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心の「モヤモヤ」は気づきのチャンス!【前編】

「こうあるべき」という風潮が嫌いだ。「女の子はこうあるべき」「東大女子だから」「女は結婚してこそ幸せになれる」・・・・・・ 社会が規定する「枠」にはめられることに自分が馴染まない。セクシュアルマイノリティのサークルとジェンダー論の授業は、そんな自分にたくさんの気づきを与えてくれた。社会人2年目で何もかもが新鮮に映る今だからこそ考えること、感じることを率直に語る。

2016/08/26/Fri
Photo : Taku Katayama  Text : Momoko Yajima
矢野 友理 / Yuri Yano

1992年、愛知県出身。東京大学文学部行動文化学科卒業。在学中にセクシュアルマイノリティサークル『トポス』などに在籍。ジェンダー論の授業を受けたことをきっかけにジェンダー研究を志望し、卒業論文は「同性愛者のカミングアウト」をテーマにする。不動産系ベンチャー企業に就職し、現在社会人2年目。職場ではバイセクシュアルを公表して勤務している。

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INDEX
01 大学に入って訪れた ”モヤモヤ”
02 LGBTサークルでの様々な出会い
03 恋愛対象の性別にこだわりがない
04 ジェンダー論と同性愛をテーマにした卒業論文
05 家族へのカミングアウト
==================(後編)========================
06 「結婚はするものだ」という価値観
07 子どもは思い通りにならない
08 職場でのカミングアウト
09 社会に出て感じる何気ないジェンダー意識
10 バイセクシュアルというセクシュアリティ

01大学に入って訪れた ”モヤモヤ”

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高校まではセクシュアリティを特に意識せず過ごす

屈託のない笑顔で、明るく、その場で思い出しては、あ!そうだ!と手を叩く。

その裏表のない素直さと人見知りのなさで、周囲の人をほっとさせることもあれば心配させることもある。
とにかく、愛されるキャラクターだ。

自分のセクシュアリティについて疑問を持ち出したのは大学に入ってから。

「それまでは、あんまり自分のことを客観的に見たことがないんですよ(笑)。好きなものは好き、以上。みたいな感じで深く考えなくて」

確かに思い返せば、幼い頃からスカートや髪を結う、「ワタシ」という自分の呼び方など、「女の記号」的なものに反発心を覚えていたが、それも ”いま思えば” という感じだ。

中学2年生の時に女子校に転校する。心配だった女子のドロドロしたいじめなどもなく、仲の良い友だちと一緒に過ごす、いたって平和な学校生活。

「でも昔から謎の正義感はあって(笑)。高校生の時に犯罪被害者の本を読んで、苦しい思いをしながら生きている人を弁護士が救うような内容に、ああ、将来は弁護士もいいなあと思ったり」

目標は高い方がいいと周囲に言われたのもあり、大学は東京大学を受験。見事合格し、上京する。

彼氏を作ろうと意気込むも、なんだか違う?

高校までは、狭いコミュニティの中で授業を受けて勉強をするだけの世界。大学に入りとても自由になったと感じるようになる。

彼氏も作るぞ! 恋愛するぞ! と、期待に胸をふくらませて迎えた大学生活。

しかし、その気を持って周囲の男性を見るのだが、どうにもそんなに好きになれない。

部活で出会った先輩や、語学クラスの先輩で心惹かれる人がいたが、みな女性だった。

「それが恋愛感情かと聞かれるとよく分からないんです。でも、ドキッとしたり、いいなあって思う自分に、あれ???って。その辺からモヤモヤし始めたんですよね」

インターネットで調べ出してはじめて、セクシュアリティには性自認と性指向があり、多様に分類されていることなどを知る。

自分はどれに当てはまるのか、寝る前に悶々と考える。

レズビアンなのだろうか、トランスジェンダーっぽい要素もあるし・・・・・・と悩みの時期を経て、だんだんとバイセクシュアルなのではないかと思うに至る。

02LGBTサークルでの様々な出会い

ゲイの先輩から「悩んでるならおいでよ」

そんなモヤモヤしていた大学1年生の夏、SNSでLGBT関係のコミュニティを見つけ、気になって参加する。

そこで、まったく知らない人だったが、同じ大学の先輩男性から、「もしかして悩んでるの?」と声をかけられる。

「東大の卒業生が関わっているセクシュアルマイノリティのサークルで『ぽるた・るぶら』というのがあって、そこのご飯を食べる集まりに参加してみないかと声をかけてもらったんです」

それまで自分の周りにセクシュアルマイノリティの友人や知人はいなかったため、そこではじめて、セクシュアルマイノリティの人たちと出会う。

「最初は年上のゲイの方たちに囲まれて、あ、どうしようって感じでした(笑)」

当時のサークルはゲイがほとんどを占めていた中で、私、ここに居ていいのかな? と思いつつも、みんないい人たちで、レズビアンの女性を紹介してくれたりもした。

これがLGBTコミュニティに入る最初のきっかけとなる。

LGBTERの居場所としてのサークル

その後、東大の『トポス』という別のセクシュアルマイノリティサークルに参加する。

ランチ会など当事者の居場所提供がメインの活動で、その他にも他大学との交流や季節のイベントが行われる。

「私は幹部ではなかったけど、サークルができて割とすぐに入ったので運営側にまわることが多かったです。ランチ会の場所を押さえたり、サークルに寄せられるメールの返信や、入りたいという人を迎えに行ったり・・・・・・」

『トポス』もやはりゲイが多く8割ほどを占めていたため、ゲイだけで盛り上がる、いわゆる”ゲイノリ”に他のセクシュアリティが疎外感を感じることもあり、サークルでは今後の課題として度々話し合われてきた。

「私は古くからいた方だから気にしなかったんですけど、新しく参加する人の中にはいづらさを感じて足が遠のいちゃうこともあったと思う」

「やっぱり、同じセクシュアリティの方が分かり合えるのもあるし、人によっては参加する目的も違っていて、出会いのために来ているという人もいるので、悩んでいる人みんなと本当に分かり合えるかと言ったら、それも難しいんですよね・・・・・・」

初めてセクシュアルマイノリティの集まりに参加する人の期待や緊張は、自分も経験しているので理解できる。

それに、バイセクシュアルというセクシュアルマイノリティの中でも少数派であったからこそ、他の少数派の
セクシュアリティの気持ちに思いを寄せることができたのだろう。

03恋愛対象の性別にこだわりがない

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女の子も、男の子も、好きになる

バイセクシュアルと自覚するまでの恋愛はどうだったのだろう。

「付き合ってはいないけど、好きな人はいました。相手は男の子の時も女の子の時も、どっちもありました」

小学生の頃に好きだったのはほとんどが男の子。中学校ではずっと一人の男の子が好きだったが、中2の途中で親の転勤に伴い引越し、女子校に転校する。

「小学校、中学校は、好きになるのは基本的に男の子だったんですけど、間にちょこちょこと女の子に惹かれることがありました。でもそれが恋愛感情とも思ってはいなくて・・・・・・」

しかし転校した女子校では同級生の女の子を好きになる。

「これはもう完全に恋愛感情だと自覚していて、その子のことは卒業するまでずっと好きでした」

「だけど私、本当に自分のことを客観視しないので、好きだ!って思うだけで、だから自分のセクシュアリティがどうだとか考えることにはつながらなかったんです」

恋愛に関しては奥手で、自分から行動するタイプではないため、思いを伝えることなく一方的な片思いで終わった。

同性の恋人

はじめて恋人ができたのは大学3年生の時。

他大学のLGBT系のインカレサークルで知り合った女性だ。彼女はレズビアンで、連絡先を交換するとすぐに連絡があった。

「会ったばかりでしたけど、向こうはグイグイ来る人で(笑)。好きだって言ってくれるのはやっぱり嬉しかったですよね、あんまり言われることもないので(笑)。私の方は好きかどうか微妙なところでしたけど、もしかしたら私も好きかなとか、徐々にお互いを知っていけばいいかなと思い始めて、じゃあお願いしますって感じでお付き合いしました」

「でも彼女は最初からすごく積極的で、正直戸惑ってしまって」

結局、お互いの気持ちの温度差や、価値観の違いで言い争いになることが増え、半年せずに別れてしまう。

その後はゼミが一緒の男性を好きになったりもしたが、付き合いに発展することはなかった。

04ジェンダー論と同性愛をテーマにした卒業論文

「女」の枠にはめられることへの抵抗感

大学に入りモヤモヤし始めた理由として、自分の性指向もあったが、もう一つ大きかったのが、思いのほか自分が「女」という枠の中に放り込まれることが多いと気づいたからだ。

それまでは自分が女であるということをあまり意識したことがなかった。

しかし大学に入り、周りが恋愛したいモードになったり、『東大女子』などと呼ばれたりしているうちに、女子と男子をはっきり線引きしてどちらかに当てはめようとする風潮に違和感を覚えるようになる。

「飲み会でも、『女は~、男は~』みたいな空気があったり、『女子力』とか言われる。何かにつけて、”女子”、”男子” と分けたがるこの感じに、『なんなんだ、この集団は!』と思っていました」

そんな悶々とした気持ちを抱えていた大学1年生の冬、気鋭の教授によるジェンダー論の授業があることを知る。

「ジェンダーってまさにこういうテーマを扱うものなので、これは絶対に授業を受けなくちゃ!と思いました」

関心を持ったことに対しては、徹底的に調べたくなる。

授業だけでなく、インターネットや図書館で本を借りて読んだりして知識を蓄えた。

卒論のテーマは「同性愛者のカミングアウト」

ジェンダー論の授業とセクシュアルマイノリティのサークル。この2つが、大学生活での大きな存在だった。

大学2年次で学部を選ぶ時には、ジェンダー系のことをやるため、文学部行動文化学科を選択。

3年生の夏には、「同性愛者のカミングアウト」を卒業論文のテーマにすることを決める。

「サークルでもやっぱりカミングアウトは大きなトピックス。周りに言えているかどうか、そういう話は仲間内で結構出ていました。人によってカミングアウトをめぐるエピソードにはかなり違いがあるので、インタビューをしたら面白いのではないかと思いました」

当時のサークルでは、自分のセクシュアリティをオープンにしていない人がほとんどだった。

かなりオープンにしていた自分は珍しい方だったと思う。

「一部の人には言っているけど他の人には言えない、という人が多かった気がします。逆に、誰にも言っていないという人もあまりいない印象でしたね」

4人のLGBTERに協力してもらい、主にカミングアウトについて聞き取り書いていった。特に、「友人へのカミングアウト」と「家族へのカミングアウト」の比較に取り組み、言い方や戦略の立て方の違いなどをインタビューで探った。

05 家族へのカミングアウト

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卒論見せて!という母へ

一方で、大学在学中には、自分の家族へのカミングアウトはまったく進んでいなかった。

「いつかは言わなきゃいけないとは思っていたんですけどねぇ・・・・・・。たとえば将来もし男の人と付き合って結婚することになったら、別にカミングアウトする必要も、ないと言えばないじゃないですか」

「だから、今後の人生によっては言わなくてもいいかなって、どこかで思っていたんです」

ジェンダーに興味があることは伝えていたので、卒業論文で自分がLGBTをテーマに扱うことを母は知っていたが、セクシュアルマイノリティのサークルに入っていることは隠していた。

そして卒業論文提出後、とうとう母から「卒論を読みたいので送ってほしい」と言われる。

「ヤバい!って思いました(笑)。卒論に、自分のセクシュアリティのことも書いてあるんですよ。分析の対象にはしていなかったけど、このテーマを選んだ理由として、論文の最初で触れていたんです」

社会人となってからも母からは時々「卒論まだ送ってくれないの?」と連絡が入るが、なんとかごまかしつつやり過ごしていた。

自分のブログに母からのコメント

大学の終わりごろから書き始めたブログがある。ジェンダー系のテーマで思いを書き綴っていたが、そのブログは母も読んでいた。

「親が毎回、こういう風に書いた方がいいよとかコメントをくれるんです(笑)。そこで本当はセクシュアリティをテーマにしたことも書きたかったんですけど、自分が隠しているとすごく書きづらくて」

書くことが好きだからこそ、すべてをオープンにした上で自由に書きたい欲求が高まっていた。

「もう親に正直に言った方が、なんでも書けちゃうし、楽なんじゃないかなって」

そこで、大学を卒業後、まずは兄にカミングアウトを試みた。ちょうどその頃、転職したての兄が自分の部屋に居候をしていた。

そばにいる兄にまずは言っておこうと、「実は……」と切り出す。

バイセクシュアルであることを兄に告げると、兄は驚いた様子だったが、そこまで深く聞かれたり心配されることもなかった。

そして、母へ電話で告げる。

母の反応は、「ええーー!! それは衝撃!!」だった。

「何度も『衝撃』って言ってましたから(笑)。本当に衝撃を受けたんだなって感じでした」

<<<後編 2016/08/28/Sun>>>
INDEX

06 「結婚はするものだ」という価値観
07 子どもは思い通りにならない
08 職場でのカミングアウト
09 社会に出て感じる何気ないジェンダー意識
10 バイセクシュアルというセクシュアリティ

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