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LGBTコミュニティの運営には、大変さを上回る喜びがある【前編】

スカーフをリボンの形に巻いて登場した安江ヒロさん。髪をたばねたバレッタ、耳元で揺れるピアスは、しなやかな身振り手振りを交えて話す姿ととてもマッチしている。性別への違和感に気付いてから現在の境地に至るまで、どのようなおもいを重ねてきたのか。

2024/09/18/Wed
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
安江 ヒロ / Hiro Yasue

1997年、岐阜県生まれ。5歳ころから性別違和を覚え始めるが、元来の真面目な性格が由来して、男性としての生活を続けていた。23歳で「Xジェンダー」という言葉に出会い、LGBTQ当事者だと自認。翌年、東海地方のLGBTQ当事者向けコミュニティ「虹色会」を立ち上げ、代表を務めている。

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INDEX
01 無口な子
02 よく泣き、よく笑う
03 勉強について行けず・・・
04 将来の夢は調理師
05 欲しかったリカちゃん人形
==================(後編)========================
06 ボーイッシュな女の子へのあこがれ
07 料理コンクールで会長賞
08 近くにもいた、LGBT当事者
09 LGBTコミュニティ運営の苦楽
10 まずは一歩、踏み出してみて

01無口な子

自然豊かな「田舎」

岐阜県のなかでも、特に自然に恵まれた環境で生まれ育つ。

「ドッジボールとか、外で遊ぶことは多かったですね」

でも、私はそれよりも自分の世界のなかで遊ぶことのほうが多かった。

「水が豊かな地域なので、用水路でブラックバスを釣るのが流行ったことがあったんですけど、私はあまりそういうものに興味がなかったですね」

家族のなかでは、母に懐いた。

「家のなかでは母がよくしゃべるタイプです。厳しいところもあるけど、一緒に寄り添ってくれる人です」

父は仕事で家にいない時間が長く、家にいるときも母とは対照的にあまり口数が多いほうではなかった。

「ただ、父はいつもは無口なのに、たまに小さなことで叱ってくることもあって・・・・・・」

性別規範から逸脱するようなことに対する指摘も、母より父のほうが多かったと思う。

「母も『普段は口を出さないのに、そこは怒るんかい!』って言ってましたね」

緊張感のある家庭環境

幼少期からおとなしい子どもだった。

おとなしいどころか、母の言うところによれば、3歳ころまでまったくしゃべらない子どもだったらしい。

「この子は本当にしゃべれないんじゃないか? って不安になるくらい、しゃべらなかったみたいです」

大人になって振り返ると、その原因の一つは家庭にあったのではないかと思っている。

「3歳まで同じ敷地内に住んでた祖父母が、よくケンカしてたんです」

家のなかにただよう張り詰めた空気を感じ取って「今は話しちゃいけない」と思っていたことが、発語の遅れにつながったのではないかと、兄と話したことがある。

家族間の不仲もあり、3歳のころから両親と兄の4人で祖父母のところから離れ、アパートで暮らすようになった。

はじめて発した言葉は ”きつめ” の方言

3歳になって保育園に通うようになってから、言葉を話し始めた。

「保育園の先生から言葉を教わって、話せるようになったんです」

初めて口に出した言葉は、おもちゃなどの単語ではなく、方言だったという。保育園の先生が使っている言葉を真似したのだろう。

「田舎のほうなんで『◯◯ちゃうやろ!』とかちょっときつく聞こえる方言なんですけど、いきなりそういう言葉を話し始めたらしいです(苦笑)」

02よく泣き、よく笑う

口に出さずとも表れる感情

保育園に通い始めてやっと気持ちを言葉として出せるようになったものの、堰を切ったように饒舌に話しまくった、というわけでもなかった。

「親からは、よく泣く子だったって言われてます」

言葉を覚えた時期が周りの子たちに比べて遅かったこともあり、保育園でしばしば意地悪をされる。

でも、そんなことがあっても「あの子にいじめられた」「保育園に行きたくない」とは言わなかった。

「黙って玄関で座り込んで、泣いてたそうです」

もともと真面目な性格なので、もしかしたらこのころからすでに「保育園に行きたくない」とは言い出しづらかったのかもしれない。

それでもやっぱり家を出て行きたくなくて、その気持ちが静かな涙の流れとなって表れたのだろう。

周りを落ち着かせる、穏やかな笑顔

泣き虫な子ども時代ではあったものの、笑顔を褒められることも多かった。

「当時から周りからは『ヒロくん』って呼ばれてたんですけど、保育園の先生から『ヒロくんの笑顔を見てると、なんか落ち着くな~』って言われてました」

そのころに撮った写真のなかの私は、屈託のない笑顔をカメラレンズに向けている。

先生に褒められるように真面目に振る舞うことや、笑顔を絶やさないようにする心がけは、このころに培ったのかもしれない。

03勉強について行けず・・・

なんとか通常学級で

小学校に上がると、勉強につまずいた。

「特別支援学級に通ったら? って勧められたことも何回かあったんですけど、断固として反対しました」

先生からは、勉強についてはもう少し頑張ろうとは言われたが、印象は悪くなかったはずだ。

「素直で真面目な子、と見られていたと思います」

学校のトイレスリッパがバラバラに散らかっていたら、だれに言われるでもなくきっちりそろえるような、気の利く子だった。

一人で過ごす

小学校では基本的に一人だった。

「お互いに心を許して時間や経験を分かち合える存在が友人、だと思ってるんですけど、そういう人は小学校ではなかなかできなくて・・・・・・。小学校5年生くらいまで、放課後にクラスの友だちと遊びに行く、みたいなことはなかったですね」

学校の休み時間には、一人で学校中を歩き回るなどして過ごした。

「学童にも通ってたので、そこでは年上の子と遊ぶこともありました」

04将来の夢は調理師

ディープな昭和レトロ

小さなころにハマったものの一つが昭和時代のもの。

「最初はモノから入りましたね」

かつては主流だった牛乳瓶。しかし、瓶が割れると危険なため、三角形の紙パックのものが発明されて、現在に至る。

その過程に面白味を感じた。

「それから、だんだんとアイドルとか流行歌とか、昭和時代全般に広く興味が広がりました」

それも、いわゆる「昭和レトロ」として現在流行っている1970~80年代よりも、ずっと昔の年代まで探究していった。

「たとえば、ドリフが好きでよくネットで動画を見てました。コントで森光子さんといかりや長介さんが夫婦役をしていると、回想の馴れ初めシーンで昭和20年代のヒット曲がBGMで流れるんですよね。この曲は何だろう? って調べて、藤山一郎さんの『青い山脈』っていうんだ! って」

今でも、70代の高齢者と話を合わせられるほど、昭和時代に詳しくなっていった。

「その代わり、同世代の友だちのなかで当時流行ってたものとかは、全然ついていけてなかったですね(苦笑)」

想像力豊か

家や学童では、一人遊びとしてオリジナルの物語を作ることにも夢中になる。

「コピー用紙の上に1本、線を引くんです。その上にいろんな人を描きながら、この街はこういう成り立ちで、この人はこういう仕事をしていて・・・・・・って、一人でずっとしゃべりながら描いてました」

「ある人物の物語を作ったら、今度はそのなかに登場する別の人物について掘り下げたりして、延々と描き続けてましたね」

さながら、紙の上で作るエンドレスな一人芝居のようなもの。

だれかに披露するために創作を続けていたわけではなかったが、そばで見守ってくれていた母は「想像力が豊かだね」と、長所として認めてくれてた。

「思いつくだけ、とにかく描いてたので、コピー用紙がすぐになくなっちゃって(笑)。でも、今はもう残ってないと思います」

コックになるために必要な免許・調理師

小学校2年生のときから、将来は調理師になる! と決めていた。

「NHKの子ども料理番組を見て、自分もやってみたいなと思うようになりました」

小学生のうちから、母が料理をする横で簡単なお手伝いを始める。

「小さいころからおままごとが好きでしたし、母が料理をする姿も見てたから、興味があったのかな」

最初のうちは「将来の夢はコックさん」と考えていたが、料理人になるには調理師免許が必要だと知ってからは「調理師になる」ことを目標に据える。

その後ずっと調理師への夢は変わらなかった。

「高校生になってからも、おばあちゃんに料理の味を見てもらったりしてました」

05欲しかったリカちゃん人形

特撮より、女児向けアニメ

性別に対して違和感を覚えるようになったのは、5歳のころからだった。

「女の子向けのアニメが好きで、日曜日は『明日のナージャ』を観てました」

周りの子と話を合わせるために、戦隊ものの番組も一応観るようにしていた。でも、興味はストーリーや世界観より、演じていた俳優に向けられていた。

「『仮面ライダー響鬼』の主人公を演じていた細川茂樹さんが岐阜県出身で、かっこいいなあって思ってました」

男の子なんだから、リカちゃん人形は・・・

女児向けアニメの視聴について、家族からとやかく言われることはなかった。

でも、両親がリカちゃん人形を買ってくれなかったことだけは、今でもよく覚えている。

「男なんだから女の子のおもちゃはダメでしょ、って断られたと思います」

大人になってから、子ども向けおもちゃ店でリカちゃん人形を見ると、2000円程度で売られていたことを知った。

「値段が高かったから買ってもらえなかったのかな? とも思ってたんです。でも安いんだけど! って驚きました(笑)」

女児向けのおもちゃ以外にも、叶わなかったものがある。赤いランドセル、水色のジャージ・・・・・・。

女の子がよりほしがるものを私も好んだ。

でも欲しいものがあったときも、実際に気持ちを口に出すことはかなわなかった。

 

<<<後編 2024/09/25/Wed>>>

INDEX
06 ボーイッシュな女の子へのあこがれ
07 料理コンクールで会長賞
08 近くにもいた、LGBT当事者
09 LGBTコミュニティ運営の苦楽
10 まずは一歩、踏み出してみて

 

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