02 両親が教えてくれたこと
03 ベーシストとしてMVPを受賞
04 恐怖心とコンプレックスと
05 アライと呼ばれることへの違和感
==================(後編)========================
06 世界を一周して自分を信じられた
07 就職、独立、結婚、出産、そして離婚
08 トランスジェンダー男性との出会い
09 戸籍の性別変更後は3人で家族になる
10 傷ついている人たちをケアしたい
06世界を一周して自分を信じられた
死を肯定できるきっかけにも
東京にあるヘアメイクの専門学校を卒業したあとは、エステサロンに就職。
ヘアメイクの道を選んだのは、とにかく自信が欲しかったから。
「やっぱり自己肯定感が低かったので、かわいくなれる術を知れたら、自分も自信をもてるようになるかなって、そんな理由だったと思います」
「エステサロンでは肌質改善のアドバイザーとして働きました」
お客様には、肌は排出器官であることを伝え、本来の働きができるようにケアをすれば、自然と肌はきれいになっていくと説いた。
「肌のことを考えるうちにマクロビに興味をもち、アロマとかメディカルハーブの資格をとったり、薬膳の講座を受けたりして学びながら、自ら実践してみたりして、肌は内臓の鏡だということを実感しました」
エステサロンで2年働いたあとは、世界一周の旅に出た。
「家族で世界中を旅する自由人・高橋歩さんの本を読んで、自分も行きたいと思ったんです。この本は、私があれほど恐れていた死を、やっと肯定できるようになったきっかけのひとつでもあります」
世界一周航空券を手に、3カ月で17カ国を回った。
動けるうちに見に行こう
旅の思い出はたくさんある。
「旅をしているあいだに、印象的なことはいっぱいいっぱいありました」
「私は、エネルギーとか、自然と調和するとか、バランスを整えるっていう考え方が好きなので、海外でも滝とか湖とか海辺でボーッとして、自然界のエネルギーを感じることができたのが、よかったなと思ってます」
「あと、日本という国のよさも改めて感じました。いろんな国にヴィザなしで行けるってことは信用できる国の国民なんだっていうことでもあるし、それは決して当たり前のことじゃないんだなって」
スイスでは雪景色が見たくて、絶景で有名なユングフライヨッホに登った。
「20キロ前後の荷物を背負って、ちょうど自分の誕生日に登頂したんです」
この旅は、何歳まで自分の足で歩けるのかわからない、いつまで自分の目が見えるかわからない、だったら動けるうちに見に行こうと思って始めた。
そして、自分の足で登って、見たいと思ったものを見ることができた。
そのうれしさは、例えようもなかった。
「ようやくここまで来れたんだ・・・・・・って」
「もちろん周りのおかげでもあるんですけど、自分ががんばったからこそユングフライヨッホに来れたと思うと、自分を信じることができて、認めることもできたし、自己肯定感が上がったというのはすごいあると思っています」
「それからは、自分がどんなものが好きか、どういうところが好きか、自分の気持ちを認識しやすくなったとも思います」
07就職、独立、結婚、そして離婚
悲しい気持ちを分かち合えなかった
旅から帰ってきたあとは、東京の整体院に就職。
マクロビや薬膳の学びは自分の糧になったが、食だけでは体の歪みを整えるのは難しいと考え、整体の道へ進んだ。
「バキバキと骨を整える施術をしたかったのではなく、その整体院はアロマオイルを使う施術もあったので、もともとアロマは好きですし、資格ももってましたし、それならばと思って」
そして、24歳になろうかというとき、職場で出会った男性と結婚。
長野県に戻って夫婦で整体院を開いた。
29歳のときには子どもも授かった。
「でも、8年くらいで離婚しました」
「理由のひとつとしては・・・・・・第一子を流産したときに、その悲しい気持ちを元夫と分かち合えなかった、わかってもらえなかった、ということがありました」
「ほかにも、本当に傷ついた出来事があって・・・・・・それでも元夫を立てなきゃと思って一緒にいて、誰にもなにも言えない状態で何年も過ぎて・・・・・・どんどん体がおかしくなっていってしまって」
自分の未来を考えていいのでは
どうにか体と心を立て直したいと救いを求めた先に、自己啓発セミナーがあった。
自分の苦しい感情との向き合い方、苦しい感情の手放し方を学んだ。
「ずっと、子どものために離婚しちゃいけない、絶対に3人で暮らしていかなきゃいけない、って思ってたんです」
「でも、そのセミナーを受けて、3人の未来よりも、まずは自分の未来を考えてもいいのではないか、と思えるようになって・・・・・・」
やっとの思いで離婚を決意し、相手に伝えることもできたが、離婚が成立するまでには想像以上の時間がかかった。
「付き合っていた期間も入れると10年ほど一緒にいて、やっぱり感謝している部分はありますし、親権ももらったので、結果としてひとりにさせてしまったという・・・・・・しばらくは痛みみたいなものも残りました」
長野の整体院は閉業となった。
08トランスジェンダー男性との出会い
カミングアウトできる強さを尊敬
「初めて彼と会ったのはオンラインのセミナーです」
「参加者のひとりだったんですが、最初から自分がトランスジェンダー男性だってことを、参加者全員の前で公言していて」
「私は、パニック障害のこととか、周りに言ったらどう思われるんだろうとか、そういうことが気になって、周りに言えるようになるまでかなり葛藤があったし、時間がかかったので・・・・・・。そうやって隠さずに、自分がトランスジェンダー男性だってカミングアウトできる強さに、すごいなって思いました」
プログラムが進むなかで同じチームになり、一緒に話す機会も得た。
「子どもの頃から現在までの過去を全部アウトプットするというプログラムがあって、付き合いの長い友だちにも言わないような、自分の内面の深いところまでチーム内で話したこともあって、チーム全体がめちゃめちゃ仲良くなったんですよ」
「本当に、すごく深いところでつながることができた仲間のうちのひとり、という感じでした」
自分と向き合い、ここまで来られた
チームの仲間で大阪に集まって、同じ場所で一緒にオンラインセミナーを受けようということになった。
「そのときのプログラムでは、自分の未来を見るという内容で、パニック障害をもって生まれた理由が、自分がこれからやりたいと思っていることにつながって、いろんな感情が入り混じって大号泣してしまって・・・・・・」
「そんなとき、彼が落ち着くまでなだめてくれたんです」
「未来の自分への手紙の内容も、ふたりとも似ていて。お互いに、解決できない悩みをもちながらも、逃げずに自分と向き合ってきたんだなぁと思うと、彼にも自分自身に対しても『ここまで来てくれてありがとう』って気持ちになりました」
そして気づいたら、好きになっていた。
「誰にでもすごい優しい人で(笑)」
「それで、そういう優しさは、『自分を好きなんじゃないか』って、誰かを勘違いさせてしまうからやめたほうがいいよ、って言ったんですよ」
すると、その優しさは誰にでも見せているわけではなく、チームの仲間としての親愛の感情以上に、恋愛感情があるからだと告白してくれたのだ。
「うれしかったです」
「あ、両想いだったんだ、って感じでした(笑)」
09戸籍の性別変更後は3人で家族になる
「早くパパになってほしい」
子どもは現在4歳。
当時は離婚について理解するのは難しかったが、徐々に理解しつつある。
「元夫のことをずっと “とと” って呼んでいて、現在のパートナーのことを名前や “パパ” って呼んだりしてます」
「元夫との面会交流もありながら、パートナーと3人で暮らし、パートナーの実家に遊びに行ったりもしているなかで、自分には父親が2人もいて、家族がいっぱいいて幸せ、っていうふうに捉えてくれているようです」
パートナーに子どもが「ととがいなくなって寂しかった」と話したことがある。
そのとき、パートナーがその子どもの気持ちを受け入れたうえで家族になりたいと思ってるよと伝えたところ、子どもも同じ気持ちだと同意してくれた。
「パートナーの家族も子どものことをすごくかわいがってくれていて、子どもも彼の家族のことが大好きみたいで」
「最近は、子どものほうから『いつ結婚するの』『早くパパになってほしい』と何度も言ってくれてます」
しかし現在、パートナーの戸籍上の性別は女性。
籍を入れて正式に家族となるのは、すぐにとはいかない。
パートナーシップ制度を利用するという方法もあるが、パートナーには、戸籍の性別変更をしてから籍を入れたいという気持ちがあるのかもしれない。
いつかは「パパはトランスジェンダー」と説明を
「結婚できない理由とか、性別のこととかは、子どもが興味を示したときに話そうと、いまは思ってます。最近は、なんとなく男女の違いについてわかってきているみたいなので、そろそろかも」
「あ、でも、幼稚園ではみんな “ちゃん” づけで呼ばれていて、“くん” づけとか男女で分ける機会ということ自体が、私たちが子どもだった頃よりは減ってきているように感じてます」
「それでもまだ何度も『なんでまだ結婚しないの?』と聞かれたりしたら、説明しようかなと思っています。隠すつもりはないので」
子どもが通う幼稚園の園長には、パートナーとの関係を説明してある。
アウティングになってしまうという考えもあるが、家族の関係性に対する子どもの理解に、保育者も寄り添ってもらえるようにと正直に伝えた。
「私としては、パートナーがトランスジェンダーだってことは、聞かれなくても言いたいくらいなんです。トランスジェンダーである自分を受け入れて、いろんなことを乗り越えてきたっていうところも、リスペクトしてるので」
「でも、もちろん必要なければ周りに言いませんって感じです」
パートナーがトランスジェンダー男性であるということを、子どもが理解できるか、どのように理解できるかはわからない。
でも、事実はそのまま伝えるつもりだ。
「心配していることはありません。たぶん、あの子なら大丈夫だろうなって思ってます」
離婚する前は、子どもを抱っこしながら、ケンカしたり、いつも泣いていたりしていた。
「いまのように私が笑顔でいたり、楽しく一緒に遊んでいるとか、パートナーと私がお互いを大切にしているとか、そういうことを見せるほうが、子どもにとって一番大事なのではと思ってます」
10傷ついている人たちをケアしたい
「ただいてくれるだけでいい」
自己肯定感が低かった子どもの頃、姉に勝てるのは勉強しかないと思い、とにかく勉強をがんばった。
もともと勉強することは好きだったが、「自分には勉強しかない」と思ってからは、ちょっとでも試験の点数が悪いときには自分を追い詰め、泣きながら勉強するようになってしまった。
勉強で失敗すると、自分の存在価値がなくなってしまうように感じられた。
「20代で整体院を経営してたときも、止まることが怖くて、学んで働いてと動き続けて体調を崩すこともありました」
「結果が出せないと、自分には価値がないと思い込んでいたんだと思います」
「でも、パートナーと出会って、結果なんて出さなくても『ただいてくれるだけでいい』って言ってくれたんです」
“目から鱗” という感じだった。
しかし、考えてみれば、自分が子どもに対して思う気持ちも、パートナーに対して思う気持ちも、「ただいてくれるだけでいい」と同じだと気づいた。
「なのでいまは、ちゃんと休めるようになりました」
「それでもがんばってやるのは、自分が本当にやりたいからやること」
「いままでがんばってきたことには、不安克服のためにやってきたこともあるけど、純粋にやりたくてやってきたこともあったなと気づきました」
子どもの頃の傷は深くなることも
今後は、キャンピングカーで全国を回って講演活動をしたいと言うパートナーに同行し、自分もさまざまな人に出会いたいと考えている。
「屋外で自然のエネルギーを感じながら施術をするような、イベントもやってみたいと思ってます」
「特に、傷ついた子どもを施術によってケアしたいんです」
そう思うようになったきっかけは、自己啓発のセミナーで参加者の体験談を聞くなかで、虐待やいじめなどによって子どもの頃に受けた傷は長く残り、時間が経つにつれて深くなってしまうこともあると知ったからだ。
「その傷をいかに早く手当てできるかっていうのがすごく大事なので、それは仕事としてでもボランティアでもいいので、やりたいですね」
人知れず苦しみを抱え、ひとりでもがいていた子ども時代。
分かち合える人と出会い、ようやく自分を受け入れられたいま、今度は救いを求めてもがく子どもたちに手を差し伸べたいと願う。