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自分で自分を受け入れてあげよう。そこから新しい世界が広がる。【後編】

自分で自分を受け入れてあげよう。そこから新しい世界が広がる。【前編】はこちら

2017/11/11/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mana Kono
中津 圭博 / Yoshihiro Nakatsu

1985年、香川県生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科を卒業後、大手証券会社に就職。2年間の勤務を経て、ベンチャーのさわかみ投信株式会社に転職する。仕事の傍ら、LGBTユースのためのNPO団体「ピアフレンズ」のスタッフとして、イベントやセミナー開催にも携わる。

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INDEX
01 自分はみんなと何かが違う
02 「女っぽい」と言われ続けて
03 同性を好きになるのは変なんだ
04 感情がついに爆発
05 カミングアウトがきっかけに
==================(後編)========================
06 どうせ叶わない恋だから
07 ゲイを偽らず、人生を楽しみたい
08 母との確執、そして和解
09 LGBTが認知されるために
10 人との関わりが何より大切

06どうせ叶わない恋だから

恋心を封印

「地元を出たい」という強い思いから、上智大学に入学。

高校卒業後、晴れて東京での新生活がはじまった。

「とはいえ、男性を好きになってもうまくいかないって高校時代に痛感したので、同性への恋愛感情は封印しようって思っていました」

「私の通っていたロシア語学科は、『地獄のロシア』と言われるぐらい、授業がすごくハードだったんです」

「少なくとも私にはハードでした(苦笑)」

日本ロシア学生会議というサークルに入り、生活費を稼ぐためにアルバイトにも明け暮れていた。

そのため大学生活はかなり忙しく、充実していたと思う。

「ただ、サークルでも色々な人と交流する機会があったので、『同性への恋愛を封印する!』と言いながらも、かっこいいなと思う人はチラホラいたんですけどね(笑)」

仲のいい友だちには、セクシュアリティをカミングアウトして恋愛相談することもあった。

「でも、どうせ叶わない恋だってわかってたので、高校生の頃とは違って、好きな人には告白しませんでした」

偽りの人生

充実した日々を送りつつも、自分の本心は相変わらずひた隠しにする。

本音を隠していないと、生きづらくなると思ったからだ。

「大学生活を振り返ると、メンタル的にはプラマイゼロだったかなと思います」

とにかくいろんな活動に精力的に取り組んで、どうにかプライドを保っているような状態。

本当の自分とは違う、別の誰かの人生を歩んでいるような感覚だった。

「心のフタを開けることは、今後もずっとないだろうなと思いながら日々生活してたんです」

同時に、どうにかして女性と向き合わなければいけないとも強く感じていた。

自分は同性愛者だとはっきり自覚していたが、普通の社会生活を送っていくためには、いつか女性と結婚しなくてはいけないだろう。

「当時は彼女もいたんです。だから、どうやったら偽装結婚みたいなことができるだろうってずっと考えてました(苦笑)」

07ゲイを偽らず、人生を楽しみたい

祖父の死

大学4年の就職活動中に、祖父が亡くなった。

「希望の会社に入社できず、就活留年をしたんです」

留年自体はさほど気にしていなかったが、幼い頃面倒を見てくれた祖父が亡くなったショックはとても大きかった。

「まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもなかったし、恩返しも全然できませんでした」

「人っていつ死ぬかわからないんだから、人生を楽しめるようになりたいって、その時はじめて思ったんです」

このまま自分を抑圧しながら生きていくのは、もう嫌だ。

祖父の死が、意外な形で心の殻を打ち破るきっかけになった。

「それからは、ネットで積極的にLGBTの情報収集をして、当事者とも交流するようになっていきました」

なんだか怖くて行けなかった新宿二丁目にも、知り合いに連れられてようやく足を運んだ。

結果、今では同じセクシュアリティの親友もできた。

「その親友と、『僕らの世界でも、体の関係だけではない、本当の意味での親友を作っていかないといけないよね』と話して、友だちの輪を広げるような活動をしていたんです」

そんな時にたまたま知り合ったのが、現在所属しているNPO法人ピアフレンズの当時の代表、石川だった。

「石川に『せっかくならうちで一緒に活動しないか?』と言われて、ピアフレンズにスタッフとして関わるようになったんです」

LGBTフレンドリー企業の実情

新卒で就職したのは、大手の証券会社だった。

しかし、せっかく大企業に入社したものの、2年ほどで退職の道を歩む。

「社内でカミングアウトしていたわけではないんですが、業務でLGBTのサポートチームを手伝っていたんです」

「だから、一部の人には僕がゲイだって知られていました」

会社を辞めるきっかけになったのは、社内でのLGBTに対する不理解だった。

LGBTフレンドリーを目指していながら、大人数が集まる会議の場で、直属の上司がLGBT当事者に対して差別的な発言をしたのだ。

「もちろん、社員全員が差別意識を持っていたっていうわけではありません」

当時の自分には会社の体質が合わず、転職を決意したのだった。

そして、ベンチャーの投信会社で働きはじめる。

「とはいえ、転職先でも最初はカミングアウトしてなかったんです」

「当時はまだ今みたいにLGBTが社会に認知されていなかったし、どうせ言っても意味がないだろうと思ってたんですよね」

だが、入社して数年経ち、初めての出張先で上司とふたりで盃を交わしていたある夜のこと。

「その上司が高校時代の顧問みたいな人で、あれこれ質問してくるんですよ(苦笑)」

「それで、もともと信頼していた上司だったし、色々話してるうちに『もういいや』って気になってきたんですよね」

その場の勢いもあって、自身のセクシュアリティや過去のことをカミングアウトしてしまった。

上司は意外にも、「知り合いに同じような当事者もいるし、自分は気にしない。きっと社長も気にしないはずだ」と、ケロッとした様子。

「それで、その翌週には社長や役員の人たちにもカミングアウトしたんです」

「今では、社内のほとんどの人間が私のセクシュアリティを知っていると思います」

08母との確執、そして和解

母へのカミングアウト

社会人として働きはじめた夏。

地元香川で、現在も所属しているNPO法人ピアフレンズの出張イベントが開催されることになった。

「費用を抑えようとイベント後に実家に泊まって、翌日母に空港まで車で送ってもらっていたんです」

その時、母に「仕事が忙しいはずなのに、どうしてこんな時期に帰ってきたの?」と聞かれたのだ。

もちろん、NPOのイベントがあったとは、母に伝えていなかった。

でも、東京で自分の居場所もしっかり確立できていたし、もうカミングアウトしてもいい頃合いかもしれない・・・・・・。

「それで、NPOや今回のイベントのこと、自分のセクシュアリティについても話したんです」

「でも、空港に着く直前にそれを切り出したから、母はもう大激怒ですよ(苦笑)」

息子のカミングアウトを受け入れられないというより、大切な話を帰り際のタイミングで雑に済まされたことが一番許せなかったのだと思う。

それに、母としては、女手ひとつで育ててきた息子がようやく就職してホッとしていた矢先でのカミングアウト。

寝耳に水で、すぐには受け入れられなくても仕方なかっただろう。

雪解けは突然に

カミングアウトから2、3年の間は、母親に電話をかけても互いに意見を主張しあうばかりで、険悪な関係だった。

「まわりから『姉弟みたいな親子だね』って言われるくらい仲が良かったのに、それからは電話の度にケンカするようになってしまいました」

しかし、和解のきっかけはふとした瞬間に訪れる。

「新しい恋人ができて、彼と同棲するようになったんです。それである時母を家に呼んで相方を紹介したら、彼を気に入ってくれたみたいで」

自分とは性格が真反対のパートナー。

「母も私と性格が似ていたから、相方を快く思ってくれたんでしょうね。そこからは関係性が少しずつ良くなっていきました」

「あと、母は私が東京に出たことで、周囲に感化されて同性愛になったんだとずっと勘違いしていたようなんです」

あの時上京させなければ息子は変わらなかったかもしれない・・・・・・。

きっと、母はずっとそう自分を責めていたのだろう。

「どうにかして元(のセクシュアリティ)に戻れないの?」とも、何度も聞かれていた。

「でも、ある時『香川にいた頃から男の子が好きだったんだよ』って言ったら、やっと納得がいったようでした」

カミングアウト後、母は母で、LGBTについてコツコツ調べてくれていたようだ。

しかし、香川という保守的な場所では、周囲に当事者も少なく、情報交換だって難しい。

「そのことが、母がなかなか受け入れられなかったひとつの要因になっていたと思います」

それに、母はネットもあまり得意じゃなかったから、正しい知識を得るのも苦労したはずだ。

「でも、今では一定の理解があって、相方と母と、3人で海外旅行をしたこともあるんですよ」

09 LGBTが認知されるために

カミングアウトの意外なメリット

「今でも、僕は負けん気の強い方だと思います」

10代の頃、感情を抑圧していた反動でとにかく突き進む癖がついたことは、ここにきて大きな糧になっている。

「だけど、今はもう抑圧しているものはまったくないです」

セクシュアリティを公にして生きていく人もいれば、仕事など諸々の都合上隠しながら生きていく人もいるだろう。

人によって、その選択はさまざまだ。

「ただ、私の場合は、カミングアウトを少しずつ職場にも広げていった結果、仕事に集中できるようにもなりました」

「仕事中に、セクシュアリティに関する些細なことで気を煩わせなくてすむようになったんです」

多様なセクシュアリティにふれる

現在では、NPOで企業の人事向けセミナーなども開催しながら、LGBTの認知度向上に努めている。

「ストレートの人々にとって、当事者に会ってもらうことはとっても重要だと思うんです」

知識だけ蓄えたところで、机上の空論で終わってしまうケースだって少なくないだろう。

「たとえば、ストレートの人に『前にも当事者に会ったことがあるよ』と言われるだけでも、当事者はホッとするものなんですよ」

「差別するつもりはまったくないですが、テレビに出ている女装家と実際の社会にいるLGBT当事者は別物だし、間違った知識を持っていると、間違った行動をとってしまう可能性だってあります」

だからこそ、今後も当事者とアライの接点を増やしていくような活動をしていきたい。

10人との関わりが何より大切

世界はもっと広くて生きやすい

過去の自分のように、感情を抑圧しながら生活している当事者には、できればなんでも話せるような友だちを作ってほしい。

「ネットだと、情報が多すぎて振りまわされてしまうことだってあるでしょう」

直接人とふれあわない限り、自分自身を肯定するのは困難だろう。

たったひとりでアイデンティティを確立するのは、とても難しい。

「だからやはり、当事者もなるべく生身の人間に会う機会を大切にしてほしいんです」

苦しみを感じるのは、限られた狭い世界で生きているから。

もっともっと優しくて、生きやすい世界だって存在している。

それを知ってほしい。

「自分の目に見える狭い世界だけではなくて、いろんな人にふれて、いろんなものを知って、自分にとって一番いい選択肢を選んでほしいです」

「一歩踏み出す勇気さえ持てば、あとは意外とどうにかなるものですから」

自分の問題から目を逸らさないで

人間関係に困難な問題を抱えていると、ついつい外部に原因を求めてしまいがちだ。

「本当は自分の中にも原因があるのに、そこから目をそらしている人も多いと思うんです」

10代の自分も、そうやって自分の中にある問題を直視せずに逃げていた。

だが、安易に他人のせいにしてしまうと、後々自分の首をしめるような結果にもつながる。

まずは自分自身が変わらなければ、相互の関係は変わらない。

そして、いざ変わろうと思って行動すれば、自分だけでなく周囲の人間関係にも良い変化が訪れる。

「自分の内面と向き合ったおかげで、今では、以前自分の嫌いだったところも好きになれました」

こうやって自分を受け入れられたのも、多くの出会いがあったおかげだ。

たくさんの出会いに助けられてきたから、これからは自分が誰かを助ける側にまわりたい。

あとがき
「・・・自分が見えている世界は意外と狭い」。“偽りの人生” や “家族との雪解け” をへてたどり着いた圭博さんの言葉。でも、いっときは「異性と、どうにか結婚できる道をと思いました」と苦笑いした■期待を込めた相手との結末より、自分に誠実であろうとする圭博さんの姿が見えた取材だった■誰かのため、のメッセージをあえて除いたとき【私を生きる】が始まるのかもしれない。自分に向けた契を、明日から習おう!(と、まずは決めよう)。(編集部)

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