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誰もが認め合い、生まれてきてよかったと思える社会になってほしい。【後編】

誰もが認め合い、生まれてきてよかったと思える社会になってほしい。【前編】はこちら

2017/01/11/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mayuko Sunagawa
若林 佑麻 / Yuma Wakabayashi

1991年、兵庫県生まれ。同志社大学神学部在籍中から演技などのレッスンを受け、卒業を期に上京。現在は芸能事務所に所属し、俳優やラジオパーソナリティーの他、東京レインボープライド2016ではステージパフォーマーとして出演し、脚本・演出もこなす。20歳からホルモン治療を開始。国内の病院にて、24歳で乳房切除・乳線摘出手術を受ける。

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INDEX
01 この気持ちは何だろう
02 自分は何者?
03 誰にも言えない
04 自分と同じ匂いがするFTMとの出会い
05 大きな2つのカミングアウト
==================(後編)========================
06 男として生きていく
07 自分を受け入れてくれた家族
08 「FTMで生まれてよかった」という瞬間がいっぱいある
09 自分にしかできないことがある
10 一歩一歩、前に進む

06男として生きていく

6

FTMと診断

GIDの診断を受けたくて、大学1回生の5月に病院へ電話したが、予約はいっぱいだった。

当時大阪でGIDを専門的に診察できる病院は大阪医科大と関西医科大しかなかった。

「来年の1月末に予約受け付けを再開するから、再度電話ください」と言われ、年明けの1月、電話受付開始時間5分後にかけたら、もう残りは1枠。

しかも実際に受診できたのは12月だった。

待ちに待った受診は、20歳のとき。

「僕ってすごい女子的なところがあるんです。洋服好きだし、ファッション雑誌好きだし、お菓子作り好きだし(笑)。タバコも吸わないし、オラオラ系じゃないし」

だから心のどこかで、本当に自分がFTMなのかという疑問と不安があった。

結果は、FTMと診断された。

「ヨッシャー!って思いました。先生の机の上にあった書類がたまたま見えて、そしたら「女性的なことが好きな男性です」って書いてあったんです」

「とても腑に落ちました」

ホルモン治療

ホルモン注射はやりたかったけれど、副作用などのリスクや後戻りできないことも人から聞いていて、現実に直面すると躊躇していた。

GID診断後の1月、情報収集をしたいと思いあるクリニックへ行った。

そのクリニックの医師は、トランスジェンダーの診察に慣れ過ぎていたのか「今日打つの?打たないの?」と横柄な態度。

流れ作業のようなぞんざいな対応で、すごく悔しくて腹が立った。その日、注射はせず帰った。

それからすぐにホルモン注射を受けることはせず、自分が納得できるまで止めることにした。

その後しばらくしたある日、何の迷いもなく「やりたい!」と思うようになった。

6月に別の病院に行き、ホルモン注射を始めた。

「めっちゃ苦しみました。いろいろ身体も変わってくるんです。更年期障害みたいな症状が出て。僕がひどかったのは肩こり。整体に通い詰めてピップエレキバンを死ぬほど張って。それでも辛かったです」

今でも肩こりは残っている。

ただしんどいこともあったが、次第に楽しいことも増えてきた。

「身体つきも声もだんだん変わって、より男らしくなったので自信がついてきました。ヒゲが首まですごい生えちゃって」

「結局、ヒゲ脱毛をしたんです。ホルモン注射代の他に脱毛費用の10万円もかかったんですよ。お前は何がしたいんや―って感じですね(笑)」

注射前までは、大阪で知らないおばちゃんから「あんた、男か女かどっちなん?」ってしつこく聞かれた。

カフェに行くと周囲がこそこそ自分を噂していることもあった。すごくうっとうしかった。

でも男性化するにつれて、そんなことは誰もしなくなった。

07自分を受け入れてくれた家族

おもい通りの成人式

成人式はメンズスーツで出席した。

スーツはばあちゃんが買ってくれた。

「初めは『振袖買いにいこか』って言われて、ばあちゃん、ごめん。メンズスーツがほしいねんって。それからいろいろ説明して『まああんたが欲しいもん買ったほうがええからな』って言ってくれました」

ばあちゃんがお店に連れて行ってくれた。

店員はとまどった表情を見せたが、「この子に似合うメンズスーツを合わせてあげてください」と言ってくれた。

中学の同級生が集まる成人式。

同級生みんなが振袖を着ている中、自分一人だけメンズスーツ。

その時までには友達に直接伝えたり、mixiでオープンにしていたので、周りは「ええやん」「かっこええやん」と言ってくれた。

振袖ではなくスーツで迎えることができた成人式は、とってもハッピーだった。

父親へのカミングアウト

オトンへのカミングアウトは、20歳の誕生日。

便箋5枚分くらいの手紙に自分のことをすべて書き、診断書やホルモン注射に関する同意書などをコピーして同封した。

「小学生の時から離れて暮らしていたので、オトンの部屋に飾ってくれている写真は小学生の頃の自分で止まっているんです。だから小学3年生から20歳までの写真をまとめたアルバムも作って、茶封筒に入った手紙と一緒に家の玄関に置いておきました」

オトンの驚きは、届いたメールでわかった。

「『あんな所に置かれているので、自殺するのではないかと思いました』と。それから『周りに恵まれて良かったね』『あんたも大人なんやし好きに生きや』とも書いてありました」

オトンはとっても照れ屋だ。だから、彼なりの方法で自分におもいを伝えてくれた。

以後、セクシュアリティに関する話を直接したことはない。でも、一緒に買い物に行って、メンズ服を見ていても何も言わずに選んでくれる。

カミングアウト後の接し方は、良い意味でまったく変わらなかった。

きっと頻繁に会わない分、会うたびに僕の変化には気づいていただろうに。

08「FTMで生まれてよかった」という瞬間がいっぱいある

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FTMだからこそ出会えた

ホルモン注射を打つ前日、「明日注射を打ちます」と電話で高校の先生に伝えた。

先生から「あんたが私の生徒で良かったわ。誇らしいわ」って言ってもらえた。友人も応援してくれた。

周りの人からの温かい声が幸せすぎて泣いた。

幸せすぎて泣いたのはこれが2回目だ。

「僕は『生まれ変わったらまたFTMにはなりたい』とは全く思わないけど、『FTMとして生まれてよかった』と心から思う瞬間がけっこういっぱいあります」

「この先生、この友達、この周りの人達に出会えたのはFTMだったからだと思うんです」

生まれたときから男の子だったらこうは思わなかったし、女子校に行かなければ今の友達には出逢えなかった。

FTMでなかったら出逢えない人にも、たくさん出逢えた。勇気をもらえたのは、皆の存在があったからこそ。

よくそれはあなたの人柄だと言ってくれる人がいるが、それは違う。

そういうふうな生き方をさせてくれて受け入れてくれる周りがいるから、今の自分がある。

本当に感謝している。

恩返ししたい。でもどうしたら・・・・・・

恩返しをしたい。

多くの人への感謝のおもいからそう思うようになった。

母校でも自分と同じように悩んでいる子がいっぱいいる。

自分が有名になってLGBTをもっと知ってもらいたいと思うようになった。

「自分にしかできないことってあるんじゃないか。今でこそ色々なFTMに出会えますけど、当時は周りにはいなかった」

「自分が生まれてきた意味ってなんだろ?」と考えた時に、こうやって生まれたからには『あなたがいてくれてよかったです』と言われることをしたいなと思ったんです」

とは言っても大学4年。

将来を模索しながらも、みんなと同じように就活をはじめた。その頃志望した業界は、メディア系だった。

そんな時、杉本彩さんをゲストスピーカーで招いた動物愛護の講義があった。

09自分にしかできないことがある

心にひびいた言葉

講義の最後に、杉本さんがメッセージをくれた。

「犬や猫を1匹2匹引き取っても何も変わらないのではないか、と言われることがあります。でも一人でも多くの人が引き取ってくれれば、やがて殺処分がゼロにつながる。たった一人の力でも世界は変えられるんです」

「一人の力でもそれが集まればすごい力になります。だからみなさん、もっと一人ひとりがメッセンジャーになってください」

それを聞いて「これだ!」と思った。

自分もLGBT、FTMが世の中にいるんだということを一人でも多くの人に知ってほしいと考えていたから、そうするには知名度が必要で、有名になることは大きな手段だと思った。

「杉本彩さんの講義を聞いた人の中で何人が動物愛護に興味あるでしょうか。講義を聴きにきた人の多くは、話しの内容よりも生の杉本彩さんを見たいという人が多かったと思います。それでも彼女は自分の価値を使い、自分の力で人をたくさん集めた」

「そして多くの人が動物愛護の話を聞いてくれた。それで初めて知ることや興味を持ってもらえることもあるんです」

講義を受けた次の週には、宣材写真を撮り、芸能事務所50社に履歴書を送った。そして事務所に所属することができた。

大学時代は大阪から東京へ通ってレッスンを受け、卒業後に上京し本格的に芸能活動を始めることになった。

胸を取る手術

7月に胸を取る手術をした。

手術の時にお願いしてカメラを入れてもらい、ドキュメンタリー映像を撮った。

いずれ自分が影響力をもてるようになったら、映像を世に出そうと思っている。

多くの人がタイで手術をする中、日本で手術を選んだ。

「確かにお金も安く、現状症例数の多いタイでやったほうが良いと思うかもしれません。ですが、それではいつまでたっても、性別適合手術に関する日本の技術は上がらないし、保険もきかない。日本の経済も回っていかない」

「手術の映像を世に出したら、『若林佑麻は日本でやったらしい。自分もそうしよう』ってなるかもしれない。だから僕は日本で手術をしたんです」

その未来を作るためには、もっともっとたくさんの人に自分の存在を知ってもらわないといけない。

今の自分が手術映像を世に出しても、知り合いやツイッターでつながっている人しか見てくれないだろう。

知名度が上がれば、よりいろんな人に興味を持ってもらえるのだから。

10一歩一歩、前に進む

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俳優やラジオパーソナリティー、脚本・演出も

タレントになって、とにかく自分にできることは全部やりたい。

お芝居も、ラジオも、ライターも、境界をつけずに自分のやりたいことをやっていくことで、道はつながっていくと思っている。

「今年東京レインボープライドで、自分で脚本・演出したステージをやらせてもらったんです。内容は、国籍やセクシュアリティの違いからよく起こることをテーマにしたもの」

「ハーフ軍団とLGBT軍団がお互いの違いから対立して差別し合うんですが、踊っていたら楽しくなっちゃって、最後はハーフもLGBTもごちゃまぜになり『僕とあなたとの違い』を受け入れ合って、ハッピーに終わるという話です」

「客席にいたFTMの子が『ホンマによかったです、感動した』って、わざわざ挨拶に来て、涙ながらに握手してくれて」

「自分にしかできないことは何か?思って始めたことだけれど、やっぱりこれや!って」

自分の行くべき道を確信した。

一昔前にくらべてLGBTはどんどん広まっているし、同性パートナーシップ制度もでき認知されてきている。

「今後は『広める』というだけでなく、『LGBTだけどこんなにハッピーな人もいるんだよ』っていうふうに広めたい。僕は自分が幸せだって自信を持って言える」

「つらいことばかりだと思われがちだけど、『LGBTもこんなにハッピーになれるんだ』ってことを伝えたいです」

LGBTが普通に受け入れられる社会を

「『僕ね、FTMなんだ』っていったら、普通に『そうなんだ』って受け入れてくれる。例えば、タイ人だけど『辛い物食べられない』って言ったら、『そうなんだ!?』って返されるみたいに」

「みんなと一緒じゃなくてもいい、あなたもそのままでいい。だから僕もこれでOK!みたいな社会になってほしいと、本当に色んな人と出会って、そう思うようになりました」

認め合い、受け入れ合う関係。

誰もが自然体でいられる環境。

そんな幸せな光景をできるだけたくさん作っていきたい。

「自分は恵まれていると思います」

「周りの人からも親からも一度も差別されたことがなかったから。しかも、ホンマにしんどいタイミングの時には助けてくれる人がいた。だから人にずっと恵まれてきたと思う」

もちろん悔しいおもいもたくさんしたし、つらいこともあった。でも、そんな時こそ幸せなことを探すようにしている。

許すことと憎むことは、同じ体力を使うそうだ。だったら許したほうが良い。結局人は笑っている人についてくる。それに、昔からマイナスなことの中にも、幸せなことが絶対にあるって信じているから。

あとがき
お父さんとの思い出深い、横須賀の公園で撮影。一度会ったら友達?二度会ったら仲間?そんな人懐っこさで心を寄せてくれる佑麻さん。ドンドン距離を縮めて下さる佑麻さんに、取材する私たちのテンションもあがった。明るさの感染力はすごい(笑)■たまに、置かれた境遇を恨めしくおもうことがある。でも佑麻さんとの会話でおもった・・・・・・ 希望や明るさは、自分がそこに手を伸ばせるかどうかだと。今年はそんな練習をしよう。(編集部)

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