INTERVIEW
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自分と付き合う時間が世界を拡げていく【前編】

抜け感のあるレトロなジャケットを着こなし、軽快な足どりで待ち合わせのカフェに現れたユウさん。黒髪と併せて妖艶さ漂う眼差しのモデル写真とはうらはらに、柔らかく、そしておっとりとした雰囲気を纏っていた。そして落ち着いた物腰。インタビュー中に過去を振り返るときには、問いに対して少し考え、じっくり言葉を選んで話す。そのことからも、厳しかった時代を経験してきたことは推測できるが、今のユウさんからは強い悲壮感というか、“無理してる感”は感じられない。その理由は、自身の心の中にあったのだ。

2015/11/30/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Masaki Sugiyama
イシヅカ ユウ / Yu Ishizuka

1991年、静岡県生まれ。服飾関係の専門学校を中退後、アルバイトをしながらモデル活動を始める。当初はフリーのモデルとして、個人的にオーディションを受けながらファッション誌などの仕事をしていたが、今年7月にプロダクションと提携。モデル業のほか芸術誌での執筆など、活動の場を拡げている。

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INDEX
01 何で私は男じゃなきゃいけないの?
02 自分の居場所がない学校生活
03 魂の叫びと、両親の愛情
04 取り戻せた自分の本来の姿
05 認められ、生まれてきた自信
==================(後編)========================
06 ネットはLGBTERの救いになるけれど
07 自分と付き合う時間を大切に
08 セクシュアリティより、目の前の「人」
09 頑固さと、それを受け止める寛容さ
10 セクシュアリティを表現の力に変えて

01何で私は男じゃなきゃいけないの?

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木登りとセーラームーンごっこ

物心ついたときから、自分が男性であるという意識がなかったというユウさん。とはいえ、住んでいたのが浜松市街から離れたのどかな地域。小学校低学年の頃までは、男の子も女の子も関係なく近くの川にウナギなどを捕まえに行くような環境だった。ユウさんも木登りが得意だったなど、一見すればごく普通の男の子と変わりはなかっただろう。

ただ、少しだけ違っていたこと。それは、他の男の子がこぞって「戦隊モノごっこ」をする輪には加わらず、代わりに女の子と「セーラームーンごっこ」をしていたことだった。

「そのこともあってか、男子から野球とかサッカーに誘われたことは一回もなかった。後から聞いた話では、どうも当時から同級生の男子は私を男だとみてなかったらしくて。そもそも運動自体、あまり好きではなかったんですよ。というのも体育の授業って、大抵男女に分かれるじゃないですか。体操服も青と赤って決まってる。「何で私が男の子の青を着なきゃいけないの」って、いつも思ってました」

学校の男子トイレに入るのもイヤ。必ず家で済ましてから登校し、もし学校で行きたくなっても出来るだけ我慢した。この頃は自分が女性であるという意識よりも、とにかく男子と見られることに抵抗感があったのだという。

とりあえず、普通の男の子ではない

ときに女の子と遊ぶことを男子にからかわれたりもしたけれど、周囲もユウさんのセクシュアリティをそれほど強く意識することはなく、「“そんな感じの子”なんだな」といった程度だった。ユウさん自身のセクシュアリティに対する自覚も、良くも悪くもハッキリしたものではなかった。それが高学年になると、俄然、女性としての自我が芽生えてくる。それまで親に与えられて着ていた服も、自分で選ぶようになった。

「女の子の友達と『しまむら』に行って、女性モノのウェッジソールのサンダルとか、さすがにスカートは無理だけど、中性的な服を選んでましたね。今見ると「思いっきり女性向けじゃん」と思いますけど(笑)」

周囲の男子の普段着は、大抵がジャージ。その中でユウさんは、女性モノの流行りのブーツカットのパンツを履き、Tシャツもフェミニンなものを着るようになっていた。後になって、一緒に買い物を楽しんだ女の子の友達が話してくれた。

「あの頃ね、とりあえず普通の男の子ではないな、どういう立ち位置なのかなって、疑問に思ったことはあるんだよ (笑)」

また、「将来メイクアップアーティストになる!」と言って、小学生向け化粧品を買い集めてもいた。そんな息子に対しても、お母さんは「男なんだからやめなさい」と言うことはなかったという。ただ、空手を習うなど男っぽい性格の妹と較べて、「何で逆なのかしら」と苦笑していたことを覚えている。

ユウさんは内在する欲求を、子供らしく素直に満たすことで、女性としての自分を自然に解放し始めていたのだが……。

02自分の居場所がない学校生活

ストレスで前髪を抜く

だがしかし、そのことは、これまで微妙なバランスを保っていたユウさんと“現実”との間で、徐々に軋みを増していくことにもなる。6年生のある時から、無意識に自分の前髪を抜くようになる。酷いときには、侍の月代のような状態になるほどだった。

「多分ストレスだと思うんですけど、原因はいろいろあったと思う。学校では、先生は私を男の子に順応させないとヤバいと思ってただろうし、親はすでにその時、私の性同一性障害に薄々は気づいてたはずだけど、できれば男の子として育てたいという気持ちもあっただろうし。そういう周囲の思いと私のセクシュアリティのズレじゃないかな。自分の中でも、自分が他の男の子とは明らかに違うと自覚して、これからどうやって生きて行こうかと悩んでいたと思います」

全てが男女で分けられる窮屈さ

中学校に進むと、そのストレスはますます大きくなっていく。制服の学ランを着なければならなかったこと。そして、男女の枠組みが、ますますハッキリしていくことが苦痛だった。

「学ランって男女の別もそうだけど、人間の自由を縛り付ける力の強い服っていう気がしませんか。それに中学生になると、身体が変化して性差も大きくなって、ほとんどの行動が男女を基準に分かれるようになる。部活で入った吹奏楽部にしても、重い楽器は男性がやるってイメージがあったし」

個人がどうしたいかではなく、男女という枠組みで全てが決めつけられる理不尽さ。中学校の校長は、恐らくは性同一障害というものを理解しておらず、ユウさんを無理やり普通の男子のように扱おうとする学校側の意図も感じられた。

「当然、イジメもありましたよ。ただでさえ、中学校ってイジメが本格化する時期なのに、私は人より攻撃されやすい要因を持ってるんだから (笑)。ただ、もちろん今思えばですけど、男子は私のキャラを面白がってくれてる部分もあった。それに男子のイジメは単純な暴力だけど、女子は無視するとか陰湿なんで、そっちのほうが嫌でしたね」

結局、ユウさんは2年生の5月から全く学校に行けなくなってしまう。もちろんイジメも苦痛だったが、そうした外的なことよりも、個人の自由が縛られる窮屈な場所に堪えられなかったという。

03魂の叫びと、両親の愛情

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13歳のカミングアウト

家に引きこもる毎日。たまに幼稚園から通う絵画教室に行って、無心に絵を描くときが、ほんの少しだけ心が安らげる時間だった。

そんなユウさんを心配するお母さんに対して、初めてユウさんは自身のセクシュアリティについて告白する。それは、理解してほしいというよりは、まさに13歳の感情の爆発だった。

「まだ中学生ですから、カミングアウトと言えるほど計画的なものじゃなかった。学ランを着たくないとか、女性として生きたいという思いの丈を、堰を切ったようにワーっと吐き出したって感じでしたね。母からは『気付いてたよ』って話をされたけど、話す以前から、母が図書館で借りて来た性同一性障害の本が家にあったのを目にしていたので、私も気付かれてるんだろうなとは思っていました」

その後、お父さんも交えて話し合ったが、やはり知っていたのだろう。動揺を見せることもなく、落ち着いて話に耳を傾けてくれた。

多くのLGBTERが悩む「親の理解」を、すぐに得られたのはユウさんにとって大きな救いとなった。いや、“理解”というよりも“親心”と言うべきか。ユウさんのご両親にとっては、かけがえのない我が子。戸惑っている場合ではない。いかに守り、育てるのかということのほうが先決だったのだ。そうとなれば、お母さんの行動は迅速だった。

母は性同一性障害の診断書を携えて

「すぐにどうしたらいいのか、いろんなところに相談してくれました。精神科でカウンセリングを受けさせられるのは、自分が病的な扱いをされているようで嫌だった。でも、幸いいい先生に出会えて、自分なりにどんな違和感なのかを伝えて、中学2年の終わり頃には、性同一性障害の診断書をもらえることになったんです」

母はその診断書を持って、性同一障害に詳しい医師と中学校に行って、一緒に説明するなど、積極的に学校側に働きかけた。そのかいあって、学ランを着ずに体操服で登校することが許可される。3年生になる際には、セクシュアリティの問題に理解のある先生がクラスを担任するなど、学校側の配慮を得られるようになり、修学旅行にも参加することができた。

「ただ、私だけ相部屋じゃなくて、保健室用の部屋に一人でしたけど(笑)。学校に行くようになっても、やっぱり他の人たちとは距離感がありました。しかも、髪の毛が抜けてて眼鏡だったのが、コンタクトにして髪の毛も長く伸ばして現れたから、整形疑惑もささやかれた (笑)。そんなことは特に気にならなかったんだけど、学校に行ってない焦りはあって、高校をどうするんだろうと。そのことを進路相談で話すと、それこそ腫れ物にさわるような感じだったと思うんですけど、女性として通える学校を探してくれることになったんです」

04取り戻せた自分の本来の姿

ウソをついてるわけじゃない

そして進学したのは、浜松市内にある、新設間もない昼間の定時制という実験的な高校だった。ここにはイジメなどが原因で不登校になったり、あるいは素行不良や成績が悪くて他の高校に行けないといった、何らかの問題を抱える生徒を多数受け入れていた。

この高校生活の3年間が、ユウさんにとって一つの転機となる。先生以外には戸籍上の性を知らせずに女子高生として通うことができたのだ。ごく自然に友達もできた。それまでとは全く違う、女の子にとって“あたりまえ”の学校生活。望んでいたものが、確実にそこにはあった。

「服装も私服で、自由にスカートもはける。それだけでも私にとっては精神的に随分楽になれたし、体育の授業では女性として堂々と女子更衣室を使えた。男性であることがバレたらいけないという、伏せてるがゆえの大変さもありましたけど、中学時代の悩みとは比較になりません」

ユウさんと同じ地域から通う人の中には、男子中学生だったことを知っている人もいたはずだが、わざわざ話して回るような人もいなかった。卒業後、20歳の時に友達全員にカムアウトしたとき、その時まで全然気づかなかったという同級生もいたくらいだ。

「多少の罪悪感はあったけど、別にウソをついているという気持ちでもなかったし、それ以上に本来の自分を取り戻せた喜びのほうが大きかった。ただ、これからもずっと女性として生きていけるかというと、そもそも身体が女性ではないし、おそらく無理だろうなとも思っていました」

ネイトとデスメタル

そのころ夢中になっていたのが、海外のテレビドラマ。中でも『ゴシップガール』にハマっていた。登場人物の一人、ネイト(チェイス・クロフォード)がアイドルだった。高校には自動車工場で働く南米出身者の子供も多く、休み時間になると、友達とキャーキャー盛り上がっていたという。もちろん、女子高生らしく、同級生に恋をすることも。

「高3くらいに好きな人がいて、その人はデスメタルが好きな人で、当時は私も一生懸命メタリカとか聴いてました(笑) 告白したんだけど…振られましたね、他に好きな人がいたみたいで。その人とは今も友達としてたまに会うんです。今は恋愛感情はないですけど (笑)。逆に、同級生から交際を申し込まれることもありましたよ」

また、この時期に60年代のファッションや音楽に興味を持ったり、着物に関心を持って着始めるなど、現在に繋がるパーソナリティが確立していく。

「すごくいい時間を過ごせました。高校卒業後しばらくして、同級生にカムアウトしたとき、『知らなかったけど、だから?』という人もいたし、自然に友達になるべくしてなったんだから、セクシュアリティなんて関係ないみたいな感じも嬉しかった」

充実した高校生活は、ユウさんの内側を確実に変化させていった。

05認められ、生まれてきた自信

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自分を助けてくれたファッションの道へ

卒業後の進路は、海外ドラマ好きが高じて、英語の勉強するために海外留学しようとかも考えたが、最終的に服飾の専門学校に行くことを決める。そこには、自身を救ってくれたものへの愛着があった。

「髪の毛を抜き始めたころ、最初はやむを得ず帽子で隠していたんだけど、だんだん帽子でオシャレするのが楽しくなったんです。それまでは見た目に全然自信が持てなかったのに、オシャレして可愛くなろうというポジティブな気持ちが湧いてきたし、スカートを履けるようになったら、それによって自分の心までも開放することができた。辛かった時期を洋服に助けられたという気持ちもあったので、服を作る道に進めたらいいなと」

結局、専門学校は学費の問題もあって中退することになるが、ファッションへの強い想いは、形を変えて実を結ぶことになる。学校に通っていた当時、友達が通う美容院からカットモデルとしてコンテストへの出場を頼まれたり、同じ学校にあった写真科で、その練習モデルを務めるなど、現在のモデルの仕事に至るきっかけを得たのだ。

また、他者からの女性としての評価が、ユウさんに自分のセクシュアリティに対する自信と、それを公にする勇気を与えた。

「モデルを頼まれたとき、女性として評価されたのだと、とっても嬉しかった。一方で、その頃から気持ちがだんだんと変化して、セクシュアリティをオープンにすることに徐々に抵抗感がなくなっていったようにも思います」

もはや弱者ではない

そう思い始めた頃、ユウさんは「LGBT成人式」というイベントに参加して、初めて自分以外のLGBTERと繋がりを持つ。そして、たまたまニュース番組『ZERO』のインタビューを受けることになったのだ。とはいえ、これまで男性であることを隠し続けてきたのに、いきなりテレビでカムアウト。高校の友人たちにもこの後に初めてカムアウトした。しかし、そこに抵抗はほとんどなかったという。

「すごくタイミングがよかったんですよね。時代的にも、例えば佐藤かよさんがカミングアウトするとか、世間に発信する人が増えてきていたし。弱者として守られる立場じゃなくて、そろそろ自分も発信していってもいいかな、発信することで、安心する人がいたらいいなと思ったんですよね。誰にも言わずに女性として生きていくのもいいかもしれない。けれど、自分のありのままを、逆に“武器”にして生きていく人生も面白いかなと。自分自身は女性と思っているんだから、人からどう思われているかをあまり気にしなくなりました。ただ、全国放送でみんな見るじゃないですか。それで友達にも言うしかないなと(笑)」

高校時代の同級生は中学時代に問題を抱えた人が多く、お互いのナーバスな状況を理解する包容力のようなものがあったので、特に問題はなさそうに感じた。でも、専門学校は高校時代のような共通点はない。

「ギャルギャルしい子も多かったし、理解してもらえるか、ちょっと心配だったけど、そういう子も普通に受け入れてくれました。想像した以上に、性同一性障害について知っている人が増えてきたんだなって感じました」

後編INDEX
06 ネットはLGBTERの救いになるけれど
07 自分と付き合う時間を大切に
08 セクシュアリティより、目の前の「人」
09 頑固さと、それを受け止める寛容さ
10 セクシュアリティを表現の力に変えて

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