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ただ人生を歩んで。26歳で出会えた自分の性。【後編】

ただ人生を歩んで。26歳で出会えた自分の性。【前編】はこちら

2017/08/23/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
阪部 すみと / Sumito Sakabe

1976年、大阪府生まれ。同志社大学商学部卒業後、正社員として金融の世界へ。その後、大阪府職員などを経て、現在はNGO職員。自分らしく幸せに生きるLGBTQとAllyのためのコミュニティ「つながりカフェ」代表も務める。

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INDEX
01 お母さんに甘えていたかった
02 両親が期待する男らしさって?
03 一番ではなく、二番、三番でもいい
04 優等生キャラを演じながら
05 色を持たない高校時代の記憶
==================(後編)========================
06 大学で知った、この世界の広さ
07 与えられた仕事を淡々と
08 青年の叫びに、心惹かれて
09 大人になって訪れた青春
10 LGBTの問題を超えて

06大学生になって知った、この世界の広さ

興味は海外へ

大学生になってハマったのが、海外旅行だ。

日本テレビ系「進め!電波少年」番組内で、猿岩石がヒッチハイク旅をしていたのが、ちょうど自分が学生時代の頃だった。

「番組は、2人が香港からロンドンを目指す道程を描いていました。海外旅行への興味が湧いたんです」

猿岩石のように一気にユーラシア大陸を横断とまではいかないが、大学の夏休みや春休みなど、まとまった休暇が取れれば、外国に足を運ぶようになった。

「初めての海外はグアムでした。アジアとアメリカにも行ったし、ヨーロッパも周遊しました」

「オーストラリアは1ヶ月かけて車で回ったのですが、大自然の迫力に圧倒されましたね」

「1人ではなく友達3、4人と一緒に行くことが多かったです」

オーストラリアの旅では近くにガソリンスタンドが見つからず、エンストしたこともあった。

星空の下、キャンプしたこともいい思い出だ。

「少し残念に思うのは、当時はまだ英語が苦手で。あまり現地の人とコミュニケーションが取れなかったことです」

「今は仕事で英語を使うことも多いのですが、逆に長い休みを取って旅行というのは難しい」

「あの頃もっと現地の人と話すことができたら、さらに感慨深い旅になっていただろうと思います」

女性と付き合う

海外旅行の資金捻出のために、勉強はそこそこにサークルにも入らず、バイトに明け暮れた。

「サークルに入った方が友達は増えたのかもしれないけれど、すでに大学に気の合う友達がいたから、それで良かったんです」

「男友達は、今思えば、やっぱり僕の好みのタイプばかりでした(笑)」

そんな男友達から「阪部はなんで、積極的に彼女を作らないの?」と尋ねられたことがある。

特段、自分が恋愛体質ではないことに疑問を抱いてはいなかった。

けれど聞かれるたびに、なんとなくごまかしていた。

実は大学の間に2度、女性と付き合ったことがある。

「1回目は告白されて、断る理由もないから付き合い始めました。一緒にいると常に気を遣ってしまうので、楽しめなかったですね」

「『荷物を持ってあげないと』とか、『人混みのなか、トイレに行きたいと思ってはいないだろうか』など。常に気配りするのが面倒で、デート中も全く和めませんでした」

彼女に気遣いを強要されたわけではない。

勝手にそう思って、くたびれてしまうのだ。

「やっぱり恋愛に向かない体質なんだと思いました。でも、あまり突き詰めて考えることはしなかったんです」

「人生は7、80点でも悪くないし、自分はこういうふうにしか女性と向き合えないんだなと感じていました」

「それでも好きって言ってくれるなら、このまま付き合っていればいいとも考えていたんです」

しかし、初めての交際には終わりの時が近づいていた。

自分が望んだのではなく、彼女の方にそういうシチュエーションに持っていかれたのだ。

「まだ若かったから、身体と身体が触れ合えば、それなりに興奮を覚えて反応すべきものは反応しました」

「けれど僕が面倒臭くって、自分から積極的に彼女を抱くことはできませんでした」

「女子からしたら、2、3回、同じようなことが続けば『あれっ!?私のこと好きじゃない?』という思考になりますよね」

「それで別れることになったんです」

およそ2ヶ月の交際だった。

もう一度、他の女の子から告白されて付き合ったことがある。

再び身体の関係を持てずに、別れることになった。

「女性と身体の関係が持てないからといって、とくに落ち込みはしませんでした」

「モヤモヤ感は増幅されましたが、結局、答えも見つからないまま。要は相性が悪かったんだろう、と楽観的に考えていました」

女の子に告白されるたび「ああ面倒だな」と本心で思うことも。

しかし、深く悩むことはなかった。

07与えられた仕事を淡々と

きつい仕事のはずが

今では経団連の指針で、大学4年生の就職活動の解禁日が設定されているが、2000年前後は、そのような制度もなかった。

大学3年生も正月を開けると、皆、だんだんと就職活動モードになる。

「海外に興味があるので、はじめは旅行会社を志望していました。でも自分が旅するのと、お客さまを添乗する、旅行商品を企画するのとでは大違いであることに気づきました」

当時は電子マネーの創生期だった。

クレジットカードにICチップが搭載され始めた頃。海外旅行でよくクレジットカードを使っていたこともあって興味をもった。

金融業界に進もうと思った。

「無事、大手から内定をいただきました。けれど1年目に配属されたのが債権回収の部署でした」

支払いが滞る人の元へ行って代金を回収、またはカードの使用を止める仕事だった。

多くの人が配属を嫌う部署。

しかし、そこでの仕事がなぜか楽しかった。

「大阪は口の悪い人もいます。中にはかんしゃくで灰皿を投げてくるような人も」

「それでも楽しめたのは、論理的に話しを詰めると、必ず相手は音を上げるから。だから何を言われようが、たじろがずに証拠を積み上げていきました」

「『兄ちゃん、マチキンの回収より怖いな』と、おじさんに言われたこともあります(笑)」

こうやって苦労して債権を回収する部署があるからこそ、会社は存続できる。

そう思うと、何よりやりがいが感じられたのだ。

転機はブラウザの中に

その後、営業に異動になった。

旅行会社のツアーへ参加するお客様に、自社のカードを勧める仕事だ。

「それなりに充実していたのですが、大学を卒業してから仕事ばかりでプライベートがなく、また自分と会社の考えに食い違いを覚え始めました」

ほどなくして会社を辞めた。

しばらく実家の酒屋の手伝いをして過ごすことになった。

「そんなときでした。ふとインターネット検索で引っかかったゲイの青年の日記が目に止まったんです」

セクシュアリティへの苦悩や、拭い去れない同性への恋心について、切々と綴られていた。

「女になりたいのではなく、男性として男性が好きだということが述べられていたんです」

「読んでいて、ふと突然、全てが繋がったかのような気持ちになって」

「自分も同じようなことを考えていたのかもしれない、と琴線に触れたんです」

26歳になって、人生で初めて明るみになった自らのセクシュアリティへの疑念だった。

この日記を書いた人物と会いたいと思った。

勢いでウェブ上にて連絡を取り合い、彼のいる九州へと向かう。

08青年の叫びに、心惹かれて

あれは初恋

「思い出してみると、男性を好きになったことが確かにあったんです」

あれは中学3年生のとき。

学校のトイレのドアに指をはさんで大怪我をし、入院したときの話だ。

「同じ病室に4つ年上の男性の患者がいて・・・・・・。療養生活をともにするにつれ、かっこいいな、もっと彼のことを知りたい、近づきたいって考えるようになったんです」

むこうは高校3年生だった。

互いが退院した後も、会って遊んだり、食事をすることもあった。

時が経つにつれて顔を合わさなくなってしまったけれど、今でもたまに思い出す、印象的な出会いだった。

「単に憧れの先輩のように思っていたのかな、と当時は感じていました。けれどもあれは、僕の初恋だったんです」

それはあくまで過去の思い出だが、今、自分は新たな一歩を踏み出そうとしている。

自分が気づかなかった性に目を向けさせてくれた、その文章の主に出会うために。

本当の自分

思慮深く、達観した視点で紡がれた日記の言葉たち。

その書き手は、きっと自分より年上に違いないと思っていた。

しかし会ってみると、その人は年下の青年だった。

「直接顔を合わせて話を聞いても、自分よりずっと考えや人生観が成熟している印象でした」

互いに、自分の胸のうちをとつとつと話してみる。

身の回りのこと、家族のこと、仕事のこと、そして恋愛のこと。

紡ぐ言葉が共感を呼び、ふたりの距離はどんどん縮まっていった。

「その日から、時間があったら彼に会うべく、九州へ行くようになりました。会ってから1ヶ月もかからなかったかもしれません、互いを理解し、付き合うことになりました」

交際してみて、26歳にして初めて抱いたセクシュアリティへの気づき、胸の引っ掛かりも、すっかり晴れた。

自分がなぜ今まで恋愛をしてこなかったのか、どうして女性との付き合いがうまくいかなかったのかも、納得がいったのだ。

「同世代はみんなこれを、こういう恋愛を楽しんでいたんだ、と心にも身体にもしっくり来ました」

「モノクロの世界が、急に色づいたような感覚です」

やがて九州にいた彼が大阪に引っ越すことになって、頻繁に会えるようにもなった。

ゲイサークルに顔を出すようにもなり、同じセクシュアリティの友だちもぐっと増えた。

09大人になって訪れた青春

26歳にして

「僕には真の意味で青春がなかったのかもしれません」

「恋愛しないことに疑問すら感じずに、26歳になってしまったんですから」

しかし、26歳からでも青春は謳歌できると思った。

「実は初めて九州へ行く前、彼の日記に衝撃を受けた直後に、自分試しの気持ちで大阪・堂山の風俗店へ行ったことがあるんです」

「指名した男性が部屋に入ってきて、もう添い寝をしただけで、しっくりきました。これだ、という絶対の安心感があって」

「自分はゲイなんだと確信しました」

そのような体験も経て結ばれた初めてのパートナー。

楽しく幸せな日々だった。きっと今からでも、青春は取り返せる。

そう思った。

気づくまでに時間がかかったが、自分の中でセクシュアリティの問題を乗りこえることは、意外と簡単だった。

問題はこの状況を、周りの人へどうカミングアウトするかだ。

「でも付き合い立ての頃は楽しさ、嬉しさ、喜びが勝って、そこまで考えが及びませんでした」

「カミングアウトを意識するようになったのは、40代に差し掛かった、今の話です」

それから少し経って、たくさんの思い出とともに、最初の彼と別れる日が訪れた。

でも自分を変えてくれた、大切な人だった。

告白の難しさ

それから一人の男性との交際を挟んで、今のパートナーと出会った。

付き合いはじめて、すでに14年の歳月が流れている。

「今でも仲良く、楽しくやっています。でもやっぱり周囲へのカミングアウトの問題は、付いて回るんですよね」

仕事はその後、大阪府の職員を経て、環境保護のNGO職員として勤務することになった。

金融関係で培った知識と経験を生かし、海外展開する日本企業と現地企業の間に入る、地球温暖化プロジェクトの進捗状況の管理、書類やお金のやりとりを監督する仕事。

地球温暖化の原因である二酸化炭素を削減する、国際的なプロジェクトを助ける業務だ。

「旅行が好きなので、外国と関われる、海外出張もある今の仕事には満足しています」

「ただ転職の理由には、特定の職場に長くいると、どうしても突っ込んだ身の上話をする必要が出てくる、それが面倒だったというのもあります」

「『彼女いるの?』『結婚しないの?』と聞かれても、うまく答えられない自分がいて・・・・・・」

社会的カミングアウトの難しさに直面しながら、遅咲きの青春を謳歌する日々だった。

10 LGBTという枠組みを超えて

わかっていても

自分の性指向を自覚したのは遅めであったが、ゲイである自分を哀れんだことはない。

それはそれで仕方ない。

事実は事実として受け入れ、前を向いて淡々と歩むスタンスだ。

「親へのカミングアウトも申し訳なくてできない、というわけではないんです」

「以前は実家の離れにパートナーと一緒に住んでいたので、ダブルベッドでふたり寝ているところを、母は何度も目撃しているんですよね」

「『あんたら、うちに住んでるんやから、きちんと家賃を払って!』」

「今はもう酒屋は廃業してしまったけれど、母は角打ちを切り盛りしていたときのように、チャキチャキ僕たちをまくし立ててきます(笑)」

きっと母は、すべてをわかってくれている。

それでいて、触れないでいるのだろう。

だけど今さら改まって告白するのも、なんだか照れくさいのだ。

事実が口から出かける。でも言えない。だけど告げられないから、なんだか気持ちが悪い。

その繰り返しだ。

「実はパートナーの方が、初めは家族へのカミングアウトに失敗したです。実家の両親に告げたら勘当を宣告されたあげく、お母さんが乗り込んできたんです」

「それを僕が説得したら、今度はお父さんが『息子を騙しやがって、殺す!』と、また大阪にやって来て(笑)」

しかし、ひるむことはなく伝えた。

「お父さん、そういう言い方は良くないですよ。それに人権問題として今、LGBTへの注目が集まっているんです」と。

ものすごい剣幕で現れたパートナーの父親を、論理的に説得。

このあたり、債権回収で培った話術が功を奏したのかもしれない。

そうやってパートナーの両親は説得したものの、自分の両親へとなると難しい。

でも実家の離れの改装が完了し、ふたりで再び引っ越すまでに、カミングアウトはしたいとは考えている。

Allyも巻き込んで

仕事のかたわら、LGBTQとAllyのためのコミュニティ「つながりカフェ」代表として、セクシュアルマイノリティの啓発活動も行なっている。

主に大阪や京都のカフェやレンタルスペースを借りて、セクシュアルマイノリティや一般の人が交流、のんびりできる場所を提供している。

自らが26歳までセクシュアルマイノリティであることに気づけなかったからこそ、思うこともある。

「26歳になるまでゲイであることを自覚できなかったからこそ、悩みを抱え込んだり、逆に引っ込み思案になって、周りからいじめられることもありませんでした」

「それに大人になって気づいたから、自ら積極的に情報を取りに行くこともできた」

「そう思うとLGBTであると知るのに、早すぎることも遅すぎることもないと思うんです」

「Allyも活動に取り込むことで、よりセクシュアルマイノリティが社会で生きやすくなると考えました」

「最終的にはLGBTQであるないに関わらず、参加する人が自分らしく生きられるための、止まり木のような存在になればいい。そう考えています」

あとがき
“人により良く見せたい、思われたい” というニュアンスを感じない、インタビューと原稿確認。飾り気がなく、とても整然とした印象は特別に思えた。すみとさんを例えるなら、凪。穏やかに引き、寄せながら、懐は深い■セクシュアリティへの気付きも、誰かへの表明も、それがいつなら幸せ?の答えはなさそうだ。でも、変化のときこそ安心できる場所が欲しい。すみとさんは、荒波も難関の一瞬だったと感じさせてくれる。(編集部)

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