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16歳の僕。周りには、FTMとか男・女とかじゃなく、「岡笑叶」を見てくれる人がいる。【後編】

16歳の僕。周りには、FTMとか男・女とかじゃなく、「岡笑叶」を見てくれる人がいる。【前編】はこちら

2021/05/05/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
岡 笑叶 / Wakana Oka

2004年、大阪府生まれ。女の子として産まれたが、3歳の頃の七五三では袴をはき、保育園のプールでは海パンとラッシュガードを着ていた。小学生の頃から、自分はトランスジェンダーだという意識を抱いてきた。現在は高校1年生。インターナショナルハイスクールに通いながら、株式会社ファーストペンギンの代表を務めている。

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INDEX
01 兄のお下がりを着たがった妹
02 思うままに生きられた頃
03 「社長」と呼ばれる小学生
04 誰にも負けたくなかった思春期
05 しんどさから逃げるための殻
==================(後編)========================
06 学校を巻き込んだ制服改革
07 生まれ変わるための新たな環境
08 未来のためのカミングアウト
09 今の僕が抱いている夢
10 FTMである前に「岡笑叶」なんだ

06学校を巻き込んだ制服改革

「制服、イヤなんじゃない?」

中学2年の夏休み明け、どうしてもスカートがはけない。

「部活用のズボンをはいて、スカートは手に持って登校しました」

その姿を見た部活の顧問から、「スカートがイヤなんじゃないの?」と、聞かれる。

「その時は、『ただスカートが壊れただけ』って、答えましたね」

「ズボンで登校する勇気はなかったから、スカートを持っていったし、先生にも本心は言えなかったです」

2学期が始まってから、顧問は何度も「制服、イヤなんじゃない?」と、気にかけてくれた。

「先生が繰り返し聞いてくれて、何度目かでやっと『そうです・・・・・・』って、言えました」

「そう答えた瞬間は、緊張しかなかったです」

「周りの反応が恐いんじゃなくて、認めることで、本当の自分がわかってしまうんじゃないかって」

それでも、もう我慢はできなかった。

「校則を変えてほしい」

制服に対する違和感を顧問に伝えたことで、教師たちは一丸となって向き合ってくれた。

「制服のどういうところがイヤ?」「岡だけズボンに変えるか?」と、聞いてくれる。

「でも、僕は自分だけズボンに変えるのは、イヤだったんです」

「スカートをはいていた自分が、急にズボンに変えたら、周りに何を言われるかわからなかったから」

ダメもとで「校則を変えてほしい」と、訴えた。

「校則が変われば、『なんでズボンにしたの?』って聞かれても、『なんとなく』って言えるじゃないですか」

「もし、同じように制服で悩む子がいたら助けになれる、とも思ったんです」

「校則を変える」という無鉄砲な意見を、校長が受け止めてくれた。

「校長先生は女性で、学生の時に、ズボンの方があったかくて羨ましい、って思ってたそうなんです」

「『その頃のことを思いだした。校則を一緒に変えよう』って、協力してくれました」

ズボンをはいていった日

校則を変えるには、教育委員会や地域住民の許可が必要なため、「時間がかかる」と言われる。

「最初は、『岡がいる間には変えられないかもしれない』って、言われました」

「でも、先生たちが素早く動いてくれて、2年生の冬休み明けには校則が変わったんです」

校則が変わる初日に、ズボンをはいて登校。

「すごく緊張したし、見られている感覚がありました。でも、誰も何も言ってこなかったです」

自分以外には、ズボンをはいている女子はいない。

「最初は周りの目が気になったけど、だんだん見られなくなっていきましたね」

「ただ、体育の授業はやっぱりしんどかったし、週1回くらいは休んでました」

「変わったのは制服だけで、周りも自分も何も変わってないんですよ」

制服が変われば、世界も変わり、気持ちが軽くなると思っていた。

07生まれ変わるための新たな環境

誰も知らない場所

中学を卒業したら英語を勉強したい、と考えていた。

「留学も視野に入れてたんですけど、1人で海外に行く勇気がなくて(苦笑)」

「学校を探す中で、大阪のインターナショナルハイスクールを見つけたんです」

その学校には、制服が存在しない。スカートに苦しめられることはない、と思った。

「あと、中学の自分を知ってる人がいないところに行きたい、って気持ちもありました」

「高校からは気持ちを切り替えて、みんなと仲良くしたい、って思ったんです」

人を遠ざけていた自分を脱ぎ捨て、小学生の頃のように、誰とでも交流できる自分でいたい。

そのため、地元の兵庫ではなく、大阪の学校に進むことを決める。

先生たちのやさしさ

インターナショナルハイスクールの授業のほとんどは、英語で進められる。

「校則がなくて、スマホを使っていい授業もあるし、髪型や服装も自由です」

「だから、髪の色が緑とかピンクで、ピアスがいっぱい開いてる子もいます」

教師は、英語のネイティブスピーカーばかりで、生徒に対しても意見を率直に言ってくる。

「僕は先生に対して意見を言うタイプだけど、先生たちも意見をぶつけてくるんです」

「その分、『あなたはこうしなさい』って縛られることはなくて、信頼されてる感覚があります」

一方で、中学時代の教師たちが、いかに自分を思いやってくれていたか、実感している。

「中学の先生は『どうしたの?』って悩みを聞いて、一緒に考えてくれたんですよね」

「実はあの頃からすごく恵まれた環境にいたんだな、って今は感じてます」

オンラインコミュニケーション

高校入学を迎えた2020年4月、世界は新型コロナウイルスの恐怖にさらされていた。

「入学式はなくなって、授業も最初の数カ月はずっとオンラインでした」

その状況を危惧したクラスメイトが、1年生用のグループLINEを設定してくれた。

1年生は1クラスだけで、クラスメイトは20~30人。

「ほとんどがLINEに参加して、オンラインで話したり、電話したりしてました」

「グループがあったおかげで、顔は合わせてないけど、みんなと打ち解けられましたね」

「登校できるようになった時も、既に仲良かったから、初日の緊張感はなかったです」

「LINE越しで想像してた姿と全然違う子がいて、『誰?』ってなったりもしたけど(笑)」

08未来のためのカミングアウト

カミングアウトする意味

「オンライン授業の間、LINEでコミュニケーションしてたからこそ、カミングアウトができました」

当初、高校の同級生にカミングアウトするか、迷っていた。

カミングアウトせずに、男の子として入学する道もあったかもしれない。

「だけど、秘密を作りたくない、って思いがありました」

「中学生の間は、FTMだってことを誰にも話してなかったから、行動の幅が狭かったんです」

「秘密を抱えると、バレるかもしれない、って恐怖で何もできなくなっちゃうんですよね」

「本当の友だちを作って高校生活を楽しむためには、オープンにした方がいい、って思いました」

世界が開けた瞬間

登校が始まる直前、カミングアウトしよう、と心に決める。

「僕はFTMだ」と伝えても、クラスメイトからのリアクションはないと思っていた。

「反応しづらい内容だとわかってたんで、既読だけついて、連絡は来ないかなって」

学年のほとんどが参加しているグループLINEに、自分のことを綴った長文を送信。

想像とは裏腹に、クラスメイトからの返信がすぐに届き始める。

「みんなが前向きに捉えてくれたことがわかって、ホッとしました」

「その後、カミングアウト大会が始まって、人には言いにくいだろうなってことを抱えてたクラスメイトも、それぞれいろいろ打ち明けてくれて」

「笑叶のおかげで、自分もカミングアウトできた」と、言ってもらえた。

「伝えるまではすごく悩んだけど、言って良かった、って今は思ってます」

「かわいい」も褒め言葉

通っているインターナショナルハイスクールは、男女関係なく、みんな仲良し。

「放課後に遊びに行く話が出たら、みんな『行く!』って、集まってくるんですよ」

「意見を言い合える友だちも多くて、よく一緒に人生論を語ってます」

身長が男子の中で一番低いからか、みんながマスコットキャラのように接してくれる。

「友だちがかわいがってくれるから、中学生の頃のように競ったりはしてないです」

「『かわいい』って言われるのも、全然イヤじゃないですね」

たった1年で、自分自身も、自分を取り巻く世界も、大きく変わったように感じる。

「中学生の自分は天狗だったし、人を遠ざけてたし、ヤバいやつだったな、って感じてます(苦笑)」

「でも、人生に起こることはすべてネタだと思ってるし、大事な経験だったかなって」

あの頃の自分がいたから、今の自分がいるのだ。

09今の僕が抱いている夢

自身を綴るブログ

中学3年の頃から、ありのままの自分を発信するため、ブログを書き始めた。

「中3の時に、自分と同じFTMの子に会いに行ったことがあるんです」

相手は中学1年生で、FTMであることは明かさず、男の子として学校に通っていた。

「その生き方が羨ましくて、自分も同じように生きたい、って思ったんですよね。同時に、同じような仲間を見つけたい、って気持ちも湧いたんです」

仲間同士で悩みを共有し合えたら、少しでもラクになれるのではないか。

その第一歩として、自分自身について綴るブログを開設した。

「そのブログが、読売新聞と神戸新聞に取り上げられたんです。自分の思いを読んで連絡してきてくれる人もいて、うれしいですね」

高校生社長の誕生

ブログが新聞に取り上げられたタイミングで、会社の立ち上げを決める。

「小さい頃から夢は社長だったし、お母さんにも『ちょうどいいタイミングじゃない』って言われたんです」

「世の中に発信し始めたタイミングだし、高校生が社長になるってインパクトがあるから(笑)」

自身で立ち上げた会社「ファーストペンギン」では、主に講演活動を行っている。

「始めたばかりですが、同世代の人にLGBTについて話したり、教員向けに講演をしたり、内容はさまざまです」

「今は講演業が中心だけど、商品開発とかもしていきたいんですよね」

現在は、紙袋を加工して財布などを制作し、販売している。その活動も本格化したい。

「お母さんから『会社って枠組みを作れば、事業内容は後からでも増やせるから』って、教えてもらったんです」

「だから、まずは会社を立ち上げて、徐々にやりたいことを実現していきたいです」

将来の理想像

高校卒業後は、大学に行きたい、と考えている。

「大学に進んだ方が、将来の選択肢は広がるかな、って思うんです。大学で学んだ後は、会社を続けながら、就職するのもありかなって」

母から、こう言われている。「ずっと上の立場にいると、下の人の気持ちが分からない」と。

会社を経営するだけでなく、雇用される側の感覚も知っておくべき、ということだ。

「そして、やりたいことをやれる人でありたい、と考えてます」

「『大人になるってことは、現実を見ることだ』って言う人がいるけど、違うと思うんです」

「僕はいつまでも夢を語って、夢を持ち続けて、実現できる人でありたいんです」

どんなことに対しても、挑戦する気持ちを忘れないでいたい。

「やらないで後悔することはあっても、やって後悔することはなくて、全部経験になるんです」

「やってみて失敗したら、次はやらないって選択ができるようになりますよね」

10 FTMである前に 「岡笑叶」 なんだ

FTMの選択肢

ホルモン治療や性別適合手術(SRS)は、中学生の頃に知った。

「当時は、制服や学校のことで頭がいっぱいだったから、治療なんて夢の話だと思ってました」

「なんとなく、いずれやるんだろうな、って感じでしたね」

現在は、精神科のカウンセリングに通い始めたところ。

「胸オペ(乳房切除術)はしたいな、って思ってます。でも、ホルモン治療も手術もデメリットがあるので、まだ決めてません」

中2で、スカートからズボンに変えた時のことを思い出す。

「変わるのは自分の外側だけだったりするから、見た目を変えたい、って気持ちだけじゃダメかなって」

「笑叶」という名前

ただ1つ、これだけは絶対に変えないでいよう、と思っているものがある。

「『笑叶』という名前は変えない、って決めてます」

自分の名前を変えたい、と思った時期もあった。

「自分の名前を聞いた人から、『女性の方ですか?』って聞かれたんです」

「そのひと言で、『わかな』って女性的な名前なんだ、って思ってしまったんですよね」

「お母さんに『名前変えたい』って言ったら、否定されたんです」

いつもは「ご勝手に」と言ってくれる母が、名前に関しては譲らなかった。

「『すごく意味がこもった名前なんだよ』って話を聞いて、お母さんの気持ちに納得しました」

「それに『わかな=女性』って、自分で自分に偏見を持ってたんですよね」

「家族も高校の友だちも、男子とか女子とかではなく、『岡笑叶』を見てくれてるんです」

その事実に気づけたから、自分の名前を大事にしていくと決めた。

人生って悪いもんじゃない

「今だから言えるけど、人生って案外悪いもんじゃないですよね」

中学生の頃は、すべてが悪い方向に動いているように感じた。

「人って、悪い状況の中にいると、悪いことしか見えないんですよ。でも、中学時代を振り返ると、先生たちはすごく頑張って、僕を気にかけてくれてました」

家族に友だち、教師、それぞれの時代に自分を支えてくれる人がいた。

「自分は恵まれていたんだ、って気づけたのは、今の自分が恵まれているから」

「友だちと出かけたり、楽しい時間を過ごしていると、楽しいことが見えてくるんです」

「悩みすぎるとしんどいから、楽観的に『なんとかなる!』って、言ってみるのもいいのかな」

「ツラいことがあったとしても、案外なんとかなるんですよ」

未来の僕も、きっと笑ってる。

あとがき
兵庫からご登場の笑叶(わかな)さん。緊張? 当日の寒さ? で静かに始まった取材。でも、ニコニコはどんどん増えていった。笑叶さんは16歳。おそれずに口にする言葉たちが弾けた■半年後には、今とは違う感性で語っているかもしれない。朝令朝改でもかまわない。全部OK!「人生って悪いもんじゃない」に、いいね! をたくさん贈りたい■いいことばかり起きる人などいるはずがないから、つらい時は、深く息を吸おう。手をつなげる先は、ここLGBTERにもあるよ。(編集部)

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