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いつかだれかのヒーローになるために、自分をひらく練習中【後編】

いつかだれかのヒーローになるために、自分をひらく練習中【前編】はこちら

2025/10/12/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
野村 花江 / Hanae Nomura

1993年、東京都生まれ。幼少期から高校時代までは、自分の感情を素直に表現できずに過ごす。生活拠点を名古屋に移し、医学部へ進学。大学から徐々に親しみやすいキャラクターに変化していった。初期研修後はいったん休み、現在は大学病院で後期研修中。リハビリテーション科の専門医を目指している。

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INDEX
01 クールな子ども
02 いろいろできる子だったけれど
03 文武両道
04 大切な人を守りたい
05 「かわいかったなら、いいじゃん」
==================(後編)========================
06 すぐに後期研修医とならずに
07 周りとコミュニケーションを取りたい
08 性自認と、実際の生活
09 「鈍感力」を磨く
10 いつかパートナーとともに

06医療とそれ以外の経験と

新鮮な体験

専門医と名乗れるようになるには、大学で6年間学んで医師国家資格などの各試験をパスしたあと、前期研修として2年間、各科を回って経験を積む。

さらに自分の進みたい専門分野を決定してから後期研修を受け、最後にまた試験に合格する必要がある。最短でも30歳くらいまでかかる、長い道のりだ。

「後期研修に進むまえに、少し間をおこうと決めたんです」

4カ月間沖縄に滞在した。

「沖縄本島をあちこち巡ったりしました。でもコロナ禍で海が開いてなかったので、家でのんびりしてる時間も多かったですね」

「沖縄でコミュニティFMラジオを開いている人がいて、その番組に何回か出演させてもらったこともありました」

沖縄の人たちと飲み会に行ったときに驚いたことがある。

「土地柄なのか、みんな政治的な話をよくしてたんです。私はちょっとした知識しかなかったんですけど、こんなにみんな詳しいんだ、って。参加した意味があったのかはわかりませんけど、自分との違いを感じられましたね」

生きなおしの感覚

知人に呼ばれて神戸で働いたり、献血ルームで非常勤の医師として働いたりしてしばらく過ごす。

「ここ数年間は、人生をやり直してるような体感があります」

幼少期から多感な10代に心を凍らせていた時間や、大学時代にやりきれなかった経験を、近ごろようやく取り戻しているような感覚がするのだ。

「いまは、同級生が夜中にウチに来て飲んだりして、プライベートの時間で大学生活をやり直してます(笑)」

「ふつう」なら、「若いうちに人と接するなかで、成功や失敗を経験して成長する」という過程を、私はあまりできていなかった、と自覚している。

時間はかかったが、そのフェーズにいまようやく差しかかっているのだろう。

「どんな自分が出てきても大切にしたい、と思ってます。実際に大切にできるかどうかはまた別の話なんですけどね」

07周りとコミュニケーションを取りたい

リハビリテーション科への興味

アルバイト期間を経て、医師としてのキャリアを再開させようと決意する。

「基礎からもう1回やり直させてもらえる病院を探しました」

縁のあった大田区の病院で、前期研修のように改めて各科を回ったが、その病院のリハビリテーション科では、研修がかなわなかった。

「リハビリテーション科も学びたいな、って大学病院を見学させてもらったら、いい雰囲気の医局だったので、今年の4月からそこで働かせてもらってます」

リハビリとコミュニケーションの関係

リハビリテーション科では、精神科で学んだことが役に立っている。

「たとえば、脳梗塞で突然右半身麻痺になった患者さんって、精神的にかなり落ち込むケースが多くて。医師としてただ身体や症状に向き合うだけじゃなくて、リハビリを頑張りましょう、って励ますことも大事なんです」

リハビリテーション科でコミュニケーションが大事なのは、患者と接するときだけではない。

「看護師さんだけじゃなくて、実際にリハビリをサポートする理学療法士さんとか、仕事でいろんな同僚と接する機会があります」

命令系統としては、医師がピラミッドのトップに位置しているかもしれない。でも、現場では自分より経験の長いスタッフがたくさんいる。

いろんな人と話し合いながら、なにが患者にとってベストなのかを探す必要がある。

「医師然」としていない、とよく言われるのは、大学以降に培ったコミュニケーションスタイルに理由があるのかもしれない。

「自分はそんなつもりはなかったんですけど、相手と話していて『救われた』『楽になった』って言ってもらえることもあります」

「人としゃべることが好きなので、スタッフとの交流が楽しくて仕事してます!」

08レズビアンか、バイセクシュアルか

おさえ込んでいた気持ち

自分のセクシュアリティに自覚的になったのは、性的指向のほうが先だ。

でも、女性にしか興味の対象が向かない、というわけではない。

「大学時代には、冬になると毎回ちがう男子を好きになってました。好きな人のためにお弁当を作ってたこともありましたね」

10代、20代のうちは、実は性的指向でそこまで悩んでいない。

「女の人が好きだ、っていう気持ちにふたをしてたからかもしれないですね。ダメなことだ、っておさえ込んでたから悩みにもならなかったのかな、って」

そのため、自分と同じような人に会いたい、という発想も浮かばなかった。

「『身近にいる女の子と付き合いたいな』と思っても、『それは無理でしょ』ってあきらめてましたね。だから、名古屋で出会いを探しに行こう! とも思わなかったんじゃないかな」

性自認と実際の生活

性自認については、1、2年前まで「自分の性自認はなんだろう?」と考えたり悩んだりしていたが、いまはクエスチョニング、もしくはXジェンダーかな? と考える程度だ。

「月1くらいで『胸、取っちゃいたいなぁ』と思うことがあるくらいですね」

でも、実生活ではしばしばトラブルに遭遇している。

「トイレに行くときには、ビビることがありますね」

「大学生のころは髪の長さもボブくらいまであったので男性に間違えられることはなかったんですけど、いまは男性だと思われることが多くて・・・・・・」

やせ型で丸みが目立たない体系に、ベリーショートの髪型と、見た目も男性らしいが、男性だと認識される要因はそれだけではない。

「中学生のときに、部活を頑張りすぎたからか生理が止まっちゃって。そこから10年くらいはちゃんと生理がこなかったからか、声も低いんですよね」

女性トイレに入ってびっくりされ、「女性なんです」と声をかけても男性のように声が低いため、相手を余計混乱させる恐れがある。

「身分証を見せてください! って言われたことはいまとのころないですけど、男性トイレじゃなくて女性トイレに入ろうとして驚かれた、ってことはあります。でも、男性トイレに入るのもどうなんだろうって・・・・・・」

知ってもらえると楽

前の職場はあまり規模の大きくない病院だったので、全員にカミングアウトしていた。

「職場内の広報誌で自己紹介する機会があって、そこで『女性を好きになったことがある』って書いていたので、先生や看護師だけじゃなくて、給食のおじさんまで、みんな私のセクシュアリティを知ってたんです」

でも、いまは大学病院勤め。前の職場とは規模感が大きく異なる。職場全員にセクシュアリティを伝えることは、現実的に難しい。

「周りにいる人には知っていてもらったほうが楽だなと思ってるんですけど、新しい環境に行くと『また説明しなきゃ』ってプレッシャーを感じます」

「男性のスタッフと話していて、私だけ女子トイレに入ってびっくりされる、みたいなことがまた起こるかもしれないので・・・・・・」

最近は、多目的トイレを使う機会が少し増えた。

「身体的に健常な自分が多目的トイレを使うことに抵抗感があったんですけど、同僚に相談したら『別にいいんじゃない?』ってあっさり言ってくれたんです」

いまは、性自認がどっちつかずの自分のことを同僚に相談しても「みんな、そんなもんじゃない?」と自然に受け入れて、ありのままの自分を肯定してくれるおかげで、そのままで生きていられる。

09「鈍感力」を磨く

あえてスルーする

小学生に上がる前から、家庭の空気を敏感に受け取って自分を抑圧するなど、いわゆるHSPの気質を持ち合わせているという自覚はある。

自分を押し殺し続けた結果、ストレスが爆発したことも何度かあった。

「中高生時代には、周りの人をあまり大事にできていなかったな、って反省してます」

自分を大切にするには、あえて周りに気遣い過ぎないことも大切なのだと気づいた。

「でも、鈍感でいることって、私には勇気が要ることなんですよね」

いまは10代の反省を生かして、あえて空気を読みすぎないように努力しているところだ。

無限のキャリア

医者としては、まずはリハビリテーション科の専門医を目指して、引き続き研鑽を積んでいくつもりだ。

「まずは上司や先輩に導いてもらいながら、さまざまな職種の人たちと学び合いながら、リハビリテーション科の専門医として力をつけていきたいと思ってます」

「将来的にはリハビリだけをやっていくのか、自分のスキルの範囲をほかの分野にも、もっと広げていくのか、未来はまだわからないですね」

出会った人たちが体も心も健やかに、自分らしく安心して生きていけるお手伝いがしたい。

人生の「やり直し」を経て、将来の自分がどのように活躍しているのか、自分でもこれからが楽しみだ。

10いつかパートナーとともに

パートナーがいるも、いないも

将来の自分を想像するようになったのは、ここ最近になってから。

「長い期間、ちゃんとだれかとお付き合いしたことがなかったので、それがわからないから将来像もわからない、って感じでした」

10年後には、パートナーと呼べる大切な人と、自分の子どもと一緒に生活できていたらいいな、と思っている。

「かたちだけ一緒に生活してるんじゃなくて、お互いをおもい合える相手がいたらいいな、って。でも一生一人の可能性もあるので、そうなっても仕方ないな、とも考えてます」

LGBTQ当事者として深く悩みのふちにいるわけではないが、無意識のうちに少しずつストレスをためこんでいると気づくときがある。

「たまにLGBTQ当事者のイベントに参加して、息抜きしてます。そういう場で出会った人とお話しすると、一人じゃないんだ、って救われるような気持ちになれますね」

中途半端では手に入らない

パートナーとめぐり合うためには、自分のコミュニケーションスタイルをさらに向上させないといけない、と考えている。

「『これくらいなら自分も傷つかないから、いいだろう』って中途半端に自己開示を止めてたら、本当に欲しいものを手に入れることはできないだろうな、って」

医者の前期研修後から現在まで人生をやり直すなかで、本来であれば10代のうちに経験していたであろう人間関係の成功や失敗の経験を、いま体得している。

私のような抑圧した10代を経験する子どもを増やさないためにも、子どもが抱えているモヤモヤを引き出せる大人になりたい。

「そうなるためには、自分自身に余裕がないといけないですね」

まずはおさえ込んできた自分を解放しよう。その次は、感情や考えをふうじている人々を解放する番だ。

 

あとがき
迷いながらもがきながら、それでも歩みを止めない花江さんはどの時代にもいた。やりきれないおもいを抱えても、どうにか穏やかなものを築けないかと悩み続けるのは、出会った人たちを大切にしたいから■法律も政治も不完全。絶望のあとに希望はやってきますか? なぜわたしのままではいけないのですか? こたえてほしい。それでも、悩みのなかに未来をひらくヒントがあるのだとしたら、今日も明日も「わたし」を生きられるように、なにができるのかをずっと考えて進みます。(編集部)

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