02 イケメン先生の“富士山”
03 やると決めたら、絶対やる!
04 初体験のあとの罪悪感
05 世界の中心でゲイを叫ぶ
==================(後編)========================
06 父親に「裏切り者」と言われて
07 心を偽って、体が発した悲鳴
08 本当の自分を発見するために
09 誰かが変わるきっかけになる
10 もう一回、ゲイでもいいかな
06父親に「裏切り者」と言われて
たったふたりの特別な存在
大学を卒業し、JICAへ就職し、ひとりの人間として自立したタイミングで、両親へのカミングアウトを決意した。本当は、世界の中心でゲイを叫んでいたときに伝えたいとも思ったが、やはり、将来が見えない段階でカミングアウトして、親に無用な不安をかけたくない気持ちがあったのだ。
「両親は、僕にとって、たったふたりしかいない特別な存在。そのふたりに、やっぱり分かってもらいたい。分かってもらったうえで、家族の絆を深めたいと思ったんです」
そして、実家に帰ったとき、夕食のあとで両親に伝えた。自分がゲイであると。
「父親は激怒し、母親は泣きました。父は、これから孫の顔が見られることも期待していたのに、親を裏切っているのが分かっているのかと言いました。母は、この家に嫁いできて、ずっと家族のためにがんばってきたのにと自分の人生を呪いました。もう、手がつけられず、その日はそれで終わりました」
実家に滞在する日数は、あと2日。正直、もう帰りたいと思ったが、言い逃げのようなかたちにはしたくない。
理解してもらうことの難しさ
そして、その夜、深刻な顔をしてお母さんが部屋へやってきた。
「やっぱり病気なんじゃないの? 治るんじゃないの?」
そのときは、ゲイである自分を受け入れてもらうどころか、ゲイとはなにかを理解してもらうことさえも難しい状態だった。
しかし、最終日。岡山空港へ向かう車のなかで、お母さんは「まぁ、小さいころから女の子と遊ぶほうが楽しそうだったもんね。言われてみれば、そうかもね」と、歩み寄ってくれた。
お父さんは、激怒した夜から、その話題には触れない。
「実家に帰ったら話はするんですが、その話題は一切しないですね。僕も、もう、蒸し返すようなことはしなくていいかと。親は、いつまで経っても子どもを心配しているものですし、いちいち言葉で説明しなくても、楽しく生活している姿を見せられたら、それでいいのかなって思っています」
お父さんの心のなかが、どうなっているのかは分からない。もしかしたら、時間が経つにつれ受け入れてくれたお母さんのように、もうすでに受け入れているのかもしれない。
07心を偽り続けて、体が発した悲鳴
もしかしたら脳梗塞かも
JICAに勤めていたころは、職場でもカミングアウトしていた。飲み会などで、「実はゲイなんだ」と伝えて、同期のほか、同じ部署の同僚や先輩にもオープンだった。
しかし、沖縄で勤めていた30歳のとき、体に異変が起こる。
「朝、目が覚めたら、バランス感覚がおかしいんです。なんだか左に傾いていて。最初は立ちくらみかな、と思ったんですが、時間が経っても治らないんですよ。いよいよ怖くなって、歩いてクリニックに向かったんです。そしたら、左半身だけ頭の先から足の先まで痺れてきたんです。もう脳梗塞だと思い込んでしまって、この先の人生を考えて、涙まで出てきてしまいました」
たどり着いたクリニックでは対処できず、沖縄で最大規模の病院に救急車で搬送され、血液検査やMRIなど、ひととおりの検査を受けた。結果は、異常なし。原因は、おそらく疲れやストレスだろうとの診断が下りた。そこから2週間、痺れがとれず、パソコンの前に座っても頭が真っ白になって文字すら打てず、仕事を休み、悶々と過ごすことになった。
自分を大事にするということ
そんなとき、友だちの紹介でカウンセリングを受けることになった。そこで、また人生の転機となるような言葉をもらう。
「あなたは、心にふたをして、押さえ込んでいる。本当の自分を隠して、正直に生きていないから、体が悲鳴をあげている。もっと自分を大事にしなさい」
竹内さんは首を傾げた。給料も十分にもらって、おいしいものが食べられていて、友だちもたくさんいて、たまに海外旅行にも行ける。自分は楽しく生活しているし、満たされているはず。でも、自分を大事にするってどういうこと?
「そこでまた、考えました。本当の自分ってなんなんだろうって。そして気づいたんです。確かに、NOなのにYESと言ったり、平気じゃないのに平気と言ったりしているなって。カミングアウトはしていましたが、そのことですべての自分が解放されるわけじゃない。カミングアウトはあくまでプロセスなんです。やはり、自分は結局、周りが期待してる良い人になろうとしていたんです」
職場の環境は良く、同僚にも恵まれていた。でも、このまま勤めていると、きっと状況は変わらない。そこで、5年間勤めたJICAを退職することを決意した。
08本当の自分を発見するために
ガラクタ整理との出合い
仕事を辞め、自分を大事にして生きようと決めたのだが、さて、何をしよう?
そんなときに、ベストセラー『ガラクタ捨てれば自分が見える』の著者であるカレン・キングストンのセミナーがあることを、あるブログで知る。“自分が見える”“人生が変わる”。そんなキーワードに惹かれて、セミナーを受けてみたら、コレだとピンときた。
「家の中を見回してみると、大学時代を過ごした札幌、JICA時代の東京、当時住んでいた沖縄と、2回引越しをしているなかで、一度も開けていないダンボールがあったりしたんです。失恋を忘れるために買った自転車も、錆びついてて乗れない状態だったり。ガラクタって自分の内面を表しているんです。それらを、1年くらいかけて9割ほど手放しました」
それが自分の内面を整理することにつながり、とても楽しかったと知り合いに話したことから、講演会を開催することになり、本格的にガラクタ整理やスペースクリアリングを学ぶことになった。
そして、現在はカレン・キングストンのスペースクリアリングを日本の暮らしに合うようにアレンジした「キヨ式空間浄化」として確立している。
ただ、話を聞くだけで
そのほかにも、アメリカとオーストラリアに拠点をもつ瞑想の学校、クレアビジョンが認定したISTプラクティショナーとして、相談者の内に秘められた本当の自分を引き出すためのセッションなど、様々な活動を行なっているのだ。
さらには、ブログ上でゲイのためのカウンセリング窓口も設けている。
「ご相談をいただいたなかに、35歳のゲイの方がいました。その方は自分がゲイであることが受け入れられず、今までずっと、女の子と付き合おうと努力してきたんですが、やっぱり無理で。カウンセリングを受けてからは、ゲイとして前向きに生きていこうと思えたようで、ボランティア団体として二丁目でコンドームを無料配布する活動にも参加するようになったそうです。でも、僕は、アドバイスらしいことはしないんです。ただ、話を聞いていただけ。でも彼は、僕と話せて良かったと言ってくれました。僕が質問して、それに彼が答える。答えることで頭のなかを整理できたり、想いをシェアするだけで心が軽くなったりするんだと思います。カウンセリングというよりもシェアリング会といった感じでしょうか」
自身が苦しんでいたときにヒントとなった、本当の自分を発見し、受け入れるための手法を、今、竹内さんは広く伝えようとしている。
09誰かが変わるきっかけになる
セクシュアリティをオープンに
「クレアビジョンのアメリカ校でコースを受けていたときに、『キヨが自分の“繊細な部分”をオープンにするだけで、周りは変わると思うよ』と言ってくれたアメリカ人女性がいたんです。繊細な部分ってなんだろうと考えたときに、おままごとやゴム跳びをして、からかわれて傷ついたことなどが思い当たったんです。それはつまり、自分のセクシュアリティのこと。日本人って、奥ゆかしいというか、セクシュアリティとか自分の繊細な部分はオープンにしないで、ひとりで悩んだり、自分はおかしいんじゃないかって苦しんだりする。僕は、そういう人を減らしたい。変えるきっかけとなりたいんです」
JICAを退職してからの竹内さんは、仕事とセクシュアリティは関係ないと判断し、ガラクタ整理や空間浄化の場面ではセクシュアリティをオープンにしていなかった。しかし、彼女の言葉をじっくりと咀嚼していくなかで、仕事のブログ上で、ゲイであることを公表しようという考えにつながったのだ。
カミングアウトで好転したこと
「ブログでカミングアウトして、すっごく良かったって思ってます。講演会に来てくださった方が、今のほうが内容も僕の雰囲気も、ぜんぜん良いって言ってくださったんです。仕事の場でセクシュアリティを隠してたわけではないですが、以前は言葉を選んだりして慎重になってたんだと思います。今では肩の力が抜けて、本当にラクになりました。僕がオープンになったことで、周りもオープンになりやすくなって、ラクになったのでは。お客さんとの距離が近くなったと感じました」
さらに、お客さんからのうれしいコメントもあった。髪と声にコンプレックスがあった人が、ウィッグと喉の器具を両方手放すことができ、それまでは講演会が終わったら、誰とも話したくないからスグに帰っていたところ、懇親会にも参加できるようになったと。
「僕のブログを読んで、両方いらないやと思ってくださったそうなんです。コンプレックスから解放されたということなのかな。僕が自分の本当の姿をオープンにしただけで、何かを感じて、変わる人がいる。それが、僕の役割なんだと思うんです」
友だち、家族、職場の仲間、ブログと、オープンにする対象が大きくなるにつれ、竹内さん自身もきっと、不要なものを脱ぎ、解放され、自由になっているのだろう。
10もう一回、ゲイでもいいかな
自分のなかの偏見
「ゲイって、セクシュアリティのなかでは特殊なものかもしれないけど、誰しもそれぞれ、人と違うことがあって、そのことで悩んだりするのだと思います。容姿、思考、能力、いろんな要素を人と比べて、あの人はこうなのに、自分はこうだと。知り合いの女性で、旦那さんが躁鬱病になってしまった方がいるんですが、周りの目を気にするあまり誰にも相談できないまま、どうしようもなくなって、とうとう親に事情を話して借金をすることになったんです。そのときに、『誰にも迷惑をかけていないのに、なぜ恥ずかしいの?』と言われて、自分が躁鬱病に偏見をもっていたことに気づいたそうです。ゲイだと言えなかったのは、それと似てるなと」
ゲイであること、人と違うことを恥ずかしいと思っているのは、自分のなかに偏見があるから。自分の考えが変われば、周りもきっと変わる。
「そのことを学ぶことができたのは、僕がゲイだから。そういう意味では、もう一回ゲイでもいいかなって思うんですよ。それに、ゲイなら温泉で恋人と一緒に堂々とお風呂に入れますしね(笑)。僕の仕事の面では、女性と気楽に話せるのもゲイの良いところ。ガラクタ整理のお客さんは、ほとんどが30〜50代の女性ですから。プライベートな相談もあるので、ストレートの男性が相手だと構えてしまうところ、安心して話していただけるということもあると思います」
お母さんの背中にアロマオイルを
そして、竹内さんは、ご自身のお母さんとの関係についても話してくれた。
「実は、母親がガンになってしまって、手術をしたんです。すこしでも痛みを和らげようと、友人から教えてもらったフランキンセンスのアロマオイルを母親の体に塗ってあげました。入院中は朝と晩、背中や足のうらに、毎日。これも、ストレートの男性だと、もしかしたらやりにくいことかもしれませんよね。ゲイで良かったです」
ゲイだからこそ歩み寄れる人がいる。本当の自分を見つける手助けができる人がいる。
竹内さんは、これからも、彼に触れた人たちの心をやさしく解いていく。