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MTFの私にとって、同じ境遇の友だちが安定剤だった。【後編】

MTFの私にとって、同じ境遇の友だちが安定剤だった。【前編】はこちら

2018/12/13/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
大古 一人 / Kazuto Ogo

1989年、福岡県生まれ。小学4年の時、父親の転勤で神奈川県・川崎に移り住む。中学生から砲丸投げを始め、高校でも優秀な成績を残す。大学で福祉と心理学を学び、卒業後は高齢者グループホームに就職。そのかたわら、川崎のミックスバーにも勤める。2016年に、タイにて性別適合手術を行い、現在は占い師としても活躍している。

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INDEX
01 好きなものを「好き」と言えた幼少期
02 学校という社会の中での恐怖と安心
03 胸がときめく相手は男の子
04 心の内側に放置した悩みと不安
05 生まれ変わった高校生の自分
==================(後編)========================
06 未来のための現実的な選択
07 ようやく見えた本当のセクシュアリティ
08 MTFの私として生きていく道
09 涙と衝撃のカミングアウト
10 いじめられていた自分に見せたい今

06未来のための現実的な選択

砲丸投げをやめた理由

大学進学を考え始める頃、名門の体育大学から声をかけてもらった。

「砲丸投げでインターハイまで行っていたので、目に留まったみたいです」

「でも、砲丸投げは続けませんでした」

高校生と大学生では、扱う砲丸の重さが1.5kgも異なる。

重さが増すことを加味した上で、全国や世界を目指すとなれば、相応の体作りをしなければならない。

「オリンピックで見るようなガタイのいい選手みたいになったら、ダメだと思ったんです」

「手術して女性になる道を、選べなくなっちゃうって・・・・・・」

将来を見据えて選んだ進路

進路を考えている時、横浜の中華街で将来を占ってもらった。

「その時に占い師さんと知り合って、タロット占いを教えてもらうようになったんです」

「それがきっかけで、心理学を学んでみようかなって考え始めました」

「あと、福祉にも興味が湧き始めていて、どちらも学べる大学を選んだんです」

高齢者、障害児、LGBT、さまざまな方向性を含む福祉を学べば、核となる何かが見つけられる気がした。

「あと、当時は手術をしたら、夜の仕事しかできなくなる、って勝手に思ってたんです」

「そうならないために、大学卒という学歴を持っておけば、働ける幅が広がるかなって考えてました(笑)」

「少子高齢化って言われていたから、介護の分野なら、仕事がなくなることはないかもって思いもありましたね」

大学の授業や実習をこなしていくうちに、自分が進む方向が見えてきた。

「学んでいくほどに、認知症が気になったんです」

「脳とか精神障害の方面に興味が湧いて、すごく勉強しましたね」

「高齢者の分野のゼミにも入りました」

大学在学中に、社会福祉士の資格を取得することができた。

中性的なファッション

大学では制服もなくなり、部活もやめ、身なりに関する規則はなくなった。

「女の子らしい格好はしないで、中性的な感じで過ごしていました」

「ギャルメイクは卒業して、エクステも外しました」

「一気に私服だけになると、逆に何を着たらいいかわからなくなっちゃって(笑)」

「まだ女性っぽくしなくてもいいかな、って思ったんです」

年相応なユニセックスの服を選び、化粧は薄くする程度。

介護施設での実習では、ジャージにエプロンという格好が多かった。

「結局、高校の時とそんなに変わらない感覚でしたね(笑)」

07ようやく見えた本当のセクシュアリティ

初めての新宿二丁目

大学2年で20歳になってすぐ、二丁目に行こうと思った。

「お酒が飲める年齢になったから、解禁だなって」

「それまで同い年の当事者しか見てこなかったから、歳が離れた人はどんな感じなのか、出会ってみたかったんです」

社会勉強のつもりで二丁目に向かい、適当に気になったバーに入った。

「結果的にいうと、初めての二丁目は気持ち悪かったですね」

バーにいるだけで「これからホテル行こうよ」と、初対面のゲイに誘われた。

その場にいたゲイの人たちとはなかなか話が合わず、恐怖心だけが残った。

「危険なニオイしかしなくて、お金取られるんじゃないかとか、変なクスリやられちゃうんじゃないかとか考えちゃいました(苦笑)」

当事者のコミュニティ

お客さんは怖かったが、バーのスタッフはやさしく、仲良くしている店を紹介してくれた。

何度か二丁目を訪れ、街に慣れてきた頃、ある観光バーで「働かない?」とスカウトされる。

「夏休みで2カ月ヒマだったので、ドリンカーとして働き始めました」

「話すことが得意じゃないんで、飲み物作るくらいだったらやれそうだと思ったんです」

その日から、ほぼ毎日店に出向いた。

夏休みが明けてからも、週末は観光バーで働いた。

「その頃には20代のゲイ専用のSNSに登録して、シーズンに1回ぐらいオフ会を開いてました」

「ゲイのコミュニティだったけど、私と似たような人もいたんですよ」

「ゲイとMTF、どっちになりたいかわからないって人が」

似た人が集まる場所に顔を出し、人の素行を見ることで、自分の進む道が見えてくると考えていた。

“ゲイ” に対する違和感

しかし、人の振る舞いを見ても、自分のセクシュアリティに決着はつかなかった。

「自分はゲイなのかどうか、まだわからなかったです」

「でも、ますます毛が濃くなって、体がゴツゴツしていくのは、すごく嫌でした」

LGBT当事者との交流が続いていく中で、時間が経ち、ようやく気づいたことがある。

「おつき合いしてきた人は、バイセクシュアルの男性が多かったんです」

「私は男らしさを殺して、中性っぽくしていたから、ゲイにモテなかったんですよ(苦笑)」

「それに、私自身も女性として扱われることを求めていたんですよね」

バイセクシュアルの恋人たちは、自分が化粧をしていれば、女性として接してくれた。

中には「女性との経験しかなくて、興味本位でこっちの世界に飛び込んだ」という男性もいた。

「自分の経験を振り返ると、ゲイではないんだって思えてきたんです」

「二丁目で出会った独特のゲイカルチャーも、あまり好きじゃなかったんですよね」

年々、ゲイとしての道に違和感を覚えていき、女性になるしかないと思うようになっていった。

08 MTFの私として生きていく道

体を変えるタイミング

大学を卒業し、高齢者の介護施設・グループホームに就職した。

働いて2年ほどが経ち、本社勤務になった頃、ホルモン治療や手術を考え始めた。

「時間もできたし、有休も溜まっていたから、とりあえずキンタマ取ろうと思って」

体の男性化を止めたい気持ちが強かった。

「介護の仕事をしながら、川崎のミックスバーに、客として行っていたんです」

「そこでニューハーフやオナベの方に、手術や治療の話を聞いてました」

一般的な流れでないことはわかっていたが、通っていた精神科の紹介もあり、睾丸摘出の手術を受けた。

「当時の私は、キンタマさえ取ってくれれば、何でも良かったんです」

「術後3~4日は、鈍い腹痛が続いたけど、その後は問題なかったです」

手術を受けるという決断

同時に精神科での診療も受け始め、性同一性障害の診断書を出してもらった。

その翌年、川崎のミックスバーの店長に「新店を出すから一緒に働かないか」と誘われる。

「店長さんはオナベの方で、『手術を考えてるなら、タイに知人がいるから紹介できるよ』って声をかけてくれたんです」

ミックスバーで働き始め、手術の計画も具体的に立てていった。

「そのタイミングで、61歳のニューハーフの店員さんが亡くなったり、不幸が重なったんです」

「社員旅行を兼ねてタイに行く予定だったんですけど、延期になりました」

それから1年ほどが経ち、27歳になった時、改めて準備を整えた。

「手術した後、何が起こるかわからなかったんで、ひと月は休みたかったんですね」

「でも、グループホームでは『1カ月も穴を開けられない』って言われてしまったんです」

介護の現場に人手が足りないことは理解していたが、自分の体のことを優先したかった。

上司に辞表を出し、タイに出発することを決めた。

MTFとしての将来

無事にタイでの手術を終え、ずっと嫌悪感を抱いていた男性器がなくなった。

「手術を終えてから、逆に男らしくなっちゃった気がします(笑)」

「前は本来持っていちゃいけないものを持ってる感じで、恥ずかしかったんです」

「今はそんな感情もなくて、安心しきっちゃってますね(笑)」

罪の意識を持たずに、女性ものの服を着られるようになった。

自信がついたとまでは言えないが、生きることがラクになった。

「ただ、こんなもんか、って気持ちもありました」

女性の体を手に入れれば、バラ色の未来が待っていると思っていた。

しかし現実は、そこまで大きく変化しなかった。

「年齢とか性別とか、社会的には前より厳しくなった気がします」

「でも、ようやくブレーキをかけずに、やりたいものを見つけていけるのかな」

「というよりも、見つけていかないといけないな、って思いますね」

「これからどう生きていくか、プラスに考えられていますよ」

09涙と衝撃のカミングアウト

母親の頬を伝う涙

母親には、睾丸を摘出する前日にカミングアウトした。

「私は一人息子だったから、手術をしたら家系が絶たれることになるんです」

「だから、『取ったよ』って事後報告するより、先に言っておいた方がショックは少ないかなって」

母親には「男の人が好き。男のままではなくて、女になって男の人を好きになりたい」と話した。

当時、頻繁に実家に連れてきていた男性のことも「その人が彼氏なんだ」と打ち明けた。

母親は驚くことなく、「やっぱりね」と呟いた。

「小さい頃にセーラームーンのおもちゃを欲しがった時点で、あやしいと思ってたみたいです」

母親は拒否反応を示すことはなかったが、静かに涙を流していた。

「『ちゃんと生んであげられなくてごめんね』って言っていました」

昔は父親とのケンカが絶えず、母親もストレスが溜まっていたという。

母親は「私が安静にしていなかったのが悪かったのかな」と、母親自身を責めてしまった。

「私は、翌日の手術の怖さもあって、淡々と話すしかできなかったです」

父親を襲った大事件

父親に打ち明けるタイミングは、計りかねていた。

言えないまま性別適合手術まで終え、ある日、思いがけない事件が起こる。

「自分の部屋で、下半身を出してダイレーション(造膣後、棒状の器具で拡張すること)したまま、寝ちゃったことがあるんです」

「ドアを開けっぱなしにしてたみたいで、父に見られちゃったんですよ(笑)」

父親は、すぐ母親に「あいつの下半身、どうしたんだ!?」と伝えたらしい。

「聞きづらさもあったのか、父に直接問い質されることはなかったです」

「息子が社員旅行という名目で2週間もタイに行ってたから、おかしいとは思ってたみたいですけど」

ホルモン治療も始めていたため、身体的な変化にも気づいていたかもしれない。

「父にも怒られたり拒否されたりすることはなかったけど、私の扱い方はわかってなさそうですね(苦笑)」

「接し方は今も、男だった時と一緒だけど、無理して変わられるよりはいいかな」

娘として過ごせる喜び

カミングアウトした直後は泣いていた母も、今は娘として接してくれている。

「『似合いそうだから』って、服を買ってきてくれたりするんですよ」

「あの服貸して」「この化粧品どうなの?」と、女性同士だからできるやり取りも増えた。

性別適合手術を終えてからは、一緒に入りづらかった店にも行けるようになった。

「母と一緒に、下着屋さんに行ったりするんですよ」

「男の姿じゃ行きづらかったから、今は素直にうれしいですね」

10いじめられていた自分に見せたい今

“経営者になる” という夢

「将来は、領収書が切れる人間になりたいです(笑)」

勤め人ではなく、経営者になりたい。

そう考えるようになったのは、現在のパートナーの影響が大きい。

「彼は、自分のビジネスを持ち始めているんです」

「その姿を近くで見ていたら、私も何かやりたいなって」

「誰かの下で働くことが嫌なわけじゃなくて、もうちょっと自由にやってみたいんです」

人に規制を張られている状態では、時間を有効活用できない。

オフィスや店舗を持つにしても、ロケーション選びや雰囲気作りはこだわりを持って進めたい。

「自分で仕事を見つけていける人も、憧れだったりするんですよね」

現在は、占いを生業にできたらと考えている。

「中学生の頃に中華街で出会った占い師の方のところで、去年から働かせてもらっているんです」

「30歳までには自立できるように、動いているところ」

占い教室をメインにしながら、鑑定なども行っていくつもり。

昼と夜のバランス

「占いだけだとなかなか安定しないので、夜の仕事と平行していくかもしれません」

「ただ、やっぱり昼の仕事をメインにしていきたいですね」

2018年2月、同じ店で働いていたMTFの子が、心不全で亡くなった。

「まだ28歳で、アルコール依存症だったんです」

「性別適合手術も終えていて、これからってところだったからショックで・・・・・・」

自分も夜の仕事をメインで続けていたら、他人事ではないかもしれない。

「私にとっては大きな課題かもしれないけど、変えていきたいですね」

自ら動き出すこと

中学生の頃の自分は、今の自分の姿を、少しも想像できていなかったと思う。

「よくお金貯めたな、って思いますね」

「手術をするって決断してから、早かったですね。3年で変われたから」

現代の学生の中にも、自分と同じようにいじめられている子がいるかもしれない。

「冷たい言い方かもしれないけど、社会、特に学校生活なんてサバイバルじゃないですか」

「『オカマ』って言われた時に跳ね返したり、笑い飛ばしたりできるかどうかは、自分次第だと思います」

ただ、「サバイバル力をつけろ」というひと言では、解決しないこともわかっている。

「私の場合は、同じ境遇の友だちがいたことが、安定剤みたいになりましたね」

「大切なのは、異性愛だけが普通ではないって、共有できる場所や人を見つけ出すことです」

「今はいろんなツールやSNSがあるから、活用していったらいいんじゃないかな」

否定する人に反発するためではなく、受け止めてくれる人を見つけるために動いてほしい。

「ずっと引きこもっていたら、周りもどうサポートしたらいいか、わからないですもんね」

「当たり前のように、公の場でセクシュアリティを言えたらいいのに」

「・・・・・・それができれば、何の問題もないんだけどね(笑)」

あとがき
澪さんこと一人さんは、よく笑う。大振りに笑うから、つられて私たちもよく笑った。[LGBT=悩む人、辛い人生]なんて先入観を吹き飛ばしてくれる人だ■一つひとつ登ってきた夢への階段。これと決めてからの計画性と行動力はすごい! 秋にはタロットサロンもオープンした。澪さんと交流すると「人類は行動を起こすものだ。たとえ何も見つからなくても、成功はそこにある」。アインシュタインの言葉を思い出す。舌を出しておどけた表情も一緒に (๑´ڡ`๑)(編集部)

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