02 「考えてもわからないなら忘れよう」
03 中学時代に出会った友だちの存在
04 自分の性別を認識し始める時
05 カミングアウトが呼び寄せたもの
==================(後編)========================
06 ホッとした「知っとったで」のひと言
07 消防士という夢の職業
08 “中途半端” を脱するための手術
09 歩み始めたばかりの新たな道
10 LGBTだから悩まなきゃいけないわけではない
06ホッとした「知っとったで」のひと言
呆気に取られた母へのカミングアウト
高2でFTMの知り合いができた日の夜、大きな一歩を踏み出した。
深夜1時、床に就こうとしている母を「話したいことがある」と呼び止めた。
「FTMであることを伝えようと思い立ったら、すぐにでも周りに話したかったんです」
「おかんは『眠たい』って嫌がっていたんですけど、『眠気がぶっ飛ぶで』って引き止めました」
30分ほどの時間をかけて、「自分は性同一性障害、FTMかもしれない」と伝えた。
「今日FTMの人と出会って、自分も同じだと思った」と。
母に対する申し訳なさから、涙があふれてきた。
母はいつもと変わらない表情で、こともなげにこう言った。
「・・・・・・知っとったで」
「おかんにそう言われた時は、『ちょっと待って、この30分返してよ』って拍子抜けしました」
「劇的な展開はなくて、普通に『今つきあってる人はいるの?』『同級生のあの子のこと、好きだろ?』ってコイバナみたいになって(笑)」
「寝る前に『あんたが男だろうが女だろうが、おかんの子には変わりない』って言ってくれました」
あっさりした態度に呆然としてしまったが、気づいてくれていた母に驚いた。
この頃はホルモン注射での治療や性別適合手術をするつもりはなかったため、将来について話すこともなかった。
「お姉ちゃんだと思ってなかった」
最愛の妹には直接伝えず、母から言ってもらった。
メールで「知っとったけど、いまさら?」と送られてきた。
「家族のリアクションが薄すぎて、逆に困っちゃいましたね(笑)」
「その後で、妹からは『お姉ちゃんだと思ってなかった』って言われました」
寛容な家族が受け止めてくれたおかげで、友だちへのカミングアウトも怖くなかった。
07消防士という夢の職業
子どもの頃に抱いた夢
幼い頃からの夢は、消防士。
小学生の時にはしご車に乗せてもらった経験があり、消防士の力強さに憧れた。
ドキュメンタリー番組『緊急車両24時』や漫画『め組の大吾』を見ては、期待に胸を膨らませた。
高校卒業後、一度は違うジャンルの専門学校に入学するが、消防士を目指すため、そこを辞めて公務員を目指す専門学校に入り直した。
そして、夢を実現した。
「最初は消防士になった実感が湧かなかったです」
「どこでウワサが広まったのか、近所の人達はみんな消防士になることを知ってましたね」
4月からの半年間は、研修期間として消防学校で訓練を積む。
「訓練は男女一緒に行うので、しんどかったけど楽しかったです」
「オレンジ色の制服が届いたりするうちに、少しずつ実感が湧いてきたかな」
自分を受け入れてくれた職場
消防学校にいる間に、FTMであることを上司や教官に伝えた。
「伝えるか悩んだんですけど、男女にこだわらず “福井” という1人の人物として見てもらえるかな、って思いがありました」
職場としては受け入れてくれたが、教官からは「自分から同期に打ち明けるな」と止められた。
同期には高校を卒業したばかりの18歳もいるため、影響を考慮した上での教官の配慮だった。
「僕自身は高校でカミングアウトした経験があったから、『影響あるかな?』って疑問に思いました」
「だから、結局自分で同期に話しちゃったんです」
同期としゃべっている時、恋愛の話になった。
自然な流れで「お前は彼女いるのか?」と聞かれた。
当時は彼女がいたため、「いるよ」と答えた。
一瞬沈黙が流れ、同期から「ちょっと待て。お前ってもしかしてレズビアンか?」と聞かれた。
「その場で、FTMであることを説明したんです」
「見た目がボーイッシュで訓練もガツガツこなしていたから、同期は『お前が普通に女だって言った方が驚く』って言って受け入れてくれました(笑)」
教官からは「お前の性格なら、自分から言ってしまうと思っていた」と言われた。
少しずつズレていく理想と現実
職場でもすんなり受け入れられたが、配慮されることに居心地の悪さを感じる時もあった。
トイレは、男女共用の個室を使うように指定された。
「気を遣われて目立つことは嫌いだったから、『配慮しないでいいです』って伝えていたんです」
「でも、トイレの場所が決められて、『福井専用だから使うな』って雰囲気になってしまって」
「僕も四六時中トイレに行くわけじゃないから、誰が使っても問題ないんですけどね」
朝のトイレ掃除も、「男女どちらのトイレも使っていないなら、福井は免除にしよう」という話になってしまった。
「トイレ掃除なんて誰だってイヤじゃないですか。だから、同期からは『なんでお前だけしないでいいの?』って言われましたね」
消防学校を出て、いざ現場に出てからも気になる部分があった。
「消防活動など現場に出る仕事は、やりがいを感じていました」
「でも休憩時間になると、同僚はいつも誰かの悪口を言っていて、あまり気分が良くなかったです」
「消防士に対する理想が高すぎて、現実にギャップを感じてしまったんですよね」
08“中途半端” を脱するための手術
初めての “反対”
高校生の頃は性別適合手術を受けるつもりはなかったが、社会に出る頃に考えが変わった。
「中途半端がイヤだと思ったんです」
「学生時代の部活で成績を残せなかったことも、最初に通った専門学校を途中で辞めたことも、全部が中途半端だと思ったんです」
「だから、おかんに『このままだとずっと中途半端だから、手術をしようと思う』って話しました」
母は「自分が産んだ体に傷をつけてほしくない」と言った。
初めて反対された。
「『リスクもあるしお金もかかるからダメ』って言われました」
「その時は、おかんの言いつけを守りました」
すべてを変える決意
それから2年の歳月が経ち、母と2人で飲みに行った時に、再度打ち明けた。
「やっぱり手術したい」
すると、母は「しなさい」と受け入れてくれた。
「おかんは2年の間に、いろいろ調べてくれていたみたいです」
「『ホルモン注射はこのぐらいの頻度で打ちに行かないといけないんだって』とか、僕がまだ把握していなかったことも知っていました」
2016年の夏に乳房切除術、2017年の春に性別適合手術を行った。
「胸オペの時は、人前で服を脱げる喜びが大きくてウキウキしていました」
「でも、性別適合手術の時は不安や迷いが少しありましたね」
「これが終わったら全部変わるんだなって」
手術直前、医師からこう告げられた。
「手術が終わったら、もうあなたの遺伝子は残せません。その覚悟が決まったら、麻酔のマスクを口に当ててください」
「ここでやめる人はいますか?」と聞くと「いますよ」と返ってきた。
手術を目前にして躊躇した。
しかし、やはり中途半端な状態でいることの方がイヤだった。
「覚悟を決めたつもりだったけど、手術が終わった後に泣きました」
「戸籍は変わるけど、もう子どもは残せないし、おかんが産んでくれた体ではないんだなって」
「いろんな意味で、全部終わったんだって実感しました」
性別、名前が変わる時
戸籍を変える段階になっても、少しの戸惑いがあった。
「もともと “愛(めぐみ)” って名前なんですけど、もう愛でもなければ、女性でもなくなるんだと思ったら複雑でした」
「女性の状態の戸籍謄本を、一通だけ取っておこうかなって考えたんです」
「でも、取っておいたら先に進めない気がしてやめました」
“颯人” という名前は、母がつけてくれた。
新しい名前、新しい性別の戸籍謄本を母に見せる時は緊張した。
「おかんが内心ではどう思っているのか、気になりましたね」
「見せた時は『良かった、やっとだね』って言ってくれたんですけど、今でも『本心ではどう思ってる?』とは聞けていないです」
今は男性に変わった戸籍謄本を見ると、思わず笑みがこぼれてしまう。
「わざわざ写真を撮って、友だちに『名前変わった』『性別変わった』『長男になった』って連絡しました」
「『わかったから、1回でまとめて連絡してこい』って呆れられてます(笑)」
09歩み始めたばかりの新たな道
知らずにかけていた迷惑
働き始めて2年が経った頃、消防士という仕事を辞める決断をする。
先輩と2人きりで業務に関して怒られていた時、「職場に迷惑かけてんの、わかってんのか」と言われた。
業務のことだと思い、「すみません。わかっています」と伝えた。
しかし、先輩から返ってきた言葉は意外なものだった。
「『お前は配属される前から、周りをざわつかせて迷惑をかけたろ』って言われたんです」
「職場にも先輩にも、FTMであることをすんなり受け入れてもらったと思っていました」
その時は「配慮してもらったり気遣ってもらったりして、ありがたいと思っています」と伝えた。
先輩から「手術が終わって戸籍が変わっても、迷惑をかけたことは忘れるな」と言われた。
同期に先輩とのやりとりを話すと、「多分そう感じている人は多いと思う」と言われた。
「周りに迷惑だと感じさせてしまっているんだな、って思ってしまったんです」
「そこを見なかった振りをしてまで、仕事を続けようとは思わなかったですね」
消防士を辞める時、先輩は「責める意味で言ったわけじゃないけど、そう捉えてしまったのならごめん」と言ってくれた。
しかし、その言葉も当時の自分には響かなかった。
消防士という組織の中にいたことで、改めて人と接することの楽しさに気がついた。
もっと多くの人と関係を広げていくため、現在は介護士を目指している。
「人と接したり話したりすることが好きだし、これから必要になる職業だと思ったんです」
「おかんが障がい者の施設で介護士をしていたので、その影響もあります」
微笑ましい母の気遣い
手術を終えてから、今では母が「息子」と言ってくれるようになった。
「知り合いには『うちの長男です』って紹介してくれるんです」
「あと、愛って名前を呼ばないように頑張っているのが伝わってきますね」
「無意識に愛って言ってから『あっ』って気づいて、颯人って言い直すんですよ」
「愛でも颯人でも好きなように呼んでくれていいのに、その『あっ』がむしろ気になる(笑)」
22年間呼ばれてきた名前を、男性になったからといって捨てる気はない。
友だちの中にも「めぐ」と呼ぶ人はいる。
それでも、やはり母の小さな気遣いはうれしい。
10LGBTだから悩まなきゃいけないわけではない
地元にLGBTの存在を広めていくこと
介護士を目指しながら、少し先の目標も掲げている。
いつか地元・鳥取で、LGBTを知ってもらうための活動を展開していきたい。
「実はまだ2人ぐらいにしか言っていないんですけど、鳥取にもLGBTに関する情報を広めていきたいんです」
「鳥取にはLGBTのネットワークがないし、知識を得る場所もない」
「でも、コミュニティは狭いから、間違った情報が広まりやすいんです」
つまり、正確な情報を発信する場所を作れば、正しく拡散されやすいともいえる。
「おかんも『子どもにカミングアウトされた親の相談窓口やろうかな』なんて言ってました(笑)。『そっちの立場もありか!』って発見でしたね」
「僕は家族や友だちに支えてもらってきたから、その経験を悩んでいる人に伝えていきたいという気持ちもあります」
「LGBTに対する偏見に悩まされる人もいると思うけど、僕は楽観的な目立ちたがり屋だったから、そういう苦しさに直面したことがないんです」
「僕みたいなFTMがいることも、発信していきたいですね」
LGBTだからといって、悩まなければいけないわけではない。
前を向いて、豪快に歩いていく道もある。
選択肢を増やして悩みを消す
悩みは捨てようと思って捨ててきたわけではない。
熱中することを見つければ、悩みが消えるわけでもないと思っている。
「部活や恋にのめり込む方法もあるけど、部活をやってないとか恋愛したくないって人もいるから」
「これまでを振り返って見えてきたものは、“自分自身を客観的に見ること”」
「悩んでいる自分を第三者の目線で見ると、『悩みちっちゃくない?』って感じることがあるんです」
例えば「友だちにFTMって気づかれたかもしれない」と感じた時、異様に周りの目が気になる。
しかし、自分を客観視して「服装が男っぽい」と感じたら、女性らしい服装に変えてみるという方法が出てくる。
ボーイッシュとして貫くことも、カミングアウトも方法の一つだ。
「客観視することで、選択肢を増やせるんですよね」
「選択肢を1つ1つ選んでいくことで、いつか自分がやりたい生き方ができるようになるって思います」
「悩んで立ち止まるより、選択しながら進んでいくことが、悩みや不安を解消する一番の近道じゃないかな」
これから新たな悩みにぶち当たっても、きっと選択肢を見つけていける。
その姿を同じように悩んでいる人達に見せて、楽観的に生きる意味を証明していきたい。