02 女の子のことが、好き?
03 映画のような大恋愛をして
04 そうか、自分は男だったんだ
05 嘘をついていたくない
==================(後編)========================
06 母の思い
07 俺は男だ、わかってくれ!
08 マイノリティだからこそ面白い
09 性別って、何だろう?
10 生き方は、”何でもあり”
06母の思い
振り袖だけは着てほしい
「でも、いくらわが子でも100%理解する、なんて無理ですよね。その後も、僕のセクシュアリティをめぐって母親とは何回か衝突しました」
そのうちの一つが、成人式の振り袖問題だった。
「僕は、振り袖なんて着たくなかった。かといって、スーツ姿で成人式に出席するのも嫌でした」
「スーツを着ていてもかつての男友達は『染谷は女だ』と見るだろうし、女友達も僕のことを同性と見るだろう。そんな彼らに対して、いや、自分は男なんだ、と説明するのが、その時はすごく面倒に思えてしまって」
「成人式には出ない。振り袖も着ない」と言うと、母親はひどくがっかりした。
「それなら、せめて振り袖姿の写真を」と懇願された。「それをおばあちゃんに贈って、安心させたい」と。
他人に髪の毛を触られたり、着付けの時に体を触れるのが嫌だ、というのも振り袖を着たくない理由の一つだった。
だが、ありがたいことに親しい友だちとそのお母さんがメイクと着付けをしてくれることに。写真は、自宅で撮った。
つくづく自分は友達に恵まれていると思ったのが、この後だ。
中高と一緒で、すべての事情を知っている仲良しの女の子二人が、成人式の帰りに「梢の母ちゃんに振り袖姿を見せたいから」と家に寄ってくれた。
「母ちゃん、見せに来たよー、って。母親はすごく喜んで、二人と一緒に写真に収まってました。幸せそうでした」
変わっていく姿を見るのがつらい
二つ目の大きな衝突は、成人式のあと。
「ホルモン治療を始めようと思う」と、伝えた時だ。
「え、本気なの?って。母親は、そこまで深刻な問題だとは思っていなかったというか、わが子のセクシュアリティはやがて治る、と思っていたんでしょう。それ(ホルモン治療)をやらなくても、どうにかならないの? って」
セクシュアリティについて、母親に正確に理解してもらおうと、あらためて説明をした。
「その時、母親がこう言ったんです。何年かぶりに会って、あんたが男になっていたというのなら、まだいい。でも、あんたがだんだん男の子に変わっていく様子を間近で見るのは耐えられない、と」
「母親のそういう気持ちは想像したことがなかったので、衝撃を受けました」
自分が男であることは間違いないから、やっぱり治療は受けたい。
となると、別々に暮らしたほうがお互いに幸せなのだろう。
だが、その時はまだ一人暮らしができるだけの経済力がなく、しばらくは母親と一緒に暮らしていた。
「今は、母もすべてを受け入れてくれて仲良しですが、当時は反抗的な態度をとったり、つらい思いをさせてしまいました」
07俺は男だ、わかってくれ!
受け入れてくれる場所があった
話が前後するが、高校卒業後は専門学校へ進んだ。
制服から解放され、頭の上に乗っていた重たい石が一つなくなったような気がした。
それも、心と体を早く一致させたいという気持ちが強まる一因だったかもしれない。
専門学校時代、また大きなターニングポイントが訪れた。
アルバイト先で、今の自分の生き方につながる大きな出会いに恵まれたのだ。
「当時はまだ、ホルモン治療を受けていなかったので、見かけはただのボーイッシュな女の子」
「でも、自分では女の子として扱われるのが嫌で、そんな気持ちを受け入れてもらえるようなバイト先を探していたんです」
求人雑誌を見て探していると、「男性でも長髪、ひげOK。個性を爆発させろ!」と書かれている飲食店の求人広告が目に留まった。
「この会社なら僕も受け入れてもらえる。いや、これは僕を呼んでいるんだと勝手に解釈して(笑)」
「連絡をしたら、残念ながら応募期限が過ぎていて。そこで、次に募集がかかったときに応募したんです」
問題は、履歴書だった。
性別欄をどうするか、だ。
自分は、女ではないけれど完全に男になったわけでもなかったから、性別欄の女性にも男性にも丸をつけず持っていき、面接に臨むことに。
「その時、店長は性別欄についてはとくに触れなかったものの、話の流れの中で『恋人、いるの?』と聞くんです」
「僕は、ここで隠してもしょうながないというか、隠さなくでも大丈夫だと期待してこの会社を選んだのだからと、『実は、女性とつきあっていて、自分を男だと思っている』と正直に話しました」
すると店長、「だったら、男やん」と言って、履歴書の性別欄の「男」に丸をつけてくれた。
「感動しました。ああ、自分を受け入れてくれる場所があるんだ、って」
”男らしさ” に固執していた
採用が決まり、アルバイトを始めることに。
「どうする?周りに言うか?」「自分で言いたいなら、言えばいいよ」と言ってくれた。
そこで、歓迎会の席で社員とアルバイト仲間に、自分はFTMであることを話した。
「みなさん、『へー、そうなんだ』という反応で、とくに拒否感を示されるわけでもなく」
「僕としては一応、緊張していたのでちょっと拍子抜けしてしまったけど、社会に一歩出たところでそんなふうに周囲から受け入れてもらえたことは、ものすごくありがたかった」
ただ、店を訪れるお客さんは当然、事情を知らないから、「ボーイッシュな女の子」として扱われる。
また、理解してくれているはずの店長も、やはり自分のことを男として扱ってくれていない、と感じることがしばしばあった。
「自分を男として扱ってください」と抗議しても、店長はわかってくれない。
「こんなはずじゃなかったと、暗い気持ちになっていきましたね」
「俺は男だ、どうしてわかってくれないんだと思えば思うほど、お客さんや社長の態度に過敏になって、ますます落ち込む。そんな毎日でした」
しかしやがて、店長のそうした態度は自分のことを思っての、”愛のいじり” だったと知ることになる。
08マイノリティだからこそ面白い
人と違うこと= おもしろポイント
ある日、例によって店長から、セクシュアリティをおちょくるようなことを言われて、「やめてください!」とムキになった。
「そうしたら、店長が言うんです。おまえな、それは自分のおもしろポイントなんだから、自らネタにしてあっけらかんとしていたほうがいいぞ、って」
「おまえが男だということは事実なんだから、人に女性に見られたとしても気にすることはないじゃないか、とも言われました」
実は、自分でもそう思ってはいたのだ。
女性の体で生まれたけれど、心は男だった。
それは誰のせいでもないし、誰も悪くない。
それでも、何かもやもやした気持ちがあった。
セクシュアリティのことが気になり、小中学校時代にくらべるとずいぶん消極的になってしまった。
自分でも気がつかないうちに自分の周りに殻を作ってしまっていたのかもしれない。
「店長には、それが見えていたんでしょうね」
「その殻を破れば、おまえは強くなる。人と違うことは武器になるんだということに、早く気がつけ。そういうつもりで、あえて僕をからかったのだと思います」
マイナスをプラスに変えられるのは自分だけ
見回せば、店長は自分に限らず他の人たちにも ”愛あるいじり” をしていた。
それがわかってからは、自分でも「いじられる天才なのか?」と思うくらい、店長のからかいを受けて立った。
「からかいを、どう切り返すか。それを考えて工夫することは、マイナスポイントをおもしろポイントとして周りにアピールする、いい訓練になりました」
そのうち、他人にどう見られようが自分は自分と、周りの目もあまり気にならなくなった。
「俺は男だ、どうしてわかってくれない!と思っていたのは、もしかすると自分自身がいちばん現実を受け入れられないでいる、その裏返しだったのかも」
「だから、店長にいじられると過剰に反応してしまったような気がします」
LGBTに限らず、多くの人はマイノリティに対して、腫れ物にさわるように接しがちだ。
「それは、差別されるよりはもちろんいいけれど、たとえば僕は、他の人と同じように普通に接してもらいたい。そう思うあまりに、あの人にこう言われた、こう扱われたと気にしてしまうんですよね」
「でも、店長があえていじってくれたおかげで鍛えられました(笑)。殻を破る力がついて、自分と向き合うことができるようになったら、すごく楽になったんです」
マイナスをプラスに変える心のゆとりもでき、周りの人ともリラックスしてつき合えるようになった。
09性別って、何だろう?
新たな気づき
きちんと自分と向き合ったことで、長い間、頭の隅に追いやっていた疑問を取り出して、答えを見つけることもできた。
「僕は、男性にも惹かれるバイセクシュアルだったんです」
中3からつき合っていた彼女のことがあまりにも好きすぎて、それまでの「男の子のことを好き」という気持ちは恋愛ではなかったんだ、と思い込んでいた。
さらに自分がFTMだとわかってからは、「恋愛対象は女の子」というのがFTMのマジョリティだから自分もそうなのだ、男性に惹かれるはずがないと。
でも、目をそらさずに心の中をきちんと見つめてみると、そこには男性にも恋愛感情を持つ自分がいたのだ。
「バイセクシュアルにも様々な方がいらっしゃるけれど、僕の場合、実際に好きになるのは女性であることが多い。でも、男性を好きだったこともあるので、あえて限定しないといった感じでしょうか」
「マジョリティかマイノリティかは、関係ない。大切なのは、自分自身がどう思うか、という事実だけなんですよね」
「FTオネエ」!?
新宿二丁目のバーで働いていたことがある。
そこは、セクシュアルフリーだったが比較的ゲイの方も多く集まるお店で、いわゆる ”オネエ口調” が飛び交っていた。
「僕、人にすごく影響されやすいから、それがうつっちゃって、言葉とかしぐさとかが、変に女性的になってしまって」
「そうしたらゲイの方が、『あんた何よ、ただの女じゃん』と言われてしまって(笑)」
生まれた時の体は女だけど、心は、そして見かけも男っぽい。なのに、口から出るのは女ことば・・・・・・。
「ホントにややこしい、と自分でも思います」
「ある人から言われました。『あんたは、FTオネエね』って(笑)」
ようは、どこのセクシュアリティに属しているのかよくわからない、ということだ。
人によっては、自分の所属先が「ここ」と定まらないと落ち着かない、あるいは定まらないことによって苦しんだりする。
「でも僕は、どこに属するのかわからない、マルチプレーヤーみたいな自分がけっこう気に入っているんです」
「それこそ、人とは違う武器になるかもしれないじゃないですか」
と考えると、「性別って何だろう、何のためにあるのだろう」と思う。
その答えは、まだ見つかっていない。
10生き方は、”何でもあり”
戸籍にも、こだわりはない
昨年、乳腺摘出手術を受けた。
より自分らしくなった気がして、うれしい。
手術を受けてよかったと、心から思っている。
でも、それ以上のことをする必要性を、いまは感じていない。
「子宮と卵巣を取るには、やっぱりリスクが伴います。そのリスクを冒してまで手術を受ける必要が、はたしてあるのか」
「とてもむずかしい問題で、いまの僕には手術を前向きには考えられないんです」
性別適合手術を受けなければ、戸籍上も男性にはなれない。
「でも、僕は個人的には結婚という形にこだわっていないので、どうしても戸籍を変えたいという強い気持ちもないんです」
「もちろん、この先、女性のパートナーができて、彼女が僕との関係においてどうしても結婚という形を取りたい、と言ったらあらためて考え直してもいいかな、とは思っていますけど」
LGBTという言葉も、なくなればいい
最近、よく思うことがある。
「生き方は、何でもあり」ということだ。
「たとえば、LGBTというのは性的マイノリティの総称で、実際にはそれぞれきちんとカテゴライズされていると、一般的には考えられていますよね」
「でも、僕がBでもTでもあるように、2つのセクシュアリティを持っている人もいます。また、LGBT以外のセクシュアリティの人もたくさんいる。それを考えると、カテゴライズに何の意味があるんだろう、と思ったりするんです」
マジョリティとマイノリティ、と分けなくたっていいんじゃないか。
ただ、とくに「L・G・B・T」以外のセクシュアリティの場合は、その実態はおろか言葉さえ知らない人が、この国にはまだまだたくさんいる。
「だから僕としては、まずはLGBTの存在を広く世の中の人に知ってもらい理解してもらうために、『LGBT』とか『性的マイノリティ』という言葉を使っているだけ」
「将来的にはそういった言葉を使う必要がなくなればいいと思っています。カテゴライズすることに、あまり意味を感じないから」
カテゴライズによって、都合がよくなることもあるだろう。
でも、カテゴライズされて一つの集団ができると、その中でまた差別が生まれかねない。
「LGBTの中でも、同じセクシュアリティの間でも、差別が起こりがちです。たとえば僕のことも、『FTMなのにバイセクシュアルだなんて、にせものだ』と思っている人はいるんじゃないでしょうか」
また、性的マイノリティがマジョリティを差別する、という場面に遭遇したこともある。
「違いを認めてほしいと願いながらも、人間ってどうしても人のこと、自分と違うことが気になるものなんですね(笑)」
「気になる」というのは、必ずしもきれいな感情ではなく、ひがみだったり嫉妬だったりもする。
「僕もいまだに色々悩んだり、葛藤があったりします。最近は、セクシュアリティのことよりも自分の不得手なことへの劣等感とかを、ことさらネガティブにとらえてしまったり」
誰しもコンプレックスや触れられたくないことがあるのではないか、と思う。
「セクシュアリティだけでなく様々なマイノリティ、色々な人がいて当たり前。逆に、当たり前のことなんて何ひとつないと思うんです」
以前、読んだマンガにこんなことが描かれていた。
ーー人間がおにぎりだとすると、その人のいいところ、おいしいところが「具」。それが背中のほうにあるから他人からはよく見えるけれど、自分には見えにくいーー
「みんなそれぞれ違った ”おいしい具” を持っている。それをお互いに『違うね。それでいいよね』『何でもありだよね』と認め合うことができたら・・・・・・」
枠を越えてフラットな関係になれたら、誰もが自分らしくいられる生きやすい世の中になるような気がする。
「僕もまだまだ、自分の「具」を探しています(笑)」