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パンセクシュアルのトランスジェンダー女性も、子どもを授かって、家族と幸せに暮らしていける。【後編】

パンセクシュアルのトランスジェンダー女性も、子どもを授かって、家族と幸せに暮らしていける。【前編】はこちら

2025/01/16/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
森 あまね / Amane Mori

1985年、大阪府生まれ。幼い頃から恋愛対象は女性であったが、体が男性であることへの嫌悪感が成長とともに募る。同時に、母親の再婚相手からの虐待により、つらい幼少期を過ごす。中学卒業後、働きながら通信制高校を卒業。35歳でトランスジェンダー女性(MTF)だと自認し、性別適合手術を経て戸籍の性別を変更。現在、母親が異なる実子が3人おり、ありったけの愛情を家族に注いでいる。

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INDEX
01 母親の再婚相手からの虐待
02 「女になる」と願掛けを
03 楽しかった入院生活
04 児童養護施設から中学へ通学
05 筋トレに対する並々ならぬ恐怖心
==================(後編)========================
06 トランスジェンダー女性という生き方
07 女になるか、別れるか
08 性別移行と子づくりを同時進行で
09 生まれなかった子どもたちへ
10 家族への愛は誰にも負けない

06トランスジェンダー女性という生き方

働きながら通信制の高校で勉強

15歳で親元を離れる。
大阪にある印刷加工会社で、住み込みで働いた。

職場には若い従業員もいたが、だいたいが高卒。中卒で働いているのは自分だけだった。

「寂しさとかは全然なかったですね。寮に住んでたら先輩もいるし。むしろ実家よりも楽しかったです」

初任給を受けとったときは、母親に洗濯機を買ってあげた。

「そのときだったかな。母に、縦型じゃなくてドラム式がよかったって言われた気がします。まぁ、ふつうに喜んでくれてましたけど(笑)」

実家を出たあとも、母親と連絡をとりあってはいた。

「工場で働き出して1年くらい経ってから、定時制とか通信制とかの高校があることを知って、通信制の高校に入りました」

「そのあと、あんまり勉強はしなかったんですが、フリーターをしながら勉強して、3年で卒業しましたね」

少しずつ知ったトランスジェンダーのこと

ゲイのコミュニティの存在を知ったのも、働き始めた頃だった。

「いわゆる出会い系サイトで援助交際みたいなこともしてました」

生きていくためにお金を稼ぐことであれば、やれることはやった。

「自分のことは、ゲイとは思ってなかったですね。どっちかというと、やっぱり男性より女性のほうが好きだったので」

「自分のことは、女性になりたい願望のある男性だという認識しかなかったんです。言ってみたら、女装願望のある男・・・・・・くらいにしか」

誰かに、性自認について話すことはできなかった。

仕事相手として出会った人には特に言えなかった。

しかし、そんな自分に対する解像度が一気に上がる出会いがあった。

「児童養護施設で出会った友だちのなかに、ゲイの子がいたんですよ。その子から、ニューハーフの子を紹介してもらって、その子と付き合うことになったんです」

ニューハーフという職業。
そんな生き方もあるんだ、と知る。

「それからだんだんとトランスジェンダーのこととかも自分で調べるようになって、知識がついていった感じですね」

その頃は力仕事をしていたため、体は筋肉質になっていて、頭は丸坊主。

「女になる」という願掛けが、ようやく叶うかもしれないとも思ったが、鏡に映る自分の姿を見ると、まったく実感が湧かなかった。

「トランスジェンダー女性(M T F)という生き方があることを知って、もしかしたら自分も・・・・・・とか思ったけど・・・・・・」

「男顔で、筋肉質で。でも生きていくためには、引っ越しとか現場仕事とか、とにかく力仕事をするしかないし、もうしょうがないなって思ってたから、その生き方は自分にはできないと、一旦は諦めました」

07 「女になる。でも、子どももつくるから」

女になるか別れるか

一旦は諦めた「女性になる」という願望。
それと再び向き合うことになる。

「サトちゃんって子・・・・・・いま一緒にいる子なんですけど、その子に、私の昔の名前に “子” を付けて『○子ちゃんって呼んで』ってお願いしてて」

「付き合って2年くらいのとき。2020年に、サトちゃんから『あんたは、男なのか女なのか、1カ月以内にハッキリ決めて!』って言われたんですよ」

「結婚して子どもがほしいって言われてたから、これは真剣に考えなあかんって思って、ブワーーーッて一気にいろいろ調べました」

そして、ハッキリさせる期日。
「女になる」と答えた。

「サトちゃんは泣いてました・・・・・・。『私の人生、どないしてくれんねん』って言われて・・・・・・・すみません・・・・・・」

「それでさらに『女になるか、別れるか、ハッキリ決めて!』って言われたので、ごめん、女になるけど、結婚して、子どももつくるから、って」

そして生まれたのが、通称「小さいおじさん」。
2024年7月1歳になった。

あの出会いがあったからこそ

実は、18歳になる子どももいる。
通称「大きいおじさん」だ。

「私が、同じく18歳くらいのときの子ですね。当時結婚していた、メグミさんって子とのあいだにできた子です」

「あの頃の私は、もうダメダメで・・・・・・。子どもが生まれたばかりやったのに、遊ぶことばかり優先して、子育てをメグミさんに任せっぱなしで」

「しまいには、仕事のために離れて暮らすことになるから離婚しようって・・・・・・。自分から言い出してしまいました」

メグミさんと別れた当時は、当然ながら関係性は悪く、会うことはもちろん、連絡を取り合うことすら難しかった。

しかし4年ほど前から少しずつ距離が縮まり、関係は修復。

いまでは、サトちゃんと小さいおじさん、メグミさんと大きいおじさん、双方の親子同士も仲良く付き合うことができている。

大きいおじさんには、性別移行前に「女になる」と伝えた。

「あの子、どっしりしているところがあって、カミングアウトされても『あ、そう』って感じで(笑)」

「遺伝子的には、私は父親になるんですけど、お父さんでもお母さんでもなく『あまねちゃん』って呼んでくれています」

いま、みんなが仲良く過ごせていることを心から幸せだと思う。

なによりも、「女なのか男なのか、ハッキリ決めて!」と詰め寄ってくれたサトちゃんがいなかったら、いまの自分はいなかっただろうと思う。

「本当に、サトちゃんと出会えたことで、いまの自分がいます」

08性別移行と子づくりを同時進行で

女性になっていくうれしさ

「男性から女性に性別移行するときに、子どもを授かることを諦めなくてもいいってことを、移行前に悩んでいる人に伝えたいんです」

「サトちゃんは、ちゃんと子どもをつくるってことを条件で、女になることにOKしてくれて、一緒にいてくれたんです」

「小さいおじさんは、精子凍結して生まれた子なんですよ」

サトちゃんから「女なのか男なのか」を決めるきっかけをもらったあと、どうやったら性別移行できるのか、性別移行しても子どもをつくる方法はあるのか、手を尽くして一気に調べ上げた。

2020年7月。「女になる」「子どももつくる」と宣言して、まず向かったのはジェンダークリニック。そこで性同一性障害であるとの診断が出た。

そのあとは、今後の子づくりのために精子を凍結。

ホルモン療法を始め、数ヶ月経ったところで睾丸を摘出。
2021年に性別適合手術を受け、2022年に甲状軟骨形成術を受ける。

そして2023年7月、人工授精により小さいおじさんが誕生した。

「短期間で性別移行を進めたので、ホルモンのバランスが大きく崩れて、やっぱりつらかったですよ。パニック障害みたいになってね・・・・・・」

しかし、自分の体が女性になっていくことには、うれしさしかなかった。

子どもや家族を諦めなくていい

「いまでもまだ完パス(完全に女性として見えること)とはいえないですけど、それでもやっぱり満足してます。うん」

「欲を言ったら、もっと背がちっちゃくてー・・・・・・っていうのはあるんですけどね(笑)。でも、どんなかたちであっても、男性でなく女性として生きていけるってことは、とっても幸せです!」

そしてなにより、自分をさらに幸せにしてくれたのは子どもの存在だ。

「トランスジェンダー女性でも、子どもをつくることはできる。子どものことや家族のこと、諦めなくていいってことをもっと知ってほしい」

「悩みが多いトランスジェンダーやけど、もっともっと幸せになれるってことを伝えたいです」

もちろん、子づくりはひとりではできない。

パートナーと十分に話し合って、お互いが納得して、覚悟をもって子どもと向き合えることが前提だ。

また性自認だけでなく、子づくりは性的指向によっても方法は異なるだろう。

「私の恋愛対象は、いまはどんな人でも。そういうのって、パンセクシュアルっていうんですかね。恋愛では、性別にとらわれないです」

2024年1月、戸籍の性別を女性に変更。

性別を変更するには、サトちゃんと離婚する必要があったが、ひとつの籍に入っていなくても、いまも家族はひとつの家に一緒に暮らしている。

09生まれなかった子どもたちへ

名前を記した地蔵に会いに

「実は私、ほかに4人の子どもがいるんです」

「生まれてくることができなくて、水子になってしまったけど・・・・・・」

メグミさんと出会う前に2人、離婚したあとに2人。

そのときは、付き合っていた相手の妊娠が判明しても、結婚して子どもを育てていく、という決断ができなかった。

「4人の子どもたちのことは、ものすっごい後悔してるんです」

「親に守ってもらえなくて苦しい想いをした私が、子どもたちを守ってあげられなかった・・・・・・そのことをすごい後悔していて・・・・・・」

10代の恋愛。
堕胎は悲しい行為だが、その件数は全国的に見て少なくない。

だが、若気の至りでは済まされない。

「若かったから、なんて言い訳はしません。それじゃダメなんですよ。その子たちは、生まれなかったけど、ちゃんと命なんです」

「だから、そこに関しては、ずっとずっと悔しくて」

水子供養は忘れない。

命日には、4人それぞれの名前を記した地蔵に会いに出かける。

家族みんな一致団結して

4人の子どもに対する後悔の念を心に深く刻みながら、現在は幸せに暮らしている。

「すみません。いま子どもが2人いて、めっちゃ幸せなんです」

「子どもたちはかわいい。本当にかわいい」

「過去にいろいろあったのに、メグミさんにも申し訳ないことをしてきたけど、メグミさんもサトちゃんも、大きいおじさんも、家族みんな一致団結してくれるようになって・・・・・・うれしいです」

大切な家族には、弟家族も含まれる。

「弟の家族とも仲よくさせてもらってます」

「カミングアウトするときにはね・・・・・・殴られるんちゃうかって思って怖かったんですけどね(笑)」

弟に、自分がトランスジェンダー女性であることを伝える際には、手紙を書いて、「読んでほしい」と手渡した。

手紙を読む前、「大事な話がある」と伝えると、弟は「兄貴、病気なんか? もう死んでしまうんか」と号泣。

手紙を読んだあとは「これはほんまか? 冗談か??」ときいてきた。

「ほんまやで、これから女になるよ、って言ったら理解してくれました」

弟は結婚して、子どもが3人いる。

「淡路島に住んでる弟一家が、大阪の我が家に来て、一緒に遊んだりもしてますよ。めっちゃくちゃ仲いいですね(笑)」

10家族への愛は誰にも負けない

みんなに守られている幸せ

横断歩道を渡るとき、「女になる」と願掛けしながら白い線を踏んだ。

その願いは叶わないと、諦めたこともある。
しかし、いま女性として生きている。

「幸せです。でも、いま幸せって思えているのは、女性になれたからっているのもあるけど、なにより、家族みんなに守られているからだと思います」

「女性になれても、みんながいなかったら、たぶん私は幸せじゃないと思う」

「家族には本当に感謝してます。弟と弟の家族と、メグミさんとサトちゃんと子どもたち。みんなが私の家族です」

母親とは10年ほど前から連絡をとっていない。

実は自分を虐待していた母親の再婚相手に慰謝料を求めたのだが、その裁判が長引いたことで、母親との関係がこじれてしまったのだ。

「小さいおじさんが生まれたことは、私からは母に伝えてないですね」

「弟は、母と連絡を取り合っているので、弟から聞いているかもですが」

かつては、性別移行に関するブログやYouTubeチャンネルを開設していたこともあったが、母親に見られたくないという理由で消去してしまった。

現在のオープンな情報発信は、主にXのみ。

しかしそれは、トランスジェンダーであることや性別移行に関するトピックに触れることのない、いわゆる子育てアカウントである。

「小さいおじさんが、ホントのおじさんになったとき、『あなたは愛されて育ったんだよ』って伝えたくて、つぶやいてます」

見返りがなくても愛していける

母親とのこじれた関係が、修復する日がくるかはわからない。
ただ、いまそばにいる家族を大切にして生きていこうと思う。

「家族って、なんだろう」

「見返りがなくても、愛していける存在・・・・・・かな。そんな難しいこと考えたことないですけど(笑)」

「私の家族への愛は、誰にも負けないと思います。誰とも競ってないですけどね(笑)」

死にたくなることもあった。
自分を痛めつけた相手を憎んだこともあった。
自分を助けてくれない家族を恨んだことも・・・・・・。

でもいま、真っ直ぐに愛すことのできる家族がいて、心の底から幸せだと実感することができる。

「今日は笑顔! 明日はもっと笑顔!!」

 

あとがき
すこぶる明るいあまねちゃんは、画像のとおり。でも、いまも心を苦しめることがあるのだろうと想像した。大切な家族が一緒に歩んでくれる毎日を「しあわせ」と語る笑顔に、少し安堵した。本当によかった■見返りを求めない愛かぁ・・・愛する人への期待を手放すことはとても難しい。だけど、相手の行動や差し出された言葉の中身じゃなくて、無償の愛は自分ができることにピントを合わせるってことなんだね、あまねちゃん!(編集部)

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