INTERVIEW
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「もっと幸せになっていいんだよ」。パートナーの言葉が、私を変えた【前編】

気がついたら、自分のことは後回し。離婚した母のために、経済的に早く自立したくて、学業も仕事も人一倍がんばってきた。女性として生まれたけれど、家庭では精神的な父親や長男の役割を引き受けてきた。そして大切なパートナーと巡り会い、自らの幸せを肯定的に受容することを知る。LGBTという言葉にとらわれず、今、ここから幸せになろうよ。そんな気持ちで活動している。

2016/12/23/Fri
Photo : Taku Katayama  Text : Rei Suzuki
手塚 弥生 / Yayoi tezuka

1988年、東京都生まれ。レインボークルー代表、LGBTsコミュニケーター。男性と交際したことも数回あったが、24歳の終わり頃「女性も好きになれるかもしれない」と感じて出向いた新宿二丁目で多くのセクシュアルマイノリティに出会い、「人を愛するのに性別は関係ない」と気づき、自らのセクシュアリティをパンセクシャルだと自覚する。日本大学文理学部を卒業後、大手美容系会社へ就職し、財務、新規事業、広告営業など幅広く経験を積んだ。2015年に退職、レインボークルーを開業。LGBTに関する情報発信やコンサルティング、LGBT・ダイバーシティ教育・研修を手がけている。

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INDEX
01 めぐさんと出会って私は変わった
02 自分のなかで、ふたりの弥生が相克する
03 一番好きなのは、お母さん
04 運命の人は、女の子かもしれない
05 楽しくて絶望する二丁目の夜
==================(後編)========================
06 元カノが促した転職活動
07 めぐさんが教えてくれた、幸せの心構え
08 LGBTからマイノリティへ
09 世界の多様性に、いかに気づいていけるのか
10 こだわりを捨てることで、自分らしく生きる

01めぐさんと出会って私は変わった

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今、幸せを自認できる日々

今年の5月から、付き合い始めた女性がいる。

出会いは、「横浜ダイバーシティパレード」のキックオフイベントだった。

「彼女が司会を務めるトークショーに、ゲストスピーカーとして出演したんです」

新卒で入社した大手美容系会社を27歳で退職した昨年末、LGBTsコミュニケーターとして起業した。フェスタの協賛企業を集める営業活動を担当した縁で、急遽トークショーに出ることになったのだ。

「初対面でしたが、この人とつき合うかもって直感がありました。タイプだとか、そういう次元ではなく、ピンと来たものがあって・・・・・・」

その人は、漫画家の安佐田めぐ美さん。9歳年上で、めぐさん、と呼んでいる。来年、結婚式を挙げるため、準婚姻契約と任意後見契約の公正証書(契約書)を交わす準備も始めている。

「彼女と出会って、幸せになりました。ずっと一緒にいられる人って、こういう人なんだろうなって。めぐさんに『今、ものすごく幸せだよ。』と伝えると、『きみはこれから、もっと幸せになれるよ』って言ってくれるんです」

めぐさんと出会い、日々深まる幸せ、肯定感。

しかし、自分が「幸せだ」と感じることを自分に許せるようになったのは、ここ最近のこと。

それまではずっと、自分のことはつい「後回し」にして生きてきた。

「この1年に、なんか10年分くらいの変化が詰まっていたなって思います」

今は、驚くべき速度で自分が、脱皮をしているようにさえ感じている。

お買い物もおしゃれも苦手だった

「私、お買い物が苦手だったんです。自分に何かしてあげるくらいなら、彼女とか、かつてだったら母に何かしてあげないとって思っていて」

「そういう生活を続けていたら、自分の欲しいものがわからなくなっちゃって。100円ショップですらもモノを買えなくなったんですよ」

最近もハイヒールのかかとが壊れ、一瞬、躊躇した。

「靴屋さんに直しにいったけど、前はそれもできなかった。靴を壊したのは自分だから、歩きにくくても仕方がないって、考えてしまうんです」

些細なことかもしれない。でも自分は何が欲しくて、何が必要か、わからなくなる。

というよりも、それを考える習慣が、そもそもなかった。何かと我慢してしまう。

だからヘアスタイルもファッションも人任せだった。元カノが好むスタイルで、今とはずいぶん違うヘアスタイルとファッション。

「彼女の好みなら、ま、いいか」と妥協したスタイル。

「その一方で私、男性性がとても強いんです。私が守ってあげなきゃ、養ってあげなきゃって。そのときの元カノにも『私が養ってあげる』って、よく言ってました」

でもそれは、自分で決めた “自分ルール” に過ぎなかったのだと、今になってよくわかる。

あの頃の自分は、自分で自分を縛っていたのだ。

02自分のなかで、ふたりの弥生が相克する

リトル弥生とオトナ弥生

「最近、”リトル弥生” って言葉を使い始めたんです。自分を客観視するとき、自分のなかに “リトル弥生” と “オトナ弥生” がいる。オトナ弥生は『こうしないといけない』『ああしないといけない』と規制して、かつ、リトル弥生を守るために存在している」

「リトル弥生は、分別はあるけどもっと甘えたい、8歳くらいかなっていう気持ち。前の彼女のときは、”リトル弥生” を我慢させ過ぎていたんだなって思います」

自分を客観視するためのタームである、”リトル弥生” と “オトナ弥生”。

実は、ここ1か月ほどの間にひらめいたもの。めぐさんと出会ってから、語り合い、自問自答するなかで見いだしたものなのだ。

「自分を俯瞰で見たときに、一番傷ついているのはリトル弥生で、本当はこうしたいって思っている私を、もうひとりのオトナ弥生がコテンパンにいじめている構図が見えました」

「そのとき・・・・・・もしこれが私の2人の子どもだったらと想像したときに、耐えられない・・・・・・と思ったんです。私は母に『あなたはお姉ちゃんだから』って言われたことは1度もないんです」

1歳下の妹とは、双子のように育ててくれた母。

妹が「お姉ちゃん」と呼ばないよう言って聞かせてくれていた。

「そうでなくともしっかりしている私が、もっと “お姉ちゃん” になってしまうことを、母は心配していたんだと思うんです」

両親の離婚でしっかり者に成長

3歳のころから、祖母の影響でフラダンスを習っていた。歌う事が大好きで、中学高校は合唱部、大学でもバンドを結成してボーカルを担当。

大好きな歌で、伸びやかに自己表現をしてきたように見える一方、決して屈託なく生きてきたわけではない。

「小さい頃、自分のことが大嫌いだったんです。自信なかったし。細くて運動神経のいい妹はいつも運動会で1位なのに、私はビリ」

「妹にはコンプレックスが結構あって、だから自分は生徒会や勉強をがんばったんですね」

4歳か5歳のころ、不仲だった両親が離婚する。

その記憶は鮮烈だ。

「両親が離婚して、養育費や慰謝料、そして養育権のことで家庭裁判所にいくまでに発展したんです。わたしと妹も何度か同席しました。母に旦那さんがいないってことがどれだけ大変なことなのか、小さい私にもわかりました」

「自分にお父さんがいないってことよりも、母に旦那さんがいないってことが、かわいそうだと思ったんです。長女として『こうしてなくちゃ』と勝手に “マスト表” みたいなのを、自分のなかで作っていましたね」

小児ぜんそくのために身体が弱く、夢ばかり見ていた少女時代。

この頃、放映されたばかりのテレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』に夢中になった。

「泣き虫でドジで勉強もできない子が、セーラー戦士になって地球を、下手すると宇宙を守っちゃう。衝撃でした。そのとき『女の子って変身できるんだ』って思って、魅かれたんでしょうね」

やがてセーラームーンを好きなあまり、そのバックボーンであるギリシャ神話を学ぼうと、哲学科のある大学に進学することを決意する。

中学生のときだった。

03一番好きなのは、お母さん

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自立した、豊かな大人になりたい

哲学科に進みたい。その夢を叶えるために、高校、大学と私立に進学したが、学費のことが心の重荷になっていた。

「経営者だった父は、母を経済的に縛ってコントロールしていました。私と妹が、月に1回父と会うとお金が振り込まれる、みたいな」

「あるとき、冷蔵庫の前で学費の納入書を見てため息をつく母を見ました。私たちが生きているだけで、母をこんなに苦しめてるんだって思ったんですよ」

やり場のない怒りの感情がわいてきた。

その矛先は父にも向かったが、最終的には、自分自身に向く。

そして、経済的に自立することが、生きる目標になっていた。

「父にお願いして私たちの学費をもらう母の姿を見て『経済的に支配されたくない』ってすごく強く思いました。経済的に自立したかったし、自由でいたかったし、人を幸せにしたいという思いもすごく強くありました」

もっと自由に生きたかった

高校に入ってボーイフレンドができるまで、一番好きだったのはお母さん。

「あの頃は、母こそがやりたいことを一番ガマンしている人に見えたんです。そうやって、私たちを育ててくれている。だから母に好きなことをやらせてあげたい」

「私は娘だから旦那さんにはなれないけれど、私ができない部分をカバーしてあげるから、もっとお母さんを自由にしてあげたい。そのくらい、母のことが大好きでした」

ままならない状況にいたあの頃の母と、自分が重なって見えてくる。

「・・・・・・でもそれって、今思うと、その当時の私の中の”リトル弥生”に、今の私が言ってあげたい言葉と同じ気持ちなんですよね」

「だから私は、もっと自由に生きたかったんですよ、きっと」

「自由にしてあげたい」という言葉の裏にあったのは、逆に「自由に生きてはいけない」という自分への禁忌の強制だ。

その呪縛が解けたのは、つい最近になってのこと。

自分に対して「自由に生きてもいいんだよ」と、やっと言えるようになったのだ。

「だから本当に今は、自分にお金を使うことが、怖くなくなったんです」

必死のハワイ旅行へ

大学では、キャバクラでバイトをしながら、必死に勉強して単位を前倒しで取得、学年1位の成績をキープした。

大学2年のときには、勝間和代さんの著書に出会い、起業する、経営者になるという夢が形成されていく。

「大人になった、という自覚がめちゃくちゃあったのだと思います。当時はそれを美徳だと思っているから、その考えから逃れられなくて」

フラダンスが好きな祖母と母と、かつて夏休みによく家族で訪れていたハワイへ、今度は自分が連れて行った。

特待生として得た奨学金を使い、5名分の旅行の手配をした。

「必死でした。これでやっと少しは恩返しができたかなって気持ちがメインで、私自身心の底から楽しむことができなかったです。悲劇のヒロインというか、よくやった!って思うんですけど、『私を妊娠しちゃったばかりに母に苦労させた』とか、勝手に悲劇化していたんですね(笑)」

04運命の人は、女の子かもしれない

高校、大学の性自認はストレート

中学生のときは生徒会で活躍、小学生のノリのまま男子と付き合う、ませていない、マジメな生徒だった。好きな男子もいた。

「それでも今振り返ると、なついていた女の先輩がいて。合唱部の先輩で頭もよくて派手な人。一緒に遊びに行けるのがうれしくて、その人が私じゃない子と遊んだと聞いたときは、心がざわざわしました」

「今思えば好きだったんだと思います。でもそう気づいたのは12年後、25歳のときですよ」

高校では、派手な外見をした子たちがいるイケてるグループ入りを果たし、ボーイフレンドもできた。

「10代の私は、女の子同士の絡みはちょっと無理って思っていました。異性愛者じゃないんだって気づいたのは、大人になってからです」

できない男たちを見下していた

大学4年の時には、所属していたバンドサークルのリーダーである先輩の男性と交際を始めた。

しかしほどなく、卒業を迎え新入社員となり、猛烈に仕事をした。学業でがんばることが、仕事でがんばることに置き換わったのだ。

やがて彼とは疎遠になり、社会人2年目の冬に別れを迎える。

彼に「浮気した」と言われてもまるで拘泥しないさまに、彼のほうが「なんでそんなに冷静なの?」と動揺。

冷静なわけではないが、もう戻れないのだから仕方がない。

「私、男性となんか張り合っちゃうんですよね。自分がしっかりしているから、しっかりしてない人と付き合うパターンが結構多かったです」

「私の前で泣く人もいました。逆に私が甘えられるしっかりした人を見つけると『どこまで私を甘えさせてくれるのか』っていう試し行動をしちゃったり」

さらに同僚たちの存在を、ぬるくも感じてもいた。

「仕事をバリバリがんばっていたから私、男の子も見下していたんですよ。『結果も出していないのにすぐ認められようとパフォーマンスするな』『実績出してからがんばったと言え』とか思ってました」

「ほんと可愛くなかったんですよね(笑)」

付き合った人たちとは、バランスが合わなかった。
その理由を「相手が男だからだろう」と、当時は思っていた。

だから「女の子ともつきあってみたい」。

密かにそう思い始めていた。

超絶無意識で「女の子が好き」

転機は24歳の10月に訪れた。

数年ぶりに、女の子の友だちができた。会社の同僚で、趣味が合うのだ。

「『セーラームーン』のはるかさんって、男装の麗人なのでレズビアンの子に人気があって、私も大好きなんですが、その友達もアニメが好きだったので話を分かってくれたんです」

「そんな話をしていたら、ふいに『私、女の子も好きだと思うんだよね』って、超絶無意識でその友達に言っていたんです。言ったあと自分でも驚いてしまって(笑)」

彼女は既婚者で、旦那さんラブ。それでも、心を許せる友だちだった。

「その子に『弥生ちゃんは、結婚もしてないし恋人もいないんだから、もしかしたら女の子が運命の人かもしれないから、新宿二丁目とかいろいろ行ってみたら』って言われて。ああ確かになって思ったんです」

そして決めた。

二丁目に行く日は、自分の25歳の誕生日の2日後、12月30日を予定した。

05楽しくて絶望する二丁目の夜

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ぼろぼろだった心身を癒しに二丁目へ

2013年の12月30日。25歳になっていた。

ネットで調べた店は、トランスジェンダーの友だちに教えてもらっていたレズビアンの集う店。

その頃、実は身も心もぼろぼろの状態だった。

「彼氏とも別れて一人暮らしでお金もなく、すごくイライラしていたし、周りを『なんでもっとがんばれないんだろう、根性なさすぎ』とか思っていて」

「誰からも認められたいタイプのせいもあって、終電まで働いて、電車の中や家でも働く長時間労働をこなせるくらい、もう歯止めが利かないほど働きまくっちゃったんですよ」

ストレスで荒れた肌をファンデーションで塗り固め、暗い照明のレズビアンバーへ。

「なんか楽しかったんですよ。すごいアングラな雰囲気で、私自身たぶん、暗い何かを抱えていたと思うんです、だからそういう場所に初めて行ったときから、雰囲気になじめたと思うんです」

バーの可愛い店員さんを好きになった。

美しいレズビアンにナンパされ、初めて女性とのセックスを経験した。

めくるめくような2か月が過ぎた

翻弄されて、ジェンダーの固定観念が崩壊

「二丁目に通い詰めて2か月くらいしたら、急にばからしくなったんです。傷ついていたと思うんですよね。ほんと、惚れっぽくて」

戯れのような恋愛に、気がついたら翻弄されてしまっていた。

「今思えば当たりまえのことなんですけど、女の子でもチャラい子っているんだなって。そのときに私の中でジェンダーの固定観念の崩壊があって、別に男の人だから遊び人、女の人だから真面目っていうのはなくって、その人次第なんだなってやっと気づきました」

「私疲弊しちゃったんです。疲弊して、それでもオールして朝帰りして」

まるで自傷行為のように、遊び歩く毎日だった。

「全部が嫌だったんだと思います。がんばっても、がんばっても、年収は上がらないし、仕事は認められたかもしれないけど、お金はついてこない。生活は苦しいし、うまくいかない」

「もがいて二丁目で飲み歩いて、だけど結局、遊ぶだけのことに疲れて、絶望して、泣きながら新宿歩いて、自分は何してるんだろう、ばかみたいって」

そう悟ったときに出会ったのが、元カノだった。


<<<後編 2016/12/25/Sun>>>
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06 元カノが促した転職活動
07 めぐさんが教えてくれた、幸せの心構え
08 LGBTからマイノリティへ
09 世界の多様性に、いかに気づいていけるのか
10 こだわりを捨てることで、自分らしく生きる

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