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“ありのまま” をありのままに受け入れられるように

LGBTに対する偏見や差別をなくすには「教育」が必要である、とはよく言われることだ。だが、今の日本において、LGBTへの理解につながるような教育はなされているのだろうか。教員養成大学で、未来の教師たちにLGBTについて学ぶ機会を作っている吉谷武志さんに、話を聞いた。ご本人は「まだまだ模索中」と言うが、一緒になってLGBTの課題に取り組む学生は一人、また一人と増えている。当事者からの信頼も厚い。実際、話をしてみると「この人になら率直な意見を言える、質問できる」と思わせてくれる、そんなやわらかな心の持ち主だった。

2017/01/02/Mon
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Yuko Suzuki
吉谷 武志 / Takeshi Yoshitani

1956年、兵庫県生まれ。東京学芸大学国際教育センター教授、同大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。1978年、岡山大学卒業。1981年、九州大学大学院教育学科研究科修了(教育学修士)。九州大学大学院人間環境学研究院教授を経て、2008年より現職。専門は異文化間教育学。現代教育ニーズ、マイノリティ教育の観点から、教職員のLGBTへの対応および理解を深めるべく、授業でLGBTについて取り上げ、2015年からは国際教育センターの主催事業として「LGBT学校教育支援研修」を開いている。LGBTに関する著作に「連続講座セクシュアル・マイノリティ(LGBT)と学校」(共著『国際教育評論』第12号/東京学芸大学国際教育センター)がある。

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01知っている=理解している、ではない

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── 授業でLGBTのことを取り上げるようになったきっかけは、何ですか?

現在、籍を置く東京学芸大学国際教育センターは長年、海外から日本に帰国した児童生徒や、在日外国人児童生徒の教育について研究を続けてきました。

基本的には該当する子どもたちに対する支援のあり方を考え、そのための教材づくりや教職員に対する情報提供、研修、セミナーなどを行っています。教職大学院では現役の教師や教師を目指している学生に向けた「現代教育ニーズへの対応」という授業があるんですね。

私自身も、センターでの職務の知見を生かして、それを受け持つことになったんです。

「現代教育ニーズへの対応」で取り上げているテーマには大きく分けて2つあって、1つは特別支援教育、そしてもう一つは外国人児童生徒の教育です。

いずれも、ある種のマイノリティとされている立場にいる子どもたちにかかわる教育です。僕自身は専門を生かして、彼らに対してどのような教育支援ができるだろうか、というところから考えていくことにしました。

授業を始めて3年目ぐらいたった頃でしょうか。

学校の中では本当にいろいろな課題があるよね、と話をしていた時、現役の先生の一人が「そういえば以前、受け持ちのクラスにLGBTの子どもがいたけど、どう対応していいかわからなかった」と言ったんです。

私自身、LGBTに関する知識は持っていましたが、目の前にLGBTの子どもがいたらきちんと支援できるかどうか現実的に考えたことはなかったので、虚を衝かれたような気がしました。

他の人はどう? と聞くと「そういえば私も何年か前に・・・・・・」とか「実は今、ほかの学年にそれらしい児童がいる」という話が次々に出てきたんです。

実際、小中学校の各クラスに1人くらいはLGBTの児童生徒がいるという報告もあります。

だとしたら、これまで自分たちが取り組んできたマイノリティ児童生徒たちへの支援の一つ、人権問題の一つとしてLGBTにかかわる課題についても取り組む必要があるだろうと。

そこで、次の年度の授業ではセクシュアル・マイノリティについても講義を取り入れることにしたのです。

それが5年前、平成23年のことです。

── 実際にLGBTに関する授業を行ってみて、学生からはどんな反応が返ってきましたか?

みんな、LGBTという言葉はもちろん知っていましたし、報道などで実際に小学校6年生の性同一性障害の男の子が中学進学を機にセーラー服を着て登校することに決めた話や、トイレをどうするかといった問題などを耳にはしていたようです。

ある学生は、「LGBTのことは知っている。友達もいるから」と、別段めずらしくはないという感じで話していました。でも、じゃあもし、自分が受け持った子どもが突然、カミングアウトしたらどう対応する? と聞くと、「わからない」と。

この授業では、知っていることと理解していることは必ずしもイコールではないということを、各々が再認識することとなりました。

02「心で理解する」ことのむずかしさ

── LGBTに関する授業を通して吉谷さんご自身、何か感じたことはありますか?

自分では、LGBTについてある程度は知っているつもりだったんです。しかし、それはあくまでも「知っているつもり」で、授業にゲストとしてお招きした当事者の方の生の声を聞くと、あれもこれも知らないことばかりでした。

── 具体的に、どんなことが挙げられるでしょう。

私は、長く帰国児童生徒や外国人児童生徒に関わってきたのですが、彼らに共通しているのはアイデンティティの問題です。

彼らは異文化の間を行ったり来たりする中で、”自分づくり” が非常にむずかしいんですね。「日本人なのに外国語をいくつも話すおまえって、いったい何者?」と、周りの人間だけでなく自分自身もそう思って、当惑してしまうのです。

当事者の方の話を聞くまでは、LGBTの方たちは差別を受ける、また受けないということの前に、アイデンティティの確立がむずかしく、それが大きな悩みとなっている場合が多いということに思い至りませんでした。

LGBTの方たちも、たとえば「体は女性なのに、女性の格好をするのがイヤな自分って何者?」と悩むように、自分づくりができず、これではダメだと自らを責めてますます悩みを深めてしまう。

そうした当事者の内面は、ご本人の口から聞くまで私はよくわかっていなかったんです。

受講生と一緒に「連続講座」を企画・実施して、その成果を踏まえて、昨年から年に1回「LGBT学校教育支援研修」を開くようになりましたが、そのたびに新たな課題が見つかります。
また、正直なところ、私は毎回ひやひやしながら授業を行っているんです。

自分たちが交わしている議論が、ゲストとして来てくださっている当事者の方を不快にしたり傷つけたりしていないだろうかと。

── LGBTの方たちに対して、「悪気はなかったけれど傷つけてしまった」という声はよく耳にします。

その「悪気はない」という点が、いちばんむずかしいんです。

当大学でもLGBTの授業の受講者はみな熱心で、毎回、盛り上がるんですね。授業後にゲストの方を交じえて食事に行ったりするほど、お互いに打ち解けて。

ある日、その帰りに学生とゲストの方が同じ車両に乗ったらしいんです。そのことに気づかなかった学生が、お酒に酔った勢いもあったのか「やっぱり、受け入れがたいよね」と言っていたと。それをご本人が聞いてしまい、こんなことがありましたと話してくれたんです。

「あちゃーっ」、と思いました。

ご本人は「大丈夫です、気にしていません」と言ってくださって、今も変わらずおつきあいが続いていますが、その一件を私に報告してくださったということはやはり、一つの問題提起ですよね。

頭ではわかっていても、心で理解するのはそう簡単ではないことなのだと痛感した出来事でした。

── 1、2回授業を受けるだけでは、LGBTのことを本当に理解するのはむずかしいと?

ええ。その学生は授業の後、LGBTへの理解が深まったという感想を述べていて、事実、そのように見受けられました。

でも、自分のことを考えてみても、たった数十分間の授業で人間の考え方がすっかり変わるなんてことは、ないですよね。

頭では理解できても、感情的な部分はなかなか変わらないから、何かの拍子に本音が出てしまう。LGBTに関することに限らず、それはよくあること。

人間はきっとそこから逃れられないのだと思います。

大切なのは、相手のことをわかったつもりでいても「本当に理解できているとは限らない」ということに気づくこと。相手のことを本当に理解するというのはむずかしい。

だから、LGBTに限らずその他の偏見についても、ちょっと勉強して「わかった。おしまい」ではなくて、ずっと考えていかなければいけないんですよね。

03LGBTを人権問題として考える

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── 冒頭で「人権問題としてLBGTに取り組む」とおっしゃっていましたが、それはどういうことなのでしょう。

私はもともと「異文化間教育学」という、異なった文化背景を持つ児童生徒に対する教育についての研究をしています。

その一環として、毎年オランダやフランス、ドイツなどへ出かけて行き、現地のNGOと共同で研究を行っているのですが、そのなかでつくづく感じるのはヨーロッパでは人権、とくにマイノリティの権利に対する意識が高いということなんです。

異文化が地続きで存在する、あるいは移民という形で一つの国に異文化が混在しているヨーロッパでは、人権について考えずにはおられない、といったところでしょうか。

── アンネ・フランク財団とも関わりがある、とうかがいました。

マイノリティの人権が侵害された悲劇として象徴的なのは、ナチス・ドイツによるホロコーストです。

アンネ・フランク財団は、アンネ・フランクの生涯とナチス・ドイツの歴史を学ぶための博物館を運営しているのですが、人権に関する研究と研修活動も積極的に行っているんですね。

ホロコーストは決して過去のことではなく、現在、世界各地で見られるゼノフォビア(外国人嫌悪、迫害)もそれと同じである。

だから、子どもたちと、子どもたちを教える人間には異なる文化を背景とする他者への理解を深めること、そして人権教育が必要なのだ、と。

── ヨーロッパではそれぞれの国が、国として、社会として人権に取り組んでいるのですね。

そうです。そして、LGBTの人権についても社会の課題とされ、さまざまな取り組みが行われてきました。

オランダのアムステルダムでは毎年夏に「ゲイ・プライド」が開催されるほどLGBTに対して寛容で、なおかつ非当事者にもLGBTへの理解を求めている。その成果は確実に得られていると感じます。

たとえば、アムステルダムのNGOと共同研究をした時の話ですが、スタッフ間の自己紹介の際、ある男性がプロフィールを語るなかで「私のパートナーは男性です」と。私は、えっ、ここでそれを言うの? と驚いたのですが、アムステルダムでは自らのセクシュアリティについて口にするのは当たり前のことのようでした。

そして、それを聞く側も私のように驚いたりせず、「そうなんですね、了解」という感じで、ごく普通に受け止めている。もちろん、そのことが仕事に影響することはありませんでした。

── 自らのセクシュアリティを隠さなければいけない、と悩むLGBTの多い日本とは、大きく違いますね。

LGBTがマイノリティであることは事実で、それゆえ当事者が大変な思いをしている国は日本だけではないし、ヨーロッパの人々が必ずしも全員、LGBTに対して寛容なわけではないでしょう。

でも、少なくともLGBTの権利を認めよう、守ろうという意識が社会にはあるんですね。

ヨーロッパにくらべると日本は、これまで異文化間コミュニケーションはさほど必要とされませんでした。そのせいか、自分と異なる背景を持つ相手を受け入れ理解することよりも、同質の者との和を重んじる傾向が強いようです。

そのことが、LGBTへの理解を阻む原因の一つになっているのかもしれません。

しかし今後、日本社会も多様化がどんどん進んでいき、「自分と違う他者」への理解や人権に対する意識が必須となるでしょう。

その一つとしてLGBTについても取り組んでいく必要があると考えています。

04大切なのは、違いを認め合えること

── LGBTについて、心から理解できるようになるためには何が必要なのでしょう。

授業の中では学生たちに、ゲストである当事者の方に対して疑問があったら、ちょっと失礼かなと思うことでも聞いていいよと言っているんです。
わかったつもりでいるのがいちばんよくないですから。もちろんゲストにも「失礼な質問をしてしまうかもしれません」と伝え、了承を得た上でのことですが。

先にも言ったように私は授業のたびにひやひやしていますが、ゲストの方も「理解を深めるためには必要なこと」と言ってくださり、学生たちからも「自分は誤解していた」「心の中でもやもやしていた疑問が、少し晴れた」というような感想が寄せられます。

少しずつではあるけれど、成果は得られているのではないかなあと感じています。

── お互いを理解するにはやはり、話をすることが重要なのですね。

「ヘイト」という形ではなく、LGBTについて疑問に思うこと、今自分が感じていることを当事者に話してみる。それに対して当事者から説明を受ける。

そうすることで、最初は1メートル離れていた心の距離が50センチ、30センチと縮まっていくでしょう。

そうやって近づいていくと、それまで見えなかった相手のことが見えてきて、急にぐぐっと距離が縮まることがあるかもしれない。

── 最終的に心の距離がゼロになる、ということはありますか?

それはむずかしいかもしれませんね。LGBTに対して「どうしても違和感がある」という人はいるでしょう。

それはそれでいいと、私は思っているんです。そもそも、他人同士の心の距離がゼロになる、ということは恐らくないでしょうから。

大切なのは相手と同化することではなくて、違いを認め合えること。そのためには相手を知ろう、理解しようと努力する必要がありますね。

── もっとも、非当事者としてはLGBTを理解しよう、当事者たちを傷つけることのないようにしようと思いながらも「配慮のしどころがわからない」と悩む場面が少なくないようです。

たしかに。四肢にハンディがあって車椅子を使っている人に対しては、車椅子が通りやすいように道を開けるというように、どんな配慮が必要なのか具体的にわかります。

また、在日外国人にしても、個別な事情はありつつもある程度共通性があるので「こういう対応はNG」ということが比較的わかりやすい。

ところがセクシュアル・マイノリティの場合は多様性が高いだけに、事情や背景も本当に人それぞれですよね。だから、こういう対処の仕方でいいのかなと思っていても、それが当てはまらないという現実が次々に出てきてしまう。

また、当事者からは「妙に配慮されたくはない」という声をよく聞きます。

── お互いに幸せな関係を築くためには、どうしたらいいのでしょう。

これはもう、トライ&エラーというか、図らずも相手に失礼なことを言ったりしてしまったりしたら、誠意をもって謝罪し、同じ過ちを二度と繰り返さないようにするしかないような気がします。

05誰もが自分を「普通に」表現できるように

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── 偏見や差別をなくすためには教育が必要だと言われます。教職員という立場にある人は、自分自身がLGBTへの理解を深めるだけでなく、児童生徒に対して教育を行わなければいけないという大きな務めがありますね。

教育に関わる人なら、誰もが「自分をありのままに表現できることが大切だ」と考えているとは思うんです。

しかしながら、実際に今、学校でLGBTの児童・生徒がありのままでいられるかといえば、そうではない。現実に、多くの教師が「どう対応していいかわからない」と戸惑っている段階ですから。

では、どうすればいいのか。
マイノリティの課題は、当事者ではなく周囲のマジョリティ側の問題であると、私は考えています。

マイノリティは、少数派であったとしても人のあり方としては「普通」で、何ら責められることも差別されるいわれもありません。LGBTにしても、人が誰かを好きになることはとても素敵なことで、その対象が異性であっても同性であってもそれは変わらない。

問題なのは、マジョリティ側の「男性は女性を、女性は男性を好きになるものだ」という既成観念なんです。

ですから教師は、既成観念や思い込みといった殻を脱いで、目の前の教え子のあるがままを見つめること。それがまず最初にやるべきことなのではないでしょうか。

── 平成26年に文部科学省が、学校でのLGBTへの対応状況を調査、公表し、翌年、LGBTの児童・生徒についてどう対応するべきかという教職員向けのパンフレットを作成しましたね。そこには、自認する性別の制服や体操着の着用を認める、職員トイレや多目的トイレの利用を認める、修学旅行で入浴時間をずらす・・・・・・などが記されています。

教育現場でも少しずつ、LGBTの児童生徒が自分のありのままを受け入れ、支援する体制が整ってきたようには感じています。

ただ、個人的にはもう少し細かいところから地ならしというか、LGBTも普通のあり方なのだということを児童生徒たちが自然と思えるような工夫や仕組みがあるといいなあと思うんです。

たとえば、ペンギンのゲイカップルの子育てを描いた「タンタンタンゴはパパふたり」のような絵本を、この本はいいから読みなさいと押し付けるのではなくて、当たり前のようにほかの本と並べて教室や図書館に置いておく。

そういうことを日常的に積み重ねていくことが大切だと思うんです。その上で、何か問題が生じた場合、「LGBTにはこうするべき」というようなマニュアル的な対応ではなく個別に、目の前の子どもの困りごとが解消するように支援する。

そのためにもやはり、教職員自身がつねにLGBTの課題について考え、LGBTとの距離を少しでも縮める努力が必要ですね。

── 吉谷さんが考える「LGBTに優しい学校」とは、どんな学校でしょうか?

子どもたちの間で、「君はLGBTだけど、友達でいていいよ」ではなく、「君は僕にとって大切な友達だよ。あ、そうだ、君はLGBTだったんだよね」という会話が交わされるような学校です。

実はこれは、LGBT当事者の児童生徒の自分づくり、自己肯定につながるんです。

周りのみんなは自分のことを「普通」だと思ってくれているんだ、自分はありのままでいていいのだと思えるようになるでしょう。

── そのためにも学校では、小さなこと、細かいことから一つずつ改善して環境を整えていくことが大切なのですね。

そうです。そして最後にもう一つ。

「みんな違って、それでいい」なのですが、だからあなたと自分とは関係ない、となってしまっては意味がありません。

お互いに違いを認めながら助け合って生きていく、そんな社会を目指して、教職員は児童生徒に接していく必要があると考えています。

あとがき
吉谷先生が淹れた美味しいコーヒーをいただきながら、取材は始まった−−− 「すべの人に偏見がある。あることを悪くおもうこともない」。『偏見』の言葉を目の前にすると、できるだけそこからは “遠くにいる人” でいたくなる。でも、それを『全てを知ってはいない、一方に寄る考えの状態』と捉えたら、だいぶ楽になれそうだ■生きているうちに、知ることのできる数は限られている。まずは、知ってもらう、その存在を。理解してもらえたら、それはうれしいけれど。まずは『知る』から始めたい。(編集部)

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