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虐待や貧困からサバイブして、「自分が性同一性障害だったから得られた」と誇れるもの。【後編】

虐待や貧困からサバイブして、「自分が性同一性障害だったから得られた」と誇れるもの。【前編】はこちら

2024/05/15/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
玉田 陽 / Akira Tamada

1972年、大阪府生まれ。幼い頃から「自分は男性である」と確信しており、女性らしさを求められることも、女性である自分の体にも、嫌悪感をもっていた。虐待や貧困など深刻な問題を抱えていたこともあり、ジェンダーやセクシュアリティに関する情報に触れる機会が乏しかったが、二十歳を過ぎた頃に性同一性障害(性別違和/性別不合)やFTM(トランスジェンダー男性)の存在を知る。48歳のときに性別適合手術、戸籍の性別変更を果たした。現在は介護福祉士として、介護施設に15年勤め続けている。

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INDEX
01 自分を男だと信じて疑わなかった
02 両親からの虐待
03 生きるのに必死だった子ども時代
04 親に閉ざされた教師への道
05 肩代わりさせられた2500万もの借金
==================(後編)========================
06 二十歳でようやくFTMの存在を知った
07 性同一性障害だと説明したら怒鳴られて
08 性別関係なく “ひとりの人間” として
09 体力がある限りは介護福祉士を続ける
10 生まれ変わっても自分として生きたい

06 二十歳でようやくFTMの存在を知った

ミニコミ誌『FTM日本』でホルモン治療の情報を得て

自分は “ふつう” の女の子ではない。
それは物心ついたときから自覚していた。

でも “ふつう” の男でもない。
自分は男だという自覚はあるのに。

女としては生きていけない。
でも男としても生きていけないのか?
自分は、なんなんだろう? どうやって生きていけばいいんだろう?

答えがわからないまま二十歳になった。

初めて性同一性障害(性別違和/性別不合)という言葉を知り、トランスジェンダーの存在を知ったのは、虎井まさ衛の著書『女から男になったワタシ』からだった。

「読んでみたら、ストーンと腑に落ちたんです。自分と一緒や、って」

「そういえば、カルーセル麻紀さんとか、自分と逆のバージョンの人もおったな、って思い出しながら読みました」

「で、性同一性障害に関するミニコミ誌『FTM日本』を購読するようになって、どこそこの病院でホルモン注射が打てるとか、そういう情報を熱心に読んで、やっぱり自分も治療したいなぁと思ったんです」

性別適合手術は “闇” だけだった時代

ミニコミ誌で知り合ったFTM当事者から病院を紹介してもらい、ホルモン療法を開始。25歳くらいのときだった。

「その頃はまだ、性同一性障害に関する法律もなくて、性別適合手術というか、“性転換” をするには “闇” でやるしかなくて・・・・・・」

「しかも、当日の手術費はとんでもなく高かったんです。たとえば、胸を切除するだけでも500万、トータルで手術したら1000万は超えたと思う」

「手術しても失敗する可能性もあると聞くし・・・・・・悩みました」

悩んだ末、失敗してもいいから、とにかく乳房切除術は受けようと、まずは500万円を貯金することを決心した。

「胸だけでもなくなったら、見た目も、自分の心もスッキリするはず。そのとき付き合ってた彼女も『一緒に貯金がんばろう』って応援してくれていて」

「でも、まずは500万円って言っても、それがなかなか貯められなくて」

「自分は幸いにも、胸が小さくて、猫背にしてたらわからないくらいだったし、見た目も、声を出さなければ女性と思われることはなかったので、ずっと長いあいだ、ホルモン治療だけで」

手術はできないままだった。

07性同一性障害だと説明したら怒鳴られて

「そんなおかしなこと言ってないで、本人を!」

ホルモン療法による変化のなかで、一番うれしかったのは、生理がなくなったことだった。

「それがまず、見た目よりもなによりもうれしかったです」

「生理が来るたびに、思い知らされてましたから。自分は女なんや、って。だからそれを一番に消し去りたかった」

「生理がなくなったことで、精神的にすーーーーーーごくラクになりました」

加えて、声が低くなったことで、生活もしやすくなった。

「電話に出て、声で男性だと思ってもらえるのがうれしくて。本来の性に近づいてきてるんだって思うと、希望を見出せた気がしました」

そしてさらにホルモン療法を続けていくにつれ、外見はより男性に近づいていき、ほとんど女性には見られなくなった。

誰からも男性として接してもらえることは願ったり叶ったりだったが、そのせいで生じてしまう問題もあった。

「僕、もともと太陽の陽って書いて、陽子って名前なんですよ」

「手続きをするために市役所に行くじゃないですか。見た目はこんなんなのに、提出する書類には玉田陽子って書かれてるんです」

「いつだか住民票を取りに行ったときに、窓口のおばちゃんに『本人を連れて来てください!』って言われて、『いや、本人です』って言っても聞いてくれなくて」

「仕方なく、『僕、性同一性障害で』って説明しても、『そんなおかしなこと言ってないで、早く連れてきてください!』って怒鳴られて・・・・・・えーーーってなりましたね(苦笑)」

性同一性障害を理由に改名

2003年に性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)が成立し、性同一性障害を理由に改名できることが知られるようになった。

そこで、先の窓口での問題などを解消するためにも、自分も改名を試みた。

「そのときは運送会社に就職して、滋賀県に住んでたんですけど、近畿大学附属病院で性同一性障害の診断書を書いてもらって、何度も家庭裁判所に申し立てしました。でも、ぜんぜん改名は認められなくて」

「申し立てをするたびに、改名する理由を訴える文章を考えなあかんし、休みのたびに裁判所に行かなあかんし、けっこう大変で、何年経ってもダメだったんで、もう諦めかけてたんですよ」

こんなに何度も訴えているのに、名前さえも変えられないのか。

心が折れそうになりながら、転勤によって静岡に移り住んでからも、改名の申し立てを続けた。

「そしたら、静岡の家庭裁判所では一回で認められたんですよ」

「本名に近い名前なら改名しやすいって聞いて、陽子の陽で『あきら』って名前で申請したのが良かったんですかね? でもなんでそんな簡単なん? 滋賀では、何度やってもダメだったのに、って感じでした(笑)」

「まぁ、時代なんでしょうね。僕が申請し始めたのは、まだまだ世の中の理解が広まってないときだったから」

「その頃には、市役所の窓口で『僕、性同一性障害で』って言ったら、『あぁ、なるほど、すみません』って。怒鳴られることはなかったですね」

08性別関係なく “ひとりの人間” として

40代で性別適合手術を

自分は性同一性障害であると知り、性別適合手術を目指して貯金を始めたものの、このままの体でいいかもと心が揺れ動いた20代。

改名を果たしたあと、ホルモン療法を続けながら、仕事の忙しさに追われているうちに、気づけば40代になっていた。

「運送会社を辞めて介護職に就いて、生活も安定してきて、パソコンを買って・・・・・・性同一性障害について調べてみたら、ものすごい時代が進んでいて、性別適合手術の情報もたくさん出てきて、びっくりしましたね」

「それで早速、乳房切除と子宮・卵巣摘出の手術をしたいと思って、2020年2月、タイで手術を受けました。コロナで渡航禁止になるギリギリ前のことですね」

「かねてからYouTubeで拝見して、年下ながら憧れていた井上健斗さんのところにお世話になりました」

そして手術を終え、戸籍の性別を女性から男性へと変更したいま、さらに一歩進もうかどうしようか、悩んでいる。

「陰茎形成の手術について考えてるんです」

「やっぱり男性のシンボルなので・・・・・・。それが備わった姿で死にたいという気持ちがあるんですよね」

「もちろん、勃起するわけじゃないし、子どもがつくれるわけでもない。しかも尿もれとか、いろんなリスクがある。それに自分の年齢を考えると、手術自体をすべきかどうか、本当に悩ましくて」

男性の体を取り戻したい。
子どもの頃からの願いだった。

男はこう、という考え方に囚われていた

しかし、ようやく最近、気持ちの落としどころが見つかった気がする。

「もしかして、自分が一番 “男はこうで女はこう” って考えて、男の体はこうあるべきって考えに囚われているんじゃないかなって気づいたんです」

「女はこうあるべき、って考えが一番嫌いだった僕自身が、男はこうあるべきって考えに囚われてたんだ、って。気づくのが遅すぎるんですけど(苦笑)」

それからは、いまのままでいいんじゃないかと思えるようになった。

「戸籍も変わって、ずいぶん生活しやすくなったし、いちいち『性同一性障害なんです』って説明しなくても、ふつうに男性として生きられるし」

「男としての自分じゃなくて、ひとりの人間としての玉田陽として生きていけばいいんじゃないかなって考えました」

すると、周りの人々に対する接し方も変わってきた。

いままでは女性としかお付き合いの経験がなかったが、それも「男は女と付き合うもの」という考え方に囚われてたのかもしれない。

「以前、ゲイのかたとお話ししているとき、素晴らしい人だな、ずっと一緒にいたら好きになるかもしれへんな、って思ったんですよ」

「自分のことを性別関係なく “ひとりの人間” として見てもらいたいなら、相手のこともそういうふうに見ていきたいなって思うようになりました」

09体力がある限りは介護福祉士を続ける

助けを求めている人をほうっておけない

介護福祉士として、介護施設に勤めて15年。

「この業界に入ったんは、ほんと単純な理由からだったんです」

「運送会社に勤めているときに、僕の転勤に合わせて彼女も関西から静岡までついてきてくれて、10年以上一緒に暮らしていたんですけど、会社を辞めたあとに、彼女から別れを言い渡されてしまって」

「彼女も30歳を過ぎていたんで『子どもを産みたいから』って言われて。そう言われたら、僕はなにも言えなくて・・・・・・」

退職し、彼女と別れ、ひとりになった。

「しばらく呆然としてしまいましたけど、ひとりになったことだし、自分が食べていくだけやったら、好きな仕事ができる、って考えたんです」

「僕、助けを求めている人や困っている人をほうっておけない性格で。だったら介護をやってみたいって思ったんです。そんな理由からでした」

とはいえ、介護の仕事は決してラクな仕事ではない。
初出勤の日は、施設内に入るまで不安だった。

「でも、大丈夫でした。知らないお年寄りの排泄物に対しても、まったく抵抗がなくて。やっていけるって、初日に確信しました」

「いまでも、一生続けられそうって思うんですけど、まずは定年の65歳までですかね。そのあとパートとして現場に残ることもできるし」

体力がある限りはこの仕事を続けたい。

やりがいがあって楽しい仕事

介護の仕事は苦労も多いが、それだけやりがいも多い。

「ほんとささやかなことなんですけど、僕が手伝うことで外出できるようになったり、日常生活を取り戻せたりするのがうれしくて」

「利用者のかたに、『今日は陽君が当番で良かったよ』ってさりげなく言ってもらうこととかが、僕の活力になったりもします」

「自分の子どもの顔は忘れてしまっているのに僕の顔は覚えていてくれて、『昨日、休んだやろ』って言ってくれる人もいたりとか。料理で、これとこれを入れたら美味しくなるとか、生活の知恵を教えてくれる人も」

「そのやりとりが楽しいんですよ。なんか、家族みたいな感じで」

血のつながっていない家族。
あたたかな居場所を見つけた気がしている。

「僕は、周りにいる人たちに助けられて生きてきたので、恩返し・・・・・・じゃないですけど、そばにいる人にできることをしてあげたいんです。それで、その人の力になれたり、役に立てたりしたらうれしい」

介護職ほど、やりがいがあって楽しい仕事はないと思っている。

10生まれ変わっても自分として生きたい

性同一性障害だったから得られたことも

子宮と卵巣を摘出する手術を受けたあと、手術痕を見て思った。

「これで、やっと、男として生きられる」

「これからは、いちいち『実は僕、性同一性障害で』と説明しなくても、ふつうに生活していける。やったー、って思いましたね」

「自分は、性同一性障害だったせいで、親から疎まれてしまったのかもしれない・・・・・・。ほかにも気に入らないことがあったのかもしれないけど」

「でも、性同一性障害だったおかげで、知り合えた仲間もいるし・・・・・・なんだろう、やっぱり、生まれ変わっても、もう一回、自分をやりたいなって思います。もう一回、自分として生きたい」

それは性同一性障害だったとしても。

「まぁ、男性に生まれてくるのに越したことはないけど(笑)。でも性同一性障害だったから得られたことってたくさんあると思うし・・・・・・。うん、だから自分で良かったかなって思います」

「もっと若いときは、そうは思えなかったですけどね(笑)」

自分の体を嫌っていたのは自分

思い返すと、両親からの虐待をはじめ、ともするとこの世の中を恨んでもおかしくはない環境のなか、歯を食いしばって生きてきた。

「誰かを恨んだりは、してないですね。あ、市役所で怒鳴ってきたおばちゃんには『くそ〜』って思いましたけどね(笑)」

「僕はね、自分がやられてイヤなことはしたくないし、この世の中もそういうふうであってほしい。LGBTの理解が広まってきてるし、情報も得られやすくなってるし、だんだんと、そうなってきてると思います」

「とりあえずは、男性として生活できているいま、不満はないかな」

また、性別適合手術を受けたからこそ思うことがある。

「自分の体を嫌ってたんは、誰よりも自分やったんかな、って。こんな姿はイヤだ、って思い過ぎてたのかも。だからこそ、これからは、自分がもっと自分のことを愛さないとね(笑)」

「恋愛対象も、家族のかたちも、いろんな選択肢があるって思えるようになってきたし、どんどん生きる世界を広げていきたいと思ってます」

「相手のありのままを愛せる人になりたいし、ありのままを好きになってもらいたい。そんな感じの “イケおじ” になっていきたいです(笑)」

あとがき
インタビュー前半、陽さんの話しを平常心で聴くのはむずかしかった。虐待は、なにか1つの要因だけで起こるものではないとわかっているけれど、おさない子どもは親や環境を選べない■保健の先生との出会いが心を支えてくれた。両親に求めていたはずの優しさやあたたかさ。それまで伏し目がちだった陽さんの視線が上を向いた瞬間だ■逆境になっても卑屈にならず、順境でもうぬぼれない。「生まれ変わっても、もう一回、自分をやりたい」。口ぶりは明るかった。(編集部)

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