02 女の子と一緒のほうが楽しい
03 体に対する違和感と嫌悪感
04 トランスジェンダーの存在を知ってはいたものの
05 車のドレスアップにハマって工場勤務へ
==================(後編)========================
06 女の子として生きるため愛知に来た
07 MTFは手術なしで性別変更できるのか?
08 体と心、そして生活の変化
09 幼馴染にカミングアウトしたいけどできない
10 “女の子の暮らし” ってどんなもの?
01受験勉強そっちのけで没頭したお菓子づくり
「最後までやりなさい」
出身は北海道。
そのほぼ中央に位置する富良野で生まれ育った。
「住んでいたのは富良野の端っこです」
「きょうだいはいなくて、ひとりっ子。父と母と3人で暮らしてました」
父との思い出はあまり残っていない。
仕事で忙しく、家にいないことが多いうえ、休日はずっとテレビを独り占めしてゲームをしているような人で、一緒に遊んだ記憶がほとんどない。
「そのぶん母とは一緒にいることが多かったと思います。両親が離婚して、私が母についていったこともあるんですが」
毎週ふたりで、ドライブがてら買い物などに出かけていた時期もある。
「母は、どっちかというと大人しくて、あまり口うるさく言わないタイプ」
「叱られたこともなかったと思います」
そんな母から、よく言われていたことがある。
「中途半端ではやめないでね、って」
「たとえば、私は幼い頃から趣味でお菓子づくりをしてたんですけど、途中で失敗しちゃって、ああもういいやって投げ出してしまいそうになったときに、母は『最後までやりなさい』って言ってました」
お菓子をつくっていると無心になれる
お菓子づくりを始めたキッカケは。
「特になくて、最初は料理をやり始めて、気づいたらお菓子をつくってて・・・・・・。たしか、初めてつくったお菓子はホットケーキだったかな・・・・・・だんだんおもしろくなっていったって感じですね(笑)」
「お菓子をつくってるときは、なにも考えてないんですよ。いまでも、お菓子をつくってるときはそう。無心になれるんです」
中学3年生になると部活もなく、早く帰宅できるので勉強をする。
多くの受験生は、そうしていたはず。
しかし、帰宅して没頭していたのはお菓子づくりだ。
「受験勉強そっちのけで、ずーーーっとお菓子つくってました(笑)」
「お菓子をつくる過程も好きだし、食べるのももちろん好き」
勉強もせずにお菓子ばかりつくってはいたが、無事に高校へ入学。
その年のクリスマスプレゼントは、オーブンレンジだった。
「クリスマスケーキをつくったこともありますよ」
「基本的に母は、私がつくったものは食べてくれてました。クッキーはあんまり好きじゃなかったみたいですけど(笑)」
そもそも、料理をやってみようと思ったのは、母が料理をする様子を見ていて、おもしろそうだなと感じたから。
つくって、食べて、そして食べてもらうことも、お菓子づくりの楽しさのひとつだった。
02女の子と一緒のほうが楽しい
女子のように膝を揃えて座りたい
男の子と遊ぶよりも女の子と遊んだほうが楽しい。
小学校低学年のときに、そう感じたのが最初だった。
「保育園から一緒だった幼馴染たちが、みんな女の子だったっていうこともあったのかもしれないですけど」
「いつも女の子と、おままごとしたりして遊んでました」
自分から望んで、というよりも、みんながおままごとをするから自分もする、というように、女の子と遊ぶのが自然だったし、楽しかった。
「幼馴染の3人とはいつも一緒に遊んでましたね」
「母からは『子どもは外で遊べ』と言われてたので、学校から帰って、暇さえあれば幼馴染たちを誘って外で遊ぶ、って感じでした」
小学校の卒業式で、女の子はいいなぁ、と思った。
「写真を撮るときとか、女の子は膝を揃えて座るように先生に言われるじゃないですか。脚を開いて座る男の子よりも、女の子の座り方のほうがいいなぁって思ってました」
学ランよりもセーラー服がいい
中学校と高校では、女の子の制服のほうがいいなぁ、と思ったことも覚えている。
「男の子は、中学は学ラン、高校はブレザー。女の子は、中学はセーラー服で、高校はブレザーだったんですよ」
「セーラー服のほうがいいなぁって。同じブレザーでも、女の子のほうがかわいくていいなぁって思ってました」
女の子の服のほうがいいなぁ、という気持ちから行動も起こした。
「小学校高学年くらいかな。母のスカートをはいてみたのが最初。ズボンよりもスカートのほうが、なんかしっくりきたんです」
「あと、中学生のとき、ひとりで買い物に出かけられるようになったので、自分で女の子の服を買ってきて、こっそり着たりしてました」
しかし、そんな気持ちも行動も、すべては秘密。
誰にも言えないことだとして隠していた。
学ランも男子生徒用ブレザーも、拒むことなく着た。
「“ふつう” の生徒と変わらなかったと思いますよ」
「でも、不思議と先生や先輩からは好かれました。なぜか1つ上の先輩には好かれなくて、好かれるのはいつも2つ以上学年が上の先輩からでしたけど(笑)」
03体に対する違和感と嫌悪感
中学校では卓球部部長に
スポーツは嫌いではない。
しかし、小学生のときに所属していた野球チームの練習には行かなかった。
「3年生になると、男の子は強制的に野球チームに入れられるんですよ」
ちなみに女の子は強制的にバレーボールチームに入れられる。
16人しかいない同級生は、みんなどちらかのチームに所属することになる。
「私は完全に幽霊部員でした(笑)」
最初から野球が嫌いだったわけではないし、ソフトボールは好きだった。
「たぶん・・・・・・豪速球を当てられたのが怖かったんだと思います」
「それがトラウマになって野球が嫌いになったのかな(苦笑)」
小学校の部活は生徒数が少ないため、野球かバレーボールの二択。
実際には性別で自動的に振り分けられるため一択だったが。
そして中学では選択肢が1つ増え、野球かバレーボールか卓球の三択に。
迷わず卓球部に入る。
「卓球は楽しかったです。先輩から指名されて3年生では部長まで務めて、大会では、富良野市でベスト8に入りました」
着替えを誰にも見られたくない
中学時代に熱中したものは卓球のほかには、音楽。
「最初の買ったCDは内田有紀さん。それからSPEEDにハマって、高校に入ってからはハロプロも好きになりました」
「あ、GLAYも好きで、ちょうど『HOWEVER』が流行ったときに母も好きになって、よく一緒に聴いてました」
学校では卓球、家ではお菓子づくりと音楽。
充実した生活を送ってはいたが、勉強だけは好きになれなかった。
「勉強は大っ嫌いでしたね(苦笑)」
「高校受験もギリギリで。担任の先生に、受かるかもしんないし、受からないかもしんない、どうなるかわからないって言われたくらい」
「唯一興味がもてた社会以外の科目は、本当にだめで・・・・・・」
中学からは、好きな子もできた。
相手は女の子。
いいなぁと思うだけで、告白はできなかった。
「恋愛が全然わかんなかったですね」
「高校のときに、ひとり付き合った女の子がいたけど、なんにもないまま別れてしまいました。恋愛の仕方が本当にわかんなくて」
同時に、自分自身への違和感を常に感じていた。
女の子を好きになるけど、女の子の服を着たい、あるいは仕草や言動などを女の子と同じようにしたいと思っている自分がいる。
その “ちぐはぐ” な感じが気になることもあった。
それは体に対しても。
「着替えているところを誰にも見られたくないって気持ちが強かった・・・・・・。温泉とかに行っても、絶対に体を隠しながら着替えて、お風呂に入っていました」
04トランスジェンダーの存在を知ってはいたものの
自分はトランスジェンダーなのかも?
第二次性徴期に入り、変わっていく自分の体への嫌悪感も強かった。
「声変わりもイヤだったし、毛が生えてくるのもイヤだった」
「あと、子どもの頃は・・・・・・体についているものも、いつかなくなるのかなって・・・・・・変な考え方ですが、そう思ってました」
自分の体に男性器がついている違和感。
なくなればいいのに。
なくなるはず。
いつか自分は女の子と同じ体になる、という期待をもっていた。
「中学生のときかな、『3年B組金八先生』で上戸彩ちゃんが演じた性同一性障害(性別不合)を抱える生徒を見て、もしかして自分もそうなのかな、と思ったことも」
それからトランスジェンダーやレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルなど、世の中にはさまざまな性のありかたが存在するのだと知る。
自分はトランスジェンダーなのかもしれない。
そう思いながらも、確信はもてなかった。
「女の子の服を着ることもあったんですが、親がいないときに家の中で着るとか、誰にも見られないようにして、こっそりと着てみるだけでした」
車の中にイルミネーションを
高校を卒業後、札幌の製菓専門学校への入学が決まり、ひとり暮らしすることになった。
周りは知らない人ばかり。
人目を気にせず、女の子の服を着られる環境となるかもしれない。
「けど・・・・・・やっぱり着られなかった。着てはみるんですが、なんか恥ずかしくて外に出られなかったんです」
製菓学校を卒業したあとは、地元のホテルのベーカリー部門に就職するが、1年で退職した。
「お菓子もパンも、昔から食べるのもつくるのも好きだったんですが、仕事としてつくるのは、やっぱり違うかなって思ってしまって・・・・・・」
それから1年のあいだに、アルバイトなどで生活しながら、熱中できるものを見つけた。
それは自動車のドレスアップ。
「もともと車は見るのも運転するのも好きで。免許をとってからは、車で母と毎週、ふたりで買い物とかに出かけてました」
「ドレスアップのきっかけは・・・・・・わかんないですけど」
「最初は車内の照明を青っぽく変えたりしたくらいで、気づいたら、車の中にイルミネーションをつけてみたりしていて(笑)」
配線などをいじっていくうちに、車の整備への興味が湧いていった。
05車のドレスアップにハマって工場勤務へ
車輌整備の知識と技術を身につけたい
「ドレスアップカーのチームに入ってたこともあります(笑)」
「そのときはY33型のセドリックに乗っていて、かるーくドレスアップをやってたんですが、『チームをつくるけど入らない?』って声をかけられた頃に、ちょうど乗り換えようと思ってたんですよ」
「それで、なんかおもしろそうな車はないかなって考えていて、“セドグロ(日産セドリック3代目とプリンスグロリア4代目の総称)” なんて良さそうだなって思って探したら、いいのが見つかって」
「それを買ったのが、本格的なドレスアップの始まりでした」
チームの活動としては、大型スーパーマーケットの駐車場に集まって、お互いの愛車を見せ合うというものが主だった。
「何度か参加したんですけど、警察に通報されちゃったことがあって。ただ、車を並べて話していただけなんですけどね(苦笑)」
そのうちに、ふと思いついたことがあった。
「人生で一回は、工場での仕事を経験してみたい」
ドレスアップした車は、車検の前にはすべて元通りにする必要がある。
元通りにするには車輌整備の知識が必要だ。
自分で整備ができるようになれば、自分で好きなようにドレスアップを楽しむことができる。
「自動車関係の工場で働けば、整備の知識も技術も身につけられると思ったんです」
噂を広められるのが怖い
思いつきを実行に移すべく、愛知県にある自動車部品工場に就職する。
働く前は、工場勤務はハードワークと聞いていて、続けられるか不安もあったが、働いてみると思った以上におもしろかった。
「工場で、機械いじりするのは楽しかったですね」
「1年4カ月くらい働いて、また北海道に戻りました」
「北海道に戻ってすぐは、老人ホームの給食の仕事をして・・・・・・そのあとはまた工場の仕事に就きました。今度はポテトチップスの製造工場です」
担当した仕事は、機械のオペレーター。
不具合が出た機械を直したり、掃除をしたり、工場の機械が正常に動くように整備をするのが主な仕事だった。
そして、パート従業員に指示を出すのも仕事のひとつ。
オペレーターの仕事は楽しかったし、収入も安定していたし、それなりに満足していたが、苦手なこともあった。
「パートのおばちゃんたちが・・・・・・私にとってはストレスで」
「おばちゃんたち、おしゃべりが大好きで、噂なんて一瞬で広まるんです。恋愛とかなんでもかんでも、ほんと一瞬で広まって(苦笑)」
そのうち、自分のことも噂されるんじゃないかと怖かった。
「それが、いっちばんイヤで」
「このままここで働き続けるのもどうなんだろう、って考えて、5年くらい働いていたけれど、辞めました」
噂を恐れたのは、そのとき、ある計画を胸中に秘めていたからだった。
<<<後編 2025/03/26/Wed>>>
INDEX
06 女の子として生きるため愛知に来た
07 MTFは手術なしで性別変更できるのか?
08 体と心、そして生活の変化
09 幼馴染にカミングアウトしたいけどできない
10 “女の子の暮らし” ってどんなもの?