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性自認はFTM。でも女として扱われたくないけど男じゃない、そんな感じ【後編】

性自認はFTM。でも女として扱われたくないけど男じゃない、そんな感じ【前編】はこちら

2019/01/06/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
佐藤 はるか / Haruka Sato

1997年、茨城県生まれ。現在大学3年生。母方のおばあちゃんの家で4人の叔母に囲まれて育つ。女の子でいることに不満はなかったが、唯一、好きになる対象が同性ばかりだったことに違和感を感じて生きてきた。FTMであることをカミングアウトし、LGBT関連のイベント運営に関わりながら、就職活動を行っている。

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INDEX
01 母親の実家で育った幼少期
02 好きになるのは女の子ばかり
03 恋愛に興味がわかない中学時代
04 レズビアン? 私は何?
05 2度目の恋と破局
==================(後編)========================
06 大学では自分をオープンにした
07 女として扱われたくない。でも、男じゃない
08 「結婚」「子ども」という言葉が重い
09 不安だった家族へのカミングアウト
10 LGBT関連のイベントを開きたい

06大学では自分をオープンにした

否定する人はいなかった

当初、大学に行くつもりはなかったが、先生に勧められて進学することにした。
水戸市にある、常磐大学国際学部英米語学科に入学。

「気持ちを切り替えて、大学ではオープンでいこうと決めました」

「話せる人には話すことにして、学科の人には全員、先生にもカミングアウトしました」

マキにはツイッターを見てからすぐに連絡した。
話したいことがたくさんあった。

「女の子が好きだし、男になりたい、とはっきりと言われました。そのとき、『あ、私も同じかもしれない』と、自覚しました」

「大学ではオープンにしよう、という気持ちはそのときに生まれたんです」

幼なじみの堂々とした態度が扉を開けてくれたのだった。

「カミングアウトした人に分かってもらえれば一番いいけど、理解されなければそれでも仕方ない、と気持ちを楽に持ちました」

高校のときには、隠そう、隠そうとして、辛い思いをした。その体験が考え方をより前向きにした。

「いざ、話してみるとビックリする人はいたけど、否定する人はいませんでした」

周囲へのカムアウトがスムーズにいくと、自信が生まれ、居心地がよくなった。

「私の外見を見て『もしかしたらそうかなと思っていた』と、フランクに言ってくれる人もいました」

レズビアンを公言する留学生

自分を指すときに、代名詞を「彼女」から「彼」に変えてくれた人もいる。
偏見に悩むことのない大学生活となった。

「国際学部英米語学科というのが、よかったのかもしれませんね」

「自由な空気というか、受け入れてもらいやすい環境だと思います」
海外からの留学生にも仲間がいた。

「その子は、『私はレズビアンだ』って公言していました」

「彼女は、『何で日本はこんなにクローズなの? 私の国ではどこにでもLGBTはいるよ』と言っています(笑)」

07女として扱われたくない。でも、男じゃない

男でも女でもない、中性でもいい

「マキは、『自分は男。男として扱ってほしい』とストレートに言っています。そこまで割り切れるのは、すごいなと思います」

出かけるときは、彼女も連れてくる。
迷ったり、恥ずかしがったりする様子は一切ない。

「自分の意志を強く持っているから、あんなにモテるのかな(笑)」

幼なじみの存在は、いつも刺激的だ。

「それに比べて、私は、まだそこまで自分を出していないですね」

「女の子扱いされるのは嫌だけど、『彼』と呼ばれなくてもいい。男扱いされなくてもいい、というのが率直な気持ちです」

最近、女として生きていくことに違和感を感じ始めた。
男になりたいという気持ちも、ちょっとはある。

「中性でもいいんです。小さいときからこんな感じなので、急に男の子といわれても困るというか・・・・・・」

「女として扱われたくないけど、男じゃない。そんな感じです」

トイレで困ること

バイトの応募書類には、「女性」の欄に印を付ける。

「お風呂屋さんで掃除のアルバイトをしたことがありました」

「お客さんが入っているときにも掃除をするんですけど、一度、『男の人ですよね?』と聞かれたことがありました。『女ですよ』と答えると、声が女の声なので信用してもらえました」
「一度、やってみたいと思って選んだバイトでしたが・・・・・・。続けていると面倒なことになりそうなので、辞めました(笑)」

一番、困るのはトイレだ。

「女性用のトイレに入っていると、二度見されることがちょくちょくあります。一度出て、確認してから入り直した人もいました」

「女性用が混んでいれば、男用を使うこともあります。多目的トイレがあればいいんですけど、なければ我慢することも・・・・・・」

どっちに見られているんだろう、と悩むこともある。

「自分でもよく分かっていないんです。今のままでいい。何か嫌なことがあれば、その都度、言えばいいのかな」

08 「結婚」「子ども」という言葉が重い

徐々に感じ始めた変化

手術を具体的に考えているわけではない。お金がかかることも分かっている。

「幼なじみが手術をしたら、自分もしたくなるかもしれません。もしかしたら、自分のほうが先かも。真似ばっかりはしたくありませんから」

すぐに踏み切れないのは、女であることに我慢できないほどの居心地悪さを感じていないからだ。

「体にも負担がかかりますし、今のままでも十分かな、という思いもあります」

しかし、自分の気持ちをオープンにしたせいか、今までにない変化も感じ始めている。

「胸があるのがわずらわしい、と思うようになりましたね。それとレディースの制服を着るのが最近になって嫌になりました」

多くのFTMが小学生で感じ始める違和感を、二十代になってから体感するようになった。

「徐々に、ですけど、ようやく実感してきたのかもしれません」

恋愛に臆病になっている

「今、気になる子はいるにはいるんですけど・・・・・・。でも、よく分からないんです」

2人目の恋人に突きつけられた「結婚」「子ども」という言葉を、今でも引きずっている。

「結婚の話をされたらどうしよう、と思うと、怖くて女の子にいけなくなってしまいました」

「まあ、いざとなれば、結婚はどうにかなるでしょうけど」

いろいろな解決法が考えられるとはいえ、「子ども」の問題はさらにハードルが高い。

「もともと子どもが好きじゃないんです(苦笑)。相手がどうしても、と言ったら考えますけど・・・・・・」

「そのあたりもひっくるめて、まとめて受け入れてくれる人がいればいいんですけどね」

母親は子どもが好きで、育児に関わる仕事についてきた。

「そうなんです。お母さんとは正反対です」

「友だちには、親の仕事は影響を与えないの? と、厳しく突っ込まれています(笑)」

重いから飽きられちゃう?

バイセクシュアルの子を紹介してもらって、つき合ってみたことがある。

「その子は男の人としかつき合ったことしかなくて、女の子ともつき合ってみたい、という話でした」

相手は、女性とつき合うのが初めて。自分がリードする立場だ。

「いろいろと初めてで。手をつなぐのもキスも。最初はかわいいなって思ったんですけど、相性ですかね、何となく、うまくいきませんでした」

何度か会っただけで、交際はすぐに終わってしまった。

幼なじみからは、「ハルが重いからだ」と言われる。

「自分では、何が重いのか分からないんです。でも、重いから飽きられちゃうのかな」

「何が重いのか分からないけど、重い」「人に興味がないでしょ」「人の話を聞かないよね」「人の変化に気がつかない」

マキは私に対して手厳しい。
ズバズバと言ってくれる。

09不安だった家族へのカミングアウト

電車の中で、おばさんにカムアウト

大学ではうまくカミングアウトをすることができた。
今度は親の番だ。

「3年生になって就活が始まったときに、パンプスは履きたくないなと思って」

「もう隠すのも限界、と思いました」

そう考え始めたとき、LGBT関連企業の合同説明会の帰りに、おばさんの一人に電車でばったりと会った。

「このおばさんなら話をしても受け止めてくれる、と思いました。それで、パンフレットを見せて説明をしました」

おばさんは、テレビで観てLGBTについての知識があった。

「生きていてくれればいいよ。好きなように生きればいい」

反応は期待どおりだった。

電車の中で行われた、肉親への初めてのカミングアウトとなった。

母親はやさしく受け入れてくれた

それから3カ月が経った。

「お母さんに手紙を書こうかとも思いましたけど、直接、話したいな、と思い直して、おばあちゃんと3人の場を作りました」

もじもじと切り出せないでいると、「話したいことがあるなら早く言いなさいよ」と、おばあちゃんが背中を押してくれた。

「喧嘩になるんじゃないか、縁を切られるんじゃないか、と不安だったんですけど、二人ともやさしく受け止めてくれました」

「ようやく言ってくれたのね」
「そうだよね。見ていて分かっていたよ」
「ハルがそうでも、生活は変わらないから」
「ハルはハルなんだね」

母親がかけてくれた、やさしい言葉だった。

母親へのカミングアウトの前、大学の卒論にLGBTを取り上げたいと、先生に相談していた。

母親はそれを先生から聞いて確信していた、と後から知らされた。

おばあちゃんも理解をしてくれた。

「ハルは小さいころから女の子の格好をしたがらなかったもんね」
「周りの女の子たちはきれいになっていくのに、変だな、と思っていたよ」

弟の反応はクールだった。

「授業で習ったからLGBTは知っているよ。昔からお兄ちゃんみたいだったから、違和感はないね」

問題は父親だ。

「お母さんから、『お父さんに言う?』と聞かれましたけど、『言わなくていい』と答えました」

「お母さんがもう話しているとは思いますけど・・・・・・。一昨年の9月から一人暮らしを始めたので、もう会うこともほとんどないので」

父親と理解し合える日は、まだ遠い。

友だちが驚くほど激変

大学卒業後の目標もはっきりと見えてきた。

「大学のキャリアセンターの人に、LGBTでも働きやすい仕事はありますか、と質問をしたら、親身に相談に乗ってくれました」

夏以降、企業の合同説明会やインターンシップに積極的に参加するようになった。

「教職も取っていたんですけど、当事者の人の居場所作りをしたい、という気持ちが強くなったので、教職は辞めました」

「今はイベントの企画にターゲットを絞って仕事を探しています」

LGBT系のオフ会にも参加した。

「いろいろな人に出会って、自分は一人じゃないんだな、と実感しました」

世界はどんどん広がっている。

「それまでは行動することが面倒で、何もしないほうでした。ぼーっとしていることが多かったんです」

「自分のやりたいことが見つかってから、積極的に活動するようになりました」

大学の友人も驚いている。

「ハルって、そんなに生き生きするんだね」

「やりたいことが見つかった瞬間にガラッと人が変わった。怖いわ(笑)」

10 LGBT関連のイベントを開きたい

主催者として開催する最初のイベント

イベント企画に対する興味が深まり、早くも具体的な行動を開始した。

「『リンクスペース』というグループを作って、知り合いと一緒にジェンダーフリーのイベントを開くことにしました」

コンセプトは、当事者とそうでない人が一緒に集まれる場を作ること。
新宿に会場を借りて、告知活動を始めている。

「パーティー形式のイベントです。最初は参加者が少ないかもしれませんけど、いずれ30〜50人規模にしていきたいですね。月1回のペースで開催するのが目標です」

「イベント開催の資金を貯めるためにも、きちんと就職をしたいです」

「就職先は、LGBT関連に絞ると狭くなってしまうので、広く一般企業も視野に入れています」

目標はまだある。

「茨城で生まれて育ったので、茨城をベースにしたイベントも企画してみたいと思っています」

先行して活動している団体と連携をとって、何ができるか模索中だ。

「大学でサークルを作ることも考えています。留学生の子もそうですし、ほかにももっといると思うんですよ」

次々と企画が生まれようとしている。

話しをする練習が必要

一方で自分の弱点も見えてきた。

「インターンシップで営業の仕事を経験したんですけど、話すのが下手でまったくダメでした(苦笑)」

イベントを企画するとなると、話すのが苦手では役に立たない。
弱点を克服するためには、喋る練習をしなければならないが・・・・・・。

「自分の体験を話したいという意志はあるんですけど、どこで話していいか分からないんです」

友だちに話そうとしても、流されたり、一歩引かれてしまうことが多い。相手にしてみれば、遠慮もあるのだろう。

「だんだん、自分の話を聞いてほしいという気持ちが強くなってきました。今日、LGBTERの取材を受けて、とても楽しかったです。たくさん話すことができました(笑)」

自分が知っていることを伝えたい

高校生までは自分を出すことができずに辛い思いをした。
その反省から自分をオープンにすることにした。

世界が広がり、気持ちが楽になった。

「大切なのは、一人じゃない、と気がつくことです。悩んでいる人には、イベントに参加することを勧めたいですね」

「実際にいろいろな人に会ってみると、ほっとします」

自分自身が初めてLGBTのオフ会で体験したことだ。
その素晴らしさを伝えたい。

「中高生は参加しづらいかもしれないので、まずはツイッターなどで知り合いを増やすのがいいかもしれません」

どのように周囲へカムアウトしたらいいか、悩んでいる人も多い。

「私の場合は、好きになるのが女の子なんだ、というところから話しています」

「自分の性別を何と思うかの話は、最初、相手も混乱するので・・・・・・。それが分かりやすいみたいです」

「興味を持って聞いてくれれば、もっと話すことができますからね」

誰も完全無欠じゃない。でも、誰でも何かを伝えることはできる。

あとがき
たっぷりの愛情を注がれて育ったのだと感じさせるハルさん。ゆっくりと落ち着いた話し方は、人の緊張をほどくやわらかなパワー。誰といてもきっと同じだ。取材の場は、いつの間にかハルさんのペースに■「ようやく言ってくれたのね・・・。見ていてわかっていたよ」。自分の進みたい道を押し上げてくれるお母さんの言葉、家族の温かさが源泉となって広がる。出会った人に「一人じゃないよ」と伝えてくれる。(編集部)

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