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不登校になった自分でも、今は自分らしく生きられている。【後編】

不登校になった自分でも、今は自分らしく生きられている。【前編】はこちら

2018/01/02/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
石田 悠真 / Yuzuma Ishida

1996年、長野県生まれ。物心がついた頃から、「まさと」という名前に違和感を抱き、自らを「まぁくん」と名乗っていた。中学時代にいじめが原因で不登校になり、通信制の高校に進学。高校3年時、精神科に入院。大学進学時に、「悠真(ゆずま)」という名前を使い始める。現在は学業のかたわら、LGBT問題に取り組む特定非営利活動法人ReBitのメンバーとして活動中。

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INDEX
01 新しい名前で生きるという選択
02 “まぁくん” としての人生の始まり
03 友だちと過ごす楽しさと寂しさ
04 子どものことを愛してくれる家族
05 もろく崩れてしまった中学時代
==================(後編)========================
06 希望も持てず、真っ暗だった毎日
07 自由にいさせてもらえる場所
08 Xジェンダーである自分と不安定な感情
09 絶望の日々から抜け出す努力
10 勇気を持って踏み出した一歩の先

06希望も持てず、真っ暗だった毎日

昼過ぎに起きて朝方寝る生活

不登校の2年半は、15時に起きて3時に寝る、昼夜逆転の生活を送っていた。

「夜は『オールナイトニッポン』を聞いていました」

「普通に流しながら聞いていたけど、両親には怒られたりしませんでしたね」

「ただ、中3の時にでっかいコンポを買ってもらって、大音量で音楽を聞いたら、さすがに怒られました(笑)」

「昼は15時からやっていた『3時は!ららら♪』ってローカル番組を、毎日見ていました」

ホームページ作りにも没頭した。

「当時、携帯電話でホームページを作るのが流行していたんです」

「言葉を発信することは得意じゃなかったので、デザイン重視のページを作っていました」

「今死んでもいいかな」

学校を休み始めた頃、希望がなかった。

「今死んでもいいかな、って思っていました」

生きることに、ポジティブになれなかった。

この先、いいことなんて1つもないんじゃないかと思った。

「自分なんて、この世にいない方がいいかもしれないって」

「すべてネガティブ要素で構成されていて、外に出たくなかったです」

父から「学校には行かなくていいから、朝起きなさい」と言われた。

父に唯一求められた「朝起きること」さえできない自分を、否定的に捉えていたのだ。

生きづらい気持ちのやり場

「リストカットは、何十回もしました」

「結果的に死ななかっただけで、死んでもよかったな、って当時は思っていました」

血が溢れるほどの傷をつけても、生きていた。

最初は、死にたい、と思って手首を切っていた。

徐々に、生きていることを実感するために、切るようになっていた。

「生きたいけど生きづらいって気持ちを、どこに当てたらいいかわからなくて、切っていた部分がありました」

「この頃は、周りの目ばっかり気にしていましたね」

周囲と自分の差を否定的に捉え、周りと馴染めない自分を自分自身で非難した。

その結果、リストカットという手段に出てしまった。

「生き死にを考える前に、そもそも生きているし、どんな自分であっても、自分であることは変わらないんですよね」

「否定的に捉える人と肯定的に捉える人がいたとしても、それは相手の価値観であって自分の価値観ではない」

今ならそう思える。

「今は、自分がやりたいと思うことをやればいい、って考えられるようになりました」

嫌なことがあると、リストカットしていた時期もあった。

最近は、気持ちを抑える方法を新たに見つけた。

「丸亀製麺のぶっかけうどんを食べることなんです(笑)」

「安上がりだし、食欲も満たせるし(笑)。方法はいくらでも見つかるんですよね」

中学生の自分なりに一生懸命生きていたんだ、今、そう思い返す。

07自由にいさせてもらえる場所

自分のペースで過ごせる高校

母は、不登校の子を持つ親の会などに、積極的に参加していた。

「多分、母も不登校の自分を、ポジティブに受け入れようとしてくれていたんだと思います」

参加した親の会で知った通信制の高校を、母が勧めてくれた。

その高校は、レポートはすべてネットを通じて提出し、スクーリングの出席もゆるやかだった。

教室には壁がなく、どこで授業を受けてもよかった。

「校舎がオシャレだったし、自由に勉強できる校風にも魅かれて、進学することを決めました」

「ただ、中学時代はほとんど人と話していなかったから、友だち関係ですごく悩みました」

「一緒にいる人に『友だちって何?』って言っちゃうから、友だちじゃなくなるみたいなこともありました(苦笑)」

落ち込んでいると、担任の教師が「大丈夫?」とフォローしてくれた。

選択授業の一環で、夏休み中の1週間ほど、東北に行った。

東日本大震災のすぐ後くらいの時期で、東北の状況を知るためのツアーだった。

「被災者の話を聞く機会があったんですけど、いろんな場所にいろんな人がいるんだな、って実感できた気がします」

ツアー中、親から離れ、自分と向き合う時間にもなった。

「家族以外の人に支えられて過ごしたことは、いい経験になりました」

初めてのアルバイト

高校1年生から、近所の焼き鳥屋さんでアルバイトを始めた。

「オープニングスタッフで入って、高3の時に閉店するまで働いたんですけど、大好きなお店だったんです」

「店長も、店長の家族も、常連さんもいい人ばかりで、環境に恵まれていましたね」

個人経営の店だったため、マニュアルらしいマニュアルもなかった。

長かった髪は「結べばいい」と言ってもらい、制服は男女の違いはなかった。

男女兼用のトイレが更衣室代わりで、男女の区別がなかった。

「名札は『まーくん』にしてくれて、すごく居やすい場所でした」

ただ、仕事中に嫌な思いをすることもあった。

「当時、声変わりが受け入れられなくて、意識して高めの声で話していたんです」

「その声をお客さんにからかわれて、『楽しんごに似てるね、マネして』って言われたり」

飲みの席ということで割り切り、笑いながら受け応えしていた。

「心の中では、オカマ扱いされるたびに大泣きしていました」

「帰り道で、自転車に乗って大泣きしながら帰ったこともありました」

それでも店が好きだったから、アルバイトは最後まで続けた。

08Xジェンダーである自分と不安定な感情

LGBT という言葉との出会い

高校1年の時、ジェンダーに関する授業があった。

授業内でLGBTの話が出ることもあれば、当事者と自認する人の話を聞くこともあった。

「当時の自分からすれば、初めて会うような人たちが来て、こういう人もいるんだって思いました」

「でも、自分がLGBTの人だとは思っていませんでした」

「Xジェンダーって言葉も出てきたんですけど、その時は感覚的に違うって感じて、これだ! とは思えませんでした」

Xジェンダーである気づき

高校3年の春、アルバイトをしていた焼き鳥屋が閉店した。

残りの高校1年間も働こうと思い、勤め先を探した。

コンビニ、スーパー、ファストフードと採用面接を受けたが、思いがけない壁が立ちはだかった。

「どこでもマニュアルを見せられて、『男性は耳が出るくらいまで髪を切ってください』って言われたんです」

「男性は男子更衣室を使ってください」と、言われたこともあった。

自由な環境で働いてきたため、マニュアル化され、男女区別される状況が嫌だった。

「その時に、自分は男性じゃないのかもしれないし、女性でもない、って感じたんです」

インターネットで感情の正体を調べると、Xジェンダーという言葉に行き当たった。

「自分はこれかもしれないって、ようやく気づくことができた感じでしたね」

「その分、面接とかで『石田君』とか『まさと君』って言われることが、しんどかったです」

面接に落ちたことも重なり、気持ちに余裕が持てなくなっていた。

言語化できない気持ちを受け止めてほしいという思いが、中学の時のように、また行動に現れてしまった。

抑えられない気持ちの暴走

両親とうまくコミュニケーションがとれず、暴れてしまうこともあった。

家に帰りづらくなり、夜の間、ずっと自転車でフラフラしたこともあった。

「明日が見えずに、どうしたらいいかわからなくて、中学の時から通っている病院に行ったんです」

その日は、診察までの待ち時間が長かった。

歯がゆい気持ちが抑えられず、連れてきてくれた母の車のボディをボコボコにしてしまった。

「母も手がつけられなくて、自分自身もどうにでもなれ、って思っていました」

「すごく不安定だったし、両親もどうアプローチしたらいいかわからなかったと思います」

不安定な日々が続き、自分も両親も限界が来ていた頃、父と口論になった。

その場で暴れ、食器を壊し、両親に対して人格を否定するような暴言を吐いてしまった。

父方の親戚を呼んでも収拾がつかず、終いには父の車を破壊しようとした。

「そこで母が警察を呼んで、自分は保護されて、精神科の閉鎖病棟に入院することになりました」

09絶望の日々から抜け出す努力

ただただ生きづらかった病院

「自分も両親も手一杯だったから、物理的に離れることはいい決断だったかな、って思います」

「ただ、閉鎖病棟の環境はしんどかったです」

扉は常に施錠され、窓は少ししか開かず、格子がはめられていた。

病棟は男女で分けられ、周りはすべて男性患者だった。

ベッドの周りにカーテンがないため、男性の着替えを見なければいけなかった。

刃物禁止という理由で、カミソリを持ち込めないことも辛かった。

「第二次性徴で体毛が生えてくることが嫌で、中学生の頃からずっと剃っていたんです」

「入院中は剃れなくて、毛が生えてくるから、男性であることを突き付けられたようで・・・・・・」

呼ばれ続けた本名

医師や看護師から「石田君」「まさと君」と呼ばれることも、キツかった。

入院して1週間が経った頃、「本名で呼ばないでほしい」と伝えた。

「『名前とかあなたの性に関して、ここでは対応できない』って、きっぱり断られました」

「病室の名札にも本名が書かれていたので、黒マジックで塗りつぶしました」

「人権を尊重する上で、セクシュアリティって大切な要素だと思うんです」

「だから自分は、相手の価値観を尊重して、その人が言うとおりに接してあげたいです」

病院では、そうしてもらえなかったことが悲しかった。

もっと柔軟に対応してもらえたら、ポジティブな入院生活を送れたのではないかと思う。

「今振り返っても、辛い日々だったなって思います」

新しい環境でのスタート

入院から半年が経つ頃、大学受験に合格することが、退院条件として提示された。

「早く出たかったので、めっちゃ頑張って小論文を書いて、無事に合格しました」

「退院するギリギリまで『まさと君』って呼ばれたので、二度とここには来ない、って決意しましたね」

東京の大学に進学するため、1人で上京した。

大学に「ゆずま」という通称名の使用届を出し、受理された。

新たに出会った友だちは、当然のように「ゆずま」「ゆずま君」「ゆずまっち」と呼んでくれた。

「最初の1カ月だけでも『まさと』として過ごしていたら、『改名したんだ』って見られたと思うんです」

「最初から『ゆずま』として入学して、心から良かったって思いました」

「『ゆずま』って呼ばれることが心地良くて、自分らしくいられるって感じています」

ようやく自分自身のありのままの姿で、日々を送ることができるようになった。

10勇気を持って踏み出した一歩の先

力を注ぎたいと思えるもの

大学1年の時、NPO法人ReBitが行った出張授業を受けた。

「その時間の授業って、いつも学生がおしゃべりしてて、LINEの通知も鳴るくらい騒々しかったんです」

「でも、ReBitの授業の時は、みんなシーンと聞き入ってて、質問もたくさん出たんです」

「それだけ引きつけられる魅力が気になって、自分も参加したいって思いました」

その場で当時の理事に声をかけ、ReBitに入ることが決まった。

しかし、始めの頃は何もできなかった。

「出張授業で、これまでの人生をセクシュアリティベースで話すんですけど、最初はうまく言語化できませんでした」

大きな節目になったのは、2016年度の「LGBT成人式」。

「ReBitで開催しているイベントで、自分が新成人の辞を述べさせてもらいました」

「LGBT成人式は大人になるという意味ではなく、なりたい自分になる一歩を踏み出したい人の式典です」

「そこで名前やこれまでの人生の話をした時に、このイベントをこの先にもつなげたい、って思いました」

今は、LGBT成人式の広報などを担当している。

「最初はできないことも多かったけど、3年目に入って、後輩も増えて、任せてもらえる部分が大きくなりました」

「1年がかりで準備しているイベントなので、大きなムーブメントとして広げていきたいです」

「今、自分が一番力を注いでいることですね」

「今の自分の生き方が大好き」

2年半不登校で、高校は通信制。通っている大学も、誰もが知っているようなところではない。

そんな自分でも、今は自分らしく生きられている。

「今の自分の生き方が大好きだし、周りの人にも『いいね』って言ってもらえています」

「どんな自分であっても、絶対1人じゃないし、勇気を持った一歩さえあれば、受け止めてくれる人は必ずいると思うんです」

「自分は実際にそういう経験をしてきたから、温度感を持って人に伝えていけたらいいなって」

「一歩踏み出すための場所として、LGBT成人式とかがあるんだって知ってもらいたいです」

決して順調な人生ではなかった。

それでも今、本気になって取り組んでいきたいと思えるものに、出会うことができた。

自分がしてきた経験を、無駄にはしたくない。

このエネルギーを次へとつなげていくために、今は精一杯頑張るだけ。

「今は辛いことがあっても、丸亀製麺のぶっかけうどんがあれば、生きていけます(笑)」

あとがき
大学3年生のゆずまさん。まるで就活の面接みたいに、ハキハキと明るく話す姿がとりわけ印象に残った。過去を受けとめて捉え直す言葉の多さは、内面から起こった出来事を何度もていねいに振り返ってきた時間の積み重ねだと感じた■上手くできなかった記憶は、ちょいと丸めたっていい。新しいカレンダーには、毎日新しいゆずまさんが加えられるから。取材の日、照れながら向けてくれた笑顔も、これからのゆずまさんを支えてくれるから。(編集部)

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