INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

今よりもっと、自分を好きになる生き方に挑戦したい。【前編】

第一印象は「アクティブ」。麦わら帽子にカラフルなTシャツで颯爽と現れた加賀江さんは、音楽好きで野外フェスなどによく参加するそうだ。柔らかい物腰で丁寧に話をする様子に、誠実さと真面目を感じた。今まで色んなことにチャレンジし、前向きに生きてきた加賀江さんの半生に触れ、自分らしく生きることの大切さを学んだ気がした。

2019/08/24/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Satomi Fukuihara
加賀江 恭士 / Takato Kagae

1987年、愛知県生まれ。専門学校へ進学し進路を考えた頃、自身の性に疑問を抱き、診断を受けることを決意する。新しい生活を始めるために専門学校を中退し単身で上京、性同一性障害の診断を受けホルモン治療を開始。持ち前の人当たりの良さを生かし、接客販売をメインとした仕事に多く携ってきた。現在は地元に戻り、日本初の性同一性障害等のセクシュアルマイノリティの為の認可福祉施設で管理者を務めている。

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INDEX
01 やんちゃな幼少期
02 漠然とした違和感
03 人間不信に陥った高校生時代
04 初めての彼女
05 沸き上がる将来の不安
==================(後編)========================
06 自分が何者なのかを知りたい
07 好きになることから始める
08 僕は僕でいい
09 母親への想い
10 出来ない理由をFTMであることにしない

01やんちゃな幼少期

お母さんが大好き

男の子たちとドッチボールをしたり、駒回しをして遊ぶ活発な子供時代。
外で遊ぶことが大好きだった。

ブランコの取り合いで、男の子と喧嘩をして相手の頭を噛んだこともある。

でも、母親がそばに居ないと泣いてしまうような「お母さんっ子」でもあった。

「母親は、ざっくりしていて明るくて、とにかく何でもやってみようという人です」

「小学生の頃、自由研究とか工作とかは母親が手伝ってくれて。『人と一緒だとつまらないから」と言って、はりきってやってくれました」

父親と母親は小学生のころに離婚。母親は女手一つで兄と自分を育ててくれた。

6歳離れた兄は感情を隠すことをしない奔放な性格で、思ったことを口に出すのが苦手な自分とは性格が合わなかった。

「理不尽なこともばんばん言われましたね」

「兄が料理を作ったら僕が片付けて、僕が作ったら僕が片付けるんです。
それが納得いかなくて(苦笑)」

高校生の頃、兄と折り合いがつかず一ヶ月ほど家を出たことがあった。
しかし、バイト先は母親のパート先でもあったため、頻繁に顔を合わせていた。

母親は怒ったり説教をすることもなく、「まあ、顔が見られるからいいわ」
と言い、自由にさせてくれた。

「基本放任です。母親からは、『あなたは何も言ってこなかったから、色々分からなかった』
と言われましたけどね」

履くのが嫌だったスカート

物心ついた時から、スカートを履いたり可愛い洋服を着るのが好きではなかった。
でも、小学校の入学式では母親のお気に入りのワンピースを着用した。

「入学から1週間、2週間はスカートを履いていましたけど、やっぱり嫌で(笑)」

母親から「女の子らしく」を強要されたことは一度も無い。

昔のことで記憶もおぼろげだが、見つけた七五三の写真には、着物ではなくシャツにズボンという服装の自分が写っていた。

「本当は可愛い格好をさせたかったと思うんです」

子どもが欲しくて6年間不妊治療を続けた母親の、念願の女の子である自分。
実家にはスカート姿で微笑む、幼い頃の写真が家に飾られてある。

小学生になってからも男友だちと遊ぶのは変わらなかった。
秘密基地を作ったり野球をしたり。

女の子の友だちもいたが、男の子と外で遊び回ることのほうが多かった。

それは小学校を卒業するまで続き、何の疑問も感じること無く日々を過ごした。

小学校の卒業式は、スカートではなくパンツスーツで出席。「スカートは嫌だ」
と話したら母親が用意してくれたのだ。

02漠然とした違和感

恥ずかしかったセーラー服

中学校に入学したら、男子と女子の行動は明確に分かれていった。
小学生の頃のように気軽に男子と遊ぶことが出来なくなり、戸惑いを覚えることも。

「今まで遊んでた男友だちも、なんかよそよそしくなって」

「周りの女友だちが『あの先輩かっこいい』とか言い出して、話についていけなくなりました」

中学校の制服はセーラー服。
今までは好きな服装で自由に過ごしてきたのに、穿きなれないスカートを毎日着なければならない。

慣れるまで少し時間がかかった。

「セーラー服を着るのが恥ずかしかったです。スカートの穿きこなしかたも分からなくて」

それでも、時間が経過するとだんだん慣れてきた。
柔軟性に富んでいたのか「まあ、いいか」と思えるように。

クラスでは引っ込み思案で目立たない存在。

恋愛にまっしぐらな活発な女子とは合わなかったので、漫画やゲーム好きの大人しい女子たちと一緒に行動をしていた。

仲の良い友だちが恋の話をすることはほとんど無かったが、滅多に無い恋の話題が出たときはひたすら聞き役に徹した。

クラスの女子が男子をかっこいいという心理が全く分からない。
むしろ、自分が「かっこいい」と思われたいと感じていた。
なんで自分はこんなに周囲と違うんだろう、と考えたこともある。

でも、男子のことを羨ましいとか妬ましいと感じることは全くなかった。

「男子に対しては、同性の友だちと一緒にいるような感覚だったかなぁ」

身体の変化

中学に入学して少し経つと、体つきに変化を感じるようになってくる。

胸の膨らみに気づいたときは、「牛乳を飲んだから胸が大きくなったのかもしれない」と嫌な気持ちに。

牛乳を飲むのを止めた。

母親は可愛い下着を購入してきてくれたが、「嫌だ」と拒否し、シンプルな下着を選んだ。

女性らしく成長する身体に、強烈な違和感を感じることは無かったが、「なんか嫌だなあ」という不快な感情はつきまとう。

それが何なのか深く追求して考えることはなかった。

それがきっかけなのかは不明だが、中学の3年間は水泳の授業に全く出席していない。

「ピッタリした水着を着るのが面倒臭かったんです。一貫して『生理痛です」と言い張ってましたね』

当時は、下着を脱いで水着を着るという行為がとても窮屈に思えてしまった。
身体が濡れることもたまらなく嫌だったし、髪を乾かす作業を考えると気が重い。

「でも、今思えば自分の身体が嫌だったのかもしれないですね」

まだその当時は「性同一性障害」という言葉を知ずに過ごしていた時期だ。

自分の心の変化や、感じる違和感に対し名前を付けることはできなかった。

03人間不信に陥った高校生時代

友だちとの仲違い

楽しかった中学生活を終え、機械科のある高校へ進学した。

将来何になりたいかを深く考えた時、なんとなくで高校に進学するよりも、「やりたい仕事に近づける高校を選ぼう!」と決めて選択する。

機械科のある学校だ。

幼い頃からゲームが好きで、将来はゲームクリエイターになりたいという夢があったからだ。

男子の多い機械科の受験を母親は心配していたようだったが、「やりたいことをやってほしい」と応援してくれた。

無事に合格した。

2年次からコースを選択するシステム。高校生活に期待が膨らむ。

「1年生になってから、後ろの席の女子と仲良くなったんです」

「でも、その子が周りとどんどん仲良くなって、同級生の男子とどんどん仲良くなっていくのを見るうちに、無意識に嫉妬してしまって」

「ある日その子に対して、凄くそっけない態度をとったんです」

楽しい高校生活は一変し、それが原因でグループから無視されてしまう事態となってしまう。

学校に行けずパニック状態となった。

「初めて友だちともめた! と思って、どうしたらいいか分からなくて」

担任が話し合いの場を設けてくれたが、解決することは出来なかった。

原因となった女子から、「あなたがこれまで自分の好きなようにやってこれたのは、周りが優しかったから許してくれてたんだよ」と言われた。

人格否定をされたような気持ちになった。

強烈なショックを受け、人間不信に陥ってしまう。

深い傷となった失恋

担任は親身に接してくれ、「無理して学校に来なくてもいいよ」と登校を強制しなかった。

「制服の中に早退届を持ってていいし、帰りたくなったら帰っていいから」という言葉に救われた気がした。

進級をどうするかの話し合いが行われ、新設された、ワードやエクセルを勉強する課を薦められる。

「もめてる子たちは別のコースにいくから、かちあわないよ」と教えてもらい、念願のゲームクリエイターの勉強もできることもあり、進むことを決意。

2年生では新しい友だちができた。

不仲になった女子とは、二人きりになる機会が訪れ話すことができた。

その時、彼女から「今、女の子と付き合ってるんだ」と衝撃の告白を受ける。
動揺したが、自分も「女の子と付き合っている」と、15歳から付き合った人の話しをした。

自宅に戻ってから、涙が止まらなかった。

「僕が変な態度をとらなければ、気になっていた彼女と付き合えたかもしれないんだと思いました」

それまでは「仲を修復させたい」という気持ちが先にあり、自分の気持ちに気付かなかった。

初めてその時に彼女のことが好きなんだと気づき、同時に失恋をしてしまった。

心は深く傷つき、彼女と不仲になった秋頃から冬になるまでの時期、その痛みを思い出すように、毎晩夢を見るようになってしまった。

彼女には最後まで謝れず、恋心を伝えることもできなかった。

04初めての彼女

友だちが欲しい

高校を休みがちになった時期、孤独に苛まれるようになる。しんどい気持を打ち明ける存在が欲しいと思うようになった。

そこで考えたのが、出会い系サイトで友だちを作ることだった。

「淋しがり屋なので、誰かと一緒にいたいっていう気持ちが強かったんです。外で友だちを作るにはどうしたらいいか、って考えたらたどり着きました」

「当時はかけ放題プランが無かったので、携帯代金が凄いことになりました(苦笑)。2、3万円は当たり前でしたね」

サイトを利用しているうちに、レズビアンが自然と集まる掲示板を発見する。
当時は、女性同士で付き合うということが現実にあることを知らなかった。

「こういう風に、女の子と出会うことができるんだ」と、驚きを覚える。

その時、自分の性の対象は女性なんだと気づかされた。

「高校に入って出会い系サイトを使うようになってから、明確にそう思うようになりました。」

初めての彼女は22歳の年上の女性。
15 歳の自分とは7歳差だ。

サイトで知り合い話をして遊ぶようになり、成り行きで付き合うことになった。

「付き合うことに後ろめたさは無かったけど、母親に何て伝えればいいかな、って罪悪感は感じてました」

お互いの趣味はゲーム、好きなものも共通している。

彼女との交際はとても楽しかった。

初めてのカミングアウト

性的な興味は女性だったが、男性になりたいという想いや、憧れは一切感じていなかった。

「その当時自分のことを男とは思っていなかったし、そのへんは何も考えていなかったです」

「ただ女の子と付き合ってみたかったというか」

初めてのカミングアウトは16歳のころ仲良しの友だちに。

「今女の子と付き合ってるんだ」と打ち明けた。

否定されるかもしれないという不安な気持をよそに、友だちは「えー! そうなんだ。実は、私も彼氏が出来たんだ」と受け流し、自分の彼氏の話をし始めた。

「もっと色々聞かれたりするのかと思ったら、え? そんな感じなの?? と思いました」

「話題をその子の彼氏の話にもっていかれましたね(笑)」

今まで話せなかった自分の話をしたということは、知ってほしいという気持ちが大きかったのかもしれない。

友だちと恋の話もしてみたかった。

目まぐるしい毎日で、色んな事が学べた高校生活。

苦しい思いに悩んだ時期もあったが、信頼できる先生や長く付き合える友だちと出会うことができた。

「環境にはかなり恵まれてたと思います」

忘れられない片想い、楽しい恋、色んな経験を経て高校を卒業した。

05沸き上がる将来への不安

トランスジェンダーなのかもしれない

高校卒業後は、ゲームクリエイターを目指すため専門学校に進学した。

プログラミングや専門的な勉強を進めていくうちに「自分は将来、この仕事で女性として生きていけるのか」という疑問に直面する

「ゲームクリエイターになりたいという気持ちは変わらなかったんですけど、女性としてゲームクリエイターの仕事をしている自分を、どうしても想像することができませんでした」

「女性として仕事をすることは出来ないって思って。悩んだ末に、サイトで仲の良かった女友だちに相談することにしたんです」

彼女には今までも色んなことを打ち明けてきた。信頼できる存在だ。

将来への悩み、女性と付き合っていた当時、芽生えてきた「男性として見られたい」という感情。これから自分はどうしたらいいのだろうか。

ありのままの気持を伝えた。

「性同一性障害なんじゃないの?」彼女の言葉にハッとする。

「あ、そうなんだ」

自分の中で腑に落ちるものがあった。
トランスジェンダーのドラマを観たことがあったので、それが何であるのかは理解していた。

しかし、テレビで観ていた当時は自分がそうだとは思わなかった。
もしかしたら、「似たような何か」なのかもしれない。
そうぼんやりとやり過ごしていたのだ。

葛藤の中で

じわじわと感じる性別への違和感に、気持が乱されていく。

「専門学校に入った後も、働いている自分の姿がリアルに想像できなかったんです。自分は女性じゃない、っていう感じを強く認識しました」

それまでの間は、自分のセクシュアリティに関して深く考えたことが無かった。

今までは、男として見られたいという気持のみで止まっていて、男性として生きたいという考えにまで到達していなかったのだ。

「ホルモンを打つとか、手術をするってことがよく分からなかったんです」

「当時はそういう情報も出ていなかったし、手術をした人を探すのも結構大変だったので」

相談相手の女友だちとはその後付き合うことに。神奈川県に住んでいた彼女とは、遠距離恋愛だった。

治療先を相談したら、「こっちに来れば埼玉医大とかあるし、病院いっぱいあるよ」と言われる。

一人暮らしをすることに憧れがあった。考えあぐねた結果、上京することを決意。

夏に専門学校を辞め、バイトに励んでお金を稼ぐことに専念した。

お金が貯まった頃、いよいよ母親に伝えなければいけない。しかし、なかなか伝えることができなかった。

ある日、業を煮やした彼女から「お前へたれだから、一生親になんか言えねーよ」と強烈な一撃を食らってしまう。

その言葉にカチンときてしまい、勢いに任せて母親にカミングアウト。当然のことだが母親は戸惑い、何を言われているのかすぐには理解できなかったようだった。

 

<<<後編 2019/08/27/Tue>>>
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06 自分が何者なのかを知りたい
07 好きになることから始める
08 僕は僕でいい
09 母親への想い
10 出来ない理由をFTMであることにしない

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