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FTMであることをお父さんに受け入れてもらうため、今日も手紙の続きを書こう。【後編】

FTMであることをお父さんに受け入れてもらうため、今日も手紙の続きを書こう。【前編】はこちら

2018/12/03/Mon
Photo : Rina Kawabata Text : Shinichi Hoshino
仙木 輝海 / Yuu Sengi

1990年、フィリピン・マニラ生まれ。日本人の父とフィリピン人の母を持つ。セクシュアリティはトランスジェンダー(FTM)。1歳から26歳までの多くを岡山県で過ごし、中学・高校・大学と陸上に熱中する。27歳で上京。現在は、アルバイトをしながら芸能活動を志している。

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INDEX
01 フィリピン生まれ、岡山育ち
02 自分は女じゃないという違和感
03 陸上まっしぐらの中学時代
04 インターハイを目指した高校時代
05 自分のセクシュアリティを「直す」ために
==================(後編)========================
06 やっぱり女の子が好きなんだ
07 二十歳の誕生日、父へのカミングアウト
08 そこらへんの男より男っぽいFTMに
09 あなたは男性なんですか? 女性なんですか?
10 いつかお父さんと二人で飲みたい

06やっぱり女の子が好きなんだ

彼女ができてセクシュアリティのことは吹っ切れた

高校2年の冬、「中四国合宿」という陸上の強化合宿に参加した。

「そこで出会ったアイコっていう女の子に一目惚れしたんです」

アイコは山口県の子だったから、メールを交換して、合宿が終わった後も連絡を取り合った。

「しばらくは、岡山で大会があるときに会うみたいな感じでしたが、だんだん会いたい気持ちは強くなっていきました」

高校3年の夏、インターハイが終わってから二人の距離は縮まった。

「その頃はもう、付き合ってた男の先輩のことは全然好きじゃなかったんです」

そのことを、アイコにメールで相談した。

「好きじゃないんだよね、もう別れたほうがいいのかな? っていうような相談だったんですが、アイコから『私なら幸せにできるよ』って返信が来たんです」

「メールだっだけど、めっちゃドキドキしましたね(笑)」

「自分もアイコのこと、かわいいって思ってるから、もし男だったら付き合いたい、みたいに返信したんです」

「そしたら、じゃ、本当に付き合おっか、って」

初めてできた彼女だった。

岡山と山口の遠距離恋愛。

毎日、彼女のことばかり考えてしまう。
いつだって会いたくなる。
心から大切にしたいと思う。

そんな気持ちは、今までに経験したことはなかった。

彼女と付き合っていて、ぼんやりと悩んでいたセクシュアリティのことは吹っ切れた。

「もう、直すとかそういう話じゃなくて、やっぱり自分は女の子が好きなんだなって」

「幼稚園の頃から何となく抱いていた女の子に対する感情も、全部しっくりきたんです」

当時、付き合っていた男の先輩とは別れた。

「女の子を好きになりました」と、ちゃんと理由を話して別れた。

きつすぎる大失恋

アイコとの交際は、それほど長くは続かなかった。

高校3年の冬、予期せず別れは訪れた。

「受験に集中したいから別れたいって、急に言われたんです」

「勉強の時間が必要なら自分が会いに行くから、って言ったんですけどね・・・・・・」

「試験、頑張りたいから、って言われて」

レベルの高い大学を目指してたのを知っていたから、もう引き下がるしかなかった。

初めてできた彼女に、初めてフラれる経験をした。

大失恋だった。

「あのときは、HYの366日を聴いてずっと泣いてましたね」

「好きな人にフラれるってこんなにきついんだって」

それまで付き合った男性をフッてきたが、フラれた人の気持ちが痛いほど分かった。

07二十歳の誕生日、父へのカミングアウト

両親の離婚

高校1年のとき、両親が離婚した。

「両親が離れてしまうのが本当に嫌で、話を聞いたときは発狂しました」

泣きじゃくって、わめき散らして、物を投げて、暴れた。

離婚の原因は母の不倫。

母は、家から出ていくことになった。

「お母さん、ひどいって思ったけど、お父さんに対してもひどいって思いましたね」

「なんで、もっと大切にしなかったんだよって」

「なんで、お母さんのこと、こうなるまで放っておいたんだよって」

離婚を告げられた次の日も学校はある。

朝、教室に入れば、みんなに「おはよう!」と声をかけられる。

いつもと変わらない光景だったが、この日は涙があふれてきた。

「急に泣き出しちゃったもんだから、みんなは、どうした? ってなりますよね」

流れで、みんなに親の離婚のことを話した。

「そしたら、クラスメイトの一人が『大丈夫だよ、うちの親も離婚してるし』って言ってくれて」

「そのひと言で普通に戻れたっていうか、よし、陸上がんばろう! って思えたんです」

FTMの同級生

高校卒業後も、体育系の大学に進学して陸上を続ける。

大学1年のとき、初めてFTMの同級生に出会った。

「その子からカミングアウトされて、そのとき初めて性同一性障害のことを知りました」

家に帰って、性同一性障害のことをネットで調べた。

自分に当てはまることが多かった。

「そうか、これなんだ・・・・・・って」

「そのときは、腑に落ちた感じで、すんなり受け入れることができました」

「同時に、自分が性同一性障害なら、親に言わなきゃって思ったんです」

人生の節目である二十歳の誕生日を控えていた。

その日に、父にカミングアウトすることに決めた。

父へのカミングアウト

二十歳の誕生日の日、父はレストランでコースを予約してくれていた。

20年モノのヴィンテージワインも用意してくれていた。

乾杯をして、コース料理も運ばれてくるが、なかなか言い出せない。

「いきなりだとアレだから、陸上の話をしたり、お父さんに昔の恋愛の話を聞いてみたりしてました」

コースも終盤、デザートあたりで本題を切り出した。

「実はね・・・・・・女の子のことが好きなんだ」

父は「えっ!」と驚いて、しばらく黙り込んだ後、続けた。

「今だけにしておいてくれ」

「父へは『そうだね』みたいな言い方をして、その場を終わらせました」

「お父さんは昔から頑固で、自分の意見を貫く人だったから、それ以上、こじらせたくなかったんです」

父の反応は、予想できるものだった。

以前、テレビでLGBTの番組を見ていたとき、父が「気持ち悪い」と漏らすのを聞いたことがあった。

だから、カミングアウトしても、たぶん否定されるだろうと思っていた。

「それでも打ち明けたのは、ありのままの自分でいたかったからです」

二十歳のこのときが、節目だと思った。

08そこらへんの男より男っぽいFTMに

父に家を追い出される

父にカミングアウトしてから数ヶ月後、成人式があった。

両親の離婚後も連絡を取り合っていた母に頼まれ、振り袖を着た。

「母にはカミングアウト済みだったんですけど『お金は私が出すから、女の子の格好で成人式に出て』って言われたんです」

「最後の親孝行だと思って、振り袖を着て、家族で写真を撮りました」

両親の離婚後は、父と弟と三人暮らし。

大学に進学してからは、外泊することも増えた。

「いろんな地域から学生が集まっていて、そんな友だちと話したりするのは楽しくて。でも、あるとき、お父さんから『お前、何にし大学に行ってるんだ』って言われたんです」

「ちゃんと陸上をしてたんですけど、『遊んでる場合じゃないだろ』って」

大学3年のとき、地方でのインターハイを終えて、バスで大学に戻った。

大学に着いたのは深夜になっていたので、父に「疲れたから友だちの家に泊まる」と連絡した。

だが、父から「迎えに行く」と返信が来る。

「その日は、どうしても連れ戻したかったみたいで」

しかし、父のメールを無視して外泊した。

友だちの家と言ったが、実際に泊まったのは当時付き合っていた彼女の家。

翌日、家に帰ったら、父に「話があるから正座しなさい」と言われた。

「そこで『家を出ていけ!』って言われたんです」

すぐに彼女に電話して、彼女の家に転がり込むことにした。

「家を出るとき、お父さんに『二度と仙木家の敷居をまたぐな』って言われました」

それ以来、今日まで父とは会っていない。

性同一性障害のことを知ったけど

大学時代は、普通に女性と恋愛をしていたし、セクシュアリティのこともオープンにしていた。

体育系の大学だったこともあり、カミングアウトしやすい環境だった。

「僕みたいなのは、ゴロゴロいるような大学でしたからね(笑)」

「カミングアウトしても、みんな『そうなんだー』って、あっけらかんとしてました」

本格的に、男になりたいと思うようになったのも大学時代だ。

性同一性障害のことを知ったのも一つの理由だが、もう一つ、忘れられないきっかけがある。

「大学時代に付き合ってた女性にフラれたとき『やっぱり、本当の男がいい』って、言われたんです」

「自分だって、女に生まれたいとは思ってなかったのに、そうやって言われちゃうとね・・・・・・」

「すごく悔しいっていうか、何とも言えない感情でした」

それ以来、そこらへんの男よりも男っぽくなりたいという気持ちが増してきた。

毎日、筋トレに励んだ。

女性をリードするような振る舞いが自然とできるようになりたいと、女性心理の勉強もした。

「図書館に行って心理学の本とか、こっそり読んだりしてました(笑)」

「なんか難しくてよく分かんなかったですけど(苦笑)」

09あなたは男性なんですか? 女性なんですか?

GID診断とホルモン治療

23歳のとき、GIDの診断を受ける。

「大学のときから、周りにはカウンセリングに行ってる人もいたので、いろいろ情報をもらってました」

「だから、カウンセリングに行って、GIDの診断を受けるのに抵抗はありませんでしたね」

その後、24歳のときからホルモン注射を打っている。

「ホルモンも抵抗はなかったし、むしろ早く打ちたいっていう感じでした」

「ずっと胸があるのが嫌だったし、やっぱり男になりたかったので」

ホルモン注射を打つたび、変わっていく自分が嬉しかった。

声が変わって、顔つきも変わり、筋肉もつきやすくなった。

「もっと男らしくなりたいっていう向上心も芽生えてくるんです」

「マイナスはニキビくらいかな(笑)」

彼女の親に性別を問い詰められる

社会人になってから付き合っていた彼女がいた。

「僕の24の誕生日の日、彼女が泊まりにくる予定でした」

「彼女は、僕へのサプライスで、自宅でケーキを作ってくれてたんです」

「そのとき、彼女は『彼氏の家に持っていくんだ』っていう親との会話のなかで、僕の話にもなって、僕の名前とか出身校とか、陸上してたこととかを話したようなんです」

「そしたら、彼女の親は僕の名前をネットで検索したようで・・・・・・」

「試合の結果とか出てるから、調べれば普通に出てくるんですが、性別が女じゃないですか」

ケーキを持って彼女が泊まりに来た翌日、彼女の両親が家までやって来た。

24歳の誕生日、彼女の親にずばり聞かれた。

「あなたは男性なんですか? 女性なんですか? どっちなんですか?」

最初は、男だと答えた。

しかし、ネットの情報から素性はバレていた。

「免許証を見せてほしいとか、いろいろ問い詰められて、隠しきれなくなっちゃったんです」

「だから、もう本当のことを言っちゃおうって」

自分は性同一性障害でFTMだと話した。

これから治療を受けて、男として生きていきたいと思っていることも伝えた。

「そしたら顔色が変わって、あとは、『別れてください』の一点張りです」

結局、彼女は両親と一緒に帰っていき、別れることになった。

ただ好きなだけなのに、悔しかった。

社長の言葉

その件以来、酒浸りの日々が続いた。

勤めていたスポーツ用品販売の仕事にも影響が出ていたようで、会社の社長に呼び出された。

仕事の姿勢にも変化が表れていたらしい。

「女性の社長だったんですが、話し出したら僕、泣いちゃったんですよね」

「溜まったものを全部吐き出して、ついでにカミングアウトもしちゃって(苦笑)」

社長はとても優しかった。

「私の友だちにもいるよ」
「これからどうするの? 体とか」
「周りのことは気にせずに、仙ちゃんが生きやすいように生きればいいんだよ」

「今度、ゲイバーとか連れてってあげようか」

社長の言葉に、気持ちがちょっと楽になった。

10いつかお父さんと二人で飲みたい

幸せな家庭を築くために

将来の夢は、幸せな家庭を築くこと。

そのために、ホルモンを続けて、手術をして、戸籍変えて、結婚したい。

今は、そのステップの途中だ。

「あとは、お父さんと和解したいですね」

社会人になってから2年間くらい、たびたび父に手紙を送っていた。
おもいを伝えたかった。

全部で10通くらい送ったが、返事をもらったことは一度もない。

25歳のとき、父の彼女から電話がかかってきて、その人と会った。

そのとき、聞いた話にショックを受ける。

「お父さんは、僕のことをもう許そうかって考えてた時期があったようなんです」

「そんな時期に、僕からの最後の手紙が届いたみたいで」

「最後の手紙の内容は、自分は治療を受けて、これからは男として生きていきますという決意表明でした」

「それを読んだお父さんは、もう会うのも無理だし、和解するのも無理だって・・・・・・」

その女性から、父の伝言として「籍を外してほしい」と言われ、書類に署名をした。

複雑な父への思い

陸上のこと、離婚のこと、セクシュアリティのこと、今まで父とはいろいろあった。

父に対する思いは複雑すぎて、簡単に言い表すことはできない。

「自分の子どもがどうであれ、受け入れる覚悟がなければ親になるなよ、っていう気持ちはあります」

「でも、感謝の気持ちもあるし、いろんな気持ちがあって、正直よく分かんないです」

「家を出ていけって言われたときは、悲しかったし腹も立ったけど、あのとき家を出たから、いろんな経験ができたわけで」

「あのとき、お父さんが突き放してくれなかったら、今の自分はなかっただろうなって考えたりもしますしね」

父に何と言われようと、父にどう思われていようと、父のことは嫌いになれない。

「この性格って、お母さんの血なのかなって思うときがあります」

「自分で言うのもアレですけど、フィリピン人ってすごく愛情深いんです(笑)」

「人を嫌いになれないっていうか、その人の良いところを見つけようとする姿勢があるっていうか」

「家族愛もそうで、自分を犠牲にしてでも家族に愛情を注ぐみたいなところは、フィリピン人っぽさなのかなと思います」

「今、また、お父さんに手紙を書いてるんです」

最近まで付き合っていた彼女の父親が亡くなるのを、間近で体験した。

「まだ僕のお父さんは生きてるんだし、何もしないのはダメだって思ったんです」

「いつかお父さんと居酒屋に行って、二人でお酒を飲みたいなって」

「元に戻れたらいいなっていうか、元に戻れるって信じてます」

「だって、親子じゃないですか」

どれだけ時間がかかっても構わない。

父の心に届くまで、伝え続けようと思う。

あとがき
爽やかで人懐っこいゆうさん。今、どんな心持ちで話しているんだろうと、何度も想像したゆうさんの取材だった。陸上、仕事、恋愛も家族にも・・・一所懸命に向かうほど苦さも知った。だけど、受け止めて涙をあふれさせてくれる人が必ずいた。声援を送りたくなるのがわかる■もっと優しく、もっと強くと地面をけって手をのばす先には、つながる笑顔がある。強いおもいが、いつか大切な人を近づけてくれる。(編集部)

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