INTERVIEW
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いま18歳、来年から社会人。だれかの目標となる人になりたい【前編】

高校3年生の菅原希鈴さん。翌日は就職試験、翌々日からは学校の定期テストという多忙なスケジュールの合間に、話しを聞かせてくれた。「緊張してます」とはにかみながらも、自分のおもいをよどみなく語る姿は頼もしい。アスリートとして成長していくなかで培われた心身の強靭さ、そして両親の教えが、今の希鈴さんをつくりあげたのだろう。

2025/01/23/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
菅原 希鈴 / Kisuzu Sugawara

2006年、秋田県生まれ。幼少期から、男女分け隔てなく一緒に遊び、交流することを大切にしてきた。社会でLGBTの認知度が高まるにつれて、自分の性自認や性的指向に目が向くようになり、現在はFTM(トランスジェンダー男性)を自認している。高校ではレスリング部に所属し、全国大会に出場した。

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INDEX
01 リアル・サザエさん一家
02 原体験となった、東日本大震災
03 朝から鬼ごっこ
04 柔道部はバク転目当て
05 教科書に載っていたLGBT
==================(後編)========================
06 レスリングに転向
07 FTMにたどり着いたけれど
08 親へのカミングアウト
09 学ランで初登校
10 消防も、総合格闘技も

01リアル・サザエさん一家

魚の名前をもつ、仲良し家族

秋田県・秋田市に、四人家族の長女として生まれる。

「自分の『希鈴』っていう名前は、魚のキスに由来してます」

父には「マス」、母には「アユ」と、魚の名前の音が両親の名前にたまたま入っていたことから、子どもにも魚の名前の音を入れよう、という
ことになったらしい。

「魚のキスのように、透き通ったきれいな人になってほしい、っていう想いで名付けたって聞いてます」

「自己紹介のときにはサザエさんです、ってよく言ってます(笑)」

兄の名前にも魚の音が入っている。

父は、実際に釣りが大好き。家族で一緒にアウトドアに出かけることもしばしば。

「つい数日前にも、家族で釣りに行ったばかりです。クロダイを釣って、家でお刺身にして食べました」

来年の春には、自分も、4つ上の兄も就職で実家を離れる予定だ。それまでの間、家族との時間を大切に過ごしている。

家計まで把握

小学校高学年のころから、兄と分担して家事を担うことが日常だ。

「お兄ちゃんが、学校の宿題で家事をお手伝いしたことがきっかけです」

「親が共働きで忙しいので、お兄ちゃんが家事をする姿を見ているうちに、自分も自然と家事をするようになりましたね」

両親は毎日外で働いて、子どもである自分たちを養ってくれている。

自分たちもやるべきことをやって協力しようと、自主的に行っている。

「家事を手伝い始めたころの自分は、今よりもっと背が低かったので、踏み台に登って食器洗いをしてました。最初のうちは、洗い残しをお兄ちゃんがもう一回洗ってくれたり」

「いまは、料理をよくしてます。消防士を目指しているんですけど、寮生活をすることになったら料理当番があるので、まずい料理は出せないな、と思って練習してるんです」

家事を分担するようになった背景には、若いころに母が感じた苦労がある。

「お母さんは実家を出るまで特に家事を覚えないまま結婚して、家事ができるようになるまでしばらく大変だったみたいです。子どものうちから家事ができるようになっていれば、そういう苦労をしなくて済むから、と言ってました」

子どものうちから教えられているのは、家事だけではない。

「小学生のうちから、お小遣い帳でお金の管理をしてました。子どもの管理してるお金を、お母さんが家全体の家計として取りまとめてるかたちです」

「ポストに入ってる光熱費のはがきを見て、家族4人でひと月にこのくらいの電気代がかかってるってことは、1人当たりの金額はこのくらいか、って考えたりしてました」

家の光熱費まで子どもに把握させるのは珍しいようだが、それも両親の考えのもと。

「順当にいけば、自分たちより親のほうが先に亡くなる。そうなっても大丈夫なように、自立した子に育ってほしい、とお母さんもお父さんも考えてるようです」

優しい兄が怒る理由

兄は、優しくて頭がよく、自分が尊敬する人物の一人だ。

「運動は自分のほうができるかなって思いますけど、お兄ちゃんは県外の国公立大学を目指してたくらい頭がいいんです」

新型コロナウイルスの蔓延によって、オンライン授業となってしまう現実を考え、県内の大学に進路変更したが、そういった柔軟性を持ち合わせているところも含めて賢い人だと思う。

「自分は兄から、ポンコツだな! ってよく言われます(笑)」

父と兄は、物事を順序立てて計画的に行動するタイプ。一方、母と自分は、思い立ったらすぐ行動するタイプだ。

「自分は、旅行でもまず現地に行ってから『どうしよう?』って迷うことが多いので、兄は自分のそういうところをポンコツって言ってるんだと思います」

そんな兄だが、ときどきケンカすることもあった。

「自分が部活動の練習を終えて遅い時間に帰ってきて、洗濯物を畳まないまま寝てるときに、お兄ちゃんから『やらないならオレがやるから』って言われて。でも、自分は『やるし!』って返して、言い合いになったりしてました(笑)」

「お菓子の取り合いとかでケンカになったり、理不尽な理由で怒られたことはないですね」

02原体験となった、東日本大震災

印象に残った、消防士の姿

子どもの頃から、将来は消防士になることを目指していた。その理由は、4歳までさかのぼる。

「一番幼いころの記憶は、東日本大震災です」

秋田市は、宮城県などに比べれば揺れは大きくなかった。それでも夜には停電してしまった。

「部屋にろうそくを付けて、家族で集まって布団を被って、手回しラジオを聞いてました」

電気が復旧したあとにテレビで見た、津波に人や街が飲み込まれる光景が忘れられない。

「そんな状況でも救助活動をしてる消防士の人たちの姿を見て、かっこいいなって思ったんです」

震災を学ぶなかで

中学生の調べ学習で防災について学んだとき、当時の津波の映像を再び見返したり、新聞記事を読んだりした。

「そのときに、消防士の仕事にまた惹かれて、自分もなりたい! と思うようになりました」

家族で被災地を訪問したこともある。

「石巻市立門脇小学校っていう震災遺構に行きました。適切な避難で子どもたちが助かったことで有名な小学校で、津波の跡などを見学しました」

震災にまつわる経験が、「消防士になりたい」という想いを現在までもち続けている原動力となっている。

03朝から鬼ごっこ

早朝から放課後まで

小学生になると、毎朝7時に登校した。

「体育館で、全校生徒みんなで鬼ごっこをするのが楽しかったです」

授業の合間の短い休み時間にも、寸暇を惜しんで鬼ごっこ。
放課後になると走って帰宅し、再び体育館に集まって鬼ごっこ。

「両脇のセーフティーゾーンから、中央にある河童の沼に引き込まれないように逃げるっていう『河童ふえ』っていう地元の遊びや、高鬼、色鬼、いろいろな鬼ごっこをしました」

「自分はリーダー的役割を担ってたので、新しく遊びに来た子を招き入れたりしてましたね」

男女やグループを問わずさまざまな人と仲良くしたいという考えは、現在も変わらない。

ワンピースをめぐって大喧嘩

小学生のうちからスカートをはかずにジャージをよく着ていた。
小学校3、4年生のころ、洋服のことで母と激しい論争に発展したことがある。

「お母さんがこのワンピースを着ていきなさい、って強めに言ってきたのを、自分は『絶対に嫌だ! 動きやすいほうがいい!』 って、言い争いになって・・・・・・」

両者ともなかなか引かず、遅刻ギリギリまで言い合いは続いたが、登校時間が迫っていたこともあり、結局母が折れた。

「スカートがめっちゃ嫌で、泣きながらケンカしてたので、このときのことはよく覚えてますね」

明確に性別違和を自覚するのはもう少しあとになってからだが、振り返ると、小学生のころにはすでに女性として扱われることに抵抗していた。

04柔道部はバク転目当て

準備運動がかっこいい

小学生のうちは、4泳法の習得を目指して水泳などの習い事をしたり、兄や父についていってサッカーをしたりすることがあった。

でも、本格的にスポーツに打ち込むようになったのは中学生になってからだ。

「バク転がしたくて、中学校では柔道部に入りました(笑)」

きっかけは、柔道をしていたいとこの試合を見に行ったとき。

「試合前のアップで、選手が柔道着姿でバク転をしてたんです。柔道ではトレーニングのために、前転やバク転をして体を動かすんです」

実は、幼少期から体操に興味があったが、体操教室が家から遠かったのであきらめたことがあった。

柔道部に入ればトレーニングとしてバク転ができる。それを目当てに入部した。

初の「女子」キャプテン

柔道そのものにあこがれて入部したわけではなかったが、もともと体を動かすことが好きだったこともあり、始めてみると楽しさを覚えるようになる。

「小柄な選手は、大きな選手の足の間に入って投げ技を繰り出しやすいんです。オリンピックを3連覇した野村忠宏選手は、背負い投げが得意で、投げ技がきれいですね」

真面目に練習に打ち込んでいた姿勢が周囲に評価されたのか、1つ上の先輩が引退すると次期キャプテンに指名された。

「部員や監督の投票で自分が選ばれました。部活紹介で全校生徒の前で話をしたり、部長として先生と話をしたり、自分が先頭に立って仕切る機会が増えましたね」

柔道部は男女が分けられていない部活で、男女ともに練習することが普通だったが、女子がキャプテンに選ばれたのは自分が初めてだった。

そういった経緯もあったためか、キャプテンに選ばれると、男子部員から妬まれるようになる。

「どうしても力では男子には及ばないからか、なんでこんな弱い奴がキャプテンなんだ! って、思われてたんだと思います」

「チームを引っ張るのは難しかったですね」

キャプテンは嫌われるもの

特に厳しく当たってきたのは、同級生のある男子と、その弟である2つ下の後輩だった。

「兄のほうが、キャプテンになりたい! って、ずっと言っていたんです。それでもなれなかったから、当たりが強かったんだと思います」

兄弟の態度について、顧問や両親へ報告はした。
でも、あくまで「相談」ではなく「報告」。問題は自分で解決すると伝えていた。

「親は『自分たちが学校側と話そうか?』と心配してくれたんですけど、大丈夫、自分で何とかする、ってずっと言ってました」

キャプテンは、基本的には嫌われ者。それでもチームを引っ張れると期待されて、自分はキャプテンに指名されたのだ。

「ここで折れたら周りの期待に沿えないな、って」

いまは嫌われたとしても、最終的に「いい先輩だったな」と思われるようなキャプテンでありたい。

「将来、自分で何とかする力が必ず大事になるはず。だから、いまは自分で解決したい、って思ってました」

ある日、練習中に自分にきつく当たることはおかしいのではないか? 気持ちを切り替えて練習すべきだ、と兄弟に直接伝えた。

「それからは、自分への態度がだいぶ改善されました」

05教科書に載っていたLGBT

制服はスケバンで乗り切る

中学校進学前、制服だったセーラー服を着ることには嫌悪感を覚えていた。

「お母さんに、制服のスカートが精神的に厳しい、って伝えてましたね」

ただ、スカートの丈がとても長かったことが、せめてもの救いとなる。

「昔で言うスケバンくらいスカートが長かったんです(笑)。ズボンをはいてるような感覚でしたね」

周りの女子が、スカートのウエスト部分を内側に折って丈を短くするなか、自分はマキシ丈のロングスカートにすることで違和感に折り合いをつけた。

さまざまな教科で取り上げられているLGBT

新学期にもらった国語の教科書をその日のうちに一通り目を通すほど、教科書を読むことが好きだ。

「中2くらいから、世間で性の多様性についてよく耳にするようになって、中3くらいからは教科書でもLGBTについて取り上げられるようになったんです」

家庭科や社会科などの教科書でLGBTが取り上げられていた。

「LGBTについてちゃんと知ったのはそのときですね。こういう人もいるんだな、でも自分は違うな、ってこのときは思ってました」

女子への恋心

中学に入ってから男子に告白されたことがあったが、お断りした。

「そのときは、恋愛がなんなのか? ってことがわからなかったんです」

男子を恋愛対象として見られなかったわけではなく、男女ともに恋愛対象として見ていなかったのだ。

「友だちと遊ぶことが最優先だったし(笑)、男子も友だちとしてしか見られなくて」

でも、中3の終わりころ、同じクラスの女子が気になり始める。

「周りが遊んでいても勉強してる、努力家の子でした。めっちゃかわいいなとも思いましたけど、人として惹かれましたね」

でも、女子が女子を好きになることは、社会的に許されないのでは? と疑問を抱く。

その後、家族共用のタブレット端末で調べると「LGBT」にたどり着いた。

「LGBTって見たことあるな、と思って教科書を開き直しました。自分はバイセクシュアルかもしれない、ってこのときは思いました」

気になった女子には、中学卒業後にLINEで告白した。

「高校は別だから、ダメだったとしても会うこともないし、って」

相手からは「女子同士で付き合うってことが分からない」と言われ、お付き合いには発展しなかった。

でも、今でも連絡を取り合う関係は続いている。

「お祭りに行ったときにたまたま見かけて、ちょっと話をしたりもしました。いまは難関大学を目指して、まだ一生懸命に勉強してるみたいです」

 

<<<後編 2025/01/30/Thu>>>

INDEX
06 レスリングに転向
07 FTMにたどり着いたけれど
08 親へのカミングアウト
09 学ランで初登校
10 消防も、総合格闘技も

 

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