

女性社員として働いているとはいえ、女性用トイレに入るのは気が引ける。

「トイレは、人がいないときにだけ使っています」

「“誰でもトイレ” がある場所では、そちらを使わせてもらっているんですが、職場にはないので仕方なく女性用トイレを使ってますね」

「と言っても、普段は、ほぼ、使わないようにしているというか」

そして、銭湯や温泉宿の大浴場など、いわゆる公衆浴場は利用しないようにしている。

女性の性器に似た外観を備えるための手術はしていないため、この体で、裸になって、女性用のスペースに入っていくのはためらわれる。

「私が女風呂に入ることでイヤな思いをする人がいる、というのも理解できますし・・・・・・もう行かないっていう選択をしちゃいますよね」

「家族風呂があれば、貸切にできるから問題ないんですけど(笑)」

「そういった状況もあるので、性別移行には本当に強い信念と覚悟が必要だって、私は考えてます」

カミングアウトには相当な覚悟が必要

母以外にカミングアウトしたのは、北海道の友だちひとりのみ。

「帰省したとき、たまに声をかけて飲みに行くくらいの友だちです」

「カミングアウトしたら、『そうなんだ』くらいの反応で、なんかさっぱりしてるっていうか。それくらいのほうがこちらもラクですけど(笑)」

しかし、保育園からずっと一緒だった幼馴染の3人には言えないままだった。

「本格的に性別移行する前に会ったきり、ずっと会ってないです」

「言いたい気持ちはあるけど、連絡するのはすごい覚悟がいるので言いにくくて・・・・・・。でもやっと今年に入ってから、話があるってLINEしてみたんです」

「そしたら、その中の1人から『女性に変わった?』と返信がありました。冗談のつもりだったらしいですけど」

カミングアウトをしたことで、もしも関係が切れてしまっても仕方がないと覚悟していたが、反応は思いのほかカラッとしていた。

「あっさりしてる人もいるんだって、ほっとしました。幼馴染の残り2人には、ゆっくり伝えていけたらと思います」

10 “女の子の暮らし” ってどんなもの?

つらいことがあっても女性として生きたい

振り返ってみて、人生で一番つらかったのは、地元を離れるかどうするか、悩んでいたとき。

これからどう生きていくのか、自分と向き合い続けた時期だ。

「しんどかったですね。私自身が、どんなふうに暮らしていきたいのか、暮らしていって、その先どうしたいのか、何度も考えました」

女性として生きるなら、地元から出ていくしかないと思っていた。

「生まれたまま男性として生きていくなら、地元で暮らすこともできる・・・・・・とも考えたけど、自分に正直になってみようって思ったときに、やっぱり、知っている人が誰もいないような場所で、女性として生きたいと思って」

「そのほうがラクだし・・・・・・。まぁ、つらいことはあるだろうけど、女性として生きたほうが、最後は自分にとってラクなのかなって考えました」

自分以外のMTFやFTMと知り合いたい

女性として生きるいま、今後の目標として考えていることがある。

「ずっと男のような生活をしてきたので、改めて、女の子の暮らしってどういうものなんだろう、って考えるようになって」

「最近やっと、私がトランスジェンダー女性だとわかった上で一緒にいてくれる女友だちができて、いろいろ話せるようになったんです」

「自分のようなMTFさんとか、あるいはFTMさんとか、みんなどうやって暮らしているのかっていうのを知りたいですし、これからは立場の近い人たちと知り合っていけたらなって思っています」

これまで自分の中の違和感も、悲しみも苦しみも、誰にも見せずに生きてきた。
怒りすら、おもてに出すことは少なかったと思う。

「昔から、我慢して、我慢して、なんとか自分で解決してやってきました。我慢した末に爆発したこともありましたけど(苦笑)」

問題を抱えていても、ひとりで心を整え、行動することができていた。

「LGBTERの読者には、やりたいと思っていることがあれば、少なからず自分自身で動いてみれば叶う、って伝えたいですね」

可能性が低くとも、自分自身で動いて、挑戦してみることが大切。

「待っていても、なにも変わらないので・・・・・・。ほかの誰でもなく、自分自身が動く、っていうのが一番です」

 

あとがき
再会した真理佳さんは、春らしいヘアスタイルで、カフェラテ色のジレをおしゃれに着こなしていた。ファッションのこと、一人暮らしのこと・・・おしゃべりに花を咲かせた■他人の考えや感じかたを想像することに、時間を費やしている人はわりと多いかも? 真理佳さんは自分の人生に集中できる■だれかと一緒に楽しむこともある。ひとりで過ごすことで元気を取り戻す人もいる。自分の時間は、やりたいことをやって、感じたいように感じる、がいい。(編集部)

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