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親の暴力は “ふつう” じゃない。身近な人に助けを求めてもいいんだよ【後編】

親の暴力は “ふつう” じゃない。身近な人に助けを求めてもいいんだよ【前編】はこちら

2024/07/28/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
鈴木 真実 / Mami Suzuki

1992年、三重県生まれ。小学1年生のときに両親が離婚。交際相手から暴力を受けていた母親から虐待を受け続け、中学3年生ようやく学校の担任教師に助けを求めることができた。以来、たびたび児童相談所が介入しつつ、高校卒業まで虐待に耐え続ける。看護師として内科と小児科、産婦人科を8年近く担当したのちに退職し、現在は主に子どもと女性の性の悩みに向き合える場所を作るため、起業準備中。

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INDEX
01 母と子ども4人で暴力から逃れて
02 虐待されるのは自分のせい?
03 心の痛みをリストカットに変えて
04 先生に助けを求めてもいいんだ
05 性被害にあった人のケアを
==================(後編)========================
06 レズビアンよりもトランスジェンダー
07 家族へのカミングアウトで「気持ち悪い」
08 妊娠や出産について自分で決める権利
09 一人ひとりの悩みと向き合える場を
10 信頼できる人はきっと身近にいるから

06レズビアンよりもトランスジェンダー

男性よりも女性に惹かれている自分

自分が、男性よりも女性に惹かれることを自覚したのは21歳のとき。
看護学校の友人たち10数名でキャンプに出かけたときのことだった。

「みんなで夜、しゃべってたら、たまたまゲイの人とレズビアンの人がいて、恋愛の話をしてたんです。レズビアンの人が『自分にとって女性に惹かれるのはふつうのことだし』って言ったときに、あ、わかると思って」

「自分も女性に惹かれたことがあるし、と思い当たるところがありました」

高校でお世話になったふたりの先生のことと、当時気になっていた女の子のことを思い出した。

「同級生に『真実ちゃんって、あの子のこと好きだよね』って言われたんですけど、そのときは自覚がなかったんですよ。でも、そういえば好きだったのかもしれないって、あとになって思いました」

男性よりも女性に惹かれている自分に、なんとなく気づいていた。

「でも、やっぱり、その、異性愛がふつうっていうところがあって、自分が女性を好きってことを認めちゃいけないって気持ちがあったっていうか」

家族でテレビを観ているとき、いわゆる “オネエ” と呼ばれる人が登場すると、母が否定的な態度でからかうような発言をしていた記憶がある。

しかし、同性同士の恋愛がふつうだという言葉を聞いて、女性に惹かれる自分の気持ちも否定されるようなものではなく、ふつうなのだと思えた。

性別に囚われないXジェンダー

「友だちの話を聞いてから、自分なりにセクシュアリティについて調べるようになったんです。たまたまネットで、女性のことが好きだという同い年の女の子と知り合って、一緒にレズビアンバーとかクラブイベントに行くようになりました」

「そしたら、遊びに行った先でいろんな人に知り合って、話をするうちにトランスジェンダーとかFTM(トランスジェンダー男性)とかの話が出てきて」

「少しずつそうした情報も入ってくるようになりましたね」

セクシュアリティについて調べるようになった当初は、自分はレズビアンかもしれないと思っていた。

しかし、FTMの存在を知ったあとは、レズビアンではなくどちらかというと自分はFTMなのかもしれないと思うようになった。

「女性よりかは男性の体になりたいし。胸もいらないし生理もイヤだし。そうした、いまの体に対する違和感を考えると、やっぱりFTMかなって」

そして現在は、FTMではなくFTXであると自認している。

「ホルモン治療を受けたり、胸を取ったりしたけど、どっちかっていうと自分は男とか女とかの括りがない、FTXなのかなって思うようになって」

「男か女のどちらかに括られたくない。それがしっくりくるな、と」

「友だちにFTMの人がいるんですけど、その子は性別を変えて結婚したいって言ってるんですが、自分はそこまでする必要はないと思っていて」

完全に男性として生きたいわけではない。
男性でも女性でもないXジェンダーがより自分らしいと思う。

07家族へのカミングアウトで「気持ち悪い」

自分はトランスジェンダーだと彼女に

初めて女性と付き合ったのは22歳のとき。
相手は看護学校の同級生だった。

「1年生で一緒のクラスになって、自己紹介のときに目が合ってドキッとして(笑)。たぶん、ひと目惚れだったんだと思います」

その頃はまだFTXという言葉も知らず、自分はトランスジェンダーFTMなのだろうと思っていた。

「自分は、どちらかというと男なんだと思うって、彼女に伝えました。告白がカミングアウトになったんですが、彼女は性別について気にしている様子はぜんぜんなかったですね」

「付き合いだして、彼女のことをすごい好きだなって思って、この人となら結婚したいなって思いました。そうなると、自分は男にならなきゃいけない」

「体に違和感もあるし、ホルモン治療から始めてみようと思って、彼女に付き添ってもらってジェンダークリニックを受診しました」

母には、セクシュアリティについて自分から話す前に知られてしまう。
彼女の写真を、たまたま見られてしまったのだ。

「バレちゃったのはホルモン治療をする前。母には『レズビアン、気持ち悪い』ってすごい言われて・・・・・・。そのままうやむやにしておきました」

「でも、ホルモン治療を始めたら、見た目も変わるから、治療を始めたあたりに改めて母には伝えました」

妹からも「気持ち悪い」と

昔から自分は男になるって話をしていたはず。
ホルモン治療を始めようと思っている、と。

「母には、ぜんぜん受け入れてもらえなかったですね。はっきりと『お母さんは反対する』って言われました」

「性別を変えて男として働くのは無理だと思う、とも言われましたね・・・・・・」

テレビに登場する “オネエ” やドラァグクイーンに対する母の反応を考えると、きっと受け入れてもらえないだろうとは思っていた。

しかし、それでも、母にはきちんとカミングアウトしておきたかった。

「母のことを憎むところもあるし、憎まないといけない・・・・・・とも思うんですけど、母がいなかったら自分は看護師にはならなかったと思うし・・・・・・育ててもらったとも思うので、言っておかないとなって」

「妹にはカミングアウトはしなかったんですが、自分が変わっていくのを見て、『気持ち悪い』って言われました。割と本気のトーンで(苦笑)」

「でも、やっぱり、家族からは受け入れてもらえないだろうなって思ってたんで、しかたないなと思ってます」

08妊娠や出産について自分で決める権利

職場で「男か女か、どっちなの?」

看護学校を卒業し、岐阜県内の病院に就職。

その頃にはホルモン治療を始めてから約3年経っており、周囲からは “中性的な外見の女性看護師” と認識されていただろう。

「田舎の病院なので、トランスジェンダーに対する偏見があるだろうなと思って、あえてカミングアウトはしませんでした」

「働き始めた頃は周りから『男か女か、どっちなの?』って思われている感じはありましたが、一緒に働いているうちに慣れてくださったのか、ひとりの人間として接してもらっている感じになりました」

「患者さんからは『どっちなの?』ってきかれることがあります。そんなときは『いちおう女性です』って答えてます」

働いていた病院には内科と小児科、産婦人科があり、内科で高齢者の介護をして、小児科で子どもの相手をして、産婦人科で出産をサポートする・・・・・・といったように、仕事もそれらすべてを請け負った。

特に産婦人科での仕事からは多くのことを学んだ。

正しい知識を知る権利

「ベビーキャッチっていって、産まれた赤ちゃんのへその緒を切ったあと、受け取る仕事があるんですけど、その出産に関する仕事を通じて、なんていうか、ちょっと怖いと感じましたね・・・・・・」

「命は、簡単に産まれるものだと思われているかもしれないけれど、そんなに簡単なものじゃないんだなってことを痛感しました」

それこそ出産は、ひと昔前は命がけだった。
現代も、母親の体質や出産の環境によっては命がけだ。

母親は、自分の命をかけて、新しい命を産む。
だからこそ、どの命も重く、尊いものなのだと知った。

「学校の授業で教えてもらう性教育では、避妊とか性病とか、出産とか、性に関する要所しか触れていないと感じて」

「産婦人科で働きながら、性教育について学んでいくうちに、実際は、その人の “権利” が性を学ぶうえで一番大切なことだということを知りました」

「女性が、いつ子どもを産むか、何人産むか、あるいは子どもを産まないか、ちゃんと知識をもったうえで、自分で決定できる権利があるということを知るのがとっても大切なんです」

それこそが「人権」。
すべての人間がもっている権利だ。

「権利をもっていることを知ることも大事。だから、正しい知識を知ってもらうように働きかけをしなくちゃいけない」

「それが、自分の使命だと思ってます」

09 一人ひとりの悩みと向き合える場を

「子宮を取って男になってくる」

看護師として病院に勤めながら、性教育について学んでいくうちに、自分がすべきことが明確になっていく。

「もともと性教育を勉強する前に、児童虐待について勉強していて、思春期保険相談士という資格をとっていたんです」

「それで高橋幸子先生の包括的性教育の講義を受けたら、いままで自分が知っていた性教育とぜんぜん違う、学校の授業で教えてもらった内容と違う、と気づいて興味をもって、性教育についても勉強し始めました」

学びが深まると、自分が関わってきた患者の顔が浮かんでくる。
自分は、看護師として、患者の性と向き合うことができているのか。

「子宮の摘出手術を受ける患者さんを担当させていただいたことが何度もあったんですが、ひとりの患者さんに『手術をする日、子宮を取って男になってくるって家族に言ってきたんですよ』って言われて、なにも返せなくて・・・・・・」

患者さんの気持ちを汲み取ったうえで、性の問題に関して、フォローや言葉がけができていなかったと悔いた。

虐待にあった子どものケアも

「ほかにも、子どもがほしくて不妊治療をしていたけれど、子宮筋腫の症状が重く、子宮を摘出するほかないという診断となってしまった患者さんがいて・・・・・・すごく泣いていらっしゃいました」

子宮を摘出して妊娠・出産が望めなくなることを、その夫は受け止めきれておらず、患者も子どもはほしいが子宮筋腫の症状に耐えられないということで、長く苦しんでいたのだという。

「ずっと苦しい気持ちを旦那さんに言えなかったらしくて・・・・・・。泣きながら、『でも、いま、言えてよかった』と話してくださいました」

体のこと、特に性に関することは、身近な人にも話しにくい場合がある。

「そうして苦しんでいる人たちの話を聞ける場所を作りたい」

「自分自身もジェンダーのことで悩んでいたので、そういったことでも、同じように悩んでいる人がいたら役に立てる仕事をしたいです」

「それから、リストカットなど自傷行為をしている子どもや、児童虐待にあった子どものケアをしたいと思ってます」

もうひとつ。
女性ならでは病気に関する予防教室のような活動もしたい。

「働いている女性に多いのが、仕事や家事、子育てで、なんとなく不調を感じていても病院に行くタイミングが遅れてしまって、やっと受診したときには手術が必要になってしまうケース」

「実際に、働いていた病院でも、そうして子宮を摘出せざるを得なかった患者さんを見てきました」

「いまは望んでいなくても、いつか妊娠することを考えて、いまのうちからやっておいたほうがいいことなども伝えていきたいです」

10信頼できる人はきっと身近にいるから

母自身も虐待を受けていた

幼い頃から、母が父や交際相手から暴力を振るわれているのを見てきた。
そして、自分もきょうだいも、母から暴力を振るわれてきた。

『お前が言うことをきかないから悪い』と母は言う。

だから、このつらい状況は自分のせいだと思っていた。
自分を肯定することなんて、できなかった。

しかし、自身のジェンダー・セクシュアリティが明確になり、児童虐待について学び、産婦人科で多くの患者と接するなかで、明らかに変わった。

「自分がなぜリストカットをしてしまったのか、どうして自己肯定感が低かったのか、わかってきてからは、自分の考えも変わりました」

「あと、児童虐待について学んでいるときに、母自身も虐待を受けていたことを母から聞き、負の連鎖が続いているのだと知ったんです」

理由を知ることは、相手や自分を理解する助けとなる。

助けてくれた先生たちに御礼を

「LGBTERの記事を読んでいても、自分自身が肯定されているような気持ちになりました。みなさん、いろんな経験をされていて、それでも前向きに頑張っているっていう生き方に、すごい元気づけられたりもして」

「昔と比べたら、自己肯定感もだいぶ高くなってきたのかなって思います」

そんないまだからこそ、わけもわからず虐待を受け、自傷行為を繰り返し、ただただ苦しみに耐えていた自分に伝えたいことがある。

「信頼できる人は、身近にきっと・・・・・・いるからって・・・・・・」

涙を堪えながら、絞り出すようにして想いを語る。

「身近にいるから・・・・・・助けを求めていいんだよって伝えたいです」

いま一番叶えたい夢は、一人ひとりの悩みに向き合う “相談室” を作ること。

「起業して、やっていることを多くの人に知ってもらえるようになったら、ちゃんと、あのとき助けてくれた先生たちに御礼がしたいと思ってます」

 

あとがき
虐待は子どもの生きる力を奪う。真実さんの生活史は壮絶で、閉じ込めていた記憶があふれてしまわないか、とても心配になった。そして、生き抜いたからこそ出会うことができたとも・・・■見返りを求めない真実さんの気づかいは、届くメッセージからも伝わる。今度は、真実さんがあのときの “先生” になる。つらいおもいをしているみんなへ。助けが必要なときは、ためらわずに知らせてほしい。一緒になって考えて、力になれる大人もたくさんいるよ。LGBTERもそのひとりだからね。(編集部)

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