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性への気づきは人それぞれ、十人十色でいい【後編】

性への気づきは人それぞれ、十人十色でいい【前編】はこちら

2016/10/02/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
植山 友結 / Yui Ueyama

1993年、兵庫県生まれ。現在は京都橘大学文学部日本語日本文学科で日本語学を専攻。大学内初となるLGBTサークルの立ち上げ、小学生から大学生を対象にした人権教育の講師として自らの体験を語るなど、多様な性のあり方を発信している。教職員向けのゲストスピーカーを務めることもある。

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INDEX
01 ファンタジーが好きな女の子
02 勝気な同級生と厳格な母親
03 鬱屈したリアルからの脱出
04 再び突きつけられた現実の重み
05 同級生からの告白、そして
==================(後編)========================
06 レズビアンなのかもしれない?
07 初めての失恋と湧いた疑惑
08 家族へのカミングアウト
09 自分だけのジェンダーを探して
10 性のあり方は多彩であっていい

06バイセクシュアルかもしれない?

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セクシュアリティに悩む

『バイセクシュアル』って、『レズビアン』ってなんだろう。

辞書やネットで調べても、16歳の自分が直面している問題の本質は分からず、かといって誰にも相談できず。

そんな中、再び友達が告白してきた。

そして。

意外にもイエスと答えている自分がいた。

「女の自分に、同性の友達が告白をしてきた。このシチュエーションを冷静に見たとき、断る理由がない、と思ったんです」

「告白されたその瞬間も困惑こそしたけれど、友達に対して気持ち悪いとか、そういう負の感情は全く起きませんでした」

「もちろん異性愛者の人にしたら『なんで付き合うの?』となるのかもしれないけれど、少なくともそのときの私には断る理由がなかった。彼女の告白を受け入れることにしたんです」

こうして女友達との交際がスタート、問題が解決したかに見えた。しかし新たな疑問に悩む日々が始まる。

「今まで女子を好きになったことはありません。かといって、男子と付き合ったこともなかった」

「彼女を受け入れることで初めて『私はバイセクシュアルなのかもしれない』と性指向に悩み始めることになったんです。レズビアンかもしれないけど、男の子と付き合ったことがないから断定できない、ならばバイセクシュアルなのかも、と」

「セクシュアルマイノリティがしばしば馬鹿にされるということは、なんとなく知っていたけど、自分がその立場になることで、世の中の見え方が180度変わったんです。『みんなは無意識のうちに『普通』という枠組みの中で生きているけれど、私は彼女の告白にOKした途端、その枠組みから外れちゃったんだな』と」

「ものすごい衝撃でした」

今ほどLGBTという言葉も普及していなかった時代。

その衝撃を和らげるため、新たな悩みの処方箋を求めようにも、やはり相談相手は存在しなかった。

彼女も、どちらかというと楽天家。交際の楽しさを追求するのには熱心だけど、自らの性の根幹を突き詰めて考えるタイプではなかったのだ。

奔放な恋人

「彼女と付き合いながら、頭のどこかでは男性と付き合える可能性をシャットダウンしてはいけない、と感じていました」

「でも交際している友達は、そんな私の悩みにはお構いなしでした」

学校の廊下で話していると、彼女はよく自分の頭を撫でてきた。その触り方が端から見たら、友達の一線を超えているように見えてしまうような気がしていた。

「彼女は足フェチなので、休み時間にいきなり触られることもありました」

「もちろん『私たち2人は付き合ってるんやで!』とは一切、公言してなかったから。周りに勘繰られたらどうしよう、と思い悩む日々でした」

楽天家の彼女だったが、カミングアウトには慎重。

「お互い成人して、自立するまでは、言わないでおこう」というのが口癖だった。

「私が昔、声優になるのが夢だった、ということを彼女に話したことがあって」

「そうしたら『ただでさえ女は、男より収入が得にくいんだから、しっかり稼げるような職業に就かなきゃ』って、たしなめられたんです」

「そんな先まで付き合うことを想定してくれているんだと嬉しい反面、本当にこのままでいいのか、とも思いました」

高校2年生になって、クラスが離れても、彼女との交際は続いた。

自分が部活に忙しくて、前ほど頻繁に戯れることはできなくなったけれど。

それでも付き合いが続いたのは、お互いに周りから浮いている、なんとなく学校に居場所を見つけられない、と考えている者同士だったからかもしれない。

「彼女はいわゆるアニメおたくだったんです。メガネの風貌も手伝ってか、周りから変わり者だと思われていました。私もクラスにも部活にも馴染めないでいた。ちょっとした孤独感が、二人を引き寄せたのかなと、今は思っています」

07初めての失恋と湧いた疑惑

すれ違う思い

「カミングアウトはできない」と思いながら時々、心がかき乱されるような瞬間が訪れた。

同級生のカップルが公然と手をつないで帰宅しているのを見たりすると、交際をオープンにできない、自分たちの状況が口惜しくてならなかった。

「ふと横にいた同級生に恋バナをすることすら、許されないんです。2年生になって彼女とクラスが別れてからは、前ほど会えなくなったので、嘘をついて偽りの自分を演じなければならない辛さに耐えれない時は、その思いをノートに書き殴るようになりました」

3年生になってクラブで最高学年になると、ますます部活が忙しくなり、彼女とじっくり会うことが困難になった。

「彼女に電話しても、ゲーム片手でしっかり話を聞いてくれないことが、何回か続いて。ある日電話してみたら、珍しく電話に出て、なおかつゲームしてなかったんですね」

「その時に『最近、連絡を返してくれなくて寂しい』と言ったら、『泣くと思うから今まで言わんかったけど。重たいねん!めんどくさいねん!』と返されました」

元々、彼女には身勝手なところがあった。会うタイミングも何もかも、彼女次第。必要のないときは連絡もしてくれない、放ったらかしにされるのが常だった。

「3年生の夏休みに授業の補講があって。その授業は文系も理系も一緒に受ける科目だったので、クラスが別れた後でも彼女に会える、数少ない機会だったんです」

「久しぶりの再会に胸を高鳴らせていたのに、授業のあとに彼女は私の顔を見て、『帰るわ』って、そのまま帰宅しようとしたんです」

「この言葉を聞いたとき、怒りが湧いてきました。もうこの関係を終らせたほうがいい、私から振ったんです」

2年近く続いた交際は、こうして終わりを告げた。

仲間の裏切り

実は彼女と別れる少し前に、よほど会えないことが寂しかったのか、ぽろっと自分たちの交際を、周囲に漏らしてしまった。

「部活の同級生に『実は私、女の子と付き合ってるんよ』って話したんです。彼女は驚いていたけれど、もちろん軽々しく公言しないはず、と思っていました」

しかし、しばらくして同じ部活の男子から向けられた言葉に、思わず耳を疑った。

「『お前、◎◎と付き合っているらしいやん』って、突然、からかわれて。別の同級生からは気持ち悪い、とも言われました」

「カミングアウトした相手のことを、ある程度、信頼していたんです。なのに第三者の口から、もっとも言われたくない秘密を公言されるなんて」

「もう誰も信用せず、音楽だけをしに、部活に通うしかありませんでした」

幸い、この事件が自分へのいじめにつながることはなかった。

この経験、また自らが同性から告白を受けた経験を通して、カミングアウトはされる側の状況、気持ちも考えておこなう必要がある、と考えるようになった。
「私も初めてカミングアウトされたときは、戸惑いました。状況は違うけれど、部活の同級生もそんな感じだったのかもしれません」

「最近アウティングのことがニュースにもなっているけれど、逆に打ち明けられた秘密を抱えきれなくて、苦しくて漏らす人もいるんじゃないか、とも考えます」

「私もそうでしたが、LGBTに告白されて、きっと誰にも相談できず悩んでいる人も多いと思うんです。私も当時は苦しかったから、カミングアウトされた人をケアする仕組みがあってもいいって、今は強く感じています」

08家族へのカミングアウト

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母の気持ちを考えて

失恋と前後して、自らブログを始めた。その読者と付き合うことになったが、京都と東京という、遠距離。

それでも高価なWebカメラを購入して、Skypeを介して交際を続けた。

「相手は、自分は中性だと言っていました。結局、会う前に別れることになったんですけど」
度重なる別れや仲間の裏切りに、身も心も疲れ果て、家にいても臥せっていることが多くなった。

できたらこのまま、悲しみに沈んでいたかった。しかしそうさせてくれないのが、しつけに厳しい母親だ。

「自分の部屋はあったんですが、母はお構いなしに勝手に入ってくるので。気持ちが落ち込んでいるときに、暗い顔でぼーっとしていると、母が『勉強しなさい』と、いつも怒るんです」

「でもそうしたくても、身体が動かない。すると『どうしたん?』『元気がないのは何が理由なん?』と、しつこく聞いてくる。でも本当のことなんて、やっぱり言えないし」

しかし母親は娘が自堕落に見えて許せなかったようだ。いつまでも同じ口論が続く。

「もうカミングアウトするしかない、と思いました」

「この時の私は、レズビアンだと認めて、自分の気持ちを落ち着かせようと思っていた頃でした」

「母は助産師です。もし私のカミングアウトのショックを次の日に引きずって、医療ミスでも起こしたらどうしよう。母の事情も考えてカミングアウトしようと思いました」

母親は結婚記念日の前後に連休を取ることが多い。

告白するなら、その時しかないと考えていた。

告白の日

そうして迎えたカミングアウトの日。率直に自分の思いを伝えた。

「母は涙を流して泣いていました。でもなんとなく分かっていたみたいで。彼女と付き合っている時は頻繁に家に遊びに来ていたので、なぜいつも同じ女の子とばかり一緒にいるんだろう、と疑問に思っていたのかもしれません」

そして。涙を流している母親に向けられた言葉に、ひどく傷ついた。

「『高校の間は、絶対に周りの人に言わんといてね』と言われたんです」

「理由は妹の縁談に支障が出るからというものでした。同じ自分の子どもでも、母は私より妹が大事なんだって、その時は本当に心が折れたんです」

まだLGBTについて全く理解がないときに発した、母親の言葉だ。

今では自分のことも受け入れてくれて、比較的良好な関係だ。それでも当時は相当なショックだった。

09自分だけのジェンダーを探して

性自認のゆらぎ

精神的に大変なことも多かった高校生活だったが、部活も最後までやり遂げ、進学する大学も決まった。

京都市内の大学には自宅から通っていたが、2年生からは一人暮らしを始めた。

「環境が変わったので、とにかく自分を曝け出して、チャレンジして生きよう、と思いました。でもカミングアウトしたら、ドン引きする同級生もいて。自分らしく生きるのは難しいと感じました」

そんななか入学直後は“女の子らしくなろう”と、いろいろチャレンジしてみた。でも高校時代はしていなかった化粧をしても、流行りのスカート履いても、これが自分らしさ?と疑問に思った。

「すぐに考えを変えて、1年生の夏からは『本当に好きな格好をしよう』と、パンツにシャツのカジュアルスタイルになりました。化粧もやめたんです」

「大学で人間関係が一気に広がったんですが、『あれ?よく考えたら中性的な雰囲気の人も好きだな』と気づいたんです。男性を好きになる自信はまだなかったけど、レズビアンだと信じ込むのはやめよう、とは思いました」

そうするうちに、外見はどんどんとボーイッシュになっていった。

「髪をベリーショートにして、胸を『ナベシャツ』『トラシャツ』と呼ばれるシャツで潰して、メンズの服を着ていました」

「あと高校時代は自分のことをレズビアンだと信じこんでいたけれど、大学で一気に世界が広がって、そうとも思わなくなりました。けれど常に『自分ってなんなんだろう』という自問自答は続きました」

女性らしさって何?

2 年生になると、大学でも就職活動のためのセミナーが始まった。

社会人女性のお辞儀の仕草から話し方、メイクの方法まで、細かく講師の先生が手ほどきしてくれる。

「社会における紋切り型の女性らしさを押し付けられることに、激しい抵抗感を覚えました。全て形式が決まっていることへの拒否感もすごかった。先生に教えられることが何ひとつ、きちんとできないんです」

やがて、大学にも行けなくなった。

心身ともに体調を崩し、1年間の休学を強いられる。

「母は私のことを心配してくれたようです。セクシュアルマイノリティや、私がその当事者であるということに、今まで以上に関心を持ったみたいで、苦境を通して以前より、親子の絆が深まったように思います」

「大変だったけど、私もこの1年で、ゆっくり心の整理をすることができました」

10性のあり方は多彩であっていい

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困難を乗り越えて

女性のマナーを押し付けられるのは嫌だけど、かといって男性として就職したいわけではない。

大学のセミナーを通して痛感したのは、装って社会に出ても仕方がない、ということだ。

それには自分を理解し、受け入れることが必要だ。

「性自認に関しては、私はクエスチョニングなんだと思います。その日の服装で違うし、付き合う相手によっても変わる」

『私って女?』『よくわからない?』という自問自答は、今もあります。だから最近は聞かれたら、『性別を特に決めていません』と言うようにしています」

性指向はパンセクシュアルだと感じている。

「女性を好きになることが多いけど、やっぱり引き続き、中性的な雰囲気の男性を好きになることもある。『レズビアン』と自分に強いることで、その揺らぎから逃れることは、辞めにしたんです」

自らの性を受け入れられるようになったから、昔の自分に向かって言える。

いろいろあったけど今は昔より楽に生きている、と。

自分を伝える

今後も活動を通じて、多様な性のあり方を発信していきたい、と考えている。

「自分の苦しい思いが誰かの役に立つんじゃないか、というのは、高校生の時から思っていたことなんです」

大学内では初となるLGBTサークルを立ち上げ、教職員との勉強会も開催。また小学校から大学を対象に人権教育の講師をするなど、自らの体験が未成年LGBTの悩み解消に繋がれば、と考えている。

「私の性の気づきって、少し変わっていると思うんです。高校生の時に同性に告白されて、そこから全てが始まった。だからセクシュアルマイノリティの悩みって、決して先天的なものだけではない、と感じています」

「思い悩んだ時期が他の人より短いから、私は性の話をする権利すらないのかも、と苦しんだ時期もあって」

「でも今はいろんな気づき方があるんだ、と身をもって思います」

自らがセクシュアルマイノリティであることを受け入れる過程が十人十色であるように、その気づき方もまた多様であってもいい。どのタイミングで悟っても、セクシュアルマイノリティが自分らしく生きられる社会。植山さんが力を注いでいるLGBTの啓発活動は、そんな世の中への手がかりになるに違いない。

あとがき
交錯する希望と不安。ステージが変わる度に、変わろう!と努めてきた友結さん。そして、苦しい気持ちを感じる時も、その場から離れることはなかった。逃げなかったのか、逃げられなかったのか、それは重要じゃない■「ここ最近、良い風が自分に吹いていると感じる」。踊る文字がメールに届いた。追い風も向かい風も、立つ向きによって意味合いが変わる。未来の風も過去に感じた風も受けて、友結さんは凛と立つ。思い出もきっと、笑顔に変わる。(編集部)

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