02 よく泣き、よく笑う
03 勉強について行けず・・・
04 将来の夢は調理師
05 欲しかったリカちゃん人形
==================(後編)========================
06 ボーイッシュな女の子へのあこがれ
07 料理コンクールで会長賞
08 近くにもいた、LGBT当事者
09 LGBTコミュニティ運営の苦楽
10 まずは一歩、踏み出してみて
06ボーイッシュな女の子へのあこがれ
美術部での居場所
中学校では美術部に入る。
「部活で友だちができて、人との交流はある程度広まりました。でも、なんでも心を許せるってほどでもなくて、話すことと話さないことは分けてましたね」
友人たちと交流することが増えても、先生と過ごすことが多かった。
「休み時間になったら先生のところに行って、これ知ってる? って自分の知ってることを話したりして過ごしてました」
勉強には相変わらず苦手意識を持っていたが、昭和時代にハマったことから、歴史の授業は好きになれた。
気になる ”異性”
同級生など周囲の人に恋愛的な興味を抱くことはなかったが、芸能人にはあこがれていた。
「当時放送していたドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』で主人公を務めていた堀北真希さんが好きでした」
ショートカットの女性が好みだったことがきっかけだ。
「女子高校生が男子高校生になりすまして全寮制の男子校に入る話なんですけど、堀北真希さんのボーイッシュな姿がかわいくて」
好きが高じて堀北真希のファンクラブにも入った。
「握手会もあったんですけど、当時かなり人気だったこともあって、なかなか当たらなかったですね(苦笑)」
真面目に見られたくて
中学校でも変わらず真面目な性格ではあったが、周りからの評価も「真面目な子」と思われたい、と願っていた。
「勉強が苦手だった分、でも真面目でいい子、って思われたかったんです。学校も休まず行ってましたしね」
周りからも「いい子」に思われていたためか、同級生から面倒な役回りを押し付けられてしまったこともあった。
「『安江くん、これやってよ』って、合唱コンクールでパートリーダーを任されたことがあって・・・・・・。同級生をまとめるのには苦労しました」
性別への違和感は中学生の頃も変わらずあったが、「真面目な男の子」像に寄せるために深く押しとどめていた。
「真面目だと思われるために、髪もきちんと短髪に切ってました。男っぽくみられるために、あえて低い声を出そうとしたこともありましたね」
「違和感を抑えるのに慣れちゃって、制服とか第二次性徴に対しての嫌悪感は、そこまで感じてなかったと思います」
でも、心のどこかで「やっぱり違う」という気持ちが拭えずにいたことは覚えている。
07料理コンクールで会長賞
将来につながる実践的な学び
中学卒業後は、調理師免許の取得を目指しながら高校卒業資格も得られる高等専修学校に進学。
「高等専修学校は、いわゆる『高専』と言われる高等専門学校とは違って『専門学校のなかの高校』って位置づけです」
念願だった調理師への道にぐっと近づき、学校生活は充実していた。
「調理に関する理論、食品の性質、公衆衛生・・・・・・。調理師になるために必要な知識を学校の授業として学べるのは楽しかったです」
「友だちとも休みの日に一緒に遊びに行くこともありました」
調理師の卵が通う学校のため、学校行事は日々学んだ成果を発表する大事な場となっていた。
「文化祭では、1年生はグループで料理を作ったり、2年生は自分でテーマを決めて、一通りの料理を一人で用意したり・・・・・・」
「卒業時には、謝恩会に両親を招待して料理を振る舞いました」
県の料理コンテスト
2年生のとき、岐阜県の高校生を対象にした料理コンテストに出場する。
「その時は、きのこと県内の食材を使うことが条件で、私は『きのから茶漬け』を作りました」
きのこと地元産のひき肉を使ったつくねを3段に積み上げ、大葉と白髪ねぎを添える。割烹料理屋さんの〆に出て来るような、大人のお茶漬けだ。
「140人が出場したんですけど、そのなかで会長賞をもらえました!」
幼いころから夢見ていた、調理師という夢につながるコンテストでの受賞。
「コンテストで受賞できた経験は、やっぱり自信につながりました!」
言い表せない、衝動的な性別違和の感覚
中高生の頃、普段の生活では性別への違和感を抑えることに成功していた。
でも、ときどきその違和感が膨れ上がり、無性に落ち着かなくなることがあった。
「言葉にするのが難しいんですけど、たまに『女性的な感情』が湧き上がってくることがあって・・・・・・。私は明らかに男性ではないのに、どうして男性として生活しているんだろう? っていう感じですかね」
感情が高ぶったときは、母の車に置いてあったかわいらしい豆腐のキャラクターのクッションを強く抱きしめて、気持ちを静めた。
たとえば、制服は「これを着なさい」と言われたからには、きちんと着こなすようにしてきた。髪も短く切り揃え、清潔な印象を保つように心がけてもいた。
けれど、本心では男子の制服ではなく女子の制服を着たかったのかもしれない。髪も伸ばしてヘアアレンジを楽しみたかったのかもしれない。
「でも、自分の気持ちを口に出したら、私の周りから人が離れていってしまうんじゃないかと思って、やっぱり口にはできないな、と思ってました・・・・・・」
たまに体験したどうにも落ち着かない心持ち。
いま改めて振り返ると、それは真面目な男子高校生でいようと振る舞っていたことが理由だったように思う。
日常生活で溜め込み続けていた小さなもやもやが、ときどきあふれ出たのだろう。
08近くにもいた、LGBT当事者
テレビで知ったLGBTQとXジェンダー
セクシュアリティを自覚するきっかけに出会ったのは、23歳のときだった。
「NHKの情報番組を観てたら、たまたまLGBTQ当事者のことを放送してたんです」
その番組のなかで紹介されていたXジェンダーの概念を聞いて、自分のセクシュアリティが腑に落ちた感覚がした。
「自分の性別に対するこれまでの違和感へ説明がついて、気が楽になりましたね」
ちょうど同じころに、高校の先輩の一人がSNSでバイセクシュアルであることをカミングアウトしたことを知る。
「私だけじゃなくて、こんなに身近にもLGBTQ当事者がいたんだ! って」
セクシュアリティは違っても、高校の先輩の存在やカミングアウトしたことを知って、私も自分らしく生きていいんだ! と背中を押されたような思いがした。
「いつかはやめてくれるんだよね?」
セクシュアリティを自覚してから、徐々に女性性を意識したファッションに挑戦し始める。
「私は今の姿を ”女装” とは思ってないんですけどね」
「でも、実家暮らしなのもあって、いきなりガラリと変えるのは勇気が必要だったので、最初はヘアピンを付けてみるところから始めました」
すると、その様子を見た母から「女性になりたいの?」とたずねられた。
「実は男性と女性の間、中性なんだ、とそのときは返しました」
自然な会話の流れでカミングアウトしたこともあり、セクシュアリティを伝えることに対して緊張はなかった。
母はあからさまに否定するようなことはなかったが、「そういう格好をするのは、いつかはやめてくれるんだよね?」と聞いてきた。
「母としては、子どもが変わっていくことに不安を覚えたからそう言ったのかな、と思ってます・・・・・・」
その少し前までは、いわゆる「オネエ」タレントがもてはやされていた頃でもあった。
「たとえば、はるな愛さんはトランス女性として受賞歴もあるタレントさんですけど、母はトランス女性としても評価されている面ではなく ”性転換した元男性” って印象が強かったようで」
「”男性” が女性の恰好をすることはダメ。息子である私にはそんな真似をしないでほしい、って思ってたみたいです・・・・・・」
頭ごなしに否定されなかったものの、母は私の装いを “一時的なもの” としておきたかったのだろう。
セクシュアリティを受け入れられたとは思えないやり取りだった。
09 LGBTコミュニティ運営の苦楽
LGBT当事者として前に出ることで受ける「荒波」
24歳から、東海地方に住むLGBTQ当事者とアライを対象とした交流会を主催している。
「セクマイ交流の場として開催している『虹色会』では、グループで話したり、LGBTQについてお話ししたりしてます」
個別に電話で相談を受けていたこともある。
「相談者のかたが抱えてるモヤモヤを話してもらって、そのモヤモヤを一緒に整理していく、ってことをやってます」
ほかのスタッフと手探りで交流会を主催している初期の段階で経験した苦い思いが、今でも胸に残っている。
「参加者のなかに『あなたにイベント主催はできない』っていうような口調で、イベントの内容をあれこれ批判してきた人がいて・・・・・。そのことがきっかけで、そのときに手伝ってくれてたスタッフが離れてしまったりしました」
眉をひそめる父
コミュニティ運営を続けることが難しいと感じる要因は、参加者などの「中」だけでなく、「外」にもある。
「コミュニティ立ち上げ当初、父がTwitter(現X)で私の発信を見かけたようで『あれはなんだ? 変なことやってんじゃないよ』って言われたこともありますね・・・・・・」
母から伝え聞くかたちで、父や兄も自分のセクシュアリティのことを知ってはいる。
「今も両親とは一緒に暮らしてるので、私がスカートをはく姿を目にしてもいます」
でも、今の私の活動を必ずしも応援してくれているわけではない様子だ。
個人情報はあまりネットに書かないように、と親から言われている。
発信し続けて得られた、大切な仲間や経験
否定的な声があっても、今の活動を続けていこうと思えるのは、素晴らしい経験もたくさんしているから。
「参加者から批判された事件のあとに今のスタッフと出会って、二人三脚で活動を続けられてます」
LGBTERにすでに登場している、山本皓埜さん、西本梓さん、福田茉奈さんらLGBTQ当事者の知人たちも、この活動を通して知り合った。
コミュニティでの出会いだけでなく、個人で生活しているときも、ふとした場面で元気をもらうこともある。
「カフェに入ったとき、いつもジャケットに付けてる虹色リボンのバッジを店員さんが見て、声をかけてくれたことがあるんです」
自分のセクシュアリティや活動について話すと「実は私も・・・・・・」とカミングアウトされた。
「ヒロさんがこうして活動してくれてることが本当にうれしいんです、って声をかけてもらえると、私の活動が人の役に立ってるんだ! って、こちらもうれしくなります」
コミュニティ運営や日々の発信で出会うささやかなできごとが、活動を続けていく原動力となっている。
10まずは一歩、踏み出してみて
性別不合(性別違和/性同一性障害)診断に対する不安
性自認については、対外的には「F寄りのXジェンダー」と説明しているが、実際にはトランスジェンダー女性(MTF)だと思っている。
「まだ治療はしてないし、このパス度でトランス “女性” です、って言うと『いやいや・・・・・・』っていう反応をする人もいるかな、と思って、SNSではそのように説明してます」
治療については、いまのところ手術までは予定していない。それよりも治療を受ける前段として必要な診察に不安がある。
「知人のFTM(トランスジェンダー男性)のかたで、診断を受けようと思ったら、診察で性別への違和感を否定されたという人がいるんです。そういう話を聞いてると、自分も性別不合(性別違和/性同一性障害)の診断をもらえないんじゃないかって・・・・・・」
いまは医療的な性別移行はせず、髪を結べる長さに伸ばしたり、やわらかな装いをしたりなど、自分にできることを少しずつ実践している。
「スカートをはいて首にはスカーフを巻いて・・・・・・こういう格好のときが自分として生きている実感が持てて、楽しいです」
肌身で感じる周りの変化
社会生活では自分の性別をどのように説明すればよいか、迷うときがよくある。
「男性として扱われても仕方ないかなとは思ってますけど、たとえばアンケートの性別欄で選択肢が『男・女』しかないときは、いつもどっちに○を付ければいいかな? って悩んでますね・・・・・・」
「男」に○をすれば、自分を男性として認めることとなってしまう。
でも「女」に○を付けるのは、どうしてもウソをついているような後ろめたさが残る。
「前に一度、『男・女』の間の点に○を付けたこともありますけど(笑)、『その他』とかでもいいので、もうちょっと選択肢が増えたらいいなって思います」
調理師としていくつかの仕事を経験した。
現在は、製造業の現場にいる。
男性向けの作業着を着用し、少し長めの髪をゴムで一つにまとめて、男性として働いているが、同僚が自分のセクシュアリティをまったく知らないわけではない。
「たまに、私のセクシュアリティについてやんわりとたずねてくるかたがいるので、聞かれたら『実は・・・・・・』って答えるようにしてます」
「皆さん、『いいと思いますよ』って前向きに受け止めてくれる人が多いんです」
職場でも女性として働きたい気持ちはあるが、現状は引き続き男性として仕事をするつもりだ。
「ポジティブに受け入れてくれる人が周りにいるんだ、って実感しつつあります」
少しずつ変えてみるという挑戦
活動を通して知り合ったトランスジェンダー当事者から、自分のセクシュアリティに合わせた性表現をするのにためらっている、と相談されることがしばしばある。
「ちょっとだけでもいいからチャレンジしてみよう! って伝えてます」
今では職場以外の時間は女性として生活し、スカートをはいて街を歩いている私も、ヘアピンをつけることから始めた。
「たとえば、スカートをはいてみたいけど、周りから冷たい目で見られることが怖いって思ってる人は、まずはユニクロとか手近なお店に行って、試着室のなかで身に着けてみるだけでもいいと思うんです」
以前、MTFの相談者と一緒に、スカートを選びに行ったことがある。
「私から見ればとても似合っていて素敵でした。それなのに、周りからの視線が冷たいのでは? やっぱり似合っていないのでは? と思い込んでいるように見えたんです」
「たしかに、全員が受け入れてくれるわけではないとは思います。でも、分かってくれる人も確実に増えてきてるはずです」
理解者の存在を信じて、本来の自分を表現していくために、小さな変化を起こすことから始めてみてほしい。
私が、その証明。