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夫が女性になることは嫌だった。でも、支えてあげたかった。【後編】

夫が女性になることは嫌だった。でも、支えてあげたかった。【前編】はこちら

2019/04/09/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
北林 寛子 / Kitabayashi Hiroko

1978年、兵庫県生まれ。中学生の頃、塾講師のひと言をきっかけに看護師を目指し、看護学校卒業後、病院に就職。27歳の頃、仕事を退職し、語学留学のために韓国へ。現地で出会った韓国人男性と意気投合し、後に結婚。夫婦でさまざまな国を渡り歩く生活を送る中で、夫がMTFであることを知り、現在はパートナーを応援中。

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INDEX
01 変わった子なりの処世術
02 追い求めた “平均的な生活”
03 きっと必然だった韓国での出会い
04 2人で動かし始めた歯車
==================(後編)========================
05 生活を揺るがす夫の告白
06 治療による代償と優先したもの
07 突き放せなかった大切な人
08 MTFの妻だから知った想い

05生活を揺るがす夫の告白

定住する国

ニュージーランドでの危機を乗り越え、日本に戻ることを決めたが、その前にドイツに寄った。

「『まっすぐ日本に帰っても、ふたりの関係を修復できないかも』って話になって、別の国を挟みました」

「ドイツで過ごし始めてから、『どこかに定住したいね』って話が出たんです」

ただし、ヨーロッパでの生活は、ハードルが高すぎた。

「ドイツにいる時、現地のおじいちゃんに『ドイツ語がしゃべれないと生活できない』って言われたんですよ」

その土地に密着した生活を送るには、地元の言葉で話すことが前提条件だと気づかされる。

「あと、ドイツに移民の方たちが増えてきた時期だったんです」

「暴動とかもあって、ちょっと身の危険を感じたんですよね」

日本に戻ってすぐにドイツで大きな暴動が起こり、離れて良かった、と心底から思った。

「外国にいると、自分の国籍が関係なくなるから、すごくラクなんです」

「でも、定住するとなると、やっぱり日本かなって」

「私は女性なんだと思う」

ドイツに渡って少し時間が経った頃、彼から予想だにしない告白を聞かされる。

「私は女性なんだと思う」

あまりにも衝撃的すぎて、冗談だと思い込むしかなかった。

「それまで少しも女性っぽい素振りがなかったから、まったく気づかなかったです」

「夫の言うことが本当なんだと思ったら、嫌でした」

「出会って10年が経っていたから、10年間返してください、って思いましたよ・・・・・・」

聞かされた翌日からの3日間、涙が止まらなかった。

「その時に夫は、性別を変えるための手術の話もしていました」

「でも、心のどこかで、冗談に決まってる、って思ってましたね」

東日本大震災以降、2人でヴィーガン(動物性の食品を口にしない食生活)を始めたことがある。

しかし、栄養価が足りずに体調を崩してしまい、2年ほどして食生活を元に戻した。

「いろんな国で食事療法を試しては、断念することを繰り返してきたので、性別の話もいずれやめるだろうって」

「あと、その頃の私は子どもを産みたかったので、受け入れられない部分がありました」

ところが、彼は韓国の病院を受診し、性同一性障害の診断書をもらってきた。

それでも頑なに拒む私の姿を見た彼は、「男のままでいい」と診断書を破り捨てた。

「やるって言ってたけど、やっぱりやめるんじゃないか、って思ってしまいましたね」

「それからは、たまに性同一性障害の話が出ても受け流していました」

06治療による代償と優先したもの

友だちにはならない存在

彼にカミングアウトされる前から、トランスジェンダーという言葉は知っていた。

「でも、テレビに出てる人や水商売で働いてる人のイメージで、身近にはいないだろう、って思ってましたね」

大阪で看護師をしていた頃、水商売の店の前を通って通勤していた。

そこでは、化粧をした男性を見かけることがあった。

「近くにいたとしても、友だちではないだろうなって」

彼からLGBTに関する書籍を渡されたことがあったが、読んでも理解できなかった。

「出てくる事例がすべて匿名で、本当にいるの? って感じましたね」

くつがえらなかった想い

カミングアウトから2年が経つ頃、彼から「やっぱりやろうと思う」と言われる。

「落ち込みましたね」

「また、3日間泣きました」

涙を流しながらも、頭をよぎったことがあった。

「2年前、夫が『40歳までに男性から女性への移行を終わらせたい』って話していたことを思い出したんです」

彼は、30代後半に差しかかろうとしていた。

彼が話す治療や手術のリミットまで、あと少し。

2度目の宣言の後、彼の決意は変わらなかった。

「彼に言われたんです。『本当に女性になろうと思うけど、今なら去っていってもいいよ』って」

「10年以上も一緒にいて、いままでは何だったのかと思ったら、別れられなかったですね」

彼が再び取ってきた診断書を見て、本当に女性なんだ、と胸がきしんだ。

ホルモン治療を始めることが決まり、初診についていった。

「受付の段階から、あんまり信頼できなさそうなところだったんです」

「妻の私に何の話もないまま、彼だけが診察室に入って、『注射打ってきたよ』って戻ってきたんですよ」

医療従事者だった自分からすると、病院としてはありえない対応だった。

「ちゃんとした病院を探し直して、つれていきました」

「そこでは『奥さんも一筆書いてくれたら治療を始める』って言ってくれました」

愛する人の健康状態

「私の中のモヤモヤの理由は、治療によって早死にするんじゃないか、ってこと」

「夫が20代後半の頃、少し髪が薄くなってきたんですよ」

薄毛を気にした彼は、男性ホルモンを抑制する薬を飲み始めた。

その副作用なのか、彼は毎晩2~3回、尿意を感じて起きるようになった。

「まだ若いのに全然眠れなくなって、これは危ないって思いましたね」

「だから、ホルモン治療も同じように危ないんじゃないかなって」

ホルモン治療を始めても、AGAの薬は飲み続けていた。

「調べたら、精巣を摘出すれば、AGAの薬がいらなくなることがわかったんです」

「だから、私から『精巣取った方がいいよ』って言いました」

知らず知らずのうちに、自分の感情よりもパートナーの健康を優先するようになっていた。

07突き放せなかった大切な人

パートナーのブラジャー

「ホルモン治療を始めてからも、ちょっと嫌だなって思うことはありましたよ」

パートナーのブラジャーが必要になった時は、少しショックだった。

女性ホルモンの影響で、胸が大きくなり出した頃のこと。

パートナーが「K-POPのダンスを習いたい」と、言い始めた。

「いざダンスを始めると、胸が揺れて痛かったみたいなんですよね」

「その時に、夫はブラジャーじゃなくてナベシャツを選んだんです」

「女性に見られたいはずなのに、痛いからナベシャツ着るって何? って思いましたよ」

病院でも、医師から「胸をつぶしてどうするの?」と、言われたらしい。

「その時に、先生からブラジャーの話をされたみたいで、報告されました」

「でも、その頃はまだ顔がおっさんっぽくて、中性的な男性にしか見えなかったんです」

「だから、この顔でブラジャーつけるのか・・・・・・って、ショックでしたね」

変化していく視点

しかし、パートナーにその戸惑いをぶつけることはしなかった。

「だんだん、夫を女性として見るようになっていってました」

「2人で一緒に出かけると、周囲から注目されるのは夫なんですよ」

それならば、なるべくキレイな形で外に出してあげたい、と思うようになった。

「それと『治療を始めて3年ぐらいしか、胸は育たない』って聞いたんです」

「この期間を逃したら変われないかもしれないなら、急がなきゃって」

戸惑いを抱えながらも、パートナーの願いを叶えてあげたい気持ちが大きくなっていく。

「肯定的に考える方が、自分もラクだな、って思いました」

不安定な感情の波

ホルモン治療を始めて1年目は、パートナーの感情の波が激しく、しんどそうに見えた。

「思春期の女の子みたいな感じでしたね」

パートナーが夜中に突然「映画を見に行く」と、言い出すようになった。

「最初は1人で行かせたんですよ」

「でも、夫はだんだん力が弱くなってるし、何かあったらどうするのよ、って心配でした」

当時パートナーは髪を伸ばしていたが、外見にはまだ男性っぽさが残っていた。

そのため、トイレは男性用、もしくは多目的トイレを使用していた。

「男性に驚かれることも多かったから、戸惑いや怒りをぶつけられるんじゃないかって」

「そう考えた時に、2人でいる方がまだいいんじゃないの、って思ったんです」

夜中に「映画を見に行く」と言われたら、ついていくようになった。

「思春期の子どもがいるお母さんって大変だな、って思いました(苦笑)」

08 MTFの妻だから知った想い

MTFを取り巻く現実

女性になっていく過程のパートナーと出かけて、気づいたことがある。

「日本でも海外でも、MTFのことを変な目で見る人はすごく多いです」

「特にアジア圏は、顔から足元まで、全身を見てきますね」

治療を開始してから、韓国の仁川国際空港に行った時のこと。
検査場で、先にパートナーが荷物を通し、その後に自分が続いた。

現地の女性スタッフがパートナーのパスポートを見た後、韓国語で別のスタッフに「さっきの人、男性だ」と話している声が聞こえた。

「最初は、そのまま聞き流そうと思ったんです」

「でも、その直後に別の男性スタッフも『さっきの人、男性だって』って言ってたんです」

「きっと、私が日本人だから韓国語がわからないと思って、聞こえる声で言ったんでしょうね」

業務中でありながら、わざわざ目の前で他のスタッフに話しかけたことに腹が立った。

ウワサをしていたスタッフを呼び止め、韓国語で「さっきの人は私の夫です」と告げた。

スタッフはぎょっとした顔をしたが、すぐに「すみませんでした」と謝罪。

「直接怒りを伝えたのは、この時が最初で最後」

「夫が周囲の人から無言で見られる時は、私がにらみつけて終わらせます(笑)」

「オーストラリアに行った時は、現地の人たちがウェルカムな感じで、居心地が良かったですね」

時間をかけて変わっていく感情

パートナーが治療を始め、外見も女性らしくなるにつれ、家の中に物が増えていった。

「今はタンスの中が、服でいっぱいです」

「いままで夫は、服をほとんど買わなかったんですね。きっと自分に合うものがなかったから」

「前々から私の服は選んでくれたんですけど、自己投影だったんだと思います」

今は女性として、着たい服を選べるようになったようだ。

化粧品は、2人で共有している。

「まだ夫は自分で化粧できないので、私がしてあげてます」

「どうやら、メイクをしてもらうことが好きっていうのもあるみたいですけど(笑)」

パートナーが男性ではなく女性であることが、ようやく馴染んできた。

「反対したって女性になるんでしょ、って思った時に、私もだんだん変わったんでしょうね」

「それに今は、夫はよく10年以上も我慢できたな、って思うんです」

想像していた未来とは、まったく違う現実が待っていた。
関係を終わらせるべきか、何度も同じ不安が頭をよぎった。
それでも一緒にいたのは、この人を守りたいと思ったから。

あとがき
ゆく道を気まぐれに決めるのは神様のしわざ? 寛子さんのインタビュー、グッと押し込めてから言葉を放つ瞬間があった。音にはならなかったコトバが何であったか。大切に刻みたいシーンだった■深い愛情にあふれた人だ。注がれる先はパートナー、だけはない。取材する私たちにも、寛子さんは真剣な眼差しで運営の心配を向けてくれる■知ってほしい、理解してほしい、受けいれてほしい・・・自然なおもい。そして、愛とは、相手のしあわせを心から願えること。(編集部)

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