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娘は失った。だけど、息子が1人増えたから、プラマイゼロ。【後編】

娘は失った。だけど、息子が1人増えたから、プラマイゼロ。【前編】はこちら

2018/02/27/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
鈴木 義則 / Yoshinori Suzuki

1959年、東京都生まれ。小学生の頃に群馬県に移り住み、大学進学のタイミングで上京。大学卒業後は自動車ディーラーに勤め、妻と出会い結婚。息子と娘を授かる。娘が18歳の頃、性同一性障害であることを打ち明けられ、娘の“麻未”は息子の“麻斗”になった。現在は保険会社に勤めながら、2人の息子を見守っている。

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INDEX
01 物事を深く考えずに過ごした独身時代
02 子どもの寝顔だけを見る日々
03 素直になれなかった娘との関係
04 気に留めなかった言葉と態度
==================(後編)========================
05 受け止めるべきだった娘の告白
06 認めることができた性同一性障害
07 男になっていく息子を思う瞬間
08 変わるきっかけをくれた家族

05受け止めるべきだった娘の告白

理解できなかった現実

娘が性同一性障害かもしれないと初めて聞いたのは、麻未が専門学校に進学する頃。

娘にカミングアウトされた妻から、「大事な話があるんだけど」と聞かされたのが最初だった。

「女房が急に改まるから、まさか離婚でもするのか!? って構えましたね(笑)」

「そうしたら、『・・・・・・実は麻未が、男の子みたいだよ』って」

一瞬、頭の中が真っ白になった。

「外見は女の子だけど中身は男の子って意味はわかったけど、そんなはずはない、って思いが大きかったです」

「家族にとっての一大事だと思ったし、ちゃんと対処しないと大変なことになるなって」

しかし、経験したことのない状況を前にして、どうしたらいいかわからなかった。

「性同一性障害に対する知識も全然ないから、何も思いつかなかったですね」

「女房とは『ちゃんと検査した方がいいよね』って話をした気がします」

希望が生み出した仮説

性同一性障害という言葉は、なんとなく知っていたが、娘は違う病気なのではないかと思った。

「性同一性障害ではなくて、精神障害的な何かなんじゃないか、って思いが強かったです」

「精神病だから、女の子なのに『男なんだ』なんて言うんじゃないかって・・・・・・。高校生って心がすごく動く時期だから、影響してしまったのかな、って感じていました」

何年もかかるかもしれないが、普通の女の子に戻るなら、病院で診てもらわなければならない。

娘はきっと病気だから、いつか治ると思った。

「安易に、いつか元に戻るんじゃないかな、って思っていましたね」

「だから、男になるなんて少しも思わなかったというか、思いたくなかったのかもしれないです」

家族の背中を押す役目

「麻未が男の子みたいだ」と聞いた時、妻は責任を感じているように見えた。

「『男だと言いだす子を生んでしまった』って、思っているような印象を受けました」

「その頃は麻も精神的に弱っていて、女房も疲弊していたから、うちの家族はどうなっちゃうのかな、って心配でした」

「解決法もわからないから、この先どうしていったらいいのか、途方に暮れましたね」

ただ、このまま自分まで深刻に考え、落ち込んでいては埒が明かないと思った。

妻に対しては、自分の気持ちは隠して、迷いや不安を見せないようにした。

「全然心配ないよ、男として生きていけばいいんだから」と、前向きな言葉を投げかけた。

「心の中ではモヤモヤしていたけど、どこかで方向を決めないと進めないから」

「とりあえずまっすぐ進もうって意味で、『死にはしないんだから、心配ない』って言っていましたね」

「麻未は生まれるべくして生まれてきたんだから、言う通りに生きていこう」と、言い続けた。

「親が2人して落ち込んでいたら、麻も困ると思ったんです」

「こっちが割り切って、子どもの背中から『頑張れ』って言ってあげないといけないし、父親ってそういう役目じゃないかなって」

06認めることができた性同一性障害

「娘じゃないんだから」

すぐに、きっぱりと割り切れたわけではない。

麻未の診断が進み、自分自身も性同一性障害について調べていく中で、徐々理解できるようになった。

「感情の面では簡単に割り切れないし、ずっとモヤモヤしていました」

「だけど、理屈の面では、女の子で生まれたけど男の子なんだって考えるしかない、って思えるようになっていきました」

「男の子として接していくのが正解なんだろうな、って自分を説得し始めましたね」

何度も「娘じゃないんだから・・・・・・」と、自分に言い聞かせた。

息子として接していけるよう、まず変えたのは声のかけ方。

「お兄ちゃんに話しかける時みたいに、『飯食ったか?』みたいな感じで変えていきました」

「まだ単身赴任は続いていたから、姿を見るごとに、息子なんだ、って意識しながら過ごしていましたね」

募っていく寂しさ

麻未が “麻斗” に改名したのは、息子として接し始めて少し経ってから。

「その頃には、名前を変えるのは賛成でした。息子なのに、麻未じゃおかしいですもんね」

「息子と思い始めてからは、話しやすかったですよ。やっぱり男同士だから」

「ただ、心の奥底では、どこか切り替えられていない自分もいました」

単身赴任先で1人になり、家族のことを思う時、もう娘ではないことに寂しさを感じた。

そのモヤモヤを発散するため、飲みの席で同僚に「娘がいたんだけど、息子になっちゃったよ」と話したこともある。

娘を持つ同僚は「うちだったらどうかな」と、自分に置き換えて考えてくれた。

「ただ、話してもすべては伝わらないし、相手に変な風に思われるのも嫌だから、誰彼かまわずってわけではなかったです」

「親しい人にだけ知ってもらいたいな、くらいの気持ちでしたね」

心配事の解消してくれた人

麻斗に対する心配事も、消えたわけではなかった。

「これから男として生きていくのは大変だろうし、思い詰めて自殺なんて考えてしまったら、辛いなって・・・・・・」

「そこまでいかなくても、就職はどうなるんだろう、って気になりましたね」

勤めているのは大きな組織だったが、当時はまだLGBTに関する規則などはできていなかった。

女性から男性になった人が、どういう人生を歩むのか、その前例も見つけられなかった。

「男として生きていくには、働いて食っていかなきゃいけないでしょ」

「そのためにはオープンにした方がいいのか、隠した方がいいのか、私も言わない方が息子のためなのか、考えましたね」

親の心配を解消したのは、息子本人だった。

「私よりずっと前から悩んできた麻(斗)は、実際には私たちなんかよりも、解決策をいろいろ持っていたんですよ」

「自分のことをオープンにして、むしろ武器にしていったから、心配する必要はなかったです」

何もできず、ただ困りながら、息子の周りをうろうろしていた。

そんな親を横目に、息子は自分で壁を打ち破っていく子に成長していた。

「私が思っていたよりもずっとたくましくて、驚かされました」

07男になっていく息子を思う瞬間

変化していく息子

麻斗がホルモン注射を打ち始めてからは、不思議な気持ちだった。

「当時も単身赴任だったから、会うたびに少しずつ男に近づいているっていうね」

「顔を合わせるたびに、ジャブを食らっているような感覚ですよ(笑)」

外見が変わっていくごとに、言葉遣いや態度はますます男っぽくなっていった。

「社会人になって『親父、飲みに行くか』とか言い出すから、完全に息子ですね」

「外見が変わり始めてから、『お兄ちゃんっぽくなったじゃん』とか言いながら、私も楽しんでいますよ。ただ、手術の話を聞いた時は、いよいよか、って思いましたね」

後戻りできない瞬間

「乳房切除術、性別適合手術をタイで受ける」と麻斗から聞いた時、もう引き返せない、と思った。

「もちろん、手術そのものに関しても、傷跡が残るんじゃないかとか心配はありました」

「でも、それ以上に、手術をしたら決定的だな、って実感したんです」

それでも、本人が自分で準備して、行くことを決めていたから、あとは送り出すだけだった。

「手術で踏ん切りがつくのであれば、親は『気をつけて行ってこいよ』って言うだけですよね」

手術を終えて帰ってきた麻斗は、心なしかすっきりしているように見えた。

話の端々から、「いよいよ男開始だ!」という気持ちが伝わってきた。

「本人が納得して満足しているから、手術して良かった、って思いますね」

息子として接すること

手術のため、日本を発つ麻斗に、一通のメールを送った。

「大丈夫だよ。心配するな。手術うまくいくよ。お前は、俺の自慢の息子だからな」と。

「麻はそのメールのことをずっと覚えていて、今でも『うれしかったよ』って言ってくれてね」

「私は、すっかり忘れてたんだけど(笑)」

この話をしてくれるたびに、思うことがある。

「息子として接してやることが、一番うれしいんだなって」

08変わるきっかけをくれた家族

いろんな人を受け入れられる社会

息子が性同一性障害だったことで、自分自身の世間の見方が変わった。

「いままでLGBTって、遠い世界の話だったんですよね」

「反対や否定はしないけど、どこか近づきがたく感じていた部分はあります」

「もし社内にいたら、正直言って、どう接していいのか分からないから、ひるんだり逃げたりしていたんじゃないかな・・・・・・」

「でも、家族が当事者だったから、受け入れられるようになりました」

今は、男性も女性も関係ない、と思っている。

人と接する時に、相手の本質を見ることの大切さも学んだ。

「LGBTだけでなく、障害を持つ人たちも、こっちが意識したらいけないって感じるんです」

「普通に接した方が、お互いに気持ちがラクだと思います」

勤めている会社にも、障害者の同僚がいる。

いままでは積極的に関わらなかったが、最近は自分から声をかけるようになった。

「世の中にはまだまだ偏見があって、受け入れられない人も大勢いるし、その気持ちもわかります」

「だけど、いろんな人がいることを、当然のこととして受け入れられる社会であってほしいと思いますね」

何も変わっていない息子

戸籍を男性に変え、社会に出た麻斗は、理学療法士として働くかたわら、NPO法人も立ち上げた。

2017年から2018年にかけての年末年始には、ヒッチハイクにも挑戦したという。

「随分たくましくなったと思います。麻はワイルドで、野性的なんですよね」

「やりたい放題だけど、このままもっと思いっきりやっていってほしいです」

奔放で活動的なところは、娘だった頃から変わっていない。

「体は変わったけど、本人は何も変わっていないのかもしれないですね。男になって自信が持てたから、余計にアクティブなのかな(笑)」

「今は、たまに2人で飲みに行くのが楽しみなんですよ」

酒を飲む姿に、娘だった気配はかけらもない。

娘を失った。

しかし、息子がもう1人増えた。

「嫁に行くことはなくなったんだなぁ・・・・・・って、寂しいけど、ちょっとホッとした気持ちもあります」

「未来の旦那さんに取られることがなくなったから(笑)」

「もともと、子どもたちは元気でやってくれればいい、って気持ちが根っこにあるんです」

「自分の足で生きていってくれればいいかな」

あとがき
LGBTER初の[お父さんインタビュー]。当日の装いをアレンジしてくれたのは、娘生まれの息子さん。挨拶と同時に、少し恥ずかしそうに私たちに伝えてくれた■穏やかで、骨太な義則さん。寂しくおもった場面も、笑顔で話しを続ける。心配事を考え尽くしたはずの未来より、実際には安心できる毎日もあったと知った■過去はずっと居すわるけれど、人はみんな[今にしか生きていないんだ・・・・・・ならば]とおもう。今日の心持ちも明日も、今の自分が作れるのかな。(編集部)

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