INTERVIEW
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娘は失った。だけど、息子が1人増えたから、プラマイゼロ。【前編】

“物を多く語らず、穏やかに家族を見守る父親” という印象の鈴木義則さん。朝から晩まで働きづめで、子どもと顔を合わせる時間もなかった生活の先にあったのは、「自分は男の子みたいなんだ」という娘からの告白。その言葉をうまく受け止められなかった義則さんが、前に進もうと思ったきっかけは、思い悩む家族が目の前にいたから。父親が抱いた本当の気持ちを、ゆっくりと語ってくれた。

2018/02/25/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
鈴木 義則 / Yoshinori Suzuki

1959年、東京都生まれ。小学生の頃に群馬県に移り住み、大学進学のタイミングで上京。大学卒業後は自動車ディーラーに勤め、妻と出会い結婚。息子と娘を授かる。娘が18歳の頃、性同一性障害であることを打ち明けられ、娘の“麻未”は息子の“麻斗”になった。現在は保険会社に勤めながら、2人の息子を見守っている。

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INDEX
01 物事を深く考えずに過ごした独身時代
02 子どもの寝顔だけを見る日々
03 素直になれなかった娘との関係
04 気に留めなかった言葉と態度
==================(後編)========================
05 受け止めるべきだった娘の告白
06 認めることができた性同一性障害
07 男になっていく息子を思う瞬間
08 変わるきっかけをくれた家族

01物事を深く考えずに過ごした独身時代

気ままに遊び歩いた大学生

小学生の頃、親の仕事の関係で群馬に引っ越し、高校卒業まで過ごした。

大学に進むタイミングで、上京。

「何かを目指していたというよりは、単純に家を出て一人暮らしがしたかったんですよ」

2階建ての家に下宿していたが、友だちの家を泊まり歩いていたため、ほとんど帰っていなかった。

「フォークソングのサークルに入っていて、その仲間とよく遊んでいました」

「うちは1階に大家さんが住んでいて騒げなかったから、友だちが来なかったんですよ」

家にいない時間が長くなると、大家から「全然家にいなくて、責任が持てないから」と、部屋を追い出されてしまった。

「しっかり管理してくれる大家さんだったから、『あなたみたいな子は初めて』って言われました(苦笑)」

そんなハプニングもあったが、サークルとアルバイトに忙しい大学生活は、ただただ楽しかった。

仕事を通じた妻との出会い

大学を卒業して、最初に勤めたのは自動車ディーラー。

「車が大好きだったから、たくさん乗れるかも、って安易な考えで決めたんです」

「当時、男は車を持っていないと、女性に相手にされない時代でしたからね(笑)」

親からは「そんな理由で仕事を決めるな」と怒られたが、いざ働き始めると、営業成績は良かった。

ある日、得意先の男性から「うちに妹がいる」という話を持ちかけられた。

「その男性の家には何回も行っていたんですけど、女性の気配はかけらもなかったんです」

「だから、違う所に住んでいるんだなって思っていたら、『同居してる』って言われて」

紹介された女性が、将来の妻となる人だった。

女性は、3人の兄に囲まれて育った末っ子だったため、結婚は彼女の父親に反対されると覚悟していた。

「いざ挨拶をしに行ったら、何の障害もなくて、結婚を許してもらえました」

結婚式の会場やドレス選びも、気づいたら決まっているほど、とんとん拍子だった。

思慮深いしっかり者の妻

妻の印象は、出会った頃からほとんど変わっていない。

「しっかりしている女性で、ちょっとうるさいみたいな(苦笑)」

「結婚したら絶対に尻に敷かれるだろうけど、まぁいいか、って思っていましたね」

「実際に、結婚してからはずっと敷かれてます(笑)」

自分は、あまり物事を深く考えないタイプだ。

だから、思慮深い妻とは、バランスがいいと思っている。

02子どもの寝顔だけを見る日々

家族と全国を転々とする生活

自動車ディーラーで働き、4年が経つ頃、保険会社に勤める知り合いから「うちに来ないか」と誘われた。

「最初は『保険なんて売れません』って断っていたんですけど、何度か誘われるうちに『やってみようかな』って」

保険会社は転勤が多く、2~3年で勤務地が変わった。

転職と結婚のタイミングが近く、妻や数年後に生まれる子どもと、各地を転々とする生活が始まった。

「全国各地、北海道から九州まで行きました」

「長男も、第二子の娘・麻(麻未)も、幼稚園にも通っていない頃から引っ越しを経験していました」

「麻がまだ小さかったから、荷解きの間はダンボール箱の中にいさせて、お兄ちゃんに見張らせたりしていましたね」

新しい職場でも懸命に

仕事は変わったが、営業職であることは変わらなかったため、業務内容で戸惑うことはなかった。

「やりがいがありましたよ。徹底的に営業に行って、朝から晩までよく働きました」

「あの頃は体力があったので苦労とは思わなかったけれど、今じゃ考えられないですよね(苦笑)」

配属された先は、将来の幹部候補生を集めた部署。

いずれ業務を教える側に立つため、2年半の研修期間で営業内容を叩きこまれた。

「みんな頑張って学んでいましたよ」

家族を養う身として、懸命に働き続けた。

その分、子どもと顔を合わせる時間は、ほとんどなかった。

「休みもあってないような感じだったから、子どもの寝顔だけを見る生活でしたね」

休日の貴重な思い出

たまの休みは、子どもと一緒に過ごした。

「麻が小さい頃は、抱っこすると、わんわん泣いたんですよ」

「知らない人に抱っこされているような感覚だったのかな(苦笑)」

「待ちに待った女の子が生まれて、かわいくてしょうがなかったんですけどね」

ある程度大きくなってからは、車で出かけることも多くなった。

長野県に住んでいた頃、冬場は近所のゲレンデに遊びに行った。

「お兄ちゃんも麻も幼稚園児ぐらいで、最初はスキーを嫌がったんだけど、2~3回連れていったら滑り方を覚えたんですよ」

「大人はスピードを出すのが怖いから、ゆっくり滑るけど、子どもって恐怖心がないから常に直滑降なんです(笑)」

「放っておくと、2人でリフトに乗って、上から滑ってくるんですよ」

「遠くからちっちゃい2人が、まっすぐ滑って降りてくるのが面白くて」

「昔から麻は、運動神経がよかったですね」

03素直になれなかった娘との関係

娘に抱いた父性

1人目が息子だったから、2人目は娘がいいという気持ちは、漠然と抱いていた。

2人目が娘だとわかった時、思い描いた通りの家族構成になった、とうれしかった。

「麻の名前は、妻のお腹の中にいる時に、なんとなくひらめいたんです」

「何かで見たわけではないんですけど、 “あさみ” がいいんじゃないかなって」

赤ん坊の麻未を見ながら、ふとよぎった思いがある。

将来、お嫁さんに行くのかな・・・・・・と。

「この子が嫁いだら寂しいな、って気持ちは麻が赤ちゃんの頃からずっとありました」

「息子に対する気持ちとは、全然違いましたね」

まだ携帯電話が普及する前、自宅に娘宛の電話がかかってくると、気になってしかたなかった。

電話している娘のそばで、こっそり聞き耳を立てた。

「彼氏なんじゃないかな、って疑ってましたね(笑)」

「『誰から?』とか聞くと『うるさい』って言われるから、何も言えなかったですけどね(笑)」

麻未が出かける時は、「○○ちゃんと一緒?」と、遠回しに聞いたりもした。

活発に遊び回る女の子

明るい女の子に育ってほしかった。

その気持ちがあったからか、「女の子らしくしなさい」と言ったことは、ほとんどなかった

「麻は、活発な子でしたね」

「歩き始めて、自我が芽生えると、どんどん動き回るようになっていって」

「スカートを嫌がったりして、変だな、とは思いましたね」

女子向けのおもちゃを買っても、麻未はあまり使わず、兄の戦隊もののおもちゃなどで遊んでいた。

「すぐ上にお兄ちゃんがいるから、そんなもんなのかな、って当時は考えていました」

「今思えば、麻は男の子だったから、不思議なことじゃないんですけどね」

気づくと離れていた距離

麻未が中学生になった頃、距離を感じるようになった。

「この頃になると、あまり話さなくなりましたね」

「こっちから話しかけないと、向こうから声をかけてくることはなかったです」

寂しさはあったが、一時的なものだと思った。

「女の子の思春期はこういうものなのかな、って思っていました」

「今にして思えば、きっと本人も、性に関することとか学校生活とか、複雑な気持ちを抱えていたんでしょうけどね」

「だから、話せなかったのかな」

04気に留めなかった言葉と態度

本気にしなかった一言

麻未がまだ幼稚園に入る前、兄と3人でお風呂に入っていた時のこと。

麻未が「兄ちゃんにはおちんちんあるのに、なんで私にはないの?」と言った。

その場は「洗ったら流れちゃったんじゃないかな」と、作り話で応えた。

「女の子なら気にしないんじゃないかな、変だな、って思った記憶があります」

「でも、子どもの言葉だから、そこまで気にしなかったです」

七五三の時にも、麻未は振袖を嫌がり、駄々をこねた。

「ひっくり返って『こんなのヤダ!』って言ってて、びっくりしましたよ」

「一般的に、女の子はキレイな着物を喜ぶと思っていたから」

「女房と一緒に『借りた着物だから、汚したら大変なんだ』ってなだめながら、なんとか写真を撮りました(笑)」

疑いもしなかった娘の性別

普段の座り方一つとっても、男子に近かった。

「お兄ちゃんと並んでると、同じ座り方をしているんですよ」

「イスに座って足を開いていた時は、さすがに『ダメだよ』って言いましたね」

「でも、麻は言うことを聞かなかったです(笑)」

娘に対して違和感はあったものの、男子かもしれない、とは少しも考えたことがなかった。

「娘としか思っていないから、性同一性障害なんて全然意識しなかったです」

「ただ、今振り返ると、男の子として見たら自然なことばかりだったなって」

「男の子だったら、お兄ちゃんと同じ体じゃなきゃ変だと思うし、女の子の着物を着せられたら嫌ですよね」

気づけなかった変化

麻未が小学6年生の時、妻と子どもは千葉に定住し、自分だけ単身赴任で家を空けることになった。

「勤務地にもよるけど、月に2回、少ない時は2カ月に1回しか帰れませんでした」

「中学に入ってから麻はバレーボールを始めたから、私が帰る日も練習や試合でいないことが多かったです」

「だから、当時はほとんど接触してないんですよ」

たまに会えた時は、「学校どうだ?」と話しかけた。

「数カ月に一度しか顔を見られないから、思春期の娘の外見の変化は感じたけど、内面的な変化はあまり記憶にないんですよね」

幼い頃からずっと、娘と一緒の時間をあまり過ごせないでいた。

それでも、娘は明るく元気に、何の悩みもなく育っていると思っていた。

 

<<<後編 2018/02/27/Tue>>>
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05 受け止めるべきだった娘の告白
06 認めることができた性同一性障害
07 男になっていく息子を思う瞬間
08 変わるきっかけをくれた家族

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