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スーツを着て、一般企業で働いている姿を発信して、トランスジェンダーの就労に希望を。【後編】

スーツを着て、一般企業で働いている姿を発信して、トランスジェンダーの就労に希望を。【前編】はこちら

2024/08/23/Fri
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
大滝 洸 / Hikaru Otaki

1997年、埼玉県生まれ。「たぶん生まれてからずっとある」という自分の名前や体に対する違和感を抱えながら、幼少期から思春期を過ごす。高校生のとき、トランスジェンダーの同級生に出会ったことで、自分もそうであると自認。17歳でジェンダークリニックを受診し、18歳で性同一性障害(性別違和/性別不合)の診断書を取得する。大学卒業後は住宅メーカーに就職。営業担当として働きながら、性別適合手術を受けないまま、転勤先の岩手県にて戸籍の性別変更を申し立て、盛岡家庭裁判所は2024年5月に性別の変更を認めた。

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INDEX
01 ちょっと変わった家の子
02 中学の美術部を再建
03 母の再婚はお金のため?
04 女子高に入学して一気に好転
05 “トランスジェンダー” との出会い
==================(後編)========================
06 高校に通いながらホルモン治療を開始
07 正々堂々と就職して営業マンになりたい
08 両親との絶縁
09 手術を受けずに性別変更を
10 積み上げていけば、きっと結果が

06高校に通いながらホルモン治療を開始

父「思い込みじゃないか?」

トランスジェンダーの同級生に出会ったことをきっかけに、性同一性障害(性別違和/性別不合)とその治療などについて独自に調べた。

17歳のとき、家族に相談することもなく、ひとりでジェンダークリニックの診察を受ける。

「自分がトランスジェンダーだと自覚してから、ネットでいろんな情報を見たんですが、ネガティブな内容が多くて」

「自分の将来はやばいかもって不安が募っちゃって、割と時間がかからないうちに限界まできてしまって・・・・・・。もう自分はダメなのかなあって」

考えれば考えるほど孤独になっていく気がした。

「このまま考えていてもなにも始まらない。まずはクリニックで診断書をとらないと、とネットで見つけた近所のクリニックに行きました」

そして18歳のとき、性同一性障害の診断が出た。

「診断書をもらうまで1年かかってしまったので、早く治療しなきゃって、すごく焦りました。時間がない、時間がない、って」

同時に、自分以外にこの状況を知る人がいないことを不安に思った。
誰でもいいから自分がトランスジェンダーであると知っておいてほしい。

「それで、何年ぶりかわかんないですけど、実の父に電話してみたんです。自分は性同一性障害だと思うんですよね、って」

「すぐに『思い込みじゃないか?』って言われたんですけど、そのあとに『そう思うんだったら、ひとりで全部やり切れ』みたいなことを言われたんで、はい、わかりました、って感じで電話を切りました」

「理解はしてもらえなかったけれど、尊重はしてもらえた感じでした」

カミングアウトされた母は無言だったが

次にカミングアウトしたのは母だった。

「母はまぁ、気づいていたというか、医療明細を見て知っているようでした。でも、性同一性障害だって話をしても、ただ黙って聞いているだけで」

「特になんの言葉も期待してなかったし、止められたとしても治療はするし・・・・・・。ただ、親に言わずに治療をするのは不義理な感じがしたので、言うことは言ったから、もう治療してもいいかなって(苦笑)」

治療はすぐにでも始めたい。
しかし通っているのは女子高。

トランスジェンダー男性として高校に通うことは可能なのか・・・・・・?

二の足を踏んでいると、母が言った。
学校に相談に行こう!

「それまでなんかやたら本を読んでるなって思ったら、性同一性障害について勉強してたみたいなんです」

「学校に行ったら、私となにも打ち合わせしていないのに、急に先生たちに『うちの子が性同一性障害なので治療を許可してほしい』って話し始めて」

「その後、治療は許可されてスラックスで通学することが認められました」

学校に対しては、自分からはなにも働きかけることはなかった。
母が動いてくれた結果だった。

「そこは、母に大変感謝してます」

07正々堂々と就職して営業マンになりたい

ポジティブに生きるトランスジェンダーの姿を

営業マンになりたいと思ったのは、大きくふたつの理由がある。

ひとつは、自分のコンプレックスと正面から向き合って乗り越えたかったから。

そして、トランスジェンダーも一般企業で就職して、生きていけるということを示したかったから。

「自分自身が高校生のとき、ネガティブな情報を見て将来を悲観的に捉えそうになっていたので、若い人たちにそうなってほしくないと思ったんです」

当時は、ネットでポジティブに生きている人を探しても見つからなかった。
だったら、自分がそのロールモデルになればいい。

「私が、うまくいっている姿を示せば、それを見た若い人が『なんだ、うまくいくじゃん』って思ってくれるかなって」

大学は法学部に進学。
ゼミに入らなくてもいいし、卒論もないというのが大きな理由だった。

「大学でどれだけ勉強しても、採用担当者は評価してくれないと考えていたんです。だからゼミも卒論も時間を取られるだけだなと思って」

「就活では、面接時に『こいつは営業マンとして通用するだろう』と思われないとダメだと思っていました。ただスーツを着ているだけじゃ、そういう雰囲気というかオーラが出ないだろうからダメだろうなって」

「だからスーツを着て、たくさんの人とコミュニケーションをとるという、営業マンにできるだけ近い環境でアルバイトしたいと思っていて、大学時代は、そのことに時間を割きたかったんです」

そこで選んだアルバイトは塾の講師だった。

最終面接までにカミングアウトする

大学在学中に、名前を愛里から洸(ひかる)に変更。
水面に光が差しているような優しい光をイメージした。

「営業マンになって言葉を用いて仕事したり、発信したりしたいと考えていたので、その言葉が人の心の深層に響くことがあるようにって、願いを込めました」

その名前で就職活動をし、最終的に住宅メーカーに就職が決定した。
就職活動において、絶対に譲れないことがひとつあった。

「最終面接までにカミングアウトする、ということです」

「同年代では、トランスジェンダーであることを隠して面接を受けて、内定をもらってからカミングアウトするというパターンが多かったんです」

「そうでもしないと就職できないという不安もあったんだと思いますが、それはさすがに不誠実すぎるし、やってはいけないと思っていて」

営業職に就く以上は、言葉に嘘があってはいけない。
誠実でなければならない。

そして、真実を伝えても、きっと内定は出ると信じていた。

「就活したときに “LGBTに理解のある会社” とPRしている企業もいっぱいあったんですが、なんというか、そういう恩恵がなくても就職できるほうが 『うまくいく』 っていう説得力があるかなって思って」

「私が選択したのは、女性進出率が低い建設業界。面接で、『女性にはキツイ業界だし、特にあなたにとっては本当に大変だと思うけど、やれる自信はありますか?』みたいなことをきかれました」

「そこはもちろん、『はい、あります!』って答えて内定が出ました」

08両親との絶縁

「体も性格も中途半端だな」

大学を卒業して住宅メーカーに就職。
西東京の本社から異動後、現在は岩手の支社に勤務している。

故郷を離れて5年近く経つ。

「実の父と最後に会ったのは、2024年の1月。それでもう、縁が切れてしまって、会うことはないと思うんですけど・・・・・・」

「両親の離婚後、父は新しい家庭を築いて子どもが3人います。つまり、私には異母きょうだいがいるわけです」

「最後に父と会ったとき、その3人にも会ったんですよ。それで仲良くできたから、父はそれで充分だったみたいで、さよならって感じで(苦笑)」

その際に、父から、母に会えと言われた。

女子高に通っているときに治療を開始できたのは、確かに母のおかげだ。

しかし、自分が “守ってほしかったとき” に、母は守ってくれなかった。
守ってくれないどころか、傷つけられることも多かった。

「ホルモン治療を始めた頃、副作用がひどくて、肌が荒れて、過眠症になって、鬱になって・・・・・・。当時受験生だったこともあり、これでは勉強ができないので治療を中断するほかなかったんです」

「そのときに、母は『せっかくここまで私がお膳立てしたのに』って感じで」

「義理の父からは『お前は、体も性格も中途半端だな』と言われて・・・・・・かなりへこみました」

積もりに積もって、社会人になってからは母とも疎遠になっていた。

無論、実家で暮らしていた頃も、母は義理の父の家でも生活していたため、週3回しか顔を合わせていなかったが。

義理の父に、祖父と母が土下座

「実の父に言われてすぐに母とふたりで会ったんですが、まず言われたのが、その日、私に会うために義理の父に40万払って来たってことなんですよ」

「母と会う約束したのは土曜日なんですが、土曜日はいつも義理の父と一緒にいる日だから、私と会うために土曜日に出かけるなら40万払えって義理の父に言われたそうなんです・・・・・・」

母は子どもの頃からかなり貧しく、現在は祖父母も含め、義理の父に養ってもらっているようだった。

「住宅ローンの支払いとか金銭的な事情があったから、母は 『あなたたちのため』って。なによりも財産を手元に残そうとして 『ノー』とは言えない立場だったと思います」

「私の就学のこととかは、義理の父にも感謝してますけど、貧しいなら貧しくてもいいと私はずっと思ってきたし、母にもそう言ってきたんですけど・・・・・・」

ある正月、家族で祖父母の家に集まったとき、義理の父が突然憤慨。
「お前の顔を見るだけでイライラするから出ていけ!」と、私に怒鳴った。

出て行ったあと、どうなったのか母にきくと、怒りが収まらない義理の父に対して、祖父と母が土下座して謝ったというのだ。

「あまりにもしんどくて・・・・・・。自分までおかしくなってしまいそうなので、いまはとにかく家族から離れておこうかなって思ってます」

「周りからは縁を切ったほうがいいと言われることもありますが、なんとかなんないかな、って考えたりしますね・・・・・・いまだに(苦笑)」

09手術を受けずに性別変更を

手術が生活や身体に及ぼす影響は甚大

2023年10月25日、戸籍の性別を変更するために生殖能力を失わせる手術を必要とする「性同一性障害 特例法」の要件に対して、違憲判決が出た。

「判決が出たとき、『おおっ』と思ったんですけど、それですぐに自分も申し立てようとはしなくて、2週間じっくり考えてから『これは絶対、申し立てないといけない!』と思って行動を起こしました」

「歩いて7分のところに家庭裁判所があるのにも運命を感じて」

一切の外科手術を伴わない戸籍の性別変更。
それが認められる社会であると信じて申し立てを行った。

「自分にとって性別の変更は、仕事をして人生を歩むために必要なこと」

「手術をすると、副作用とか後遺症とか、生活に差し障りが出てしまうことがあるので、人生において “手術をしない選択” が認められることは、とても大事だと思ってます」

手術は、あくまで治療の選択肢のひとつ。
望む人が受けるもので、誰かに強いられたり、状況に急かされて受けるものではない。

そのこともまた、これから人生を歩んでいくトランスジェンダーに伝えたい。

「ネットで、トランスジェンダーのネガティブな情報ばかりを見てしまった16歳のとき、これから自分がどんな治療をして、どうやって就職して、どんなふうに働いているか、まったく想像できなくて」

一般企業で “ふつうに” 働いているロールモデルがほしかった。

「だからこそ、『16歳の自分へ』としてXやnoteで投稿しました」

誰かの活動に対して恩返しをしたい

クリニックへ通って、診断書を得て、治療して、「営業マンになりたい」という目標を達成して、昇進して、性別変更の申し立てをして・・・・・・。

そんなさまざまな “履歴” を、16歳のときの自分に語りかけるように綴った。

思った以上の反響があり、16歳の自分が求めていたように、ロールモデルを求めているトランスジェンダー当事者がいるのだと、改めて実感した。

「恩返しをしたいと思ったんです」

「以前は、社会を変えるためには、政治家になるか、大企業の経営者になるか、どちらかじゃないと無理なんじゃないかって考えていて、LGBTQに関する活動には意味を見出せないでいたんです」

「でも、ほかの人の活動のおかげで、手術要件に対する違憲判決が出たんだと考えたときに、恩返しをしたいと思いました」

「自分が誰かの恩恵を受けたんだから、今度は、自分が誰かに返せたらいいなって私は思います」

自分の人生を発信することは、恩返しの一環でもある。

トランスジェンダーの同級生が、手術なしでの性別変更について、Xの投稿を読んで、連絡をくれた。

「自分もやる気になった、と。それで、戸籍上の性別を変更して結婚したそうです」

「ネガティブだった同級生も自ら幸せをつかんだようだし、うれしかった(笑)」

10積み上げていけば、きっと結果が

同等の生活基盤があれば、いつか差別も

2024年5月、岩手県・盛岡家庭裁判所は性別の変更を認める決定をした。

性別適合手術を経たうえで行うこれまでの申立てよりも、多くの時間と手間を要したが、あまり不安には思っていなかった。

「思った結果が出なくても、ちゃんと社会生活を歩んでいるし、ほかに結果を出している人もいるので、もう一度、診断書を作り直したりして申請すれば、いつかは私も結果が出せると思ってました」

「それよりも、これまでを振り返って一番の難関は、やはり就労。これがうまくいかないと、やっぱり人生に対して悲観的になっちゃうと思うので」

「若いトランスジェンダーの人たちが、社会に希望をもって就活したり、明るい気持ちで働ける世の中になったらいいと思ってますし、きちんと働いて納税することで、社会の一員だと周りに理解されるのが大事だと思います」

マイノリティであっても、できるだけマジョリティに近い生活の基盤をもつことができれば、マイノリティに対する差別もなくなっていくのでは。

「そんな社会にしていくというのが、私の夢です」

未来を信じて、積み上げていく大切さ

一般企業の営業マンになるために、面接時に即戦力だと思われるような雰囲気を醸し出せるように、学生時代はスーツを着てアルバイトをした。

就職してからは、コツコツと勉強して宅建士の資格をとった。

「若いトランスジェンダーの人には、できる範囲で少しずつ、治療のことも、カミングアウトのことも、積み上げていけば、いつかきっと結果が出ますよ、と伝えたい」

「人生に対して悲観的になるのは、そうした積み上げに意味がないと諦めてしまうからだと思うんです」

いまの自分があるのは、なにに対しても嘘をつかずに、結果が出せると信じて、自ら決めたことを確実に行なってきたからこそ。

「10年間、計画したとおりにやってきました。だから伝えたい。ちゃんと願ったことは、積み上げていけば、ある程度は実現します、って」

 

あとがき
かっちりスタイルのスーツ姿でご登場。気分が上がっても下がっても、人との接し方は変わらないだろう。平静を保てること、それは洸さんの特長でもある。加えて取材では、喜色満面な様子から力みのない柔らかさに触れたおもいがした■やるべきことがわかっていると、気持ちを向かわせやすい。「積み上げていけば、いつかきっと結果が出ます」。洸さんは静かに言った。ときにスッキリしない結果となっても、圧倒的な積み上げはかけがえのない自信になる。(編集部)

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