INTERVIEW
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高校生で「Xジェンダー」の私でも、世界は変えられる。【前編】

やわらかな秋の日差しが似合う今田恭太さんは、現役高校生。街中での撮影に照れる姿からは、年相応な初々しさが感じられたが、ひとたび話し始めると大人びた表情に。社会課題の解決に向けて活動し始めている今田さんも、数年前までは自分の性に迷い、もがいていたという。こうして公の場に出てきたのは、過去の自分と同じ悩みを抱える人の力になりたいから。

2020/01/29/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
今田 恭太 / Kyota Imada

2002年、静岡県生まれ。両親との3人家族で育ち、幼少期の頃から、男友だちより女友だちと遊ぶ方がしっくりきていた。5歳頃から自身のセクシュアリティに違和感を覚え始め、中学3年生の時に「東京レインボープライド」を知り、LGBTという言葉と出会う。現在、高校2年生。国内のさまざまなマイノリティを取り巻く環境を改善すべく、勉強中。

USERS LOVED LOVE IT! 20
INDEX
01 私は「インドア派な目立ちたがり」
02 友だちのほとんどは女の子
03 “女の子っぽい” 趣味と所作
04 想像できなかった「大人の自分」
05 トランスジェンダーというワード
==================(後編)========================
06 自分にフィットした「Xジェンダー」
07 当事者だから伝えていけること
08 世界は意外と簡単に変えられる
09 いち個人として輝ける社会を作るために
10 高校生の私の可能性

01私は「インドア派な目立ちたがり」

“普通” な3人家族

両親の趣味は、パラグライダー。

「父も母もアクティブで、前はよく家族でキャンプに行ってました」

「父は結構ゆるい感じで、母は真面目な人。なんでこの2人が出会ったんだろう? って思うくらい反対です」

家族3人のコミュニケーションは、活発な方だと思う。

「どちらかというと母と仲良しで、性格も似てると思います」

インドアな子ども

アウトドア派の両親に育てられたが、自分はインドア派。

「小さい頃から、ずっと家にいるタイプです。あやとりしたり、人形遊びしたり」

「どろんこ遊びとかサッカーをする気には、ならなかったですね」

明確な理由があったわけではないが、男の子向けのものには、興味が湧かなかった。

「5歳くらいからアニメの『プリキュア』が好きで、自分は女の子なのかも、って思った気がします」

「母が、毎晩読み聞かせをしてくれていたからか、本も好きになりました」

特に好きだった本は、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』。

田舎のちいさいおうち。その周辺の環境が、移り変わっていく様子を描いた作品だ。

「すごく色がきれいな絵本で、母に何度も『読んで読んで』って、お願いしてました」

「自分の意見を言う子」

インドア派だったからといって、おとなしかったわけではない。

「わめき散らしてるような子だったみたい(笑)。通知表には『自分の意見を言う子』って、書かれることが多かったです」

自分の意見を隠すことはせず、授業中も率先して発言する。

「評価される一方で、『人の話をよく聞きましょう』とも書かれてた気がします(苦笑)」

「あと、非常に忘れ物が多くて、よく注意されてました(苦笑)」

目立つことが好きだった自分は、学級委員に立候補。

「リーダーシップがあるかはわからないけど、みんなをまとめることは好きです」

「小学生までは勉強が得意というか、教科書を読めば理解できちゃったんで、成績は良かったです」

「でも、中学に進むと授業の難易度が上がって、勉強しないと追いつけなくなって、苦労しました(苦笑)」

02友だちのほとんどは女の子

気が合う相手

幼稚園に通っている頃から、友だちのほとんどは女の子。

「女の子の方が、気が合ったんですよね」

「わんぱくなカツオくんみたいな男の子たちとは、あまり馴染めなくて。今でも、友だちは女の子ばかりです」

そんな自分を見て、両親が何か言ってくるようなことはない。

「母はずっと気になってたみたいですけど、深掘りしてこようとはしなかったです」

女の子たちから「男子はあっち行って」と、拒否されることもない。

「今も昔も、女友だちとして扱われてる感じです」

「その方が心地良かったし、私自身もなんとも思ってなかったですね」

女友だちと他愛のない会話で盛り上がる。そんな日常が、当たり前。

嫌がらせの言葉

男女で一緒に遊んでいたからといって、「つき合ってるのか?」と冷やかされるようなことはなかった。

一方で、「オカマ」と言われることは、決して少なくない。

「幼稚園児の頃から一人称が『私』で、所作も女の子っぽかったからかな」

「男の子たちからの『オカマ』って言葉には、明確な悪意があったと思います」

「でも、言葉以上のいじめにつながることはなくて、嫌がらせ程度でした」

いじめに発展しなかったのは、自分のリアクションのせいかもしれない。

「『オカマ』って言われると、口の前に手が出ちゃう子だったんです(苦笑)」

「私はあまり覚えてないんだけど、親から『よく手が出る子だった』って、言われました」

幼稚園から小学校にかけては、武力で嫌がらせを制圧してきた。

「今でも、たまに『オカマ』って、茶化されますよ」

03 “女の子っぽい” 趣味と所作

女の子向けのスニーカー

「女の子っぽい所作は、意図してやってました」

「脚を開いて座る気にならなかったし、女の子っぽい方がしっくりきたんです」

ランドセルの色も、黒は嫌だった。

「赤がいいわけではないけど、『男の子は黒』って、決まってることが嫌でした」

ある日帰宅すると、祖父からの入学祝いとして、黒いランドセルが届いていた。

せっかく贈ってもらったのだからと、口にはしなかったが、本当は、青いランドセルを背負いたかった。

小学生になってから、母とスニーカーを買いに行った時のこと。

「子どものスニーカーって、男の子向けと女の子向けで、デザインに差があるじゃないですか」

「私は、女の子向けのキラキラ光るスニーカーを持って、『これが欲しい』って、母に言ったんです」

母から「それだけはやめて」と、言われる。

「なんで? って疑問だったけど、母が持ってきた男の子向けのスニーカーにしました」

『プリキュア』を見ることも人形遊びも、母に止められるようなことなかった。

初めて性別に関することで、指摘を受けたのだ。

「今思えば、その時がセクシュアリティの気づきの第一歩だったのかもしれないです」

憧れに過ぎない夢

「小学6年生までは、自分は女の子なんだ、って思ってました」

好きなものや所作を総合すると、その結論に行きついた。
だからといって、スカートがはきたいわけではない。

「黒と赤があれば、赤を選ぶ。そのくらいの感覚でした」

その頃に思い描いていた夢は、キャビンアテンダント(CA)。

「毎年、母の故郷の北海道に行くために、飛行機に乗ってたんですよ」

「一度、空港で迷子になっちゃったことがあって、その時にすごくやさしく助けてもらったんです」

「正確にはグランドスタッフの方だったと思うけど、その時は、CAさんってステキだな、って憧れました」

しかし、日本の航空会社のCAは、女性ばかり。

男の子として扱われる自分がCAになる姿は、想像できなかった。

「夢はあったけど、なれると思ってはいなかったです」

04想像できなかった「大人の自分」

危険回避のための受験

小学6年生で、地元の私立中学を受験する。
両親が薦めてくれた学校だった。

「その頃は知らなかったんですけど、私がいじめにあわないように、両親は受験を勧めてくれたみたいです」

地元の公立校の生徒たちが荒れていることは、よく知られていた。

両親は、所作が女の子っぽい我が子がいじめられるのではないか、と危惧したようだ。

「私は公立校の学ランが着たくなかったから、ブレザーの私立ならちょうどいいや、って軽い気持ちで受験しました(笑)」

無事に、志望していた中高一貫校に合格。

「中学に進んで、同級生が変わっても、私を異質な存在として捉える人はいました」

「『オカマ』って茶化されることは減ったけど、こっちを見てコソコソ話をしてる、みたいなことは多々あります」

男の子っぽい振る舞い

中学生になると、第二次性徴が始まり、体つきが変わってくる。

「私は声変わりが早い方で、中学2年生くらいで低くなったんです」

「1年生の合唱発表会ではソプラノが歌えたのに、2年でテノールやバスになってしまって、ショックでした」

声変わりしたことで、自分が男である現実を突きつけられた気がした。

「高い方がよかったな・・・・・・って思いました」

女の子なのか男の子なのか、よくわからない自分は、生物の理に反している気がしてしまう。

「どんな生物も、最終目標は子どもを産むことだと考えると、自分はいちゃいけない人なんじゃないかって・・・・・・」

「だから、大人になっていく自分の姿は、想像できなかったですね。男の子になるしかないんだ、って思うようになりました」

持ち物を黒いものに変え、一人称を「僕」や「俺」にし、脚を開いて座るようにした。

友だちやクラスメイトからは「不自然だ」と、言われる。

「所作が女の子っぽくても、男の子っぽくしてみてもダメで、周りが何を求めてるかわからなかったです」

「男の子っぽい振る舞いは半年ぐらい努力して続けたけど、嫌だな、って思いました」

「中学2年生ぐらいは、自分の性別って何なんだろう、って深く考えてましたね」

同世代の子たちが、性別という分類で明確に分かれていく中、自分だけが変な存在なのだと思ってしまう。

性同一性 “障害”

テレビでは、オネエタレントといわれる人がたくさん活躍していた。

メディアの情報で「性同一性障害」という言葉は知っていたが、「障害」という部分にネガティブなイメージを抱いてしまう。

「クラスメイトから『性同一性障害』って、冷やかされたこともありました」

「その頃は、病気ってイメージが強かったから、自分も病気なのかな、って思ってましたね」

中学3年生の時、何気なく見ていたニュース番組で、「東京レインボープライド」が取り上げられていた。

自分らしく生きている人たちの姿から、目が離せなかった。

05トランスジェンダーというワード

自分を形容できる言葉

テレビの画面越しに見た「東京レインボープライド」は、輝いて見えた。

「華やかに自分らしく生きてる『性同一性障害』の方を見て、私は1人じゃないんだ、って感じたんです」

そのニュースを通じて、「LGBT」という言葉を知る。

「LGBTってなんだろう、と思って調べていくうちに、当事者の方の事例が出てきたんです」

「自分らしく生きてる人ばかりで、その姿を見て、かっこいいな、って思いました」

「私自身のことは、トランスジェンダー(MTF)なんだと感じました」

男の子らしい振る舞いが嫌だと感じたのは、トランスジェンダーだからだと気づく。

「一人称が『私』の私こそ自分らしいんだ、って自信が持てたんです」

「『恭太の所作は女っぽい』って、言われてきたけど、それでもいいんだって」

「『性同一性障害』も、決して病気でも障害でもないんだってわかって、安心しました」

トランスジェンダーという枠組みを知ったことで、一気に気持ちが軽くなる。

「自分の性に関して思い詰めてたけど、心がすごく軽くなりました」

「自分を形容できる言葉が見つかって、ホッとした部分も大きいです」

トランスジェンダーであってゲイではない

「東京レインボープライド」の存在を知り、LGBTに関する知識も増えていく。

しかし、塞いでいた気持ちや自分の性に関して、人に話すことはなかった。

「まだ、偏見が怖かったですね」

「当時は、LGBTって言葉を知ってる人もまだ少なかったから、相談できる人もいなくて」

「でも、心は軽かったから、話せなくて落ち込むことはなかったです」

そして、自分自身も偏見を持っていることに気づく。

「自分はトランスジェンダーであって、ゲイではない、って思ったんです」

「その理由は、ゲイという表現に、あまりいいイメージを持っていなかったから」

当時、ネット上では、ゲイ向けAVのひとコマが笑えるネタとして扱われていた。

「そのイメージが強くていい印象を抱けなかったし、認めたくない、って気持ちもありました」

中学生の間、男の子が気になったが、トランスジェンダーだからだと結論づけた。

胸を張っている人たち

輝いて見えた「東京レインボープライド」に参加するため、中学3年の時、東京を訪れる。

「テレビでは数秒しか会場が映らなかったから、初めて参加した時は、本当にこんなに私と同じ人がいるんだ、って安心感がありました」

「LGBT当事者の方とも、たくさん話しました。この場にいて、堂々としている姿に、勇気づけられましたね」

派手な服装で胸を張って歩いている人、男性同士で手をつなぐカップル、さまざまな人たちを目の当たりにした。

「この場にいる人たちは、自分に自信を持っている感じがして、心があったかくなりました」

現地に来て、新たに知れたこともある。

「『東京レインボープライド』にはアライの方もたくさん参加されていて、応援してくれる人がいることを知りました」

当事者が集まる場を直接見て、肌で感じたことで、さらに自分自身を受け入れられた。

「今は、自分のセクシュアリティに関して悩むことはないです」

 

<<<後編 2020/02/01/Sat>>>
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06 自分にフィットした「Xジェンダー」
07 当事者だから伝えていけること
08 世界は意外と簡単に変えられる
09 いち個人として輝ける社会を作るために
10 高校生の私の可能性

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