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“男” という固定観念を崩せる体。使わなきゃもったいないでしょ【後編】

“男” という固定観念を崩せる体。使わなきゃもったいないでしょ【前編】はこちら

2020/09/10/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
奥 智美 / Tomomi Oku

1978年、東京都生まれ。小学生の頃から自身の性別に違和感を抱き、体は女性だが魂は男性だと自覚し始める。中高一貫の女子校に通った後、音楽専門学校に進学。音楽活動を行いながら、23歳の時に男性パートナーと結婚し、長女を出産。26歳の時に長男を出産。30歳で音楽活動を再開し、現在はトランスジェンダーヴォーカリストとして活動を続けている。

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INDEX
01 子どもを産んだトランスジェンダー
02 うまく表現できなかった “自由”
03 小学生で感じた「目立っちゃいけない」
04 思春期の自分を悩ませた “変化”
05 本当の自分を貫くための選択
==================(後編)========================
06 「女性として」をまっとうする日々
07 “親” になったから気づいたこと
08 親でありFTMでもある自分
09 生まれ持った自分との “共存”
10 自分で選んだ行動のすべてが「正解」

06 「女性として」をまっとうする日々

声を生かすための勉強

勉強が嫌いだったから、大学に進むつもりはなかった。

絵を描くことが好きだった自分を見て、親は「美大もいいんじゃない」と、言ってくれる。

「絵も好きだったんだけど、その時はミュージカルで評価された声を使って、表現したかったんです。だから、音楽専門学校のボーカルパフォーマンス科に進みました」

専門学校ではずっと歌っていられると思っていたが、実際は違うことに気づく。

「机の上の勉強って、どこでもついてくるんですよね(苦笑)」

「音楽理論を学ぶんですけど、数学的要素が強くて、テストも難しいんです(苦笑)」

「せっかく親がお金を出して行かせてくれてるから、頑張りたかったけど、勉強でつまずいちゃって・・・・・・」

自分なりに精一杯食らいついたものの、中退することに。

「単位が追いつかなかったし、留年して親に迷惑かけるのもなって」

女性としての交際

専門学校で、1人の男性と知り合う。

「同じバンドのメンバーで、一緒にいても苦じゃない親友みたいな人だったんです」

「この人なら家族としてのコミュニティも築けそうだな、と思って、自分から『つき合ってほしい』って、告白しました」

結婚して、子どもを産む。思い描いた将来像を叶えるための選択。

「このチャンスを逃したら後はないぞ、って覚悟はありましたね(笑)」

彼には性別のことは話さず、女性としての交際が始まる。

「はたから見たら男女だけど、自分的には同性愛という感覚なんですよね」

「でも、本当の自分は異性愛者だから、未知の世界に飛び込むような気分でした」

手をつなぐ、ハグするといった、恋人同士のスキンシップに戸惑う。

「友だちに相談すると、『手をつなぎたくないなら、つながなくてもいいんじゃない』とか、言われるんですよ」

「でも、本当につながないでいると、彼に不思議に思われるじゃないですか」

親子だって手をつなぐじゃないか、と自分に言い聞かせて、手をつないだ。

女の子の服と女の子の髪型

ある時、彼から「せっかくかわいいんだから、かわいらしくしてみれば」と、言われる。

「その言葉が引っかかって、1回自分を疑ってみよう、と思ったんです」

「趣味とか考え方とか、男性的要素が強いから、自分は男性だって思いこんでるのかも、って。検証したことがなかったから」

着る服を女性ものに変え、髪を伸ばし、化粧をした。

「毎日、女装してるみたいな感覚でしたね」

「でも、周りから『かわいいじゃん』って言われると、結構うれしいんですよ(笑)」

「スカートはしっくりこなかったけど、男性でも化粧する人はいるし、不快ではなかったんです」

自分自身に対する検証は、3年ほど続く。

「3年も続けると、褒められることにもだんだん慣れてきちゃうんですよ」

「それに、いくら検証しても、やっぱり女性ではないな、って積み重なっていくだけでした」

「『死ぬ時に女性の服を着ていたいか?』と聞かれたら、そうじゃないな、って思ったんです」

本当の自分を褒められるようになりたい、と感じ、服装や髪形を元に戻す。

07 “親” になったから気づいたこと

産みたいから産む

子どもを産むことに対しては、拒否感はなかったように思う。

「男性でも、出産できる機能があれば産む人はいるだろうな、って思ったんです」

「自分も子どもを産める体なんだ、って考えたら、チャレンジ精神に火がついて、前向きに捉えられました」

女性だから産むのではない。産みたいから、産むのだ。
妊娠するための行為も抵抗はなく、計画通りに進めていく。

「社会に望まれていることをやれば、いよいよ好きな人生を歩めるじゃん、って強気でした」

「責任を果たしたら自分らしく生きられる、って考えしかなかったんで、なんでも楽しめました」

20代前半で妊娠し、彼と入籍した。

“お母さん” という肩書き

一緒に子どもを育てる、という目標が一致していたため、彼とも良好な家族関係を築いていけた。

妊娠中も、その過程を純粋に楽しめていたように感じる。

「3年間やってきた女装効果か、妊婦である自分を客観的に見られたんですよね」

「違和感がないわけじゃないし、本当はお父さん側なのにな、って思いもありました」

「でも、お父さんなのに妊娠を経験できる自分ってすごくない? とも思えたんです」

いざ出産し、子どもとの生活が始まると、前向きな思考に影がかかり始める。

「子育ては初めての経験で新鮮だし、楽しみながらできたんですよ」

「ただ、出産という社会的責任を果たせば自由になるかといったら、そうではないことにようやく気づいたんです」

「 “お母さん” って肩書きがつくし、ママ友にも当然カミングアウトできないし・・・・・・」

「さらに本当の自分を訴えづらい環境になってしまったな、って思いましたね」

希望と葛藤の妊娠

一方で、我が子にきょうだいを作ってあげたい、という気持ちも芽生える。

「いつか自分が『実は男なんだよ』って話すとして、子ども1人に抱えさせるのはかわいそうだな、って感じたんです」

「きょうだいがいれば思いを分かち合えるし、親に何かあっても助け合えるじゃないですか」

「だから、絶対に2人目も産もう、って決心したんです」

それでも、1人目の時のようにスムーズにはいかない。

本当の自分として生きたい、という気持ちがよみがえっているため、性行為に躊躇してしまう。

「治療だと思えばなんとかなる、って感じでしたね(苦笑)」

妊娠中も違和感はふくれあがったが、無事に出産し、2人の子どもの親となった。

08親でありFTMでもある自分

FTMとしての選択

子どもたちが小学校や幼稚園に通い出した30歳の頃、音楽活動の再開を決意する。

「自分らしく生きるというか、本当の自分を出せる場所を作ろう、と思って再開したんです」

「活動を始めると、外の世界が身近になって、自分と比較するものがいっぱい出てきました」

結婚してからは、ほとんど外の世界に触れることがなかった。

夫に対しては同性の同居人という感覚で、女性扱いされる場に行くこともない。

しかし、歌手として世に出ると、女性という前提で判断される場面が出てくる。

「例えば、オーディションのエントリーシートには性別欄があるんです」

自分の性別を、改めて意識するようになり、インターネットなどで情報を集め始める。

「性別適合手術を受けたFTMの方々の経験談を読んで、自分の選択は間違っていたんじゃないか、って思ってしまう時期もありました」

「高校を卒業する時に、 “性転換” を視野に道なき道を行くべきだったのかなって・・・・・・」

“お母さん” だけど “男”

もう1つ、自分の性別を意識するきっかけになった出来事がある。

「音楽活動再開と同じ30歳頃に、ちゃんと恋愛をしたい、って欲も生まれ始めたんです」

近しい友だちには、なんとなく性別のことを話し、理解してくれる人もいた。

その中の1人の女性に、恋をする。

「家にいる時は “お母さん” で、その人と会う時は “男” って意識なんですよね」

「再び社会に出て、立場が増えたことで、本当の自分が見えづらくなりました」

「FTMに関する情報に触れると、ますます悔いが生まれそうな気がして、まともに見れないし・・・・・・」

「自分で選んできた道なのに、環境のせいにしてしまうような状態が続きましたね」

子どもと生きていく道

35歳の時、結婚生活が終わりを迎える。

「性別のことは関係なくて、互いに感覚が違うことに気づいてしまったんですよね」

2人の子どもを抱えて生きていくことに、不安がないわけではなかった。

「でも、いざ子どもと3人での生活を始めると、苦しいことはほとんどないんですよ」

「贅沢はできないけど、自分がちゃんと働けばいいし、シングルマザーに対する国の保障も手厚いし」

「子どものことは子どもに任せて、『大学に行きたいなら行くための方法を考えなさい』って、委ねる感じです」

離婚したことで、気持ちが解放された面もある。

「“お母さん” って役割ではあるけど、 “一家の主” って男女関係ない立場にもなれたから」

「子どもたちに、自分の性別について話しやすい環境が整ったことも、大きかったですね」

09生まれ持った自分との “共存”

我が子へのカミングアウト

離婚後、交際した女性は「結婚を視野に入れてつき合いたい」と、話す人だった。

「今の日本では同性婚はできないし、自分が戸籍を変えるしかなかったんですよね」

「同性パートナーシップ制度だと自分の腑に落ちないし、相手も同性愛者って見られたくない人だったんです」

「彼女は、『家族へのカミングアウトも必須』って考えも持ってたので、子どもにも言う時期が決まっちゃった感じでした」

もともとは、子どもたちが成人を迎えてから、打ち明けるつもりだった。

しかし、実際は娘が高校1年、息子が中学1年の時点で、カミングアウト。

「直球では言わず、『自分の体と内面がちょっと違う』って、伝えたと思います」

娘から「それ以上言わなくていいよ」と、言われた。

「『中身がどうであろうと、お母さんに変わりない』みたいなことを、言ってくれたんです」

「息子は『どういうこと?』って感じでしたけど、なんとなくわかってくれていると思います」

子どもたちに全面的に肯定してもらおう、とは思っていない。

「『肯定しろ』って言う気はなくて、母親である自分の考え方や生き方を知ってくれているだけでいいんです」

男性である証

当時の彼女は、「本当に男なんだよね?」が口グセの人。

「自分は子どもを産んでるし、ホルモン治療もしてないから、疑う気持ちはわかります」

「ただ、自分はそれまで、持って生まれた体でできることを探りながら、生きてきたんです」

高校時代、ミュージカル同好会で歌声を評価され、コンプレックスだった体を受け入れられた。

「彼女に『治療するとガタイが良くなるし、声も低くなって、女性ってわからなくなるよ』って言われて、自分を否定された感じがしましたね」

「でも、恋人の要望にマックスで応えたい気持ちもあって、ホルモン治療を始めたんです」

「自分が本当に男性である証を、どこかで見せないといけないなって」

失ってしまった歌声

ホルモン治療を始めると、確かにガタイが良くなり、声は低くなる。

「一方で、健康診断で引っかかるようになったんですよね」

「明らかにいままでと違う数値を目の当たりにして、治療に何の意味があるんだろう、って思ってしまいました」

声質が変わったことによって、歌も思うように歌えなくなっていた。

「常に変声期みたいな状態で、声が出せないんですよ」

「武器であった歌声、磨いてきた楽器がなくなってしまったんです」

彼女の言葉だけでなく、これまで見てきたFTMの経験談からも、男性の体を取り戻すことがゴールだと思っていた。

しかし、自分にとっては、それだけがゴールではないのかもしれない、と思い始める。

「肉体的、精神的、金銭的苦痛をともなって、体を取り戻すことだけがすべてじゃないよなって」

「生まれ持った体との共存という形も絶対にある、って考えられるようになったんです」

「この体を生かして、自分自身を追求しながら生きていこう、って思い直せました」

10自分で選んだ行動のすべてが「正解」

男という固定観念を崩す存在

現在は、ホルモン治療をストップしている。

「どこまでやっても、完全に男性の体を取り戻すことはできないと思うんです」

「だったら、自分はこの体と共存して、それでも『男です』って言える方がしっくりくる」

「男という固定観念を崩して生きていける体を持ってるのに、使わないのはもったいないし(笑)」

そう感じ始めたタイミングで、『LGBTER』と出会った。

「想像していた以上に、いろんな生き方があることを知りましたね」

声が低いから男、というわけではない。治療をしているから男、というわけでもない。

「『こうあるべき』って言葉がキライなんですよ」

「その言葉に従っていれば安心できるかもしれないけど、その裏できっと誰かが我慢しているから」

生まれ持った体と共存していくことで、形は1つでないことを証明していきたい。

いろんな生き方があっていい

外見的な男性像を追いかけたことで、失ったものも多かった。

その経験があったからこそ、わかったこともたくさんある。

「条件が重なって、男性の体を手に入れられる人はいるし、すごく大切な選択だと思います」

「反対に、与えられたものを生かして、本当の自分を取り戻す人もいて、どっちも間違っていないんですよね」

「いろんな形があってこそ、 “多様性” といえる時代になると思うんです」

もし、娘が「私、本当はネコなんだと思う」と言い出したとしても、自分は受け入れられる。

「ネコは極端な例だけど、それでも『その気持ちを受け止めるよ』って、伝えればいいだけの話ですよね」

「『ネコである証拠を見せろ』なんて言うのはおかしい。気持ちを尊重することが大事だから」

「自分の体も行動も何もかもが正解だし、後悔することなく生きることが理想ですよね」

本当に “自由” な社会

音楽活動においても、FTMであることをカミングアウトした。

「明かしてから、TwitterのDMで『治療したいんですけど』とか、若い子からのメッセージが届くんですよね」

「なんで治療したいと思うのか、ちゃんと考えてみてほしいな、って思います」

「そして、自分の活動を見て、こういう選択肢もあるんだ、って知ってもらえたらいいな」

手術をしなくてもいいんだ。
子どもを産んでもいいんだ。

そう感じてラクになれる人が、きっといるはずだから。

「コンプレックスを持ってる人でも表現できるって、身をもって証明したいです」

「人は倫理とか情の部分で他人に制限をかけてきたりするけど、本当に自由な世界はもう始まってると思います」

「それに、自分に制限をかけているのは、自分自身だったりするから」

自分が生きていきたい形を選べる社会なら、きっとみんな笑っていられるから。

出会い関わってくださった皆様、そしてこれから出会う皆様へ

記事を読んでくださってありがとうございます。

自分と言うものが分からないゆえの沢山の苦しみ、悲しみの中でも、気づけば「自分の心が望むままに好きにするのが一番だよ」と伝えてくれる存在が、いつでもいてくれたように思います。

その言葉の意味が分かった今、今度は自分が、過去の自分と同じように苦しむ人に「人の数だけある人生、自由に作っていける」ということを伝えていきたいと思うようになりました。

お話ししたことは、あくまで「自分にとっての正解を導きだした」という一例に過ぎません。

サンプル程度に知っていただければ幸いです。

既成概念、固定観念にとらわらず、恐れず自分らしい、自分だけの人生を作っていけることを応援しています。
このことは 、自分の子どもたちにも強く望んでいます!

これまで出会い関わってくださった全ての皆様に感謝しています!
そしてこの記事を通して、関わりあえるすべてのご縁にも感謝します!

これからもよろしくお願いいたします。

すべての愛を込めて


奥 智美

あとがき
「妊娠、出産は素晴らしい経験だった」と振り返る智美さん。あくせくしない感じは、接する人をほぐしてくれる。”自由” に向かえる一番の応援者はお子さんに違いない■[親なんだから・・・]。親切なのか、おせっかいなのか、他人の行動や思考に介入する人は少なくない。子どもが小さなころは、子ども中心だ。でも少しずつ親自身の生き方を見つめてほしい。親も自分の人生を楽しんでいい。それは、子どもが自分の人生を大事に生きるきっかけになる。 (編集部)

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