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レズビアン2人の子育ては、子を守り育てるだけじゃない。大切な家族だからこそ “もしも” を考える【後編】

レズビアン2人の子育ては、子を守り育てるだけじゃない。大切な家族だからこそ “もしも” を考える【前編】はこちら

2025/04/20/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
大関 久美子 / Kumiko Ozeki

1988年、神奈川県生まれ。子どもの頃から、恋愛に興味がもてない自分に疑問を感じていたが、大人になってからレズビアンの世界を知り、自分もそうであると自認。男女の恋愛に興味がもてなかった理由を理解した。就職後は美容業界と介護業界を経て、不動産業界へ。現在は女性パートナーと子育てをしながら、LGBTQ当事者による当事者のための士業&議員のグループ「by for the rainbow」の代表を務める。

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INDEX
01 大好きな母「弱者を守りたい」
02 恋愛に向いてないタイプ
03 人の最期に生きかたが見える
04 レズビアンという “パンドラの箱”
05 女性カップルも子どもをつくれる
==================(後編)========================
06 不動産販売の最前線で
07 母に孫の顔を見せてあげたい
08 ありのままの自分で子どもを愛すこと
09 家族を守る姿勢が同性婚の実現に
10 「ママが2人もいて、いいね!」

06不動産販売の最前線で

カミングアウトできる環境ではない

「最初はなにもわからないので、不動産業界に入ってからは、マンション販売の仕事中はもちろん、休みの日も、とにかく勉強してました」

入社して1年は、試験勉強中と同じように「遊びに誘わないで」状態。

他社のマンションの営業を受けてみたり、勉強会やセミナーに出席したりして、とにかく知識と経験を増やすために努力を重ねた。

「社内で尊敬できるかたを見つけて、その営業スタイルを真似ていくことから始めて、いろんな人の接客を受け続けて学びました」

「その甲斐あってか、2年目からは営業成績がグッと伸びて・・・・・・うれしかったですね。向いてる、って言ってくださった先輩に感謝です!」

成果が見える仕事はやりがいもはっきりと感じられ、仕事は楽しかった。
しかし、ときに息苦しさを感じることもあった。

「不動産業界って、なんというか体質として古いところがあって」

「とてもカミングアウトできるような環境ではなかったんです」

とはいえ、介護業界にいた頃からクローゼットで生きており、職場でカミングアウトするつもりは初めからなかった。

「むしろ、言いたくない。仕事中の自分と、レズビアンの世界にいる自分と、オンオフをはっきり分けておきたいと思ってました」

「周りには彼氏がいると思われていたので、そのままにしておいて、『結婚しないの?』ってきかれても『うーん、結婚というかたちにこだわっていないので』なんて適当に答えてました(苦笑)」

そんななか、母がスキルス胃がんを発症する。

がんになっても活動をやめない

「母は9年前に乳がんになり、全摘手術(乳房切除術)をしてしばらくはなにもなかったんですが、今後はスキルス胃がんになってしまったんです。それもステージ4・・・・・・」

「それで胃を摘出して、闘病しながらも元気に生活していたんですが、次に腹膜に転移しているのが見つかって・・・・・・腸が詰まってしまったからストーマ(人工肛門)を着けることになって・・・・・・」

次から次へと襲いくる病魔と、母は懸命に闘った。

「母はマグロみたいな人で、自分でもよく『止まったら死ぬ』って言ってましたが、誰かのためになにかしたくて、もうじっとしていられないんですよ」

「自分ががんになっても、同じくがんになった人に向けて発信する活動をしたりとか、知り合いのバーが閉店するって聞いて『そこをみんなの歌広場にする』ってスナックを始めたりとか。歌うと元気になるからって」

「・・・・・・闘病中ですよ?(苦笑)」

スキルス胃がんを発症してから約2年。
たくましく生きている母をみて、「大丈夫」と思っていた。

しかしある日、食事を詰まらせて、救急車で運ばれた。

「苦しそうな母を見たのは初めてでした。もしかしたら、本当に死んでしまうかも、と思ってしまって・・・・・・」

「女の子同士でも子どもをつくれる」という母の言葉が頭をよぎった。

07母に孫の顔を見せてあげたい

がんばって生きて

「余命半年って言われたんです」

「母は笑って『大丈夫、まだまだ生きるから』とか言うんですが、こっちは焦っちゃって・・・・・・」

「自分の人生なんだから好きに生きていいよとか、レズビアンである私を肯定してくれた母に対して、私はまだなにもしてあげられてないのに」

そこで思い出したのが「子育てしてほしい」という母の言葉だった。

「母の病室にいるときに決心して、言いました」

子ども、つくるからさ。
孫の顔、見たいでしょ?
がんばって生きてよ。

「うん、がんばるね」と母は答えた。

それからすぐ、パートナーに子どもをつくることについて相談してみた。

「たまたまパートナーも、子どもをつくりたかったと言ってくれたんですが、その妊活中に、その子とはうまくいかなくなって、別れてしまって」

精子提供を受けて、ひとりで産んで、育てるしかないか・・・。
もう時間がない。

そんなときに出会ったのが、現在のパートナーだった。

友情結婚と流産

「もともとパートナーは子育て願望はなかったんですが、私に『付き合いたい』と言ってくれたときに、母がこういう状況で、早く子どもがほしくて、選択的シングルマザーになるしかないとも思っていて、と話してみました」

「そしたら、いろいろと考えてくれたみたいで、私の夢を一緒に叶えたい、子どもをつくろうって言ってくれたんです」

子どもをつくる方法は、ふたりで何度も考えた。
さまざまな選択肢を繰り返し精査した。

その結果、男性と友情結婚するという選択肢を選んだ。

「友情だろうが愛情だろうが夫婦は夫婦なので、家を買って一緒に住んでいたんですが、住み始めてすぐにコロナ禍が始まって、不安と不満が募っていくなかで、私は妊娠して・・・・・・でも流産してしまったんです」

「稽留(けいりゅう)流産だったので、手術しないままでいると、いつ出血するかわからないと医師から言われて、気をつけようにもどう気をつけたらいいのかわからないし、いつ来るかわからない痛みと出血に怯えて過ごしました」

「そうした負担は、すべて女性が受けるんですよね・・・・・・」

流産をきっかけに、不安定になっていた夫婦関係は破綻。
友情婚をした男性とは離婚を決断する。

08ありのままの自分で子どもを愛すること

ふつうを求めて無理をするよりも

離婚を経て、強く心に誓った。

“ふつう” を装って、生きることをやめよう、と。

「結婚したとき、安心したんですよ」

「ああもう会社で誰かに『結婚しないの?』とか言われなくて済む、って」

「社会的に “ふつう” に生きられるって思ったんです」

子どもにも、父親がいたほういいと思っていた。
“ふつう” の環境を子どもに与えてあげたい。

しかし、うまくいかなかった。

“ふつう” を求めて無理をしている家庭より、愛し合う2人に育てられたほうが、子どもにとっても幸せなのではないか。

「離婚したあとは、パートナーと私で子育てをしようと決めました。ありのままの自分で、ありのまま子どもを愛したいと思ったんです」

協力してくれる男性とは何十人も面接をして、出会うことができた。
ひとりの人間として、とても尊敬できる男性だ。

「すごいことにすぐ妊娠したんですよ。導かれるものがあったのかも」

しかし世の中はコロナ禍のまっただなか。

医師からは、もしもコロナにかかったら、帝王切開で産まなければならず、出産後は隔離されるため、2カ月は子どもに会えないと説明を受けた。

「なにがあっても応援してる」

「ただでさえ、流産した経験があったので、おなかの子がちゃんと育っているかどうか、毎日すごい怖かったし、『生きてるかな、生きてるかな』って検診のたびにビクビクしてました」

「なにより、母の弱っていく姿も見ていて・・・・・・。もう絶対に流産したくない、この子を無事に出産したいというおもいが強くて」

産休を待たず、仕事を辞めた。

「仕事はいつでも再開できるけど、命を守るのはいましかないと思ったので」

そして臨月。
予定日まであと22日というところで、母が最期を迎える。

「当時は、県をまたぐ移動ができなかったんですね・・・・・・。私は東京にいたので、実家のある神奈川までは行けなくて」

「最期のときは、ビデオ通話でつないでもらって」

子どもの名前はすでに決めて、母に伝えてあった。

「母は、子どもの名前と私とパートナーの名前を呼んで『なにがあっても、応援してるから、がんばって』と言って、息を引き取りました」

葬儀には、兄が車で送り迎えをしてくれて参列することができた。
しかし、ほとんどなにも覚えていないほど、悲しく、つらかった。

「あと少しで、孫の顔を見せてあげられたのに、と悔しい気持ちもありましたが、子どもが無事に生まれてきたおかげで、悲しさから少しずつ、気持ちを切り替えていくことができました」

気持ちと同時に、働き方も切り替えた。

再就職の際には、女性パートナーと子育てしていることを一部の人へ伝えた。

09家族を守る姿勢が同性婚の実現に

遺言書を準備しておくことはマスト

再就職は再び不動産業界へ。
相続や事故物件を主に取り扱い、社会課題解決に取り組んでいる企業だ。

「やはり相続って、家族同士で揉めてしまうんですよ。トラブルにならず、仲がいいままの家族はむしろラッキーなほどで・・・・・・」

仕事で相続トラブルを目にするたびに、不安が募る。

「私たちは、出産を前に仕事を辞めたときにパートナーと養子縁組をして、法的にも家族となり、相続に関して準備をしています」

そうした準備ができていない同性カップルが多いように感じられ、なにかあったときや将来、子どもたちが困らないか心配になる。

いま子どもを育てている同性カップルは増加傾向にある。
愛し合う2人のあいだに命が育まれること自体は、喜ばしいことだろう。

しかし “もしも” の不安が拭えない。

「準備をしておかないと、たとえば同性カップルのどちらかが亡くなったとき、夫婦であれば当たり前に得られるものも得られません」

「それどころか、出産していないパートナーが残されたのであれば、子どもにとって他人となってしまい、完全に孤立してしまう可能性もあります」

「せめて遺言書を準備しておくことはマストだと思います」

すべては子どものために

2025年2月に「特定生殖補助医療法案」が参議院に提出されたことで、同性カップルや事実婚、シングルマザーが体外受精などの生殖補助医療を受けられなくなってしまうだろうと報じられた。

「同性婚が日本で認められれば、同性カップルも問題なく生殖補助医療が受けられるんですが、いまはまだ認められていません」

「でもそれは、LGBTQを排除しようとしているわけではないと、私は思うんです」

「この法案も、もともとは子どもの出自を知る権利を守るために考えられたものですし、決して排除とか制限とかって話ではないと思います」

すべては、子どもが不自由なく生きられるように。

それは誰もが願っているはずだ。

「子どもが困らないように、子どもがさみしいおもいをしないように、親は、いまの日本でできる最大限のことをして、子どもを育てていかなければ」

「私たちのような同性カップルは、同性婚が認められていないぶん困難が多いけれども、それを乗り越えて、なにかあったときのために準備をして、子どもを育てているんだということを伝えていきたいです」

同性婚や同性同士の子育てに対して、否定的な人たちと闘うのではなく、自分たちがどれほど家族をおもい、大切に子どもを育てているのか、その愛を見せる。

そうしていくことで、同性婚法制化につながるのではないか。

代表を務める「by for the rainbow」は、同性パートナーや子どもとの関係を法的に守るための方法を提案し、準備などをサポートする。

議員、税理士、宅地建物取引士、相続診断士、保育士など所属しているプロはみなLGBTQ当事者なので、カミングアウト不要で気軽に相談できる。

10「ママが2人もいて、いいね!」

子どもを産んだこと、今の幸せのカタチを1ミリも否定したくない

もうすぐ4歳になる子ども。

「周りの、子どものいるレズビアンのカップルによると、『なんでうちはパパがいないの?』『なんでママが2人なの?』とかきかれるみたいで、私たちも答える準備をしてるんですが、まだまったくきかれません(笑)」

「子どもの気持ちを尊重したいので、子どもからきかれるまでは、こちらからはなにも言いません。きかれたら、すべて答えようと思ってます」

子どもが通う保育園の保護者たちには、同性カップルであることを伝えていたりいなかったり。

「嘘はつきたくないので、きかれたら伝えますが、なにもきかずに私たちと接してくださるかたもいらっしゃいます」

伝えた相手が、LGBTQに対して否定的な人だったら。
アウティングなど、子どもにも影響があるかもしれないと思うと、どう伝えるかを悩むこともある。

「私たちが嘘はつきたくないと考えていても、子どもの人生は子どもの人生なので、その考えを押し付けることはできません」

「でも、私が子どもを産み、育てようと思ったこと、この道を選んだことを1ミリも否定したくないって思うんです」

否定したくない。
幸せのカタチは人それぞれだから。

いまが一番幸せ

「都民共済に入ったときに窓口で『ママが2人なんて、すごくいいなぁ』と言っていただけたこともありますし、友だちも『ママが2人だと、家事も育児も仕事もしやすくていいね』って言ってます」

健やかに成長する子どもの姿を見るにつけ、亡き母の存在を強く感じる。

「子どもを通して、母が見ていた景色を見ている気持ちです」

どんなふうに子育てをしていたのか、母にききたくても、きけない。
しかし、そのおもいを感じることはできる。

「本当に、子どもがいてよかったと思ってます」

「いまの自分になれてよかった」

「母と、パートナーと子どものおかげですね」

オープンに、ありのままで、生きるいまが一番幸せだ。

「いろんなことがあって、そのときはそれが100%正しいと信じて生きてきましたけど、考えは変わっていくし、自分が変わることで、見える世界も変わってくると思うんです」

「いまのままで生きる必要はないし、望むのであれば、どんどん変わっていけるし、変わっていった先に幸せがあるかもしれない」

「自分が変わっていけば、世の中も変わっていく。本当に、そう思います」

 

あとがき
まわりの人を巻き込み、その人のタイミングに最良のサポートをしようと尽くしている。困難な状況もエネルギーに変えていける大関さん。目元が緩んだのは、生育家族の話、いまの家族の話になったとき■好きな人が同性という理由で、ともに歩む人生を諦めない。シスジェンダーではないという理由で、子どもと生きる人生を諦めない・・・。LGBTERに届けてもらったたくさんの声。「明るく前向きに世の中を変えていきたい」。大関さんの言葉も本気だ。(編集部)

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