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十人十色、子どもたちがありのまま輝けるように【後編】

十人十色、子どもたちがありのまま輝けるように【前編】はこちら

2017/04/12/Wed
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Mayuko Sunagawa
中村 純 / Jun Nakamura

1980年、鳥取県生まれ。幼少期からスポーツに打ち込み、陸上競技では全国大会の入賞経験がある。国立東京学芸大学教育学部を卒業し、幼稚園教諭、小学校教諭、司書教諭、中学校・高等学校教諭の資格を取得。都内の小学校で教師を務めたのち、現在、都内にて8Dこども教室を運営している。2010年よりGIDの治療を開始し、翌年8月に入籍。現在、妻と二人暮らし。

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INDEX
01 運動も勉強も得意な優等生
02 女の子の自分とのギャップ
03 友達の「好き」と恋愛の「好き」
04 進むべき道
05 解放されたセクシュアリティ
==================(後編)========================
06 診断・治療、親へのカミングアウト
07 教師の仕事
08 これからの人生
09 誰もが自分らしく生きられるように
10 十人十色に輝いてもらいたい

06診断・治療、親へのカミングアウト

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体に傷をつけたくない。でも・・・

28歳ぐらいの時、性別適合手術や戸籍変更についてテレビで知った。

でも、手術にはすごく抵抗があった。

「親からもらった大事な体に傷をつけたくなかったし、健康な体にメスを入れることにも抵抗があったんです。ピアスの穴すら開けていないですから」

このままうまくやっていけたら、手術はしなくていいかなと思っていた。

しかし、年齢と恋愛を重ねるうちに、考えが変わっていく。

考えが変わった一つのきっかけは、「自分はいつでも捨てられる存在だ」と痛感させられた恋愛があったからだ。

当時付き合っていた彼女にはすでに彼氏がいた。

それを知りながら自分も彼女と付き合っていた。

「彼氏のほうも自分の存在に薄々気づいていて。ただの友達じゃないなっていう」

自分と彼女との関係も、彼女と彼氏との関係も変わらないまま、平行線が続いた。

「生まれながらの男には余裕があるんですよ。体が違うから自分は結婚もできないし、子どもにも恵まれない」

「恋愛で他の男と渡り合うには、身体も替える必要があるのではないかと思いました」

「結局男には勝てないんだなって思い知らされました」

このままでは嫌だ!

やがてその付き合いは終わりにし、GID診断や治療を考えるようになった。

そして、都内の専門病院にカウンセリングに通い始めた。

親へのカミングアウト

通っていた病院は、成人していても親の同意がないとホルモン注射が始められなかった。

だから鳥取の実家に帰った時、親へのカミングアウトを決意した。

「昔、オネエがたくさん出演していたテレビ番組があって。その時父が『お父さんこういうの好きじゃないな』って言ったんです」

その記憶が残っていて、だから父には特に言いにくかった。

「自分はテレビで観たオネエの人たちと同じ感じだよ」

「だから今、カウンセリングに通って診断をもらっていて、今後注射して手術もしたいんだ」と伝えた。

両親はすぐに「うん」とは言わなかった。

「突然のことでなにを言っているのかわからない」

「今までそう思ったことがないから、なにも答えられない」

「ちょっと頭の中、整理するから、待ってほしい」という反応だった。

自分としては、できれば「何となくそうだと思っていた」と言ってほしかった。

両親はまったく気付いていなかったのかと、切なかった。

それから、両親はトランスジェンダーについてすごく調べたようだ。

病院にも一緒に来て、先生から説明を受けたり、今後どのように付き合っていけばいいのかを相談していた。

そして、両親の理解を得て、ホルモン治療を開始することができた。

その後、付き合っている彼女がいること、手術して戸籍を変えたら結婚したいことを伝えた。

すると、「あなたみたいな人にも、結婚してくれる人がいるのね」とすごくホッとしてくれた。

07教師の仕事

嫌だった教師の仕事

オーストラリアに留学後、そのまま海外で仕事をしようと思っていた矢先、父ががん宣告を受けた。

幸い命に別状はなかったが、ひとまず日本にいようと思った。

そんな時、教員の友人から「産休に入るから代わりに先生をしてくれないか」という誘いがあった。

相変わらず教師になる気はなかったが、「期間限定だし、一度は経験してみよう」と引き受けた。

こうして友人の代わりに小学校1年生の教師になった。

26歳の時だ。

幸い仕事自体は苦労することはなかったし、教えるのも楽しかった。

小学1年生でも、すでに勉強がわからなくなってきている子がいる。
そういう子たちに理解してもらうためにどうしたらいいのか。

算数の時間はトイレットペーパーを広げ、それを分割して長さの説明をした。

国語の時間は絵を描きながら物語を説明し、興味を持ってもらえるように工夫した。

「ただ困ったのは、やっぱり『先生、(男か女か)どっち?』って聞かれるんです(苦笑)」

「最初はどっちでもいいよって言ってんたんですけど、しつこくて」

「じゃあ、3月に正解発表しまーすって言って逃げていました」

3月になって「女だよ」と言っても、ほとんどの子どもは信じてくれなかった。

恵まれた職場環境

1年間の勤務予定だったが、3年に延びた。

副校長からはさらにもう1年続けてほしいと言われていた。

でも、すでにカウンセリングを受け、そろそろホルモン注射を始めるタイミングだったため、それを正直に伝えた。

すると、「『男性でも女性でも別に気にしないよ。あなたを人間として好きなのだから。言いにくいなら校長にも自分から事情を説明するから』と言ってくれたんです」

「校長にも伝えたら『そんなに悩んでたのか』って親身になってくれて」

結局、もう1年継続することにした。

ホルモン治療をはじめてからも、見た目の大きな変化はなかった。

変化があったのは声が変わったくらい。

それも変声期と風邪をひいていた時期がちょうど重なり、
「風邪が引いたら声が低くなっちゃって」というのが通用した。

子どもたちも保護者からも何か言われることはなく、治療は順調に進んだ。

08これからの人生

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手術、戸籍変更、結婚

2011年4月にタイで性別適合手術を受けた。

手術は問題なく済んだが、入院中はやることがなく退屈だったのを覚えている。

タイでの手術や入院の出来事について、イラストや写真、コメント付きのスクラップブックを作成して過ごした。

今後、誰かのための資料にもなればというおもいもあり、戸籍変更までの過程の詳細もファイルにまとめている。

その後、同年7月に戸籍を男性に変更し、入籍することができた。

妻の人徳にも助けられ、結婚までの道のりも平たんだった。

両家の了解もスムーズに得ることができ、障害はなかった。

ずっと2人でいて、2人だからできることを楽しんでいこう。

そう話した。

妊娠・出産の問題

今年で結婚7年目になる。

周りには子育てしている友人もたくさんいる。年齢的に妊娠・出産のリミットもある。

そんな状況の中、「子ども」の話を2人でするようになった。

こればっかりは、気持ちだけではどうにもならない。

この年齢になると、結婚・妊娠・出産・子育てという問題がよりシビアになってくる。

でも、これはセクシュアリティの問題がある・ないに関わらず、誰もが直面することだろう。

まだどうなるかわからない。

でも、これまでの人生もそうであったようにどんなことも受け入れ、自分の道を切り開き、2人らしい選択をしていきたいと思っている。

09誰もが自分らしく生きられるように

ありのままを受け入れたい

教員を勤めた後に、友人の誘いで子どもにスポーツを教える仕事に就いた。

スポーツばかりを教えていると、ふつふつと「もっと総合的に教えたい」「心の成長もサポートしていきたい」という気持ちが芽生えてきた。

そんな想いから、2015年10月に8Dこども教室を始めた。

8Dこども教室は、スポーツや勉強を教える教室ではない。

「学習塾や体育教室だと何かができるようにならなきゃいけないとプレッシャーを感じることがあります」

「うちの教室はどんな子であっても、その子のありのままを受け入れています。その中で、その子がステップアップしていけるよう働きかけています」

だから、動きたい子には無理やり「座っていなさい」というふうにはしない。「戻りたくなったら、こっちにおいで」と見守る。

動きたければそうすればいい。

そこには、その子の意志や考えがあるのだから。

尊重するようにしている。

そこを受け止めた上でサポートすることにより、誰もが伸び伸びと成長することができる。

その子が好きなこと、ピタッと自分にはまること。それを見つけられるよう手助けしていきたいし、見つけたらそれを伸ばしていきたい。

8Dこども教室は子どもが輝ける芽を見つける場所、きっかけを与えられる場所でありたいと考えている。

「今後も個々の好きなこと・やりたいことを伸ばしていける空間をどんどん生み出していきたいですね」

自分だからできること

知り合いの校長先生から、MTFと思われる生徒について相談を受けたことがある。

第二次性徴が始まる前に治療を始めることについて意見を聞きたいという。

同じセクシュアルマイノリティとして自分の見解をアドバイスしつつ、MTFの友人からの意見も伝えた。

「当事者からの率直な意見が聞けたと喜んでくれましたね。ちょっとしたことでも助けになるならと思います」

自分と関わることで、セクシャルマイノリティのありのままを知ってもらえたらうれしい。

理解の助けになったらうれしい。

自分と接することで、次に自分と同じような人にあったら、驚かず自然に接してもらえるようになったらいい。

教育現場において、自分だからこそできることがある。

10 十人十色に輝いてもらいたい

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フラットな考え方を持つ人が増えてほしい

「男女の違いって、子どもを産むか産まないかだけだと思っています。それ以外に違いはないし、男でも女でもどっちでもいいでしょうと思うんです」

「だけど、今の社会では男の子、女の子というのをすごく区別する。男の子は青、女の子は赤というように」

「でも、それは大人が勝手に作っていること。子どもはそういうもんだ、そうあらねばならないと思い込んでしまうんです」

男女の区別をしないフラットな考え方ができる子どもに育ってほしい。

だから、子どものセクシュアリティの問題に関しても、過剰に配慮する必要はないと考えている。

「周りがやたらと気にしちゃうと余計に生きにくくなっちゃう。だから、自分はこの問題をあまり取り上げたりしないほうがいいんじゃないかと思うんです」

「取り上げられると、結局特別になってしまう。次元の違う世界の人っていうふうに見られてしまうんです」

自分の経験上、あたりさわりなくその子がその子らしくいられる環境を作るほうが大切だと考えている。

教育者として子どもたちに伝えたいこと

男らしさ、女らしさではなく、自分らしさを大切にしてもらいたいと思っている。

「多くの子どもたちが自分らしさを大切にできるよう、自分もありのままで接していきたいと思っています」

これからも子どもたちが自分らしくいられる窓口となれるよう、個々の心に寄り添いながら関わっていきたい。

それから、今いる場所でうまくいかない時もあると思う。でも、無理になんとかしようとしなくていい。

日本の学校という狭い空間は、広い世界のほんの一部。

居場所は学校以外にもあるから、そこに目を向けてみてほしい。

みんな個性がある。得意なことがあれば、得意じゃないこともある。

だから、誰かと違うことに悩む必要はないし、自分を責めることもない。

ありのままを受け入れられたらいいし、人と違う自分を受け入れてほしい。

みんなそのままでいいんだから。

あとがき
決心したカミングアウトでも、行動と戸惑いは背中合わせ。「取材を通じて、いろいろな方に支えられているとう『感謝』にいきついた。そんな深部を見つめることができました」のメッセージに、ほっとした■純さんにはいつも集中できるものがある。新しいこと、難しいことにもただひたすらに向かう−−− はぐくむ、むかう、かなえる。子どもたちの「かなえたい!」をはぐくみ、一緒にむかう純さんを鮮やかに想像できた。どんな夢も全ては行動から始まる。(編集部)

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