02 理由は分からないけど、スカートよりズボン
03 何も考えていない、ヘンな子
04 周囲の雰囲気に乗り切れず不登校に
05 モヤモヤを感じて姉に相談
==================(後編)========================
06 ネットで知り合った人と初めての交際
07 出会ったFTMに対する印象は・・・
08 別れ話の決着は手切れ金
09 パートナーとの新しい生活
10 2つの偏見を乗り越える、明るい決意
01地元では有名な大家族
茨城県で2位の10人きょうだい
現代では珍しい10人きょうだい。地元では有名な大家族だった。
「当時、茨城県で一番きょうだいが多い家が12人で、私の家が2番目だったんです」
上から7番目、下から4番目に生まれた。
男女は仲よく5人ずつだ。両親が、「授かったら絶対に生む」という考え方だったため、自然と子どもが多くなったと聞いている。
「一番上のお姉ちゃんとは15歳離れていますから、今、40歳です。お姉ちゃんは早く家を出たので、あまり関わりがなかったですね。むしろ、姪っ子が生まれてからのほうがよく会うようになりました」
一番下の弟も11歳離れているので、上と下では親子ほどの年齢差になる。
「みんな同じ小学校に通ってましたから、あいつの家はきょうだいが多いんだって、クラスで噂されてました」
家は一般的な一軒家で、2階に3部屋、1階に居間やキッチンがあった。
「お姉ちゃんと一緒に部屋を使ってました。勉強机はひとつで、あとはこたつを使ったりしてましたね。中学に上がったら、もう上のふたりは家を出てました」
ゲームが好きだったので、家にいるときはゲームをして遊ぶことが多かった。
「テレビは居間にしかなくて、お父さんが厳しい人で夜10時になると居間の電気を消しちゃうんで、遅くまでテレビを観ることもありませんでした」
きれい好きで気のつくお母さん
大変だったのは、お母さんだ。介護の仕事をしながら、大人数の食事を作り、食べ盛りの子どもたちを育て上げた。
今、思い返すとすごいことだ。
「お母さんがどうやって家を切り盛りしていたのか、今でも謎ですね。姉たちはそれなりに家事を手伝っていましたけど」
「ご飯も10合じゃ足りないときがあって、ほかに5合炊きの炊飯器がありました。(笑)」
カレーは大鍋で作っていたが、足りないと困るといってシチューも用意してくれた。カレーとシチュー、好きなほうを選べる豪華な夕食だ。
しかも、お母さんは無茶苦茶、きれい好きだった。
「大家族だというと、すぐに家が汚いでしょ、という人がいるんですけど、まったく逆でしたね。ちょっとでもゴミを置きっぱなしにしておくと、すぐに怒られました(笑)」
一度、弟が部屋に置いてある観葉植物の葉っぱをちぎったことがあって、仕事から帰ってきたお母さんに叱られていた。
ちょっと見ただけで観葉植物の葉っぱに気がつくくらい、細かい性格だったのだ。
「中学生のとき、寄り道をして帰りの時間が遅くなったときがあって。そのときも無茶苦茶怒られましたね」
小さいころは厳しくいわれるのが嫌だったが、大人になってから、お母さんを見る目が変わった。
「すごく心配性なんですよ。それでみんなの生活を維持してくれていたんだな、って分かりました」
今は、叱るのも愛情のうちだったと感じている。
02理由は分からないけど、スカートよりズボン
段ボール製の秘密基地
子どものころの遊び相手は近所の男の子たちだった。女の子の友だちは、まったくいなかった。
「自然がいっぱいの田舎だったんです。木があったら、すぐに登ってました(笑)」
「小学校のときは、ほとんど家にいませんでしたね。夕方暗くなるまで外で遊んで、毎日、泥だらけになってました」
生まれ育った稲敷市は、電車が通っていない市として知られていた。その分、子どもたちが遊ぶ場所はたくさんあった。
「近くに段ボール工場があって、そこのおじさんと仲良くなったんです。おじさんが廃棄する段ボールを持っていっていいよ、というので、それを使って秘密基地を作って遊びました」
空き地の中にポツンと建つ、周囲から丸見えの秘密基地だった。
「段ボール製だから雨に弱くて、次の日はボロボロになってました(笑)」
髪の毛はいつもショート
家にいるときも、姉たちよりは3つ下の弟が遊び相手になった。
「弟が買ってもらった平成ライダーの絵本についていたシールを、いろんなところに貼って遊んでましたね」
そのころからスカートは履かずにズボンばかり。夏はもちろん短パンだった。
「スカートを履きなさいっていわれたことはありませんでした。後から聞いたんですけど、スカートは3歳のときに履いたのが最後だったらしいです」
「特にスカートが嫌だとか考えていたわけじゃなくて、外で遊ぶのにズボンのほうが動きやすいとか、そんな理由だったと思います」
特にセクシュアリティの悩みがスカート嫌いに関係していたわけではなさそうだ。
「なんで嫌なんでしょうね。未だによく分からないまま、ズボンばっかり履いてます(笑)」
髪の毛もずっとショートカットだ。
「子どものときは、お母さんに切ってもらってたんですけど、もっと短く、もっと短くと頼んでいるうちにショートになって。16歳のときにバッサリ切ってボーイッシュになったときは、男の子みたいっていわれましたね」
それ以来、高校のときに切るのが面倒で一時期、長くなったことがあるが、社会人になってからまた短くなり、ボブからショート、ショートからベリーショートへ。
「そのうち、坊主になっちゃうかもしれませんね(笑)」
03何も考えていない、ヘンな子
ああ、あれは無視されていたのか
小学校は1学年1クラスの小さな学校。同級生の25人は6年生までずっと同じメンバーの幼なじみだった。
「ネガティブな意味で、人とは違うヘンな子でした」
きょうだいが多い大家族というだけで好奇の目で見られることもあった。
「学校にきょうだいが何人もいるんで、お兄ちゃんが何かをした、とか、そんなことでも噂されましたね」
行動、言動が人と変わっている、といわれたこともある。
「何も考えていないっていうか、バカな子だったんです(笑)」
ずっと後になってから、幼なじみと会ったときに「ハル、あのとき無視されていたよね」といわれて驚いたことがある。
「ああ、あれは無視されていたのかって、ようやく気づいて。とにかく鈍感で何も分かっていなかったみたいです(苦笑)」
恋愛とはまったく無縁
男の子たちと木登りをしていた経験から体育は比較的、得意な教科だったが、運動系のクラブには入らなかった。
「小学3年生のときに、何かクラブに入らなければいけないとなって、コンピュータクラブに入りました。パソコンでいろいろ作ったりするのが楽しかったですね」
5年生になってコンピュータクラブは、科学クラブと合併した。
「科学クラブっていう響きがカッコよくて好きでした。スライムやべっこう飴を作ったりしました」
小学校も高学年になると、周囲では男女関係を意識するようになる。
「誰々にバレンタインデーのチョコレートをあげたとか、あの子がカッコいいとかいう話をする子もいましたけど、私はまったく何も感じないし、恋愛感情を抱いたこともなかった」
実は、ひとりだけ「すごくかわいいな」と思っていた女の子がいた。
「今にして思えば、あの子のことを好きだったのかもしれませんね。でも、そのときはそれ以上に考えることもありませんでした」
04周囲の雰囲気に乗り切れず不登校に
今まで通りにはいかない
中学は、自転車で行くと1時間かかるため、バス通学となる。
「部活に入ると最終のバスに間に合わなくなっちゃうんです。それで無理だと思って、帰宅部になりました」
当時、中学の制服は当然、スカート。それがやっぱり嫌でジャージで登校するようになった。
「相変わらず男女関係には疎かったですね。周りが急に変わっていって、取り残されていく焦りを感じました」
それまで一緒に木に登っていた男友だちの様子も一変する。
「ゲームをしようよって誘っても、女子って普通、ゲームなんかしないでしょって断られちゃうんです。お、これは今まで通りにはいかないぞって感じでした」
男はこういうもの、女はこういうもの、と区別されていくことに乗っていけない自分をどうしたらいいか分からなかった。
家庭も険悪な雰囲気に
ちょうどそのころ、家でも問題が起こっていた。
「上の姉と新しいお父さんの折り合いが悪くなって、バチバチ喧嘩をするようになったんです」
両親は自分が3歳のときに離婚していたため、当時一緒に暮らすお父さんとは血のつながりはなかった。
「むすっとしたタイプで、逆らえないオーラを出していました。怒るとめちゃめちゃ怖くて、存在しているだけで威圧感のある人でしたね」
学校でも家庭でも安まることができず、次第に学校に行くのが苦痛になってしまった。
「2年生の初めからですね。最初は保健室登校をしたり、気が向いた日だけ行ったりしてましたけど、途中から頑固に行きたくない、という気持ちになって・・・・・・」
ついに不登校となってしまったが、お母さんも無理に学校に行けとは強制しなかった。
「ただ、家にいてもいいから、ゲームばっかりやっているのは体に悪いから、家事を手伝ったり、最低限の勉強はきちんとしなさい、といわれました」
そのころ、一番下の弟は2歳。とりあえず、弟の面倒をみながら家で過ごす日が続く。
波長が合ったのは女っぽい男子
不登校は半年くらいで収まり、また学校に通い始めた。
「きっかけは特にないですね。単純に家にいることが退屈になったっていうか・・・・・・。お母さんが仕事をして、みんなが学校に行っているのに、家で子守りをしている自分って何だろう、って考えちゃって」
周囲についていけなくて違和感を感じた学校生活だったが、戻ってみると、意外とみんなに仲よくしてもらえて安心した。
「ただ、半年間、休んでいる間に、私が出産したらしいと噂が立っていたことにはびっくりしました。大家族の子だから、自分も早くから子どもを作って大家族になると思われたらしいんです」
相変わらず親友も恋人もできなかったが、別のクラスにひとり、妙に波長の合う男子がいた。
「仕草が女子みたいにクネクネしていて、ギャル字を上手に書く子でした」
ちょいちょい話すようになって、勉強を教えてもらったりした。
「男女を問わず、顔立ちがきれいな人が好きなんで、その人もそういう意味では好みでした(笑)」
それでも特別な感情を持ったわけでもなく、会ったら話す程度の関係から進展はしなかった。
05モヤモヤを感じて姉に相談
突然の父親の死
中学を卒業。中学校の近くにある県立高校に進学する。
「名前が書ければ受かるっていわれていたくらい偏差値が低くて、みんなその学校に行ってましたね(笑)。高校には女子用のズボンの制服も用意されてました」
実は中学生のころから、父親が営む内装業を継ぎたいという希望があった。怖い父親だったが、家の壁紙を直しているのを手伝うと優しく教えてくれた。
人間的にも尊敬できるところがあった。ある日、家にケーキを買ってきてくれたときの言葉が印象に残っている。
「お父さんが食べないから、『食べないの?』って聞くと、大人は子どもが食べているのを見ているだけで満足できるんだ、っていったんです。本当は優しい人だったんだなって見直しました」
それ以来、自分も周りの人に優しくできる人間になろう、と心に留めている。父親から学んだ価値観だった。
「その父が、私が16歳のときに急死してしまったんです」
大切な人を失うとともに、将来の進路も考え直さざるをえなくなってしまった。
男女の恋愛に興味が持てない
高校は進路によってクラスを選ぶ仕組みになっていて、介護福祉課に進むことにした。介護福祉士、ケアマネージャーの資格を持って働く母親の姿も影響を与えたと思う。
「そのときには、もう男性と結婚して子どもを生むことはないんじゃないか、と思い始めていて、それなら他の人の子どもの面倒をみる保育士の仕事もいいのかな、と考えました」
少女漫画やドラマのなかの男女の恋愛には興味が持てても、自分のことに置き換えることは、まるでできなかった。
「16歳のときに、この年までまったく恋愛と無関係で、好きな人もできない自分はほかの人と違うんじゃないかと違和感を感じて、スマホで調べ始めました」
そうしてLGBTやトランスジェンダーのことを知る。
「こういうのもあるのか、そういう人もいるのか、自分もそうなのかもしれない、とモヤモヤした気持ちになって、『私、男になりたいのかも!?』と、次女に相談しました」
次女は早くから自立した生活を送る、最も尊敬できる身内だった。
「お姉ちゃんは、男性不審から同じように悩んだ時期があったらしいんです。ネットで調べるより、信用できる人から聞く話は信頼感がありました」
姉のアドバイスは、「自分も自然に男の人とつき合えるようになった。ハルもそうだと思うよ」だった。
「まだ、実際にそういう人に会ったこともなかったんで、素直にお姉ちゃんのいうことを信用して、そのうち今の違和感はなくなるんだろうな、と思いました」
自分の体が女らしくなることにも特に抵抗は感じない。きっと普通の女性になるんだろう、と信じることにする。
<<<後編 2021/08/21/Sat>>>
INDEX
06 ネットで知り合った人と初めての交際
07 出会ったFTMに対する印象は・・・
08 別れ話の決着は手切れ金
09 パートナーとの新しい生活
10 2つの偏見を乗り越える、明るい決意