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FTMのセックスワーカーとして伝えたいこと。「性愛はもっと多様でいい」【後編】

FTMのセックスワーカーとして伝えたいこと。「性愛はもっと多様でいい」【前編】はこちら

2020/02/08/Sat
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Sui Toya
川口 透 / Toru Kawaguchi

1990年、静岡県生まれ。3人兄弟の真ん中に生まれ、幼少期から周りの空気を読むのが上手かった。高校入学後に身体違和を強く感じるようになり、2年時に定時制高校へ転校。美術に興味を持ち始め、横浜の美術大学に進学する。卒業制作では性をテーマに作品を作り、社会人生活を経て進学した大学院では、月経や胎児をテーマに制作に励んだ。現在は、メンタルクリニックと性風俗店で働くダブルワーカー。

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INDEX
01 3人兄弟の真ん中
02 バスケットボールは好きじゃない
03 女子のラベル
04 初めての学ラン
05 身体嫌悪
==================(後編)========================
06 FTMとさまざまなマイノリティ
07 卒業制作
08 自分の居場所
09 あいまいな性
10 セックスワーカーとして

06 FTMとさまざまなマイノリティ

FTMについて調べる

高校生だった当時、ネットにFTM掲示板というものがあり、よく閲覧していた。

「ジェンダークリニックがあることや、ホルモン治療ができることを、そこで知りました」

地元の図書館に行き、セクシュアルマイノリティの本を読みあさった。

岡山県に有名な大学病院があることや、手術をすれば性別を変えられることを、そのときに知る。

ある時、近所の橋の上で、小中学校で一緒だったFTMの友だちとすれ違った。

「ちょっと、ちょっと」と呼び止めて、近くにあった公園で2人で話をした。

「そのとき、彼はまだ女子高生だったんですけど、ずっと違和感を持っていたと打ち明けてくれました」

杉山文野さんの『ダブルハッピネス』は読んだ? って話をして」

彼は「俺、すっげー泣いた」と言っていた。「心にズシズシきた」と、感想を語り合う。

「友だちと、初めて性の違和感を共有できたんです」

定時制高校の仲間たち

定時制高校は全日制で、朝からのコース、昼からのコース、夜からのコースが選べた。

「僕は昼からのコースでしたけど、夜の授業も取れました」

「年代もバラバラで、中学で不登校だった子が集まるみたいな感じでしたね」

定時制高校に入ると同時に、GIDクリニックに通い始める。
学校には、母が前もって話をしてくれた。

「呼び名があるときは『川口くん』って呼んでくださいとか」
「体育で着替えるときに保健室を使わせてもらうとか」

「自分が希望したことを母が書いてくれて、学校側に伝えてくれたんです」

定時制高校のクラスには、レズビアンの子も、バイセクシュアルの子も、ゲイの子もいた。

荒れた過去を持っている子や、家庭環境が複雑な子も。

それぞれ違うマイノリティ性を持っていて、お互いに何か抱えているものがあるという前提で、自然と仲間になった。

初めての東京

定時制高校に転校した後、パン屋でアルバイトを始める。

スーパーの中にあるパンコーナーの工房で、ピザを作ったり、後片付けをしたりするのが仕事だった。

「GIDクリニックのお金は、親が出してくれてましたが、自分でも工面したかったんです」

「あとは、好きなバンドのライブに行くために、お金を貯めてましたね」

昔から中性的な人に憧れていた。

好きになったバンドのボーカルも、中性的なタイプ。その姿を見たくて、しばしば遠征した。

「姉が千葉県の大学に進学したので、一緒に夏フェスに行ったり、姉の家に泊まって、サマーソニックっていうフェスに行きましたね」

夜行バスで、静岡から東京へ。

友だちと初めて新宿へ行ったときは、窓の外を見ながら「ビルが高い」「人がいっぱいいるよ」とはしゃいだ記憶がある。

07卒業制作

トンボの作品

高校卒業後は、女子だった自分を知っている人がいない場所へ行きたいと思っていた。

「姉が一人暮らしをしてたので、大学に行けば一人暮らしができると思ったんです」

「ちょうどGIDの診断が下りて、都内に出ればホルモン治療を受けられる病院も多いだろうなと思いました」

高校の授業では、美術や工芸の授業が好きだった。

しかし、美術大学に入るには、専門の予備校に行く必要があると聞いたことがあった。

さまざまな大学が参加する進学説明会に足を運んだとき、ある美大のブースに目が止まる。

「ブース内に、金属でできた大きいトンボの作品が置いてあったんです」

その作品を見ていると、ブースにいた大学の教授から「おいで!」と呼ばれた。

「予備校には行ってないし、デッサンの経験もないんですけど大丈夫ですか?」

そう聞くと、「そんなの大学に入ってからやればいいんだよ」と言われた。

「いい作品作ろうよ、一緒に」と言われ、この大学を志望校にしようと決めた。

志望校には、絵画と工芸とビジュアルデザインという3つの学部があった。

「工芸なら幅広く色々な物が作れるんじゃないかと思って、工芸科を選びました」

高3の冬、大学に無事合格。

両親に一人暮らしを認めてもらい、上京することになった。

手術するだけが全てじゃない

その頃は、将来的に手術をして、戸籍も変えようと思っていた。

そのために一生懸命アルバイトをして、お金を貯めていた。

「まずは胸オペをしようと思ってました。でも、手術が100%成功するわけじゃない」

「体にメスを入れるってどういうことか、しっかり納得してから手術したいと思いました」

大学4年生の卒業制作シーズン。

それまでは、出された課題に沿って作品制作をしていたが、初めて「好きなものを作っていい」と言われる。

「いままで考えていた性のことを、全部、卒業制作にぶつけました」

男女って何だろう? 性の違和感はどうして生じるんだろう?

あふれる思いをぶつけて、直径2mを越える金属の作品を作った。

「手を動かしているときに、手術するだけが全てじゃないかもしれないと思ったんです」

「手術以外の方法で、身体違和を受け止めることができるんじゃないかって」

当時、付き合っていた彼女には、「私、川口さんと結婚するから」と言われていた。

「自分はこの子と結婚するんだと思っていました」

「それなら性別を変えなきゃ、戸籍を変えなきゃと思ってお金を貯めてたんです」

「いま振り返ると、もっと自分を持てよと思うんですけど(笑)」

「結局、彼女にはフラれちゃいました」

彼女との関係が終わったことで、戸籍を変えなければいけない理由はなくなった。

08自分の居場所

自分以外の誰かを演じる

大学卒業後は、民間施設に採用され、運営と広報の仕事に1年間携わった。
就職と同時に、大学のときに知り合った仲間と、舞台美術の手伝いをするようになる。

芝居で使う小道具や、舞台上のセットを作った。

「劇団の手伝いをしているうちに、役者にも興味が湧いたんです」

ある時、小さなイベントで役者として舞台に立たせてもらった。
自分じゃない誰かになるのは面白く、エキサイティングだった。

「身体違和について考える上で、ほかの誰かを演じるというのは、とても貴重な経験でした」

同じ頃、卒業制作でやったことをもっと突き詰めるために、大学院に行きたいと考え始めるようになる。

「気になっていた大学院の教授が、千葉で展示をすると知りました」

「すぐに会場へ足を運んで、教授に『大学院に入りたいと思っているんです』って相談したんです」

大学院の中を案内してもらい、願書を書いて提出。

仕事を辞め、大学院に入学し、作品制作の世界に戻った。

気づき

大学院では、大学の卒業制作と同様に、性をテーマに金属で作品を作った。

「金属のテクスチャーが好きだったんです。熱い鉄を叩いたり、曲げたりするのが楽しくて」

「溶接するときに、鉄がくっついていくのを見るのも楽しかったです」

自分のモヤモヤを、金属という重くて硬い素材で表すことで、充足感が得られた。

作品が完成すると「自分のモヤモヤを作品にしてやったぜ!」と、自信が湧いてくる。

そうして制作に励むうちに、手術をしなくてもいいのではないかと思うようになった。

「手術を否定するわけじゃありません」

「でも、耐えられなさと共に生きていくこともできるんじゃないかと思ったんです」

世界には、色弱の人もいるし、右腕を失った人もいる。

違和感、欠乏感と共に生きている人はたくさんいるのに、なぜGIDは手術をしなければならないんだろう。

違和感と共に生きることも、一つの選択肢なのでは?

「そう気づいたときから、違和感と共に生きていく方向に、考えがシフトしていきました」

鎖骨の下に、小さなタトゥーを入れたのは、そのすぐ後だ。

性の扱われ方

大学院には男子として入ったが、そこは、思いのほかマッチョイズムな世界だった。

周りの男子生徒の下ネタについていけない。
自分が真剣に考えていたことも、下ネタとして笑われて終わる。

「例えば、後輩がカップラーメンを食べていたときに、講師の先生が『そんな物ばっかり食べてたら、ちんこ勃たねえぞ』って言うんです」

「それで、周りはゲラゲラ笑うけど、僕には笑いどころがわからなかった」

「飲み会の場で、AVの画像をみんなで見せ合って盛り上がる感覚も、よくわからなかったです」

「性がそういうふうに扱われることに、愕然としました」

1対1のときは、誰とでも楽しく話すことができる。

しかし、集団になったときのノリにはついていけなかった。

09あいまいな性

アートにおけるジェンダー規範

大学院の教授は、彫刻が好きで、魂込めて作品を作っているような人が多かった。

ある時、月経をテーマに作品を作った。

しかし、作品の解説をすると、教授の1人に「そんな話は聞きたくない。それよりも、彫刻についてどう考えているんだ?」と言われてしまう。

「大学院での制作というのは、技術云々よりも、作品を通して何を表現したいか、という点が重要になると思ってたんです」

「僕は、月経の作品を通して、身体の話や女性性の話ができたらいいと思っていました」

「ところが、その意図は伝わらず、彫刻の話を求められてしまったんです」

教授に拒否されたことで「美術ってもっとジェンダーフリーじゃないのかよ」と感じた。

「アートの世界は、僕が思っていたよりジェンダーに縛られていると感じました」

「男性作家が繊細なものを作ると『女性的な価値観の作品だね』という批評がおこるんです」

性別はいつ決まる?

「なんで男性的、女性的っていちいち言わなきゃいけないんだろう」

そんなことをモヤモヤ考えていたときに、性別がいつ決まるかということにも興味が広がる。

「それで、胎児のことを調べ始めたんです」

「胎児はお腹の中にいるけど、まだ存在があいまいですよね」

胎児に特別な思いを抱くようになり、修了制作では胎児をテーマに作品を作った。

GIDや身体違和を持っている人は、生まれ方を間違えたと思っている部分があるんじゃないだろうか。

自分が男の体で生まれていたら、もしかしたら身体違和を感じなかったのかもしれない。

思考はどんどん深まり、生まれることや生きることに興味が湧いた。

「そこから、本を読んだり映画を見たり、いろいろ調べるようになったんです」

社会実験

大学院を卒業した後、2人の仲間と一緒に、埼玉にアトリエを構えた。

アルバイトをしながら、制作活動を続けていると、小さいギャラリーから「個展をやらないか」と誘われる。

メモを書いたノートの切れ端や、ドローイングなどをギャラリーの壁に貼った。

学ランを使った作品や、ワンピースを使った作品、履歴書なども展示した。

「お客様からは賛否両論で、否定的な意見を多くいただきました(笑)」

「でも、個展をやったことで、自分はこの問題とずっと向き合っていくんだと改めて実感しました」

個展が終わった後、実験をしてみたいと思い、喫茶店で働き始めた。

「全く知らない人が僕を見たとき、どういう反応をするんだろうって気になったんです」

喫茶店では、毎日のように「君は男の子と女の子どっち?」と聞かれた。

自分で始めた実験だったが、そう聞かれる度に「なんでそんなことが気になるんだろう」と、憤りを感じた。

次第に、疲れてイライラするようになっていく。

「いい実験だったんですけど、長く続けられませんでした」

「喫茶店を辞めた後、どんな仕事なら続けられるか考えて、メンタルクリニックの仕事に応募しました」

2019年6月から、メンタルクリニックに採用され、事務職として働き始めた。

仕事内容は、おもに受付と予約と会計。患者さんをご案内したり、カルテ出しを手伝ったりすることもある。

「メンタルクリニックに通っている方は、生きるために何とか頑張ろうとしていると思うんです」

「僕も生きづらいし、僕の友だちも、どこか生きづらさを感じている子が多くて・・・・・・」

「生きづらさを抱えている人と関わる仕事がしたいな、と思って、メンタルクリニックを選びました」

10セックスワーカーとして

セックスワークに飛び込む

メンタルクリニックで仕事を始める前から、性風俗の仕事を始めていた。

作品制作とは別に、性について、何か発信したいと思っていたからだ。

「おなべバーや男装カフェなど、いろいろ調べました。そのときに、レズビアン風俗の存在を初めて知ったんです」

レズビアン風俗は、女性しか利用できない。
できるなら、セクシュアリティを制限せずに人と接したかった。

「自分にとって理想的な環境を探していたときに、『新宿ニュースタイル』を見つけたんです」

男性も女性も利用可能な性風俗店。

「FTM、FTX、ボーイッシュなキャスト募集って書いてあったので『ここだ!』と思って」

とりあえず働いてみようと思い、面接を受けて、「イブ」という源氏名で所属することになった。

見つけてくれてありがとう

性風俗の仕事は、想像していた以上にやりがいを感じられるものだった。

「お客様は、僕のように男の見た目で女の体を持った人を性対象とする方や、なにかしらマイノリティの部分をお持ちの方が多くいらっしゃいます」

「ボーイッシュな女性が好きな方とか、FTMが好きな方とか」

日々、さまざまな性的指向、性愛指向のお客様と接する。

そのたびに、接し方の強弱を探り、どうすれば心地よく帰ってもらえるか考える。

「お客様にどの程度まで触れていいか、どのくらいおしゃべりしていいか、短い時間の中で探っていきます」

「僕にとって、ダイレクトに人と接している実感が持てる時間です」

たとえ仕事であっても、人の肌の温かさは癒やしだった。

お客様は、ホームページやツイッターを見て、指名で予約を入れてくれる。

「僕は自己肯定感が低いし、風俗業界でもFTMの中でも異質という感覚があります」

「そんな僕を選んで会いに来てくれたっていうことに、救われる」

「自分を見つけてくれてありがとう、っていう気持ちになるんです」

性愛の多様性を知ってほしい

お店のホームページやツイッターで顔を出すのは、リスキーだ。

その反面、顔を出すことで、存在に気づいてくれるお客様が少なからずいる。

「以前、一度だけ、お客様の前で泣いてしまったことがあるんです」

「『あなただから会いに来たんだよ』と言われて、涙がこぼれました」

予約をいただいたお客様の事情は、詳しく聞かない。

「中にはきっと、自身の性的指向や性愛指向に悩んだ結果、僕らの店に来られる方もいらっしゃると思うんです」

「僕の前でしか出せない激しさや、穏やかさがあるのかもしれない」

「その姿を、精一杯受け止めたいと思うんです」

LGBTが世の中に認知され始めて、多様性やダイバーシティという言葉をよく耳にするようになった。

性に関して、あと一歩、世の中の理解が進んでほしいと思う。

「FTMが好きな男の人がいてもいいし、女装をした男性が好きな女の人がいてもいい」

「年の差とかフェティシズムとか、そういうことの多様性も、もっと知られるようになればいいなと思います」

セックスワークを始めてから、性愛はもっと多様でいいと思うようになった。

いま目の前に素材があったら、自分はどんな作品を作るだろう。

あとがき
鋼にも、ふんわりした真綿にもなれるような不思議な個性。透さん自身が血の通った作品? 素材なのか・・・■「耐えられなさと共に、生きていくこともできるんじゃないかと思ったんです」。透さんは言う。それは、自分を用いた[社会実験]だと感じた。実験そのものを作品として俯瞰しているのかもしれない、とも■表面的な情報だけではなく、出会った人の背景や意図をとらえる。悪意のフィルターも否定もない。あたたかで透明だ。(編集部)

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