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結婚、出産、離婚を経て知った、バイセクシュアルとしての自分。【後編】

結婚、出産、離婚を経て知った、バイセクシュアルとしての自分。【前編】はこちら

2019/11/30/Sat
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Kei Yoshida
あかい ゆかり / Yukari Akai

1979年、宮城県生まれ。父の仕事の関係で宮城県仙台市内、岩手県盛岡市、千葉県船橋市などへ引越し&転校を繰り返しながら育つ。中学3年生の時に年上の男子生徒から性的暴行を受けたことがきっかけで、日本に根強く残る性への偏見に対し疑問を抱く。いくつかの恋愛経験を経たのち、26歳で結婚し、3人の子どもに恵まれるが36歳で離婚。その後出会った女性と恋愛関係となり、愛にセクシュアリティは関係ないと確信する。現在は参加型市民劇団「ゆにぃ〜く&ぴぃ〜す」の座長のほか、各種マネージメント業を行っている。

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INDEX
01 前に、進まなきゃいけない
02 転校生は第一印象が大事!
03 まるで恋愛ドラマの主人公のように
04 知らない男性に襲われて
05 本当の愛を知った “暗黒” の日々
==================(後編)========================
06 大好きな夫と子どもたちとともに
07 うつ病に苦しんだ末の離婚
08 新しい家族として幸せになる
09 恋愛にセクシュアリティは関係ない
10 LGBTなんて普通です

06大好きな夫と子どもたちとともに

平和で幸せな結婚生活

泥沼の恋愛に溺れている自分を、陰で支えてくれていた男性がいた。

「中学校からの親友が、私に不倫をやめさせようと、別の男性を紹介してくれたんです」

「海外留学生が集まるキャンプに参加して、そこで彼の、異文化交流に対する熱意ある姿に惹かれ、友だちになりました」

しかし、その彼の存在を、当時不倫関係だった相手に勘付かれ、会うことを禁止されて、しばらくの間は疎遠になってしまっていた。

「でも、不倫の彼と別れたくても別れられない一番苦しい時期に再会して・・・・・・。友だちとして支えてくれたんです」

そして、ようやく泥沼から脱出し、晴れて付き合うことになった。

「翌年の私の誕生日には、結婚しました」

「大好きな人と結婚できて、本当に幸せでした」

「こんなすてきなパートナーがいるって、大好きな人がいるんだって、周りに言えるのもうれしかったですね」

結婚してすぐに第一子が生まれ、10年間で3人の子どもに恵まれた。

「すっごい平和な日々でした」

でも、自らの家庭の平和で幸せな日々と、テレビで報じられる児童虐待などのニュースにギャップを感じずにはいられなかった。

「私はこんなに幸せなのに、身近に苦しんでいる親子がいる」
「私はこのままでいいのかな」

疑問を感じた瞬間、すぐさま行動を起こし、新聞広告で募集されていた地域の育児情報サイトの管理人を務めることにした。

多様な人が集まる劇団を

さらには、地元の商店街で親子カフェを立ち上げたり、幼稚園に預けずに森の中で子どもを遊ばせる “森の幼稚園” を開いたり、親子の居場所づくりに励んだ。

「まずは、お母さんが幸せになることが、地域や世の中を幸せにすることにつながるんだと思ったんです」

そんななかで、子どもたちにも伸び伸びと育ってほしいと思い、「なんでもやってごらん」「夢は叶うよ」と言い続けた。

「でも、子どもたちにそう言いながら、自分こそやってないことがあるな、と気づいたんです」

舞台に立つこと。
ソファの上で歌っていた頃からの夢が、忘れられないまま残っていた。

「それからは、子どもをおんぶしながら『お芝居やりたいんです』って言い回って」

「そのうちに、脚本を書いてくれる人が現れて、じゃあ劇団をつくろうということになって、音楽をお願いするならあの人だろうってなって」

2014年に、1年ごとに参加者を募る市民劇団を立ち上げた。

「2019年、欽ちゃん&香取慎吾の仮装大賞で優勝したのは、うれしかったですね」

「劇団名の『ゆにぃ〜く&ぴぃ〜す』には、世界が大きなパズルだとしたら、みんなはパズルのピース、自分の凹凸を知って、お互いの凹凸を認め合って、埋めていけばいいという想いを込めました」

「劇団には、自分の子どもたち3人も参加していますし、障がいをもっている方や不登校の子ども、いろんな人が参加してほしいと思ってます」

07うつ病に苦しんだ末の離婚

子どもの前でずっと泣いて

劇団をはじめとする地域での活動は、自分を成長させてくれる糧だった。

幼い頃からの夢を叶えるだけでなく、今後もやっていきたいことが芽生えてくる、とても有意義なものだった。

しかし、活動が忙しくなっていって、子どもとともに自分も成長していくことが楽しくなっていくにつれ、夫婦の間の溝が深まっていった。

「パパは、私に専業主婦でいてほしかったんです」

舞台に没頭したい、自分の夢を大きく叶えたい。
もっともっと。

そうしたときに、妻や結婚といった、社会の枠組が足かせのように思えた。

活動すればすれほど、枠にはめられている苦しさが募った。

「あるとき、パンッと何かが壊れちゃって・・・・・・」

今まで、つらいことがあっても、甘えないように、泣かないように、我慢してがんばって生きてきた自分が弾けて、砕け散ったようだった。

「それからは、家に入れなくなっちゃったんです」

「玄関までは行けても、靴を脱いで家の中に入れなくて」

家族に対する後ろめたさからか、たとえ家の中に入ることができたとしても、長くはいられず、すぐに外へと出て行こうとしてしまう。

「寝るときは、家から離れたコインランドリーなど、無料の駐車場に車を停めて、車の中で寝ていました」

「部屋の隅っこに座って、子どもの前でずっと泣いていたこともあります」

「母親が泣いているのを見て、子どもたちはつらかっただろうと思います・・・・・・」

家事も子育てもできない

子どもたちは、一番上は9歳で、一番下の子はたった3歳だった。

心配をかけたくない気持ちはあった。
しかし、鬱になった自分を、どうすることもできなかった。

「でも、パパは、そんな私に、ずっと寄り添ってくれたんです」

どうすれば以前のように楽しい家族になれるのか、必死に考えてくれた。

「パパのことを嫌いになったのでは、全くなくて」

「これ以上、妻とか結婚の枠のなかで生きていることが無理だと感じたんです」

夫は、家に入ることができない自分のためにアパートを借りてくれ、家事も子育ても、すべてひとりで背負ってくれた。

しかし、だからこそ、もう、離婚するしかないと考えていた。

家事も子育てもできない自分。
子どもを手放して離婚するしかなかった。

「お母さんが幸せになることが、地域や世の中を幸せにすることにつながる・・・・・・なんて言っていた私が、子どもを手放すことになるなんて」

「でも、それでも、ひとりで前へ進まなきゃいけないと決心したんです」

08新しい家族として幸せになる

離婚しても、何も変わらない

きっと子どもたちは、自分と一緒にいたかったと思う。

「でも、私は『いいお母さんになれないし、もうイヤなんだ』って子どもたちに言ってしまって・・・・・・」

「私が病気だということは、子どもたちも理解しているようでした」

泣いている自分に、子どもたちが「ママ、苦しいの?」と心配して声をかけてくれることもあった。

「パパと子どもたちは、全部受け止めてくれて」

「最終的に、私を送り出してくれました」

「一番上の子が『これからは自由に生きてね』って言ってくれて・・・・・・」

離婚に際して、せめて子どもたちには、これからの生活に不安を感じさせるわけにはいかなかった。

「あるとき、子どもが『パパとママが離婚するって言ったら、友だちにかわいそうって言われた』と言ったんです」

「私は、『パパとママは仲良しだから、離婚しても全然かわいそうじゃないよ。ママは、みんなことが大好きだから、住む場所が違っても、何も変わらないよ』と答えました」

「子どもたちも、『へー、そっか』と分かってくれたと思います」

新しい家族になる

この離婚は、未来の幸せを考えた上での離婚なんだ。
幸せな離婚だということにしよう。

これは “ハッピー離婚” だ。

今の結婚制度の枠組から超えた、大きな意味での家族。
私たちは、今までとは違う、新しい家族になるんだ。

「そう言っても、親にも友だちにも全く理解されませんでした(苦笑)」

「でも、子どもたちを手放すって決めたとき、私は、絶対にこの新しい家族のかたちで、みんなを幸せにするって誓ったんです」

月に1度は家族で集まって、一緒に過ごすようにしている。
先日も、みんなでディズニーランドへ行ったばかりだ。

「家族とは、いい関係が築けていると思います」

「それも、全部パパと子どもたちのおかげです」

なんでも思っていることを話し、ときには正直すぎて言わなくていいことまでも話してしまっていた自分を、正面からすべてを受け止めて、いつでも一番に理解してくれようとした元夫。

今では、仕事の関係で引っ越してしまったせいで、住んでいる場所はさらに離れてしまったが、変わらぬ関係を続けている。

09恋愛にセクシュアリティは関係ない

好きになった相手は女性

離婚後、劇団の活動に今まで以上に力を入れていくために、あるセミナーに参加した。

「そこで、とってもキラキラしている人に出会ったんです」

その人は女性だった。

「出会った瞬間に、すてきな人だなって思って、すぐ友だちになったんです」

「その後、お互いに愛や恋愛観について話す機会があって、それ以来、その人のことを恋愛対象に思えてきました」

今まで、男性としかお付き合いしたことはなかったし、男性と結婚し、出産も経験した。

なのに突然、女性に対して恋に落ちてしまった。

「最初は自分でも信じられなくて戸惑いました」

「でも、会うとドキドキする。会えないと、会いたくなる」

これは間違いなく恋だった。

それは相手も同じだった。

ふたりは急激に惹かれ合い、恋人になった。

「付き合ってみると、自分が同性を好きになることも、同性同士で体を重ねることも、全く抵抗がありませんでした」

「たまたま、好きになった相手が女性だっただけって思えるんです」

「誰もが、自分のなかに女性性と男性性を持ち合わせていて、彼女と私は、そのバランスがぴったりと合っちゃう・・・・・・。そんな感じ」

大切なのは自分とのパートナーシップ

女性性と男性性。
あるいは子どもっぽいとか大人びているとか。

人は、異なる2つの面を併せ持つ。

「レズビアンとかバイセクシュアルとか関係なく、すべての人間関係において、何よりも自分とのパートナーシップが大切だと思うんです」

「自分自身を見つめて、こんな自分もいる、あんな自分もいる、と認めていくことが大事」

「目の前の世界は、自分の投影だと思います」

「相手に対して怒りを覚えたら、自分はなぜ腹を立てているんだろうって考えるんです」

「そうすると自分の本当に気持ちが見えてきて、相手を理解することにもつながるから」

例えば、周囲の視線を気にせず泣いている人に対して腹が立ったとき、自分を見つめてみる。

すると、自分は甘えている人が嫌いなんだ、それは自分が甘えられなかったからだ、と気づく。

そうすることで、自分も相手も理解できるようになる。

「彼女のことはパパと子どもたちにも紹介しました」

「すっごい仲良しで、大好きなんだよって」

「子どもたちも『クラスにも、男の子だけど男の子が好きな子がいるよ』とか『僕も○○くんが好き』と受け入れてくれました」

「劇団のなかで、いろんな人がいるんだと、社会の多様性を伝えてきたこともあるかもしれないけれど、子どもは全く枠にとらわれていないので、偏見もなく、素直に受け入れてくれるんです」

10 LGBTなんて普通です

バイセクシュアルとして「OUT IN JAPAN」に

表現者として自立したい。

そう考えるなかで、日本の性的マイノリティにスポットライトを当てる写真プロジェクト「OUT IN JAPAN」にも、バイセクシュアルとして参加した。

「それまではLGBTの世界のことは、あまり知りませんでした」

「でも、その写真が公開された途端に、SNSを通じて『大変でしたね』とか『頑張ってください』というメッセージをいただいたんです」

「LGBTは、誰もがマイノリティとして苦労してきたって偏見があって」

「私にとって、男性を愛することも女性を愛することも普通だから、何も特別なことじゃないしって思いました」

「そこで、LGBTとか、性や家族の多様性を伝えていく活動がしたいって気持ちに火がついたんです」

いろんな愛がある、そのことを広く多くの人に伝えたい。

しかし、「OUT IN JAPAN」への参加をはじめ、活動に対して難色を示したのは、意外なことに一番の理解者である元夫だった。

「なんでそんなことやるの、子どもたちに悪影響だからやめてって言われました」

「それを聞いて、余計に私が行動を起こさなければと思いました」

「子どもたちに悪影響だっていうことこそ偏見で、そんな世の中を変えるには、大人から変わっていかないといけないんだと伝えました」

「それでもパパからは、やっぱり『ちょっと刺激的すぎるから、あんまり子どもたちには言わないで』って言われています(苦笑)」

とはいえ、活動のことを隠すつもりはないし、元夫も強く反対することもない。

お互いに恋愛相談をするなど、ちょうどいい関係は続いている。

自分が前に出ることで、世の中を変えたい

「私たちの時代は、いろんなセクシュアリティがあって、いろんな家族がいるのが当たり前なんだ、って伝えたい」

「みんな、身近にいたら『なんだ、普通なんだね』って思うはず」

「性のことも、隠さなきゃいけないネガティブなことだって偏見をなくして、人を愛するとか、体を重ねたいとかは普通のことだって伝えたい」

「当事者である自分自身が、前に出ていくことで、世の中の意識が変わると信じて、活動をしていこうと思います」

ささやかな目標をポツリと語る。

「私、ヤキモチがすごいんですよ。恋愛に関しては全くunique&peaceじゃ
ありません。恋愛はたいてい、失敗ばかりで(笑)」

「だから、こんな小さな嫉妬心なんて、軽く飛び越えて、揺らぐことなく、みんなを愛せるようになりたいですね」

あとがき
どうしてそんなに、人を好きままでいられるんだろう。ゆかりさんは、不器用に純粋に人を愛する。出会いから[わたし]を知って、出会いから生き方を見出してきた人とも言える■どんなことが起きようと、もがきながら超える。[わたしを信じたい]。もしかするとそう決めているのかもしれない。だから、明るく色付けしにくいシーンすら、自分以外の誰かのせいにはしない■引き受けるんだ。ゆかりさんの人生は総天然色。愛は、苦しみも喜びも教えてくれる。(編集部)

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