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ないものを求めるよりも、あるものを大切にしたほうが、自分の可能性は広がる。【後編】

ないものを求めるよりも、あるものを大切にしたほうが、自分の可能性は広がる。【前編】はこちら

2025/05/28/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
打越 千史 / Chifumi Uchikoshi

2000年、和歌山県生まれ。女性である自分の体への嫌悪感や、大好きな祖父との死別などのストレスが重なり、13歳のときに拒食症となったが、家族や学校の支えもあって回復。15歳で自分は性同一性障害(性別違和)だと、母親にカミングアウトしてから通院を開始し、18歳のときに診断がおりる。闘病の経験から食事と運動の重要性を痛感してボディメイクのプロフェッショナルとなり、現在はパーソナルトレーナーとして活動している。

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INDEX
01 女子だとわかると仲間外れに
02 拒食症を乗り越えた思春期
03 15歳で性同一性障害だと自覚
04 男性として生きていく
05 筋トレは人を元気にできるツール
==================(後編)========================
06 自分はトランスジェンダーだと公表
07 手術の痛みと戸籍の性別変更と
08 ボディメイクでの受賞が誰かの希望に
09 人より濃くて面白い人生が楽しめるかも
10 自分を完全に認めきれたわけじゃない

06自分はトランスジェンダーだと公表

埋没して生きようとしていたが

専門学校卒業後は、神戸にあるパーソナルジムに就職。

トレーニングメニューを考案し、マシンの使い方や食事について指導するパーソナルトレーナーとなった。

「トレーナーの仕事の楽しさは、『ありがとう』って喜んでもらえたり、その方ができなかったことが、できるようになったりすることかなと思います」

「人の成長に直接関われるってところが、一番うれしいですね」

「お客さんのなかには、指名してくださるだけじゃなくて、プライベートでも仲良くさせていただけている方もいました」

しかし、常に心の中にはわだかまりがあった。

「社会に出てからは、ふつうに男性ですって言って就職していて、新しく知り合った人とも男性として付き合ってたので・・・・・・。なんか、自分を偽ってるって感じがして、いつもすごい気持ち悪くて」

埋没して生きていこうと考えていた。
“ふつう” の男性として生きていこうと。

「でも、やっぱり、なんか嘘をついているような感じがあって」

トランスジェンダーである自分を偽りたくなくて

「自分としては、ありのままの自分を好いてくれる人たちを大事にしたいという気持ちがあったんで、ちゃんとカミングアウトして、本音でつき合っていきたいな、っていうふうに思ったんですよね」

退職してフリーランスのトレーナーとして活動し始めたとき、社会人になってからつくったインスタグラムのアカウントで、カミングアウトを決意する。

突然ですが、ご報告があります。
実は僕は「T」「トランスジェンダー」です。
簡単に言えば、心と体の性別が違います。

「ええーっ! て言われました」

「言われなきゃわからなかった、ぜんぜん気づかなかった、っていう反応が多かったですね。意外にわからなかったんやなって(笑)」

トランスジェンダーだとカミングアウトしなければ、埋没できていたかもしれない。

それでも、言わずにはいられなかった。

自分がこの心と体で生まれてきたこと、そのことを通じて経験してきたことには、必ず意味があると思うから。

自分にしかできない経験を、世の中の人たちに伝えていく役目がある、と。

07手術の痛みと戸籍の性別変更と

痛みに耐えながら仕事復帰

ホルモン療法を始めたのは18歳のとき。
始めるにあたっては両親に相談した。

「両親は、僕の体の負担とかをすごい心配してくれて、大丈夫なんだろうか、本当にやるの? って感じでした」

しかし、15歳でジェンダークリニックを受診したときから、男性として生きていきたい気持ちは変わらないし、なんとか両親におもいを伝えたかった。

「手紙を書いて、郵送しました」

いままで育ててくれてありがとう
迷惑かけてごめんね

僕は、女の子で生まれたけど、本当は男の子だから
これからはふつうに男の子として生きたいし
将来は結婚して家族をつくりたいから

「手紙を読んでくれたあとは、両親も『お前の人生だから、好きなようにしなさい』という感じで言ってくれました」

乳房切除の手術を受けたのは、20歳のクリスマス。
年末年始のジムの長期休業を療養期間にあてようと考えていた。

「なんとか有給を使って、他のみんなよりも早めにお休みをとらせてもらったんですけど、それでも足りなかった(苦笑)」

「本当は医師から、2週間くらい休んでからじゃないと職場復帰するのは無理だと言われてたんですが、もうお客さんが予約を入れてくれてるし、実質1週間くらいで、めちゃくちゃ痛いのに復帰しました」

手術はもう、やりたくない

あまりの痛さに、復帰後は止むなく職場に体調への考慮を願い出た。

「ゴリゴリの男性のお客様とかはちょっと勘弁してくださいとか、重たいものはあんまり持てないないですとか、1カ月くらい考慮していただきました」

その痛みを思うと、子宮摘出の手術は二の足を踏んでしまう。

「痛いから、もうやりたくないですよね・・・・・・」

「胸だけでも、ものすごい痛かったんで、子宮を、内臓を摘出するなんて・・・・・・。しばらく歩けなくなるっていうのも聞いたことがあるし」

痛みには個人差があることは理解している。
しかし、乳房切除手術の痛みがトラウマになってしまった。

「・・・・・・でも、戸籍の性別変更はしたいんで」

「手術しなくても変更できるようになればいいんですけど」

2023年10月、トランスジェンダーの性別変更において、生殖能力をなくす手術を義務付けるのは違憲だと最高裁が判断。

その後も、手術を受けずに性別変更を果たした例はある。

「社会が変わるのが先か、僕が動くのが先か」

「いずれにせよ、性別を変更して、結婚したいです」

「お相手はこれからですけどね(笑)」

08ボディメイクでの受賞が誰かの希望に

受賞の難易度に性別は関係ない

トレーナーとして個人のボディメイクのサポートをしながら、自分自身も積極的に大会に出場し、結果を残せるようにと努めている。

「元女性で、いまは男性として生きている僕が、ボディメイクの大会で勝てるってことを示せば、トランスジェンダー当事者たちの勇気になるんじゃないかなって、思ってるんです」

男性として出場する大会。

ほかにもトランスジェンダー男性の出場者はいるが、そもそも男性であっても、女性であっても、結果を残すのは容易ではない。

「大会によって採点基準が違うんですけど、大切なのは全体のバランスだったり、ポージングだったり、見せ方だったり・・・・・・。あとはやっぱり体の絞れ具合とかですかね」

「会場を見渡して、なんかみんなすごい体が仕上がってて、これやばいかも、勝てないかも、って落ち込みそうになることもあります(笑)」

「ボディメイク大会あるあるっていうか、性別関係なくみんな思うことかも」

挑戦する楽しさを伝えたい

大会に向けて調整する際に、もっともつらいのは食事制限だ。

筋肉がしっかりと張るような栄養を中心に摂取し、水分摂取もかなり厳しくコントロールする。

大会が終わったら、ご褒美として口に入れたいものは、ハイカロリーなものでも、甘いものでもなく、まず水だ。

「水を飲むと体がむくんで筋肉のキレがなくなるので、体から水を抜くんですよ。僕は、水抜きは苦手だから極限まではしないんですけどね(笑)」

「むくみやすい人は、水を飲まないでサウナや岩盤浴に行って、カッピカピになって大会に挑むこともあるくらい」

「大会の何時間前に糖質を摂って、そのあとに脂質を摂って、それから50ミリリットルずつ水を飲んで・・・・・・」

「ステージに上がる時間に合わせて、体がむくむことなく筋肉が張るように栄養補給するのが難しいんですよ」

2023年のサマー・スタイル・アワードの予選では、初のトップ10入りを果たし、決勝進出を果たした。

これからも年に1〜2回のペースで出場したい。

自分が「挑戦したい」という気持ちもあるし、トレーナーとしての自分の仕事に説得力を感じてくれる人もいるかもしれない、という期待もある。

性別や年齢、体型などに関係なく、なにかに挑戦することの楽しさや、自分らしくありのままで生きる楽しさを、等身大の自分の在り方で、これからも伝えていきたいと思う。

09人より濃くて面白い人生が楽しめるかも

生きる選択をできたのは環境のおかげ

「人は生まれてくる前に自分の人生の設計図を決めていて、でも生まれた瞬間にその設計図のことを忘れちゃうんです」

「でもやっぱり、誰かと出会ったりとか、なにかが起こったりとかっていうのは設計図として自分が決めたことだから、偶然のように見えても実は必然で、自分の魂が成長するために必要なことなんだよ、って話を聞いて」

「人生を振り返ると、『なるほど』と思うことが何度もありました」

うまくいかなかったとき、時間の無駄になったと考えてしまうことがある。

でも、その失敗も、なにか理由があって体験すべきことであり、無駄ではないのだと考えるようになった。

「僕の人生で、どん底だったのは拒食症で苦しんでいた中学生のとき」

「そのときに僕は、生きるという選択をしたんですが、その選択ができたのは、家族とか友だちとか、周りの環境のおかげだと思っています」

生きているだけで奇跡

人生について考えるきっかけになった出来事が、もうひとつある。

「僕が中学生のとき、いとこのお兄ちゃんに子どもが生まれたんです」

「会える日を楽しみにしてたんですが、突然その子が亡くなってしまって。生まれたばかりでも亡くなってしまうことがあるというのが、すごい衝撃で・・・・・・。生きていることのありがたみを感じました」

苦しいこともあるけれども、家族がいて、ご飯を食べられて、自分の意思で好きなところに行くことができる。

これは当たり前のように感じていたけれど、決して当たり前ではない。

生きているだけで奇跡なのだ、と思えた。

「僕らは “ふつう” とは違う・・・・・・って言い方はよくないかもしれないけど、やっぱりちょっと違うじゃないですか、性自認と体が一致していて “ふつう” に生きている方とは、また違うと思うんですよ」

その「違う」ということにも意味があると考える。

「“ふつう” よりも少しばかり濃くて、おもしろい人生が楽しめるかもしれない、とも思うんです」

「女の子の人生も、男の子の人生も楽しめるって、なかなかないじゃないですか。ちょっと得してるかもって思うんですよ(笑)」

10自分を完全に認めきれたわけじゃない

父は丸くなった

自分が男として生きるようになってから、父も変わったと思う。

もういまは「俺、オカマとかめっちゃきらいやわ」と言っていた父ではない。

「僕がLGBTQ当事者ってことを父が知ってから、やっぱりめっちゃ調べてくれたらしいんですよ」

「めちゃめちゃ調べて、勉強して、たぶん父なりに気づくことがたくさんあったと思うんです」

「それから、いろんな角度から物事を見るってことが、すごい大事だと気づいて、性の多様性も受け入れられるようになったみたいです」

自分が自分の足で人生を歩んでいくと当時に、親も親で歳をとっていく。
そのせいか、父が以前よりもさらに優しくなったと感じる。

「前はね、自分が絶対に正しい、って感じのところがあったんですけど、いろんなことを否定せずにまず受け入れてくれるようになって、なんか、父は丸くなりました」

「体も丸くなってきてて、最近はジムに通いだしたそうです(笑)」

自分は、自分の意志で自分を変えていくことができる。
すると周りも、きっと変わっていく。

自分を深掘りして、魅力に気づいてあげる

「SNSの影響からか、承認欲求って言葉をよく聞きますが、周りからいくら『すごい』とか言われて承認されても、自分自身が認めてないと、結局のところずっと自分を認められないと思うんですよ」

「だから、まずは自分のことをちゃんと知って、受け入れて認める、ってことが一番大事やと思うんで、それを伝えていきたいです」

それでも、苦しいとき、つらいとき、自分と向き合うのが困難な場合もある。

「しんどいときって、自分にないものを数えちゃうんですよね。あの人にはあれがあるのに自分にはないって、人をうらやましがったりとか・・・・・・」

「僕の場合は、自分は生まれながらの男性じゃないから、男性には勝てないって、ずっと思っていて、悔しくて、どんどんしんどくなってた」

「でも、大切な家族のこととか、自分が得意なこととか、自分にないものじゃなくて、あるものに目を向けると、悔しい気持ちがやわらいで、それからの人生の可能性が広がると思うんです」

そう言いながらも、ときに落ち込むことはある。

「まだ自分自身を完全に認めきれたわけじゃないし、受け入れられないところもあったりするんで、もっともっと自分を深掘りして、自分の魅力に気づいてあげるってことを、していけたらいいなと思ってます」

「まだ、小さい頃のトラウマが消えたわけじゃないし」

「女だからって仲間はずれされた記憶とか、病気になって家族や周りの人に迷惑をかけた過去が頭にチラつくこともあるし・・・・・・。でも、それは自分が背負って生まれてきた課題だと思ってるんで」

自分が、その課題をもって生まれた意味。
それを知るためにも、自分から目をそらさずに生きていく。

 

あとがき
登場人物の胸のうちまで伝わってくる・・・みんなが応援団のように思えた。向上心をもってひたむきに取り組む千史さんに、私たちも声援を送りたくなった■明るい口調の深刻エピソード。すべての時間がいまの千史さんにつながっているとわかる。キリリとした表情で「自分を完全に認めきれたわけじゃない」と口にする様子。「おもしろい人生が楽しめるかもしれない」と笑う千史さんを、どん底だった中学時代の千史さんに知らせたくなる。(編集部)

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