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LGBTを抜きにした自分でこれからも発信していく【後編】

LGBTを抜きにした自分でこれからも発信していく【前編】はこちら

2020/07/02/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shinobu Aoki
田代 悠 / Yu Tashiro

1996年、埼玉県生まれ。両親と3歳上の兄の4人家族の末っ子として生まれる。幼少期から自分の性に違和感を感じていたが、中学3年生の時にトランスジェンダー(FTM)であることを自認。高校1年生でSRSを受けることを決意してからは、アルバイトで資金を貯め、全て個人手配でタイに渡航して手術を受ける。現在、会社員として勤務のかたわら、自身のブログやツイッター、企業セミナーなどで発信を続けている。

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INDEX
01 スポーツ万能のいい子
02 頑張ってこの性を演じる
03 僕はFTMだったんだ
04 高校時代のカミングアウト
05 母親の涙と理解
==================(後編)========================
06 ゴール、そして発信へ
07 企業セミナーに登壇して
08 性別適合手術の前と後
09 ツイッターでアウトプット
10 これからの自分

06ゴール、そして発信へ

考え倒して決めた着地点

大学2年で診断が下りると、すぐにホルモン注射を開始。
大学4年生の春休みに、タイで乳房切除と子宮卵巣摘出手術を完了した。

タイへの渡航費、滞在費、手術費などはすべて高1からアルバイトで貯めた資金で賄った。

そして、大学卒業直前に戸籍上の改名と性別変更が認められた。
高1で決意してから、迷いなく一直線に到達した “ゴール” だ。

「自分はこれで間違いない、と確信して進むことができたのは、とにかく考え倒したからですね」

「考えて調べて、悩んで出した答えだから、この自分で生きていくしかないって」

「中2から今でもずっと考え続けてます。最初は『自分ってなんなんだろう』。性同一性障害者とわかってからは、じゃあその自分は最終的にどうなりたいんだろう」

「このまま生きていくのは無理。死んだほうがマシだとまで思ってました」

人には相談せず、自分一人で考え続ける毎日。
誰にも言わなかったからこそ振り切れたのかもしれない。

記録兼治療マニュアルのブログ

カウンセリングを受けていた20歳の4月には、ブログを開設した。

初回投稿には、開設の理由として
1.治療と戸籍変更までの経緯を生涯忘れないために記録を残す
2.他の当事者の治療の参考にする
3.非当事者の理解に繋げる

の3つをあげている。

「ブログは誰に言われたわけでもなく、自発的に始めました。後から続く人が自分と同じ辛い思いをするのはすごい嫌だったんです」

「もしかしたらそれは自分の子どもかもしれないし・・・・・・。だから “伝えること” が今自分にできることだって思いました」

伝え方は工夫している。

「人に説明できないとダメだと思って。友だちにしても、急にセクシュアリティの話をされても訳わからんじゃないですか」

「親に話す時にも、言語化できなかったら伝わらないし」

戸籍変更の条件、治療の経過、カウンセリングの内容、ホルモン注射による体の変化、手術を受けたタイへの渡航手続きや手術までの流れ、改名手続きなどを克明に記している。

07企業セミナーに登壇して

性別という概念をぶっ壊す

大学では社会福祉を専攻した。

大学3、4年で就活の時期を迎えると、自分の人生の最大のポイントであるLGBTを仕事にできないかと考え始めるようになる。

LGBTセミナーなどで、FTMというセクシュアリティ以外にも様々な当事者がいること、多種多様な悩みがあることを知ったことがきっかけだ。

「マイノリティといっても、本当に様々。この人たちに何ができるかな、助けたい、支えたいという気持ちが強くなって、いろいろな活動を始めました」

数々の企業向けセミナーや研修などに、当事者として登壇してスピーチをしている。

「セミナーでの僕の目標は、性別という概念をぶっ壊すこと」

「でも話の中で当事者目線で話しすぎて、マジョリティ側に僕やLGBTの人たちの考えや要望を押し付けすぎないように心がけてます」

「企業としても、できることって限られてますよね。だから相手の立場に立って話してあげないと、皆さん結局腑に落ちないんです」

企業側は、当事者の意見を聞きたい場合もあれば、人事として採用する際の対応方法が聞きたい場合もある。

「目線がひとつだけだと話はできないんです。人事、LGBT当事者など目線を2、3個持って、いろいろな角度から話せるように心がけてます」

どんな質問でも受け付けます

1回のセミナーで全てを理解してもらうのは、なかなか難しい。中には答えに詰まるような質問もある。

「レズビアンやゲイの人は精神科に行かないの? とか、FTMゲイはなんで治療する必要があるの? とか。そんな質問はしょっちゅう」

「逆に『これからジェンダー問題は、どう変容していくと思いますか』なんて質問も。そんな学者みたいなこと聞かれても・・・・・・って、困ってしまう(笑)」

それでも、自分の言葉で語るようにしている。

「結局、日本の男女二元論ってのがあまりにも根強すぎるんです」

「性別って、もっと多様なものだね、と “性の多元論” に切り替わればいいと思うし、大事なのはみんなが自分らしく生きていけることなんじゃないですかね、って」

男らしさとか、女らしさって言葉がこの世から消えればいいと思うし、LGBTって言葉も消えればいいと思う。

「こんな答えで合ってますか?』なんて言って(笑)」

LGBTを入り口に多様性の理解を

セミナーでも自分のSNSでの発信でも、FTMであることを最初のフックとはしている。

しかしわかってほしいことは、それだけではない。

「生きづらさを感じている人って僕らだけじゃないんです。例えば更衣室の問題ってあるじゃないですか」

「確かに僕は女子更衣室を使いたくない。でも乳がんで片胸をオペしたけど人に悟られたくない人もいるし、事故でついた大きな傷を見られたくない人もいる」

「そういう見えない生きづらさを抱えている人って、LGBT以外にもいますよね」

LGBTは入り口にしかすぎない。それをきっかけに、どれだけの人を受け入れる企業にしていくのか。

多様性の尊重とは、そういうことだ。

08性別適合手術の前と後

あの頃は男になることが全てだった

高1で決めたゴールに到達してから約3年経った今、当時の自分を振り返ると視野が狭かったと思う。

「当時は “男” ってことにすごくこだわっていて。手術して男になることばかり考えてました」

普通に男性として過ごせれば、もうそれだけで良かった。

「“男らしさ” ばかりにこだわっていて、その頃は自分が自分に、一番偏見持っていたと思いますね」

「治療に対して一直線になりすぎて、他のことがなおざりになっちゃっていました」

「例えば将来の夢とか、やりたいことよりも、性別変更が一番で、その先が考えられていなかった。まあ今思えば、ちょっともったいなかったですよね」

自分が自分らしくあれば

今は、たまたま性別の二択を間違えただけだと感じている。

「セクシュアリティとかジェンダーとかどうでも良くなってきちゃって。男らしさとか女らしさとか、だんだんわかんなくなってきました」

性別がどうこうよりも、自分が自分らしくあればそれでいい。
お互いの自分らしさをお互いが受け入れられれば、それで十分ではないか。

セミナーでも、そう話している。

「もちろん『ゲイとか無理!』とか言う人もいるし、G I Dを全く理解できない人もいる。でもそれはそれでいいんですよ」

「理解できないのも、良くわかる。でもそれをわざわざ当事者に言って傷つけるのは違うかな。理解はできなくても尊重することはできるでしょ」

性別変更というゴールには達した。

視野も考え方も広くフラットになった最近では、こんな自分が後に続く人たちに伝えられることは何かを考えている。

「ホモって何? 気持ち悪い」とか言っている人に対して、別に同じ人間ですよ、ってどううまく伝えるか」

「自分のアウトプットの仕方ひとつで、偏見にも理解にもつながりますからね」

09ツイッターでアウトプット

“たっしー” の質問箱

今の発信ツールは、セミナーや交流イベント、SNSだ。

ツイッターで当事者たちと交流したり、オンラインの相談窓口「田代悠の質問箱」を開設している。

フォロワーや相談者からは “たっしー” と親しみを込めて呼ばれている。

当事者と会話する時もセミナーでのスピーチ同様、当事者の味方になりすぎないよう、中立的な発言を心がけている。

「例えば、セクシュアルマイノリティって一口に言っても、多様な性の考え方が存在しますよね」

「『LGBTって言葉に、L・G・B・Tの4つしかないのはおかしい!』なんて主張する人もいるけれど、僕はそこを問題視しても仕方ないと思うんです」

「最初はSNSで当事者と繋がれればいい、というだけの気持ちだったけれど、黒白のどちらかに寄りすぎると、もう一方に理解してもらえなくなるんですよね」

「だから、あんまり優しすぎるとかえって良くないかなと思っています」

間違えていないと思うこと、知っておいてほしいことを遠慮せず発信しているが、当事者からのネガティブなリツイートや批判もある。

「でもそれを読むとたいていは、ああ、一昔前の自分だなって思います」

「全部通ってきた道だな、あ、それ僕知っているわ。そう考えていた時が僕にもあったなーって(笑)」

アウトプットできる自分に

手術してから強くなった。

「昔はここまで発言しなかったですよ」

「18ぐらいまでは、友だちにウザがられるぐらいの超マイナス思考で、『FTMだから、どうせ男じゃないから』っていうのを言い訳にしてました」

「当時は、あまり自己主張するタイプじゃなくて、むしろみんなの意見を受容する側だったし、それが苦だと思ったことはありませんでした」

でも、相手の考え方を「ああそうですね、わかります』と言っているだけでは、何も変わらないと今ならば思う。

「世の中の考え方が変わるといいな、と考えるようになってからは、アウトプットできる自分に切り替えていったんです」

10これからの自分

トランスジェンダーを抜きにした自分で

大学3年頃に、LGBTを仕事にしていきたい、と考え始めたものの、就活自体は100%順調なことばかりではなかった。

公的書類と見た目の “ちぐはぐさ” で悩む場面もあった。

ホルモン治療も進み、大学でもアルバイト先でも男性として認識されていたが、就活時期までに戸籍変更が完了していなかったからだ。

現在は、人材サービス系のエージェント会社に勤めている。

入社後、役員にLGBT対象の人材派遣事業を提案したが、自分のやりたい仕事についてはまだ模索中である。

「LGBTを仕事にしたいという考えの大元は、当事者を助けたい、支えたいという気持ちです」

「それに対して、周りの人の多くは、そこにビジネスチャンスがあるよね、と言います」

「僕もいざ仕事にしていこうと考えると、福祉的な活動だけではダメで、要するにマネタイズできないと成り立たないとわかりました」

「でも、それがすごい嫌だったし、単純に僕の経験値も足りなくて」

「とりあえず当事者イベントをやってみたり、セミナーに当事者として登壇してみたりしているけど、今後、LGBTのことを仕事としていくのか、仕事とは切り離していくのか、まだ考え中ですね」

「トランスの人たちを助けることを、仕事にしていこうってずっと思ってましたけど、それも凝り固まった考えだったのかもしれないですね」

LGBTであるということを抜きにして、自分が何をしたいのかを今一番考えている。

「あまりにも他人のために、ということばかり考えて将来を決めようとしていたから、それをもう少し自分軸で考えようかな、と」

課題は尽きない。でも発信していく

これからの将来を考えた時、不安はほとんどないが、課題は多分たくさんある。

「今彼女がいるけど、例えば将来子どもをどうするとか、仮に結婚することになって相手の親にカミングアウトしたらどうなるのか、相手はその時どんな反応するんだろう、とか」

今後、それが一番重たい場面になってくるのかもしれない。

「結婚は今はあまり考えていないですね。仲良くしていられればそれでいいかな」

「なんせ公的書類にはあんまり信用を置いていないし(笑)。書類が全てではない!」

課題はひとつ解決したら、またひとつ生まれてくる。

戸籍にしても変えたらそれで終わりではなくて、戸籍を変えたが故の悩みがまた出てくる。

「埋没できちゃうから男性として生きていけるけど、例えば男同士の飲み会の会話にはついていけないですよ」

「下ネタや夜の営みとかの話が始まると、僕にはないからわからないけど、知ったかぶりをしなければならない」

「僕はあまりストレスには感じていないけど、感じる人はいるでしょうね」

治療が全てではなくて、そこから始まる悩みもあるよ、と当事者には伝えたい。

「ゴールで燃え尽きちゃう人もいる。僕も一度はもうトランスとかどうでもいいや、ってなったこともあったんだけど、やっぱり舞い戻ってきている」

「どうでも良くはなかった」

LGBTの人たち、家族、恋人、企業に向けて発信したいことは尽きない。
だからこれからも “たっしー” として、発信を続けていく。

あとがき
“男らしさ” へのこだわりを手放してから、たっしーが生まれたと感じた。「友だちにウザがられるぐらいの超マイナス思考」だった昔話を笑い飛ばす。今となっては、危険予測ができる強みだと伝えたい■社会や他者に対するおもいを率直に語るけど、そこにはいつも、悠さんの細やかな気遣いが織り込まれた。そして、エネルギーの使い道を知っているから強い。発信するほどに近づいてくる雑音も誰かの不機嫌も横に置いて、挑みたい課題に機嫌よく向かおう!(編集部)

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