02 「女になる」と願掛けを
03 楽しかった入院生活
04 児童養護施設から中学へ通学
05 筋トレに対する並々ならぬ恐怖心
==================(後編)========================
06 トランスジェンダー女性という生き方
07 女になるか、別れるか
08 性別移行と子づくりを同時進行で
09 生まれなかった子どもたちへ
10 家族への愛は誰にも負けない
06トランスジェンダー女性という生き方
働きながら通信制の高校で勉強
15歳で親元を離れる。
大阪にある印刷加工会社で、住み込みで働いた。
職場には若い従業員もいたが、だいたいが高卒。中卒で働いているのは自分だけだった。
「寂しさとかは全然なかったですね。寮に住んでたら先輩もいるし。むしろ実家よりも楽しかったです」
初任給を受けとったときは、母親に洗濯機を買ってあげた。
「そのときだったかな。母に、縦型じゃなくてドラム式がよかったって言われた気がします。まぁ、ふつうに喜んでくれてましたけど(笑)」
実家を出たあとも、母親と連絡をとりあってはいた。
「工場で働き出して1年くらい経ってから、定時制とか通信制とかの高校があることを知って、通信制の高校に入りました」
「そのあと、あんまり勉強はしなかったんですが、フリーターをしながら勉強して、3年で卒業しましたね」
少しずつ知ったトランスジェンダーのこと
ゲイのコミュニティの存在を知ったのも、働き始めた頃だった。
「いわゆる出会い系サイトで援助交際みたいなこともしてました」
生きていくためにお金を稼ぐことであれば、やれることはやった。
「自分のことは、ゲイとは思ってなかったですね。どっちかというと、やっぱり男性より女性のほうが好きだったので」
「自分のことは、女性になりたい願望のある男性だという認識しかなかったんです。言ってみたら、女装願望のある男・・・・・・くらいにしか」
誰かに、性自認について話すことはできなかった。
仕事相手として出会った人には特に言えなかった。
しかし、そんな自分に対する解像度が一気に上がる出会いがあった。
「児童養護施設で出会った友だちのなかに、ゲイの子がいたんですよ。その子から、ニューハーフの子を紹介してもらって、その子と付き合うことになったんです」
ニューハーフという職業。
そんな生き方もあるんだ、と知る。
「それからだんだんとトランスジェンダーのこととかも自分で調べるようになって、知識がついていった感じですね」
その頃は力仕事をしていたため、体は筋肉質になっていて、頭は丸坊主。
「女になる」という願掛けが、ようやく叶うかもしれないとも思ったが、鏡に映る自分の姿を見ると、まったく実感が湧かなかった。
「トランスジェンダー女性(M T F)という生き方があることを知って、もしかしたら自分も・・・・・・とか思ったけど・・・・・・」
「男顔で、筋肉質で。でも生きていくためには、引っ越しとか現場仕事とか、とにかく力仕事をするしかないし、もうしょうがないなって思ってたから、その生き方は自分にはできないと、一旦は諦めました」
07 「女になる。でも、子どももつくるから」
女になるか別れるか
一旦は諦めた「女性になる」という願望。
それと再び向き合うことになる。
「サトちゃんって子・・・・・・いま一緒にいる子なんですけど、その子に、私の昔の名前に “子” を付けて『○子ちゃんって呼んで』ってお願いしてて」
「付き合って2年くらいのとき。2020年に、サトちゃんから『あんたは、男なのか女なのか、1カ月以内にハッキリ決めて!』って言われたんですよ」
「結婚して子どもがほしいって言われてたから、これは真剣に考えなあかんって思って、ブワーーーッて一気にいろいろ調べました」
そして、ハッキリさせる期日。
「女になる」と答えた。
「サトちゃんは泣いてました・・・・・・。『私の人生、どないしてくれんねん』って言われて・・・・・・・すみません・・・・・・」
「それでさらに『女になるか、別れるか、ハッキリ決めて!』って言われたので、ごめん、女になるけど、結婚して、子どももつくるから、って」
そして生まれたのが、通称「小さいおじさん」。
2024年7月1歳になった。
あの出会いがあったからこそ
実は、18歳になる子どももいる。
通称「大きいおじさん」だ。
「私が、同じく18歳くらいのときの子ですね。当時結婚していた、メグミさんって子とのあいだにできた子です」
「あの頃の私は、もうダメダメで・・・・・・。子どもが生まれたばかりやったのに、遊ぶことばかり優先して、子育てをメグミさんに任せっぱなしで」
「しまいには、仕事のために離れて暮らすことになるから離婚しようって・・・・・・。自分から言い出してしまいました」
メグミさんと別れた当時は、当然ながら関係性は悪く、会うことはもちろん、連絡を取り合うことすら難しかった。
しかし4年ほど前から少しずつ距離が縮まり、関係は修復。
いまでは、サトちゃんと小さいおじさん、メグミさんと大きいおじさん、双方の親子同士も仲良く付き合うことができている。
大きいおじさんには、性別移行前に「女になる」と伝えた。
「あの子、どっしりしているところがあって、カミングアウトされても『あ、そう』って感じで(笑)」
「遺伝子的には、私は父親になるんですけど、お父さんでもお母さんでもなく『あまねちゃん』って呼んでくれています」
いま、みんなが仲良く過ごせていることを心から幸せだと思う。
なによりも、「女なのか男なのか、ハッキリ決めて!」と詰め寄ってくれたサトちゃんがいなかったら、いまの自分はいなかっただろうと思う。
「本当に、サトちゃんと出会えたことで、いまの自分がいます」
08性別移行と子づくりを同時進行で
女性になっていくうれしさ
「男性から女性に性別移行するときに、子どもを授かることを諦めなくてもいいってことを、移行前に悩んでいる人に伝えたいんです」
「サトちゃんは、ちゃんと子どもをつくるってことを条件で、女になることにOKしてくれて、一緒にいてくれたんです」
「小さいおじさんは、精子凍結して生まれた子なんですよ」
サトちゃんから「女なのか男なのか」を決めるきっかけをもらったあと、どうやったら性別移行できるのか、性別移行しても子どもをつくる方法はあるのか、手を尽くして一気に調べ上げた。
2020年7月。「女になる」「子どももつくる」と宣言して、まず向かったのはジェンダークリニック。そこで性同一性障害であるとの診断が出た。
そのあとは、今後の子づくりのために精子を凍結。
ホルモン療法を始め、数ヶ月経ったところで睾丸を摘出。
2021年に性別適合手術を受け、2022年に甲状軟骨形成術を受ける。
そして2023年7月、人工授精により小さいおじさんが誕生した。
「短期間で性別移行を進めたので、ホルモンのバランスが大きく崩れて、やっぱりつらかったですよ。パニック障害みたいになってね・・・・・・」
しかし、自分の体が女性になっていくことには、うれしさしかなかった。
子どもや家族を諦めなくていい
「いまでもまだ完パス(完全に女性として見えること)とはいえないですけど、それでもやっぱり満足してます。うん」
「欲を言ったら、もっと背がちっちゃくてー・・・・・・っていうのはあるんですけどね(笑)。でも、どんなかたちであっても、男性でなく女性として生きていけるってことは、とっても幸せです!」
そしてなにより、自分をさらに幸せにしてくれたのは子どもの存在だ。
「トランスジェンダー女性でも、子どもをつくることはできる。子どものことや家族のこと、諦めなくていいってことをもっと知ってほしい」
「悩みが多いトランスジェンダーやけど、もっともっと幸せになれるってことを伝えたいです」
もちろん、子づくりはひとりではできない。
パートナーと十分に話し合って、お互いが納得して、覚悟をもって子どもと向き合えることが前提だ。
また性自認だけでなく、子づくりは性的指向によっても方法は異なるだろう。
「私の恋愛対象は、いまはどんな人でも。そういうのって、パンセクシュアルっていうんですかね。恋愛では、性別にとらわれないです」
2024年1月、戸籍の性別を女性に変更。
性別を変更するには、サトちゃんと離婚する必要があったが、ひとつの籍に入っていなくても、いまも家族はひとつの家に一緒に暮らしている。
09生まれなかった子どもたちへ
名前を記した地蔵に会いに
「実は私、ほかに4人の子どもがいるんです」
「生まれてくることができなくて、水子になってしまったけど・・・・・・」
メグミさんと出会う前に2人、離婚したあとに2人。
そのときは、付き合っていた相手の妊娠が判明しても、結婚して子どもを育てていく、という決断ができなかった。
「4人の子どもたちのことは、ものすっごい後悔してるんです」
「親に守ってもらえなくて苦しい想いをした私が、子どもたちを守ってあげられなかった・・・・・・そのことをすごい後悔していて・・・・・・」
10代の恋愛。
堕胎は悲しい行為だが、その件数は全国的に見て少なくない。
だが、若気の至りでは済まされない。
「若かったから、なんて言い訳はしません。それじゃダメなんですよ。その子たちは、生まれなかったけど、ちゃんと命なんです」
「だから、そこに関しては、ずっとずっと悔しくて」
水子供養は忘れない。
命日には、4人それぞれの名前を記した地蔵に会いに出かける。
家族みんな一致団結して
4人の子どもに対する後悔の念を心に深く刻みながら、現在は幸せに暮らしている。
「すみません。いま子どもが2人いて、めっちゃ幸せなんです」
「子どもたちはかわいい。本当にかわいい」
「過去にいろいろあったのに、メグミさんにも申し訳ないことをしてきたけど、メグミさんもサトちゃんも、大きいおじさんも、家族みんな一致団結してくれるようになって・・・・・・うれしいです」
大切な家族には、弟家族も含まれる。
「弟の家族とも仲よくさせてもらってます」
「カミングアウトするときにはね・・・・・・殴られるんちゃうかって思って怖かったんですけどね(笑)」
弟に、自分がトランスジェンダー女性であることを伝える際には、手紙を書いて、「読んでほしい」と手渡した。
手紙を読む前、「大事な話がある」と伝えると、弟は「兄貴、病気なんか? もう死んでしまうんか」と号泣。
手紙を読んだあとは「これはほんまか? 冗談か??」ときいてきた。
「ほんまやで、これから女になるよ、って言ったら理解してくれました」
弟は結婚して、子どもが3人いる。
「淡路島に住んでる弟一家が、大阪の我が家に来て、一緒に遊んだりもしてますよ。めっちゃくちゃ仲いいですね(笑)」
10家族への愛は誰にも負けない
みんなに守られている幸せ
横断歩道を渡るとき、「女になる」と願掛けしながら白い線を踏んだ。
その願いは叶わないと、諦めたこともある。
しかし、いま女性として生きている。
「幸せです。でも、いま幸せって思えているのは、女性になれたからっているのもあるけど、なにより、家族みんなに守られているからだと思います」
「女性になれても、みんながいなかったら、たぶん私は幸せじゃないと思う」
「家族には本当に感謝してます。弟と弟の家族と、メグミさんとサトちゃんと子どもたち。みんなが私の家族です」
母親とは10年ほど前から連絡をとっていない。
実は自分を虐待していた母親の再婚相手に慰謝料を求めたのだが、その裁判が長引いたことで、母親との関係がこじれてしまったのだ。
「小さいおじさんが生まれたことは、私からは母に伝えてないですね」
「弟は、母と連絡を取り合っているので、弟から聞いているかもですが」
かつては、性別移行に関するブログやYouTubeチャンネルを開設していたこともあったが、母親に見られたくないという理由で消去してしまった。
現在のオープンな情報発信は、主にXのみ。
しかしそれは、トランスジェンダーであることや性別移行に関するトピックに触れることのない、いわゆる子育てアカウントである。
「小さいおじさんが、ホントのおじさんになったとき、『あなたは愛されて育ったんだよ』って伝えたくて、つぶやいてます」
見返りがなくても愛していける
母親とのこじれた関係が、修復する日がくるかはわからない。
ただ、いまそばにいる家族を大切にして生きていこうと思う。
「家族って、なんだろう」
「見返りがなくても、愛していける存在・・・・・・かな。そんな難しいこと考えたことないですけど(笑)」
「私の家族への愛は、誰にも負けないと思います。誰とも競ってないですけどね(笑)」
死にたくなることもあった。
自分を痛めつけた相手を憎んだこともあった。
自分を助けてくれない家族を恨んだことも・・・・・・。
でもいま、真っ直ぐに愛すことのできる家族がいて、心の底から幸せだと実感することができる。
「今日は笑顔! 明日はもっと笑顔!!」